ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『違う、そこじゃない』 マタイによる福音書17:1〜13

在宅礼拝 2021年3月14日


『違う、そこじゃない』聖書研究祈祷会 2021年3月14日

 

案 内

華陽教会では現在の医療提供体制を踏まえて、第一・三日曜日と第二・四日曜日に会衆が半分ずつ、数カ所に分かれて集まる小規模礼拝を再開しています。共に今、教会にいる人も、自宅にいる人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

消 灯

本日は、受難節第4週目の礼拝なので、光や命の象徴として立てられた蝋燭を4本倒し、キリストが受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こします。共に今、あなたの労苦と痛みに寄り添う、イエス様の歩みを覚えましょう。

 

招 詞

荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。(ペトロの手紙二1:17)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌291番「主にまかせよ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。(小窓を閉めて)共に祈りを合わせましょう。

 

◆友として、子として、母として現れる、私たちの神様。今日もまた、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆心と体を養われる私たちの神様。この一週間も、嫌なこと、辛いこと、苦しいことがあったとき、あなたも共に痛み、共に怒り、共に励ましてくださったことを感謝致します。どうか今、私も誰かを慰めることができますように。

◆勇気と良心を育む私たちの神様。この一週間も、間違え、ためらい、見て見ぬふりをしてきたとき、あなたも共に悔やみ、共に嘆き、共に悲しんでいたことを覚えます。どうか今、あなたと一緒に立ち上がらせてください。

◆正義と平和を導く私たちの神様。この一週間も、努力し、乗り越え、克服したものがあったとき、あなたも共に叫び、共に驚き、共に喜んでくださったことを思います。どうか今、私の隣人にも嬉しい知らせを聞かせてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書17:1〜13(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

交読文

(会堂の窓を開放して)詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編145:1〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)交読詩編付きの『讃美歌21』をお持ちの方は、後ろの方に載っています。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください)

 

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Dan FadorによるPixabayからの画像

メッセージ

イエス様の弟子として最も有名だったペトロは、最も格好がつかない弟子でもありました。彼ほどイエス様とのやりとりで無知をさらし、空回りし、何度も叱られた弟子は他にいません。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者」「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」……ちょっと思い返すだけでも、だいたいイエス様に怒られています。

 

今日、皆さんと読んだエピソードも、そんなペトロの恥ずかしい過去の一つです。弟子たちの中で、自分とヤコブとヨハネだけが呼び出され、イエス様に高い山へ連れて行かれる。これから何か特別なことが行われる、というのはすぐ予想がついたでしょう。高い山というのは、昔から神様が人前に現れる場所でもありました。

 

イエス様は自分たちだけに、特別な奇跡、特別な力を見せようとしている。神の子として、救い主として、活躍する姿を現そうとしている。そんな期待が高まります。同時に、不安もありました。6日前、イエス様は突然、自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺される、と言い出したからです。

 

慌てたペトロは、思わずイエス様をわきへお連れし、「とんでもない」「そんなことがあってはなりません」といさめましたが、反対に怒られてしまいました。邪魔してはならない。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている……イエス様は「死んでから三日目に復活する」とも言ってきますが、「はい、分かりました」なんて言えません。

 

結局ペトロは、イエス様がこれから死ぬことも、後から復活することも、それ以上触れることができないまま、6日が過ぎてしまいました。そして、突然呼び出された今日、山の上でとんでもない光景を目にします。なんと、イエス様の姿が目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなったんです。

 

もう生きている人間の姿じゃないですよね? いつだったか、イエス様は突風がおさまらない湖の上を歩いて見せたことがありました。あのときも、弟子たちは舟の上で「幽霊だ」と言って怯えましたが、今回も負けないくらい恐ろしい光景です。しかも、既にこの世からいなくなったはずのモーセとエリヤも現れて、イエス様と話し始めます。

 

この世の人ではない姿……「(私は)必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺される」……あの時の言葉が否応無しに思い出されます。否定したい未来が現実となって押し寄せる。本来なら恐ろしくて、モーセやエリヤの間に入るなんてできませんが、ペトロは思い切って口を挟みます。

 

「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ立てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、一つはエリヤのためです」……意味分かんない話ですよね? 他の福音書では「自分でも何を言っているのか分からなかった」という注釈が入っています。

 

それくらい変な言葉ですが、私には、ペトロが混乱しながらも、こう口にせざるを得なかった気持ちが分かるような気もします。かつて、エジプトからイスラエル人を導き出したモーセも、人々に神の言葉を語ったエリヤも、何度も殺されかけた人間でした。そして、最終的に神によって引き上げられ、この世からいなくなったと言われる預言者です。

 

その人たちと、イエス様が今話をしている。マタイによる福音書には、その内容について記されませんが、ルカによる福音書では、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた」と書かれています。目の前で、モーセやエリヤと同じようにイエス様がこの世からいなくなろうとしている。

 

イエス様の死を何とか止めたいペトロにとって、ほっとくわけにはいきません。普通なら、とても間に入っていけない状況で、彼は勇気を出して口を挟み、「仮小屋を三つ建てましょう」と言うんです。エルサレムへ行く必要なんてありません。ここでいいじゃないですか? モーセとエリヤとイエス様が、この世からいなくならないように、ここから離れないように、今、仮小屋を立てましょう。

 

いかにも、目の前の光景に感動しているかのように見せながら、ペトロの内心は恐怖でいっぱいだったでしょう。何とかしないと、イエス様は本当にいなくなる。本当に死んでしまう。感動して、調子に乗って言っているように見える言葉も、実は切実な恐怖から来ていたのかもしれません。

 

そんな彼の言葉を天から神様が遮ります。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」……最期までイエスの言葉を聞きなさい。私の愛する子どもは、苦しみを受けたあと復活する。イエス様も、続けて彼らに触れてこう言います。「起きなさい、恐れることはない」「起きなさい、恐れることはない」……復活後に何度もみんなへ語る言葉。

 

さらに、山から下りるときもイエス様は繰り返します。「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」……私は死ぬけれど復活する。そのことを今、あなたたちに見せたんだ。モーセとエリヤがやって来たように、私もあなたたちの前に再び現れる。

 

ここまで来たら、いよいよペトロも追求するときです。「イエス様、あなたが死んでから三日目に復活するとはどういうことですか?」「本当に死ぬんですか?」「その後本当に生き返るんですか?」「私たちから離れないで、また戻ってきてくれるんですか?」……死と復活について、尋ね求める絶好の機会。

 

ところが、ペトロをはじめ、弟子たちは3人とも核心に迫る問いかけはできませんでした。代わりに、横道へズレた質問を始めます。「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」……違う、そこじゃない! 「人の子が死者の中から復活する」という一番気になる話について聞いてくれ! 思わず叫びたくなりました。

 

でも、聞けなかったんでしょう。親しい人が遺言を残そうと、大切なことを話そうとするとき、その人がいなくなるのが怖くて、私たちは関係ない話をしようとします。たとえ、将来自分を助けること、励ますことになる言葉でも、最期のメッセージをゆっくりちゃんと、正面から聞くのは恐ろしい。

 

けれども、イエス様は容赦なく軌道修正してきました。「エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである」……何のことだか分かりにくいですが、この世で死ぬ前に天へ引き上げられたエリヤは、救い主が到来するとき、再び地上へ遣わされると信じられていました。

 

そして、その役割は、イエス様に洗礼を授けたヨハネが担っていましたが、既に彼はヘロデ王に捕まって、処刑された頃でした。弟子たちはイエス様の言葉を聞いて、洗礼者ヨハネのことが言われていると気がつきます。「人の子も、そのように人々から苦しめられることになる」……私もヨハネのように捕まって、処刑されることになる。

 

イエス様が苦しむこと、殺されること、いなくなることを聞きたくなかったペトロたちは、何度も「恐れることはない」「人の子は死者の中から復活する」と繰り返されます。イエス様は彼らの、私たちの恐怖を本当によくご存知でした。直視できない現実の先に、希望があることを示そうとして、根気よく語りかけてきます。

 

あなたは私と一緒にいてくれますか? 私から離れて消えませんか? 今離れようとしていませんか? 皆さんも、神様に対し、イエス様に対し、隣人に対し、怖くて聞けない問いがあるかもしれません。聞いたら、望んだとおりの返答は来ないことを心のどこかで分かっている。だけど、聞かないとその先にある「理解」や「信頼」や「希望」を受け取ることもできない。そんな状況で揺れている。

 

弟子たちは、結局最後まで聞けませんでした。イエス様の死と復活に触れられませんでした。けれども、イエス様は怖くて聞けなかった彼らのもとへ帰ってきます。復活して、再会して、「わたしは必ずあなたと共にいる」と答えました。今も目を瞑り、耳を塞いで、ひれ伏しているあなたに呼びかけます。「起きなさい。恐れることはない」

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の285番「高き山の上」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

紹 介

本日は、あちらにいる( )人の方が初めて来てくださいました。ようこそいらっしゃいました。配信後、ご了承いただいた方のみ紹介させていただきます。ぜひ、これからも神様の平和が皆さんと共にありますように。(*拍手)

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

 

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。お手元にあるとりなしの祈りの用紙をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。持ち合わせのない方は、受付でもらった献金袋をそのままお入れください。配信を見ておられる教会の方は、また後日来られたときにおささげください。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌「あの方が独り子を」(©️柳本和良)を2回繰り返して歌います。

 

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祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」(マタイによる福音書17:7)

 

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も、教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の小規模礼拝は、教会に集まった15名、同時に視聴された7名、計22名の出席でした。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週は、小規模礼拝Aグループの礼拝です。三密回避のため、人数調整をしているので、「初めて礼拝に参加したい」という方は、ホームページの「問い合わせフォーム」か、電話にてご相談ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。