ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『信仰者の務めって?』 ローマの信徒への手紙12:1〜8

聖書研究祈祷会 2021年9月29日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の512番「主よ、献げます」を歌いましょう。同居している方がいるところは、念のため、マスクをつけて歌われるか、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、在宅聖研祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を探している人を導いてください。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、新しく幼稚園に赴任された3名の先生がたの就任式を無事に行うことができ、感謝致します。どうか今、先生がたの健康と安全が守られ、子どもたちと楽しく、豊かに、日々を送ることができますように導いてください。

◆私たちの神様。華陽教会では、来週まで在宅礼拝を続けて、10日(日)から。会衆が集まる礼拝の再開を検討することになりました。どうか今、教会に行ける日を待ち望んでいる人たちに、あなたの励ましと希望をもたらしてください。

◆私たちの神様。今週から中部学院大学も後期の授業が始まりました。学生たちも、職員も、様々な困難を経験していますが、あなたは新しい日々を与えられます。どうか今、その日々がより豊かに過ごせるように、一人一人を支えてください。

◆私たちを送り出される、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ローマの信徒への手紙12:1〜8(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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congerdesignによるPixabayからの画像

メッセージ

今年度は、受洗前と受洗後の勉強会と並行して、聖書研究をしていますが、今日のテーマは、洗礼を受けた「信仰者の務め」です。よく「信者になったら何をしなければいけないの?」「どんな義務が生じるの?」という質問を色んな形で聞くことがあります。やらなきゃいけない奉仕、ささげなきゃいけない献金……気になることは山ほどありますよね?

 

キリスト教の場合、洗礼を受けることは「古い自分が死んで、新しい自分になる」ことを意味しますから、当然、今までと全く変わらない生き方を続けるわけにはいきません。キリスト者として、新しい生活を送ることが勧められます。じゃあ、いったいどんなことが勧められるのか?

 

一番分かりやすいのは、毎週の礼拝に、できる限り出席することです。礼拝は、神の恵みを受け取る場所であると共に、神に感謝し、新しい生き方ができるように、送り出される場所でもあります。洗礼を受けたからと言って、私たちはすぐ、誠実で、勇気ある人間になれるわけじゃありませんから、毎週、神の言葉を受けて、気づきと、力と、励ましを得ていく必要があります。

 

とはいえ、絶対に、どんな状況でも、礼拝に出るのが正しい、というわけではありません。病気なのに、怪我をしているのに、一時的に無理することで、その後、礼拝に来られなくなったり、周囲との関係が壊れたりするような出席の仕方は、お勧めしません。礼拝は、あなたの生き方を新しくし、神を賛美し続けるためにあるもので、あなたの生き方を壊すようなあずかり方はしないでください。

 

ぜひ、自分の体調や健康と相談しながら、周りと健全な関係を築きながら、礼拝に来ることができるように、困ったときは、牧師やみんなに相談してください。礼拝に出られない事情を聞いて、叱ったり、怒ったりすることはないので、安心してください。教会は、あなたにできる礼拝の仕方を一緒に考えるところです。

 

信仰者は、礼拝に参加して、聖書の言葉を聞くことで「何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれるか」を、考えながら生活します。しかし、日曜日にメッセージを聞いても、一週間の間に、神様のことを忘れがちになったり、考えなくなってしまうことも多々あります。

 

そこで、多くの教会では、週の半ば、水曜日か木曜日あたりに、聖書研究会や祈祷会が行われます。まさに今、やっているものですね。仕事や育児などで、なかなか参加できない人が多いですが、毎週配信もしているので、無理のない可能なときに、参加してみてください。一緒に祈ってほしいことを共有して、みんなで祈ることもできます。

 

また、仕事や家庭の事情で日曜日、礼拝に来られない人が、聖書研究祈祷会に参加して信仰生活を支えてもらうこともあります。「聖書の学び」や「祈りのとき」に参加することは、自分の信仰のためだけじゃなく、そこに来られた一人一人を、信仰共同体の一員として、支えるためでもあるんです。

 

これは、教会における「奉仕」の考え方にも関わってきます。私たちが、信仰を告白して洗礼を受け、神の民の一員になることは、自分の信仰だけでなく、周りの信徒や、その家族・友人の信仰生活も支え合うことを約束するものです。そのため、みんなが集まって礼拝する建物の維持や、礼拝の準備に、可能な仕方で関わることが求められます。

 

ある人は教会学校で聖書のお話を、ある人は聖餐式のパンの準備を、ある人は礼拝後の片付けを、ある人は奏楽や司式を担ってくださいます。年に数回、墓苑の掃除をしてくださる方もいれば、みんなが知らないときにトイレをピカピカにしてくださる方もいます。私や皆さんが気持ちよく礼拝に出られるのは、こうした奉仕の賜です。

 

中には、奏楽や司式ができないことを申し訳なく思ったり、片付けや掃除に参加できなくて罪悪感を覚えたり、私に謝る人もいますが、みんなが気づかない奉仕を、あなたも担っています。誰かのために席を案内したり、聖書を開いてあげたり、司会者のために祈ったり、忘れ物を教えてくれたり、電話で励ましてくれたり、それらも立派な奉仕です。

 

できないことを無理にする必要はありません。初代教会でも、教える人、勧める人、施す人、慈善を行う人……様々な人が「キリストに結ばれて一つの体を形づくって」いたように、私たちも自分に与えられた賜物、できることに応じて、支え合えばいいんです。互いに同じ働きはできませんが、イエス様は、多くの部分から成る私たちを、誰一人欠けてはならない存在として用いてくださいます。

 

そんな、キリストを頭とする共同体である私たちは、年に一度、みんなで教会の方針や運営について話し合う「教会総会」を行います。洗礼を受けて信徒になった方は、原則、これに参加することが求められます。もちろん、直接参加することができない人は、委任状や議決権行使書で、教会の大切な決定に関わることも可能です。

 

中には、多忙なため、病気のため、全く奉仕に関わることができない……という人もいますが、最も大切な奉仕は「礼拝に出ること」「祈りを合わせること」です。礼拝に参加した時点で、あなたはかけがえのない奉仕の一員です。そして、周りから見えないあなたの祈りも、紛れもない奉仕であることを覚えていただけると幸いです。

 

そして、やはり気になってくるのは「献金」についてです。献金は、感謝の応答として献げ物をする時間です。ローマの信徒への手紙にも「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」という言葉が出てきましたが、献金はまさに、自分の体(生き方)を、ささげるしるしとして行われます。

 

もともと、初代教会では、信徒一人一人がパンや飲み物を持ち寄って祭壇にささげ、集まった食事を生活に困っている人たちへ分け与えていました。そのとき集められた一部を聖餐式に用いたため、献金と聖餐は、通常セットで行われます。現代では、集めた献金を教会の維持や運営のため、牧師の謝儀(給与)のため、地区・教区・教団の働きのため、福祉や慈善活動のために使っています。

 

あくまで「恵みに対する感謝」としてささげるものなので、金額に定めはありません。もし、どうしても迷ったら「自分の食事一食分」+「他の人も食事ができる分」くらいで考えるといいでしょう。自分のための献金というより、誰かに、神の恵みを分け与えるための献金だと思ってください。

 

教会員の場合は、毎週の礼拝でささげる「自由献金」の他に、月毎に自分で定めた金額をささげる「月定献金」があります。月定献金は、教会が一年を通して活動するための基本になってくる献金です。こちらも金額に決まりはありませんが、「日常から喜びと楽しみが失われず、健全な生活を送れる程度」の献げ物がいいでしょう。

 

中には、経済的事情から、ほんの少ししか献金できない……と心苦しく思っている方がいるかもしれませんが、献金とは、あくまで自分自身を神様にささげる「しるし」です。あなたの一週間を、あなたの生き方を、ささげるという「しるし」です。日常の中で過ごすあなたの生き方こそが献げ物なんです。だから、金額が全てだと思わないでください。

 

イエス様は、あなたにできる精一杯の献げ物を心から喜んでくださいます。世の中的には少ない金額でも、見えにくい奉仕でも、神様は正当に評価してくださいます。これからも安らかな気持ちで、礼拝に来ていただければ嬉しいです。信仰者の務めは、何よりも、キリストに結ばれて、新しく生かされ続けることだからです。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(滋賀県大津市の膳所教会)のために、幼稚園の先生のために、学校の職員のために、子どもたちのために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆滋賀県大津市の膳所教会のために祈ります。教会学校の働きが祝福され、子どもたちにあなたの愛と平和が伝わりように。教会がそこにいる人と、共に生きる形を示すことができますように。

◆幼稚園の先生のために祈ります。新しく就任された幼稚園の先生、スタッフの上に、あなたのお支えがありますように。バスの運転手や事務員の方、税理士や監事の健康も守られますように。

◆学校の職員のために祈ります。大学や高校や中学校、そして小学校で働く職員の健康が守られますように。特に、新型コロナをはじめ、様々な問題に直面しながら子どもたちと向き合う一人一人に、あなたの慈しみがありますように。

◆子どもたちのために祈ります。運動会や体育祭、文化祭に向けて、練習や準備を進めている子どもたち、また、それらのイベントが休止になり、新たな挑戦を必要とする子どもたちに、あなたの恵みと導きがありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、ライブ配信の奉仕者3名、同時に視聴された4名、計7名が参加されました。

 

来週も配信等による在宅聖研を行います。会衆が集まる礼拝の再開は10月10日(日)からを予定しています。3日(日)の礼拝後、教会員への連絡網とホームページ等でお伝えします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。