ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『神の霊を試したの?』 使徒言行録5:1〜11

聖書研究祈祷会 2022年7月20日


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案 内

華陽教会では、感染症拡大を防ぐため、初めて参加する方のみ、お問合せいただき、10〜15名以内になるよう人数を調整して、少人数で配信と並行した聖書研究祈祷会を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の512番「主よ、献げます」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。新型コロナウイルスの新規感染者数が連日1000人を超え、自宅療養者数も一気に6000人近くとなりました。どうか今、感染した方々の回復が進み、治療に当たっている方々の心身が支えられるよう、助けてください。

◆私たちの神様。華陽教会は来週の日曜日から、配信奉仕者と数名の会衆が順番に集まって礼拝を行う『調整型小規模礼拝』へ移行します。どうか今、再び顔と顔を合わせられなくなる人たちと、つながり続ける力を与えてください。

◆私たちの神様。安倍元首相の銃撃事件をきっかけに、世間の目が集中するようになった信者2世や祝福2世の人たちが守られますように。どうか今、霊感商法によって破壊された家族が癒やされ、被害の拡大を防ぐことができますように、導いてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録5:1〜11の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Rebecca MartellによるPixabayからの画像

メッセージ 

教会への献金、神様への献げ物に関するエピソードで、この箇所は最も恐ろしく感じるところだと思います。全財産を献げるふりをして、その一部だけを献金しようとした夫婦が、公衆の前でごまかしを暴かれ、その場で倒れて息絶える……あまりに突然、あまりに過激な出来事です。

 

献金するときに出し惜しんではならない、献げるなら全てを差し出すつもりでいなければならない……そんなふうに、極端な捉え方をしてしまう人もいるかもしれません。実際、悪質なカルト団体は、信者に対して、持っている土地や不動産、収入や賞与などを全て書き出すよう命じ、把握した財産を、残らず献げさせようとしてきます。

 

そういう団体にとって、このエピソードが聖書にあるのは、非常に好都合でしょう。「ほら、献げないと彼らみたいに報いを受ける」「自分の財産をごまかせば、こんなふうになってしまう」「あなたが献金を惜しむのは、報いを受けた2人のように、サタンに心を奪われてしまっているからだ」と……。

 

一方で、みんなの献金を分配していた使徒ペトロは「献げない」という選択肢も普通にあったことを、アナニアとサフィラに語っています。「売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか」……土地を売って献金しなくても、財産を全て献げなくても、あなたは信者で居られたのに……。

 

なぜ、アナニアとサフィラは、土地を売った代金をごまかし、全てを献げたかのように見せたんでしょうか? そうしないといけない雰囲気だったんでしょうか? 不動産や収入を全て把握され、献げる以外に選択肢がなかったんでしょうか? ペトロの言葉を聞いていると、どうもそんなふうには思えません。

 

ペトロが2人を叱っているのは、全部を献げなかったことではなく、全てを献げたかのようにごまかしたことです。そんな必要なかったのに、自分の土地を売り払い、その代金を全部献金したかのように見せかけたことです。「どうして、こんなことをする気になったのか?」とペトロは言います。アナニアとサフィラは答えません。

 

2人が代金をごまかしてペトロの足もとへ持ってくる前に、同様に畑を売って、献金をささげた人がいました。先週、聖研で話したバルナバと呼ばれるヨセフです。彼は、正真正銘、自分が持っていた畑を売り、その代金を全部持ってきて、使徒たちの足もとに置きました。それらは貧しい人たちに分配され、みんなの生活を支えることになります。

 

おそらく、バルナバの姿を見て心を打たれる人が多かったんでしょう。聖書に名前が残るほどに、周りで噂になったんでしょう。アナニアとサフィラは、使徒たちからも「慰めの子」と呼ばれていたバルナバに、憧れたのかもしれません。「あの人も、使徒やバルナバのような人だ」「聖霊を受けている人なんだ」と思われたかったのかもしれません。

 

2人は、生活に困っている人や貧しい人が集まるところで、聖霊に満たされた人物として、評価されることを期待しました。2人が「バレないだろう」と思って代金をごまかし、全てを献げて分け与えたように見せたかった相手は、貧しい信者と彼らに献金を分配するイエス様の弟子たちでした。

 

ところが、ペトロは言います。「なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか」「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか……」

 

どうも不思議に思います。アナニアとサフィラが欺こうとしたのは、聖霊だったんでしょうか? 代金をごまかそうとした相手は、神の霊だったんでしょうか? いいえ、2人が欺こうとしたのは、自分の家や土地を持ってない、貧しい人間たちの目です。自分たちが施し、分け与える相手です。神様を、聖霊を欺こうなんて、考えてなかったと思います。

 

しかし、ペトロは言いました。「あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ」と。あなたが取るに足らないと思った貧しい人たち、家や財産を持ってない、献げるものがないように見える人たちは、既に、神様と一つになっている、神から聖霊を受けている、特別な一人一人なんだ。

 

あなたがごまかして、評価を得ようとした相手は、神様が聖霊を注いだ仲間なんだ。神様と一つになった民なんだ。そう宣言して、ペトロは2人を叱ります。偽る必要はなかったし、偽らなくても、ここにいることはできたんだと……聖霊は、たくさんの献金をした人や、たくさん施した人に注がれるものではありません。信者から評価されている人に与えられるものでもありません。

 

むしろ、献げるものがないように見える人、分け与えてもらわなければ、生きていくことができない人、見下され、侮られ、ごまかされそうな人たちに、神様はもう聖霊を送っているんです。その人たちと一緒にいるんです。彼らを欺こうとすることに、ペトロは鋭い怒りを向けています。

 

献金は、自分や誰かを欺いて献げるものではありません。心からの感謝と共に、誠実に神様へ応答するものです。そのことを忘れないように、祈りと、賛美と、私たちの生き方を、今日もささげたいと思います。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(神奈川県相模原市の相武台教会)のために、岐阜地区のために、被差別部落のために、被災地のために祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆神奈川県相模原市の相武台教会のために祈ります。教会の歩みがイエス・キリストによって導かれ、喜びの福音がますます広がっていきますように。祈りによって立てられる教会でありますように。

◆岐阜地区のために祈ります。田瀬、付知、坂下、蘇原、中濃、各務原、在日大韓基督教会岐阜教会、大垣教会、フィリピン合同教会美濃加茂教会の上に、あなたの祝福がありますように。11、12日に予定している地区サマーキャンプも守られますように。

◆被差別部落のために祈ります。今もなお、身分や出身地によって、差別や偏見にさらされている人たちに、あなたの憐れみがありますように。誤った認識が正され、無意識に差別してしまう心に気づき、囚われたものから解放されるよう、一人一人を導いてください。

◆被災地のために祈ります。地震、台風、干魃、津波、豪雨、噴火、飢餓、戦争、紛争などによって、被害を被っている人たちに、あなたの癒しがありますように。一日も早く復旧復興が導かれ、平和的な日常を取り戻すことができますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌26番「あなたが共にいること」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった3名、同時に視聴された4名、計7名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

華陽教会では、来週から8月7日まで『三密を避けた会衆礼拝』を休止し、奉仕者と数名の会衆で順番に集まり、配信と並行して礼拝を行う『調整型小規模礼拝』へ移行します。聖書研究祈祷会も人数を調整するため、初めて参加する方のみ、お問い合わせください。

 

またしばらく、ご不便・ご迷惑をかえてしまいますが、ご理解・ご協力どうぞよろしくお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。