ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『創世記って嘘ですか?』 テモテへの手紙二3:14〜17

聖書研究祈祷会 2022年1月12日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も、配信と並行して開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の52番「歌え高らかに」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。新年が始まって、早くも一週間が過ぎ、それぞれ新しいスタートを切っています。始まりから壁にぶつかったり、つまずいたりした人もいます。どうか今、その壁が、つまずきが、新しい気づきと力になるように、一人一人を助けてください。

◆私たちの神様。全国で、新型コロナの変異ウイルスが、再び拡大しています。沖縄、東京、大阪の人たちや、じわじわと感染者が増えている私たちの地域を守ってください。どうか今、少しでも拡大を抑えられるように、私たちの行動を導いてください。

◆私たちの神様。怪我をした人や病気になった人、障がいが悪化した人や心のバランスが崩れた人に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、回復に必要な時間と場所と助け手が、それぞれの周りに与えられますように。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。テモテへの手紙二3:14〜17(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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Shutterbug75によるPixabayからの画像

メッセージ

聖書に書いてあることは、全て本当のことですか? 書かれていることに、何一つ間違いはないですか? ここに載っている「勧め」「戒め」「歴史」「預言」は、みんな真実だと思いますか? それとも、間違ったことも書かれていると思いますか? 史実とは異なる出来事、正しいとは言い難い教えも書いてあると思いますか?

 

皆さんは、このような疑問を抱いたことはあるでしょうか?……ない人の方が少ないかもしれません。信仰者にとっては、「神の言葉」「キリストの教え」「信じるべきこと」として与えられている聖書ですから、ここに書いてあることが嘘だったり、間違っていたり、正しくなかったら困ります。

 

でも、聖書を読んでいくと、現代判明している事実や歴史に反する内容も出てきます。創世記の記述は、科学的に分かっている内容とかなり違います。出エジプト記で全滅したという軍や家畜は、不自然なほど他の記録に残っていません。パウロの名前で書かれている書簡にも、パウロが亡くなった後に記されたと思われる手紙が混じっています。

 

さらに、女性蔑視や障がい者差別、外国人に対するヘイトと呼べる記述も出てきます。人権を無視するような「勧め」や「戒め」も出てきます。それらを「間違ってない」「正しい教え」と受け取ることは、愛と平和の対局にある、暴力や抑圧につながります。「神の言葉」として与えられた聖書に、それらが出てくることをどう捉えるか?

 

キリスト教会の中でも、聖書の「正しさ」に関する受け取り方は、一枚岩ではありません。「一言一句、書かれていることを字義通りに、そのまま信じるべきだ」と言う人もいれば、「聖書の中にも、正しいとは言い難い記述や、事実と異なる記述が存在する」と認めている人もいます。でも、それはそれで、何を正しいと信じればいいか混乱しますよね?

 

聖書も他の書物と同様に、「神の言葉」ではなく「人間の言葉」に過ぎないのか? 「信じていいこと」と「信じちゃダメなこと」が両方入った書物なのか? ある部分は「神の言葉」で、ある部分は「人間の言葉」が混在している書物なのか? そうだとしたら、果たして見分けることはできるのか?

 

困惑する私たちに、テモテへの手紙は、分かりやすい一言を与えてくれます。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」……聖書はすべて、神の霊の導きの下に書かれている……口語訳で言い換えるなら「神の霊感を受けて書かれたもの」。

 

この手紙もまた、パウロからテモテへ送られたことになっていますが、実際は、パウロが亡くなってから2世紀頃、各教会の指導者を対象に、書かれた文書と言われています。新約聖書の手紙だけでなく、旧約聖書の文書においても、「書き手とされている人」と「実際の記者」は違う、と考えられるものがいくつもあります。

 

でも、神の霊感を受けて書かれたなら、聖霊の導きの下に書かれたなら、無名の者が、誰かの名を借りて記した文章も、「神の言葉」を、広く伝えようとした証と言えるかもしれない……聖書はすべて、どの部分も、単なる人間が残した文書ではなく、神が人間に働きかけて記された……そう考えると、ちょっと気が楽になるかもしれません。

 

しかし、いくら神の霊感を受けた記者であっても、聖霊に導かれた書き手であっても、「間違いのない言葉」として受け取るには、難しい内容が残ります。最もイメージしやすいのは、やっぱり創世記でしょう。

 

天地創造の物語では、7日間で世界が造られる様子を見ることができますが、様々な研究で、安定した海ができるまで8億年、魚類などの生物が誕生するまで、さらに10億年以上かかっていると分かっています。考古学や地質学の研究を無視するか、乱暴に歪めない限り、天地創造の記述をそのまま事実と受け取ることはできません。

 

また、神様は人間を造るとき、「男の肋骨から女を造られた」という記述が出てきます。男性が先に造られ、女性が後から造られた……しかし、生物学的には、人間の基本形は、男性ではなく女性です。男性は、胎児期8〜9週目の精巣から出るアンドロゲンによって、基本形の女性から、男性に発達して生まれてきます。聖書の順序と逆なんです。

 

他の生物についても、網羅的に記されているわけではありません。「鳥は地の上、天の大空の面を飛べ」と命じる神が出てくるものの、その言葉に反して、氷の上、海の中を泳ぐペンギンも南極に存在しています。あまり意識しませんが、聖書は世界の理をそのまま書いているわけでも、事実をそのまま記しているわけでもありません。

 

むしろ、同じ聖書の中で、矛盾したり、ぶつかったりする内容が、至るところに出てきます。外国人を積極的に排除する言葉があったかと思えば、寄留者を大切にする教えも出てきます。男性中心的な記述が続く一方、それらを超える大胆な教えも出てきます。自己責任論的な応報思想が語られては、正しい人が報われない現実もまた語られます。

 

読んでいるうちに気づくでしょう。聖書はそう簡単に、私たちへ都合の良い「正しさ」を、「答え」を、与えてくれるものではないと……むしろ、私たちを悩ませ、困らせ、揺るがしてくる書物だと。考えてみれば、聖書そのものに登場する、神の霊感を受けた人、聖霊を受けて、神の使命に用いられた人たちも、常に正しい者ではありませんでした。

 

王としての使命を受けたサウルやダビデも、神の霊を受けていたにもかかわらず、神の教えに背いたり、間違った行動を度々しては、悔い改めを求められます。預言者としての使命を受けたエリヤやエレミヤも、神の霊を受けていたにもかかわらず、嘆いたり苦しんだりします。

 

キリストの弟子たちもまた、聖霊を受けた後、各地で教会を建てながら、仲間割れしたり、腹を立てたり、ときには信頼を失ったりしました。神の霊を受けたからと言って、完璧に行動できた人なんていませんでした。神の霊は、私たちを自動的に、プログラムされた存在のように、「神に従う者」「正しく歩む者」へと変えるわけではありません。

 

むしろ、神と一緒にいる、神を近くに感じているのに、なお、従えない人、疑ってしまう人たちを、それでも選び続ける神の姿が、聖書全体に出てきます。使命を途中で投げ出そうとする、命じたことに背いてしまう、すぐ高慢な態度になってしまう……そんな人々を、有無をいわせず操作して、遣わしてきたのではありません。

 

間違えても、誤っても、切り捨てないで用いようとする。挫折しても、的外れでも、使命を果たさせようとする。自分が用いた者、遣わした者の失敗を、誤りを、なかったことにしないで、もみ消さないで、共に責任を負われます。神の霊に導かれ、聖書を書いた人たちも、有無を言わせず操作されて、これらの言葉を残したわけじゃありません。

 

神の霊を受けた王や預言者や弟子たちが、背いたり間違えたり失敗したように、聖書を記した者たちも、完璧に、神の言葉を伝えたわけではないでしょう。自分の思いが優先されてしまった箇所、正しく伝わらなくなってしまったところ、言葉足らずになったところ、色々あるでしょう。

 

しかし、聖書は、そんな人間と付き合い続ける、私たちを愛し続ける神の業が、もろに現れた書物です。神様は、聖書を記した者たちの弱さや誤りを隠しません。自分が遣わした者たちの姿を決して取り繕わなかったように、自分が用いた者たちの業を取り繕ったりされません。むしろ、私たちを悩ませる彼らの所業を、新しい気づきや力に変えられます。

 

「創世記って嘘ですか?」「本当の話じゃないんですか?」という質問に、私から答えるとしたら「史実をそのまま書いたものではないし、事実をそのまま伝えようとしたものでもない」と話すでしょう。聖書の目的は、単なる記録ではなく、神と私たちの関係を現すことだからです。

 

神の言葉に悩む人、つまずく人、背く人……自分もそんな存在の一人だと思うなら、あなたもまた、神の霊を受けて、聖霊を注がれて立つ存在です。神様はまさに、そういう人たちに自分の霊を送って、一緒に付き合い続けてきたからです。共に今、聖書の言葉を味わいながら、今も私たちの内に働きかける神の霊を覚えましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(三重県多気郡の大台めぐみ教会)のために、一緒にいる人のために、離れている人のために、身近な人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆三重県多気郡の大台めぐみ教会のために祈ります。洗礼を受けて間もない人、信仰告白を待つ人に、あなたの恵みと支えがありますように。子どもも、若者の、年長者も、あなたの言葉に力を受けて、これからも歩むことができますように。

◆幼稚園のために祈ります。新学期が始まって、両親と離れるのが辛くなっている子どもや、環境が変わって、日常生活に困難を覚えている家族に、あなたの導きがありますように。それぞれに必要な気づきと助けがもたらされますように。

◆学校のために祈ります。児童、生徒、学生、教師、職員、一人一人の上に、あなたのお守りがありますように。教室に行けない子ども、どうしたらいいか分からない教師、また保護者に、あなたの知恵と励ましが与えられますように。

◆病院のために祈ります。再び、病床が逼迫し始めたところ、人手が不足し始めた医師や看護師、面会を制限されている患者や家族に、あなたの慈しみがありますように。一刻も早く、感染症が収束し、日常生活が回復しますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌12番「信じたくても」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信はここまでですが、この後2時半まで、隣の集会室で、希望する参加者の質問や感想、祈ってほしいことを分かち合える時間を持ちたいと思います。

 

時間のある方はぜひ、ご参加ください。来週の聖書研究祈祷会も、今のところは通常通り予定しています。感染動向によっては、形を変えることもあり得るので、ホームページ等でアナウンスします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。