日曜礼拝 2023年12月10日
説 明
教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。
礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。
案 内
華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。
前奏・点灯
(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)
招 詞
以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。(ヨハネの黙示録22:20)
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、旧讃美歌の537番「わが主のみまえに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。
お祈り
ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。
◆世界を創造し、完成させる神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。
◆私たちの神様。キリストの誕生を記念するクリスマスの準備をしつつ、キリストが再び来られるときを待ち望む、アドヴェント第2週目を迎えました。どうか今、私たちの信仰と、生活と、関係性を整えて、あなたを迎えることができるように、導いてください。
◆私たちの神様。今日は、隠退教師の鈴木重正先生が、中濃教会でメッセージ奉仕に行かれています。どうか今、中濃教会の礼拝とクリスマスコンサートが豊かに祝され、多くの人に恵みが知らされますように。
◆私たちの神様。来週は、華陽教会の教会学校で、クリスマス礼拝とクリスマス祝会が開かれます。どうか今、子どもたち一人一人の健康と体調が守られ、たくさんの喜びをみんなで分かち合うことができますように。
◆私たちを新たにされる、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖 書
聖書の言葉を聞きましょう。列王記上22:6〜9、ペトロの手紙二1:19〜2:3(新共同訳より抜粋)
*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
交読文
詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編147:12〜20(新共同訳交読詩編より抜粋)
『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。) |
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、讃美歌21の235番「久しく待ちにし」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。
メッセージ
好きな人に告白するべきか、しない方がいいか? 仕事を辞めて転職するべきか、しない方がいいか? 土地を売って引っ越しをするべきか、しない方がいいか? 様々な選択を迫られるとき、私たちも神様に、「どうしたらいいですか?」「どっちの選択が正しいですか?」と問いかけます。
ただ、はっきり神様に「こうしなさい」「ああした方がいい」と答えてもらった、示された経験のある人は、あまりいないと思います。牧師をしている私自身も、「神様、どっちを取るのが正しいですか?」「それとも、別の選択肢がまだありますか?」と尋ねることが、多々ありますが、はっきり答えを返されたことはありません。
もしかしたら、「こうしなさい」「ああしなさい」と言われているのかもしれませんが、残念ながら、私には、神様の声が頭に響いてくることも、取るべき行動を幻で見せられることも、手足を直接引かれるような感覚も、経験したことがありません。「神様は、私にこれを望んでいる」と確信して、選択できたことはありません。
後から振り返って、あのときの予感は、咄嗟の判断は、もしかしたら、神様の導きだったんだろうか?……と思うことはありますが、気のせいだったかもしれないし、自分がそう思いたいだけかもしれないし、どうも、「聖霊が降った」「神の霊に語られた」と言うのは抵抗があります。
けれども、幼いときから教会にいた私には、周りからよく言われることがありました。「困ったら、神様に祈って委ねなさい」「どうしたらいいか分からないときは、聖霊に聞くようにしなさい」……でもそれって、神様に委ねたことにはできるけど、神様がどうしてほしいか聞こえなければ、結局、最終的な選択は、自分でするしかないですよね?
どうしたらいいか聖霊に聞いても、聖霊が何と答えたのか分からなければ、やっぱり、自分で決めたことを実行する以外ないですよね? 神の霊に委ねたことにはできるけど、聖霊に聞いたことにはできるけど、本当に、言われたとおりのこと、聞いたとおりのことができているかは、分からないのが正直なところです。
皆さんはどうでしょう? 神様の声が聞こえたことはあるでしょうか? どうすればいいかはっきりと、選択肢を示されたことはあるでしょうか? 私と同様、あのときの予感は、咄嗟の判断は、神様の導きだったに違いない……と思うことはあっても、間違いなく神様がそう言った、そう選択させた……と言い切ることは難しいかもしれません。
だって、別の場面では、神様の導きだと思った選択が、悲惨な結果を招いたり、神様に祈って得られた答えだと思ったものが、間違った判断をもたらしたり、恥ずかしい経験もするからです。家庭においても、仕事においても「神様はこうすることを望んでいる」と思って突き進んだ結果、「浅はかだったな……」と後悔すること、ありますよね?
列王記上22章には、そんな悲しい典型例が載っています。かつて、アラムの王に領地を奪われ、それを取り返せずにいた、イスラエルの王アハブが、ユダの王ヨシャファトと一緒に、領地を取り返すための戦争をしかける出来事です。アハブ王は、約400人の預言者を招集して、神様にこう尋ねさせます。
「わたしはラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか」……すると、400人の預言者全員が、「攻め上ってください。主は、王の手にこれをお渡しになります」と答えました。400人も預言者が集まったら、何人か偽物も混じっていそうですが、全員が同じ言葉を神様のお告げとして返したなら、信用していい気がします。
だって、400人全員が、短時間に口裏を合わせて、同じお告げを答えるって、携帯もメールもない時代、簡単なことじゃありません。それだけで奇跡のように感じます。そもそも、預言者だって戦争が始まれば、息子や孫たちが徴兵される恐れもあるわけで、国が負けたら奴隷になるか、殺されるかという恐ろしい未来も待っています。
好き好んで「戦争を始めましょう」と言いたい人はいなかったはずです。周りに流されて「攻め上りましょう」と言うにはリスクが高すぎます。おそらく、多くの預言者は本当に、神様が敵を王の手に渡してくださる……と信じて答えたんでしょう。けれども、アハブ王から一緒に戦うよう頼まれた、ユダの王ヨシャファトは、「このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか?」と問いかけます。
けっこう勇気のいる質問です。400人の預言者が、神に仕える者たちが、自信をもって「敵と戦うために攻め上れ」と言っているのに、他に預言者はいないのか? と尋ねるなんて、失礼な態度に聞こえます。400人の預言者を信じられない、彼らの告げた神の言葉を疑っている、不信仰な態度に見えてきます。
しかし、「これって本当に神の言葉?」「本当に神様が望んでいること?」という素朴な彼の疑問に対し、イスラエルの王アハブはしぶしぶ答えます。「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を預言することがなく、災いばかり預言するので、わたしは彼を憎んでいます。」
結論から言うと、このとき紹介されたイムラの子ミカヤは、一人だけ、「アラムに攻め上ったら敗北する」と預言をし、その預言は成就します。つまり、400人の預言者が語った言葉は偽りの預言で、王に誤った判断をさせることになりました。預言者なのに、自分たちの国が滅びかねない嘘をついたんでしょうか? 王の機嫌を損ねないよう、その場しのぎの預言を語ったんでしょうか?
実は、そうではありません。400人の預言者が、王に誤った判断をさせたのは、神ご自身が、アハブ王を敵の手に渡すため、ラモト・ギレアドに攻め上らせるよう、偽りの預言をさせるために、400人へ霊を送ったからです。神様が送った霊なのに、偽りの預言を語らせるって、ちょっと混乱しますよね?
本来、誤った判断をするよう唆すのは、神様が送る霊ではなく、悪魔や悪霊ではないか? サタンの類じゃないか? そう思われるかもしれません。しかし、そもそも、旧約聖書に出てくるサタンだって、人間が神様から離れていかないか、信仰を捨ててしまわないかをテストする、試そうとする存在で、神様の許しを得て、派遣される存在でした。
実際、初代イスラエル王のサウルをはじめ、神様から心が離れた王に対し、度々、その判断を唆す、神様の意志を理解できるか試しにくる、厄介な霊が送られてきました。こうして見ると、「霊が降った」「霊から直接お告げを受けた」という出来事が、必ずしも喜ばしいわけではないと分かります。
でも同時に、神様はアハブを唆す霊だけでなく、アハブに間違いを気づかせる霊も送っていました。その霊を受けたイムラの子ミカヤの言葉は、400人の預言者よりも、常に、アハブの頭から離れません。王は、他の預言者が何を言っても、結局、ミカヤが何を言うかが気になります。ミカヤの言葉が真実であると、心のどこかで分かっています。
ミカヤが他の預言者と同様、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えても、王の方から、「真実だけを私に告げてくれ」と言い返し、結局、聞きたくなかった敗北の預言を聞いてしまいます。彼は、自分から聞き出したこの言葉を拒絶しますが、戦場へ変装して出かけるほど、ミカヤの言葉を気にしていました。
そう、どこかで「違うんじゃないか」と分かっている、「それは真実ではない」と気づかせてくる霊が、自分に向かって語ってくる。預言者が、牧師が、信徒のみんなが、「神様の意志だから」「聖霊の言葉だから」と言っていても、「本当に?」と考える頭を起こしてくる。それは決して、不信仰な態度じゃないんです。
「ここには、このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか?」……ユダの王ヨシャファトが問いかけたように、本当に神様はそう言っているのか、他の牧師は、他の信徒は、他の人たちは、どう言っているのか、どう受けとめているのか、聞こうとすること、確かめようとすることも、見えない聖霊の導きなんです。
かつて、周りが着々と攻め上る準備をしている中、一人だけ、攻め上らない準備をしている者がいました。それは、神の声を聞いたと思う人たちからは、不信仰で臆病な態度に見えました。けれども、攻め上る準備をしていなかったその人こそ、神様の考えていることを、最も準備した者になりました。
私たちはどうでしょうか? キリストの誕生を記念するクリスマスの準備をしつつ、イエス様が再び来られるときを待ち望む、アドヴェント第2週目を迎えた今日、もう一度、私たちがしている準備について、振り返るときを持ちましょう。そして、救い主のもたらす良い知らせを、みんなで受け取ることができるように、祈りを合わせていきましょう。
讃美歌
(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌27番「歌い、踊り、跳ね、笑い、叫べ」(詞:柳本和良、曲:滝田真治)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。
使徒信条
教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。
紹 介
本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。
とりなし
共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。
司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。
司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。
司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。
司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。
司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。
司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。
司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。
司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。
司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。
主の祈り
イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。
聖句と主題
御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。
年間聖句
イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」
年間主題
華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。
今週は、4年ぶりに午後から行う、教会学校のクリスマス会に向けて準備を整え、子どもたちに神様の恵みと良い知らせを伝えていきましょう。
献 金
感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。
献金の祈り(例)
愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。
讃美歌
「頌栄」の賛美歌25番「父・子・聖霊に」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。
祝 福
共に、神様の祝福を受けましょう。
派 遣
父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを世に遣わします。(讃美歌21の93-6-2 ヨハネによる福音書17:18より)
祝 福
父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙二1:2)
報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった20名、同時に視聴された3名、計23名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
今週12月13日(水)は諸事情のため、集会はお休みです。12月のキリスト教ABC講座も15日(金)から16日(土)に変更致します。ご迷惑をかけて申し訳ありませんが、どうぞよろしくお願いします。
なお、来週の日曜日は、午後1時半から3時に教会学校クリスマス会が開かれます。こちらもぜひ、子どもたちの参加をお待ちしています。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。