ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『創造の業に反するもの?』 創世記1:24〜27、2:18〜25

聖書研究祈祷会 2022年1月19日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も、配信と並行して開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の422番「主よ、この時代に」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。トンガでの噴火と津波によって、多くの人が被災しました。8万人以上の人々が、被害を受けて困っています。どうか今、各地に必要な支援とケアが行き渡り、一人一人の安全が確保されますように、導いてください。

◆私たちの神様。全国で、新型コロナの第6波が拡大しています。特に、幼稚園、保育園、小学校、中学校、高校での感染が心配されています。どうか今、ワクチン未接種の子どもたちが守られ、傷ついた子が回復するよう、導いてください。

◆私たちの神様。急な気温の上がり下がりで、お年寄りや体の弱い人も、体調を壊しやすくなっています。どうか今、病や怪我、事故や転倒からみんなが守られ、温かい春を迎えられるよう、導いてください。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。創世記1:24〜27、2:18〜25(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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succoによるPixabayからの画像

メッセージ

今月は「創造」と「律法」をテーマに聖書研究をしています。先週の水曜日には、聖書は事実をそのまま記したものではなく、神と人との関係性を示すために書かれていることを話しました。史実や事実とは言えない話や「正しい」とは言い難い言葉も出てくることを話しました。

 

神に選ばれ、神の霊を注がれた「士師」や「王」や「預言者」が、聖霊を受けた「弟子」たちが、プログラムを入力されたように、有無を言わさず操作されて、与えられた使命を完璧に果たしたわけではないように、「聖書を書く」という使命を受けた人々も、間違いや失敗を残しています。

 

けれども、神様は、自分が霊を注いだ人たちの間違いや失敗、足らないところを、無かったことにしたり、覆い隠したりはしませんでした。むしろ、自分に背いた王、逃げ出した預言者、過ちを犯した士師、無理解な姿を見せた弟子たちを、最後まで用いて使命を果たさせ、人々の救いに関わってきました。

 

神の霊を受けた人々に、正しいとは言えない過去や業績があるように、神の霊に導かれ、書き記された聖書にも、問題のある記述が残っています。人種差別や障がい者差別、奴隷制度の容認や女性蔑視的な記述……それらを無視したり、なかったことにするのではなく、不完全な私たちにどこまでも付き合い続け、ご自分の業に用いようとする、神様との関係を、一緒に思い起こせたらと願っています。

 

さて、今週と来週は、そういった「問題のある記述」として浮上しやすい「罪」に関する話をしていきたいと思っています。今回の「創造の業に反するもの?」というタイトルを見て、ピンときた人もいるように、長年キリスト教会で行われてきた、同性愛者をはじめとする、性的少数者への攻撃的な姿勢について取り上げます。

 

ここから先は、当事者や身内にとっては、聞くだけでしんどくなったり、苦しくなったりする言葉も出てくると思います。もし、配信を見ている方で、ちょっと不安な方は、一旦再生を止めて、自分が聞いても大丈夫かなと思ったときに、またお越しください。私が一口水を飲んで、コップを置いたら、続きを始めます……。

 

さて、皆さんの中にも、「同性愛は罪」と誰かが言っているところを、聞いたことのある人がいると思います。残念ながら、日本でも海外でも、少なくないキリスト教徒が、今も無批判にそう言っています。その根拠になっているのが、聖書の中に出てくる「男性同士の性行為を禁じた掟」や「神の創造の業」に関する記述です。

 

律法として定められた「掟」については、来週話す予定なので、今週は「創造の業」について触れていこうと思います。というのも、一部のキリスト教会では、神の創造について記した箇所で、神は人を「男と女に創造された」と書いてあるから、それ以外の性は「創造の秩序に反する」「自然な性じゃない」と主張されているからです。

 

確かに、創世記には「神は御自分にかたどって人を創造された」「男と女に創造された」と書かれています。「同性愛者やトランスジェンダーも造った」とは書かれていません。だから、彼らを自然な存在として認めることは聖書的ではない、という理屈です。しかし、「聖書に書いてないから」という理由で、誰かの生き方や在り方を否定するのは乱暴です。

 

何度も言いますが、聖書は史実をそのまま書いたものではないし、事実をそのまま伝えようとしたものでもありません。神と人との関係を示すために、様々な表現で書かれたものです。聖書を単なる記録のように、そこに書いてあることだけが現実だ……というふうに受け取ることは、かえって聖書的ではありません。

 

実際、創世記を丁寧に見てみれば、他にも言及されてない生物の在り方はたくさん出てきます。1章11節以下では、「種を持つ草」と「種を持つ実をつける木々」が造られていますが、種を持たない菌類や、種を持つ実をつけない植物などは出てきません。しかし、実際にある苔やシダ、根菜などを「創造の秩序に反する」という人はいないでしょう。

 

また、1章20節には、「鳥は地の上、天の大空の面を飛べ」と命じられていますが、南極にいるペンギンは、鳥のくせに、地面ではなく氷の上で、大空ではなく海の中を泳いでいます。しかし、ペンギンを見て「創造の秩序に反する!」「神の命令に背いている!」という人もいないでしょう。

 

一方で、生殖が不可能な関係を築く、同性愛者や両性愛者や無性愛の人間は、「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という神の命令に背いている!……と言われることは、頻繁にあるかもしれません。しかし、並べてみたら分かるとおり、こういう仕方で、何かの在り方を否定することは、乱暴だし、愚かだし、危険なんです。

 

さらに、同じ聖書の記述なのに、様々な生き物と人間が作られる順番は、1章と2章でだいぶ異なっています。1章では、あらゆる生き物が造られた後で、最後に、人間の男と女が同時に造られていますが、2章では、男が先に造られて、後から他の生き物が造られ、女が最後に造られています。

 

聖書に書かれていることを、そのまま事実として受け取るなら、この時点でもう矛盾しています。どっちの順番が正しいのか分かりません。ここからも、聖書が書かれた目的は、「男と女は同時に造られたのか別々に造られたのか?」「人間と他の生き物どちらが先に造られたのか?」といった、世界の成り立ちを単純に答えるものではないことが分かります。

 

また、聖書を引用して「女は男の肋骨から生まれてきた」「男の方が先に造られたから、女より偉いんだ」と言い出して、パートナーを支配しようとする人もいますが、生物学的には、胎内で人が造られるとき、基本形の女性から男性へと、体を発達させて生まれてきます。創世記に描かれる順序とは逆の順序です。

 

しかし、この過程を「聖書的ではない!」「創造の秩序に反する!」と言って、男性の赤ちゃんが生まれてくるのを阻止しようとする人は、まず居ないと思います。もし、「聖書に書いてないから」「聖書の記述と違うから」という理由で、同性愛者、バイセクシュアル、トランスジェンダーの在り方を否定するなら、全ての人が同様に否定されます。

 

「罪」とは何か?……「神に背く」「神の業に反する」とは何か?……これらについて、私たちは無意識に、自分が受け入れられないもの、気に入らないもの、嫌悪するものを、そこに当て嵌めようとします。「こう書いてあるから」「こう書いてないから」という理由だけで、短絡的に「罪」を訴えてしまいます。

 

しかし、こうした歪みを抱える私たちに、神様は昔も今も付き合い続け、語り続けてきます。「創造の業に反している」のは、果たして、あなたが受け入れ難い人たちだろうか? それとも、その人たちとの関係を歪ませている、あなた自身の在り方だろうか?……ドキッとする問いかけが、今日も聖書から聞こえてきます。共に、耳を傾けましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(長野県長野市の長野県町教会)のために、阪神淡路大震災、東日本大震災、九州・熊本地震の被災者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆長野県長野市の長野県町教会のために祈ります。教会にいる一人一人の健康と安全が守られますように。新しく礼拝に来る人や、教会員の家族、友人とのつながりが、豊かにされていきますように。

◆阪神淡路大震災の被災者のために祈ります。あの日の震災から27年が経ちました。多くの町が復興し、日常生活を取り戻した一方、置いていかれた人たちや地域があったことを覚えます。どうか今、忘れられた被害者にも、あなたの慈しみがありますように。

◆東日本大震災の被災者のために祈ります。あの日の震災から、もうじき11年が経とうとしています。思い描いていたように復興が進まなかった地域や生活が一変した人もいます。どうか今、苦しんできた一人一人の疲れと寂しさを癒してください。

◆九州・熊本地震の被災者のために祈ります。あの日の震災から、5年の月日が経ちました。地震の後も、台風や豪雨の被害を立て続けに受け、翻弄された人たちを覚えます。どうか今、復興の最中にある地域を、あなたが支え、導いてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌23番「わたしの口は絶えず歌う」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。通常なら、この後2時半まで、隣の集会室に集まって、質問や感想などを分かち合う時間を持ちますが、本日は感染症対策のため休止致します。

 

まもなく、岐阜県の病床使用率が25%を超えるステージ3に届こうとしているので、来週の聖書研究祈祷会から、再び在宅聖研に切り替え、教会に集まる集会は休止します。日曜礼拝も、今度の日曜日からオンライン等による在宅礼拝に切り替えます。

 

この後、今後の礼拝について、ホームページ、Facebook、Twitter、Instagram、LINE公式アカウント等でアナウンスします。教会員の方々には連絡網で詳しくお伝えします。再び、顔を合わせることが難しくなりますが、皆さんに神様の平和がありますように。