ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『それでも、やっぱり、まだ疑う』 イザヤ書51:1〜6、ルカによる福音書24:36〜43

日曜礼拝 2023年4月23日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。(コリントの信徒への手紙一15:55)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌52番「主のさかえに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆復活と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今週も、様々な現場で、事故や事件や災害がありました。誰かに知られているところでも、知られていないところでも、今なお、傷ついている人たちがいます。どうか今、あなたの憐れみが豊かにあって、全ての人に慰めと励ましが届きますように。

◆私たちの神様。今週も、様々な場面で、あなたに守られ、導かれ、恵みを与えられてきました。私自身が気づいているところでも、気づいていないところでも、あなたは共に居てくださいます。どうか今、これからも、あなたと共に歩んでいくことができますように。

◆私たちの神様。今日は、礼拝後に定期教会総会が開かれます。昨年度の反省と新年度の計画について、みんなで話し合いを行います。どうか今、一つ一つの課題について、真摯に、誠実に、取り組めるように、私たちを導いてください。

◆全ての者を新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書51:1〜6、ルカによる福音書24:36〜43(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編4:1〜9(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の327番「すべての民よ、よろこべ」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

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メッセージ

教会に通っているけれど、神様を信じているけれど、どうしても復活が信じられない。神の子イエス・キリストが、教えてくださったことも、多くの人を癒やされたことも信じている。全ての人が罪を赦され、神の国に入れるように、十字架にかかってくださったと信じている。だけど、それから三日目に復活したことが、どうしても信じられない。

 

既に洗礼を受けている人からも、まだ信仰を告白していない方からも、双方から、何度も聞いたことのある言葉です。私が学生だった頃、YMCAでお世話になった方や、渋谷で伝道師をしていた頃、時々教会へ来られた方、また、岐阜に来てから出会った方にも、そうやって度々、復活が信じられない葛藤を話されてきました。

 

正直で、素直で、誠実な葛藤だと思います。死んだ人が生き返ったという話は、古今東西、様々な地域で聞かれます。伝説や逸話が残っています。でも、多くは作り話や御伽噺のように捉えられます。何らかのトリックが使われたか、仮死状態だった人が蘇生したんじゃないかと考えられます。

 

他で聞く話と違って、イエス様の話だけは本当だ、実際に起こった出来事だと、客観的に明らかにする証拠のようなものはありません。かつて、復活したイエス様に再会したという人も、一緒に過ごしたという人も、当然ですが、もう死んでいます。イエス様の顔を覆っていた布や、墓の跡地と言われるものが出てきても、復活の証明にはなりません。

 

それでも、イエス様の復活を信じている、三日目に甦ったと信じている、と口にすればある人からは「盲信的だ」と言われるでしょう。本当にしっかり考えたのか、現実と向き合って考えたのか、疑いの目を向けられるでしょう。救い主を自称して「自分を信じれば復活する」と教える教祖の信奉者と、何が違うのか問われるでしょう。

 

改めて問い直されたら、信じていた人も不安になるかもしれません。イエス様が死者の中から甦り、人々に姿を表され、自分を信じる全ての者に永遠の命を与えられた。やがて来たる神の国で、生きている者も、死んだ者も、新しい体に甦らせてくださる。自分は本当に、そのことを信じていると言えるだろうか? 信じたつもりになっていないか?

 

信じたつもりで、実は信じきれていなかった……ということが暴かれてしまう出来事は実際に聖書の中にも出てきます。本日読まれた、ルカによる福音書24章の後半には、イエス様の復活について話していた弟子たちの真ん中へ、本人が突然現れる出来事が記されていました。

 

そこには、ついさっき、エマオへ行く途中、復活したイエス様と再会した弟子たちもいました。遺体が消えた墓の中で「あの方は復活なさったのだ」と言われた女性の話を聞かされた弟子たちもいました。空っぽの墓を見に行ったあと、自分も、復活したイエス様と再会したペトロもいました。彼らはそこで、見て、聞いて、確かに信じたはずでした。

 

にもかかわらず、改めて、イエス様が部屋の真ん中に現れたとき、「あなたがたに平和があるように」と言われたとき、彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思いました。「イエス様は復活したんだ」「私もあそこで再会したんだ」と言っていたにもかかわらず、弟子たちは、再び現れたイエス様を「復活した方」ではなく「亡霊だ」と思ったんです。

 

無理もありません。他の福音書では、弟子たちがユダヤ人を恐れて、戸に鍵をかけて集まっていたことが記されています。イエス様が扉を開けて入ってきた様子もありません。本当に、突然、彼らの真ん中へ現れたように書かれています。幽霊が壁をすり抜けたか、いきなり瞬間移動したかのように感じたでしょう。

 

そんな弟子たちに、イエス様は落ち着くように話します。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」

 

そう言って、手と足とを見せられた弟子たちは、喜びのあまりまだ信じられず、不思議がっていました。恐れていた気持ちはなくなったのに、イエス様の言葉を聞いて嬉しくなったのに、まだ信じられなかったんです。ちょうど、イエス様の教えと業を聞きながら、イースターを祝いながら、まだ復活が信じられず、不思議がっている私たちのように。

 

すると、イエス様は「ここに何か食べ物はあるか」と尋ねてきます。弟子の一人が、その場にあった焼いた魚を一切れ差し出すと、イエス様はそれを取って、みんなの前で食べ始めます。幻ではない、夢ではない、確かに、あのとき一緒にテーブルを囲んだ、自分たちと食事をしてきたイエス様が、帰ってきたんだと実感させます。

 

イースターというのは、最初から最後まで、イエス様の教えを信じ、復活を信じていた者が、特別に選ばれて救われた……という話ではありません。むしろ、現実を見て信じられず、恐怖のあまり信じられず、喜びのあまり信じられなかった弟子たちに、イエス様が死を超えて現れてくださった話です。

 

復活を疑わない、心から信じている者だけに、イエス様が現れるのではありません。むしろ、聖書は、疑っていた弟子たちのもとに、信じきれなかった人たちの真ん中に、イエス様が現れてくださったこと、「あなたがたに平和があるように」と言われたこと、恐れから解放するため、目の前で食事をされたことを記しています。

 

もし、「復活を信じられない自分は、クリスチャンを名乗る資格がない」「心から信じているという自信が持てない私は、キリストの弟子を名乗れない」と思っている方がいたら安心してください。あの日、あの時、イエス様は、あなたがいる部屋の真ん中に現れました。イエス様の復活を疑っている、信じきれない人たちの真ん中に現れました。

 

そして、あなたを自分の弟子と呼び、聖霊を送ることを約束しました。あなたを信頼して世に送り出し、祝福されました。イースターを不思議な気持ちで迎え、喜びながらも、信じきれていないあなたを、イエス様は、神の国に迎える仲間として、既に食卓へ招いています。あなたは私たちと同じ、神の民の一人です。

 

さあ、部屋の真ん中に現れたイエス様を迎えましょう。賛美を歌い、祈りを合わせ、共に喜びを分かち合いましょう。「どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えてくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケ二3:16)」アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌6番「戻らない世界で」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。新年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、昨年度「これからの教会を考える」というテーマで、使徒言行録26:16を年間聖句にしてきました。今年度は本日の教会総会で、「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にする提案が出されます。

 

「変えるべきもの」と「変えてはならないもの」を見極める努力を行いながら、「以前と同じようになること」ではなく「ここから新しくなること」を目指して、今週も、新しく送り出されていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄の讃美歌26番「グロリア、グロリア、グロリア」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。(ルカによる福音書24:36)

 

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった23名、同時に視聴された9名、計32名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

本日は、礼拝後、定期教会総会を開催します。感染症対策のため、長時間に及ばないよう、12:30の終了を目指しています。議案は礼拝プログラムの裏にあるとおり、決算、予算、活動報告、活動計画、役員・監事・教区総会信徒議員の選挙です。

 

会員の方は、全員、議決権がありますので、どうぞよろしくお願いします。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。