ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『わたしは命のパンである』 出エジプト記16:13〜16、ヨハネによる福音書6:34〜40

日曜礼拝 2023年4月30日


www.youtube.com

 

説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

主をたたえよ/日々、わたしたちを担い、救われる神を。この神はわたしたちの神、救いの御業の神/主、死から解き放つ神。(詩編68:20〜21)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌52番「主のさかえに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆復活と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先週は、礼拝後に定期教会総会が開かれ、全ての議事を滞りなく進めることができ、感謝致します。どうか今、再任された役員と、信徒、客員、会衆に、あなたの支えと導きが豊かにありますように。

◆私たちの神様。2023年度は「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」という聖句を胸に、一年間歩みを進めます。どうか今、私たち一人一人を新しく立たせてください。

◆私たちの神様。既に多くの問題を前にして、進む力が湧いてこない人、立ち止まらざるを得ない人に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、必要なとき、必要な形で、私たちを隣人のもとへ遣わしてください。

◆全ての者を送り出される、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。出エジプト記16:13〜16、ヨハネによる福音書6:34〜40(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

www.bible.or.jp

交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編78:23〜39(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。最初の23〜29節までを司会が、一段下がったAのところを牧師が、一段下がったBのところを会衆が、交互に読んでいきましょう。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の335番「われらの主イェスは」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

Sabine SchulteによるPixabayからの画像

メッセージ

華陽教会では、月に一回、信仰を告白した人が、信仰者であり続けるための式、聖餐式を行っています。聖餐式とは、神の子であるイエス様が、全ての人を救うために十字架にかかり、3日目に復活したことを記念して、パンと葡萄液をいただく式です。その式では毎回こんな言葉が読まれます。

 

「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」……まさに今日、聖書朗読で読まれた、イエス様の言葉です。日々、パンを手に入れるのに苦労して、いつ、食べ物が得られなくなるか心配している人たちに、イエス様が語った言葉です。

 

「先生、私たちの先祖が、荒れ野で飢えているときに、モーセが神に祈って、天からのパンを与えられたように、わたしたちにも、今後飢えることがないように、天からのパンを与えてください」……群衆の一人がそう願ったのは、前日に、イエス様が大勢の群衆のために、数少ないパンを増やして、みんなのお腹を満たす奇跡を行ったからです。

 

5千人を超える人々が集まっていたのに、5つのパンと2匹の魚で、全ての人を満腹にした、あの有名な奇跡を行った直後でした。彼らは、イエス様の指示で、残ったパン屑を籠いっぱいに集めているとき、かつて、荒れ野を旅した先祖たちが、天からのパンを毎朝籠で集めていた話を思い出したでしょう。

 

あの時の奇跡が、私たちの時代にも起こされた。かつて、自分たちの先祖が、荒れ野を旅している間、飢える心配のないように、毎日天からのパン「マンナ」を与えられたように、この前、奇跡を起こしたイエス様も、毎日私たちのためにパンを与えてくれるんじゃないか? もう飢える心配は、生活の心配をする必要は、ないんじゃないか?

 

ところが、そう期待する人々に、イエス様は、その場でパンを増やして見せたり、天からマンナを降らせて見せたりはしませんでした。代わりに「わたしが命のパンである」と言ってきます。もう、天からのパンはあなたたちに与えられている。わたしがそれだ……わたし自身が、あなたたちを生かし続ける「まことのパン」だと言ってきます。

 

「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」……聞いた人たちはどう思ったでしょう? 納得したでしょうか? 受け入れられたでしょうか? 続きを読めば分かるように、人々は納得しませんでした。イエス様を「まことのパン」だと思いませんでした。食べられる、本物のパンじゃないと。

 

おそらく、教会に来て、この言葉を聞く私たちも、どこかで疑問を持つことがあるでしょう。イエス様は「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と言ったけど、実際、教会に来ても、イエス様を信じても、飢えるときは飢えるし、渇くときは渇く。

 

仕事が上手くいかなかったり、家庭が困窮したり、心と体を壊すこともある。本当に、イエス様が「まことのパン」であり、「命のパン」であるのなら、今の私は、どうして満たされないんだろう? どうして苦しいんだろう? 命を与えられるどころか、死にたい気持ちもチラついているのに。

 

私だけだろうか? 私がおかしいんだろうか? 他の人は、教会に来て、聖書を読んでイエス様の言葉を聞いて、満たされるんだろうか? 元気になって、前向きになって、甦ったようになるんだろうか? 日曜日の礼拝に来て、ここから送り出されるとき、まだ上を向いて歩けない自分は、命を与えられていないんだろうか……?

 

あなたに、伝えたいことがあります。かつて、イエス様から「命のパン」を渡された人は、「まことのパン」を与えられた者は、それを受け取った直後、敵に捕まったイエス様を見て、恐怖に負けて逃げ出しました。そのまま家に閉じこもりました。命の危険を感じて出てこなくなりました。

 

それが、最初の聖餐式「主の食卓」の後に起きた出来事でした。彼らは、イエス様から「これはわたしの体である」と言われたパンを食べ、「これはわたしの血潮である」と言われた葡萄酒を飲み、信仰者であり続けるよう励まされました。けれども、部屋を出て間もなく、彼らは信仰者であり続けることが困難になり、死んだように閉じこもります。

 

何に依って立てばいいか、何を糧に生きればいいか分からなくなり、祈る言葉さえ出てこなくなります。「あのとき、自分もイエス様と一緒に捕まって死ぬべきだった」「たとえ殺されても一緒に行くと言ったのに、貫けなかった」と苦しくなり、「死」という文字が、何度も頭の中をよぎります。

 

一緒だったんです。教会に来て、聖書を開いて、イエス様の話を聞いて、命を得られた気持ちになるどころか、むしろ、日常では困難に揉まれ、挫折を繰り返し、頭の中を「死」がチラついてしまうあなた自身と、弟子たちも同じだったんです。彼らも、満たされていると思えない日々を過ごしました。彼らも、命を受けたと思えない日々を過ごしました。

 

しかし、イエス様が与えた「命のパン」は、彼らを死んだままにはしておかれません。あなたを死んだままにはしておかれません。イエス様との新しい出会いを導いて、新しく生きる者に、信じる者に変えていきます。最後の晩餐で、弟子たちのためにパンを裂かれたイエス様は、復活して弟子たちに現れ、再び彼らのためにパンを裂きます。

 

あの時、逃げ出してしまったあなたのことも、今まで、閉じこもっていたあなたのことも、イエス様は決して、死んだまま、死んでいくままにしておかれません。「あなたは父なる神が、わたしにお与えになった、かけがえのない存在なんだ」と語られて、決して自分のもとから追い出さないことを告げられます。何度でも出会い続けることを約束します。

 

イエス様がもたらす「命のパン」は、あなたが倒れているときも、あなたが死にたくなるときも、あなたが閉じこもっているときも、あなたを養い、あなたを新しくする準備をしているんです。主の食卓で、イエス様から「まことのパン」を受け取った弟子たちが、やがて聖霊を受けて、新しく歩み始めたように、あなたも新しくされていきます。

 

イエス様は言いました。「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである」……そう、あなたのことも失わないで、終わりの日に復活させるために、神様はイエス様を遣わして、この言葉を告げたんです。

 

「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」……飢えている者、渇いている者は集まりなさい。キリストは「わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない」と言われました。満たされない者は、聞きなさい。

 

あなたは今日、イエス様がパンを渡した一人です。「新しい命」を与えられた一人です。死にゆく者ではなく、生かされる者の一人です。終わりの日に、復活させられる者の一人です。自分自身が死んだ者のように感じている者は、思い出してください。あなたは死んでいるのではなく、眠っている。起きなさい、キリストがあなたを呼んでいます。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌6番「戻らない世界で」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、礼拝の受付、司会、配餐、配信の奉仕をしている人たちが、一部に固定されないように、一人一人が何をできるか、新しく考えていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の1節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄の讃美歌26番「グロリア、グロリア、グロリア」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネによる福音書6:35)

 

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった23名、同時に視聴された6名、計29名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

先日の教会総会は、出席者が16名、議決権行使書を伴う委任状の提出が3名、計19名の参加によって、全ての議事が承認・可決されました。再任された役員、任期中の役員のためにも、引き続きお祈りいただけると嬉しいです。

 

それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。