ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『離れていく人に』 ルカによる福音書24:13〜35

日曜礼拝 2023年4月16日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお借りください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

わたしたちは喜び、大いに喜び、神の栄光をたたえよう。小羊の婚礼の日が来て、花嫁は用意を整えた。(ヨハネの黙示録19:7)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌52番「主のさかえに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆復活と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターを迎え、信仰を告白した新たな仲間も加えられました。怪我や病気を負っていた人とも再び会えるようになってきました。どうか今、引き続き、私たちの間にある、新たな出会いと再会を導いてください。

◆私たちの神様。新年度を迎え、新しい生活が始まりました。職場や学校が変わった人、入園・入学・進級した人、昨年とは違う暮らしが始まった人、あるいは、何も変わっていないように感じる人がいます。どうか今、全ての人に、あなたの支えがありますように。

◆私たちの神様。来週の日曜日には、定期教会総会が開催されます。昨年度の活動を振り返り、新しい一年の計画を話し合います。どうか今、一つ一つの協議を経て、華陽教会の歩みが誠実に導かれますように。

◆私たちを新たに送り出す、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書24:13〜35(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編16:1〜11(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の329番「目覚めよ、歌えよ」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

MaBraSによるPixabayからの画像

メッセージ

救い主イエス・キリストが十字架につけられ、三日目に復活し、墓からいなくなったとき、遺体を整えにきた女性たちは、天使にこう言われました。「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ」「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか」

 

確かにイエス様は、自分についてきた者たちへこう言っていました。私は十字架につけられて殺され、三日目に復活する……三度にわたって繰り返し、自分は三日目に復活すると告げていました。しかし、三日目の朝、天使にそう言われるまで、その言葉を思い出した人は、弟子たちの中にも、女性たちの中にもいませんでした。

 

さて、イエス様が生き返ったと聞いた女性たちは、大急ぎで墓から帰り、十一人の弟子たちと、他の人みんなへ一部始終を知らせます。そうだ、今日は三日目だ。病人を癒したり、悪霊を追い出したり、死んだ人を生き返らせたイエス様が、自分も甦ると言われていた日だ。約束された、あの日がやってきた……みんなもそのことを思い出しました。

 

けれども、この知らせを聞いて、本当かどうか確かめに行ったのは、ペトロともう一人の弟子だけでした。他の弟子たちは、家に閉じこもったまま出てきませんでした。女性たちの話をたわ言だと思って、信じませんでした。墓から遺体が消えているのを確認して、家に帰ってきたペトロたちも、驚いただけで、復活を信じたとは書かれていません。

 

本当に遺体が消えていた。墓石はどけられ、亜麻布しか残っていなかった。女性たちだけでなく、ペトロともう一人の弟子からも、そう聞いた他の弟子たちは、いったいどんな反応をしたんでしょう? 驚いて、自分たちも確かめに行ったんでしょうか? 約束通りイエス様が生き返ったと信じて、探しに行ったんでしょうか?

 

ちょうどその日、2人の弟子が、エルサレムから60スタディオン離れたエマオという村へ向かって出発しました。60スタディオンというと、だいたい10kmくらい、歩いて2時間ばかり行ったところです。何だか、急に出発したように見えますが、いったい何の用事ができたんでしょうか?

 

2人は歩きながら、あることについて話し合い、論じ合っています。それは、まさに、イエス様が復活したという噂についてでした。どうやら、エマオへ行く目的も、このことと絡んでいるようです。エマオという村へ行けば、復活したイエス様に会えるかもしれないと思ったんでしょうか? そこで会えるという約束でもあったんでしょうか?

 

けれども、イエス様が「自分は三日目に復活する」と告げられたとき、エマオへ行けば再会できるとは教えていませんでした。十字架につけられる前、弟子たちとこの村へ立ち寄ったこともありません。少なくとも、聖書にそういうエピソードは出てきません。むしろ、エマオという名前が出てくるのは、この箇所だけで、思い出も特にありませんでした。

 

他の福音書では、エマオではなくガリラヤで、復活したイエス様と会える、かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる、というふうに、天使が告げたと記されています。聖書の後ろについている、新約時代のパレスチナの地図を見ていただければ分かりますが、エマオとガリラヤでは、かなり離れています。どちらかというと反対方向です。

 

どうも、2人の弟子が、エルサレムを出発して、エマオの村を目指したのは、復活したイエス様に会うためではなさそうです。2人は、仲間の者が何人か墓へ行ってみて、女性たちの言ったとおり、イエス様の遺体が見つからなかったことを話していますが、自分たちも直接見に行ったわけではなさそうです。

 

女性たちと、仲間の何人かの話を聞いて、墓を見に行くでもなく、ガリラヤへ行くでもなく、イエス様との思い出もない、ちょっと離れた隣町へと向かいます。めちゃくちゃ不自然な行動です。イエス様の復活を信じるどころか、信じたい、会いたい様子も感じられません。

 

どちらかというと、復活を確かめたくないような、会いに行くのを避けるような行動に見えてきます。そう、2人がエルサレムを離れて、エマオの村へ出発したのは、おそらく、イエス様に会うためでも、探すためでもなく、出会わないためでした。会いに行くためではなく、会わないように、離れるために、隣町へ出て行ったんだと思います。

 

なぜでしょうか? イエス様が捕まったとき、見捨てて逃げたことが責められるのを恐れたんでしょうか? 三日目に復活するという約束を信じられず、忘れていたことが怒られると思ったんでしょうか? 今更、合わせる顔がなかったんでしょうか? あるいは、信じた後のことが怖かったのかもしれません。

 

もう二度と、今回みたいに見捨てることがあってはならない。もう二度と、疑うようなことがあってはならない。もう二度と、教えを守らないことがあってはならない。その境目となるラインを越えるのが、怖かったのかもしれません。私は復活したイエス様と会っても、改めて弟子になれるだろうか……?

 

先週、イースターの日曜日に、新しく信仰告白をした方の洗礼式が行われました。そのとき、受洗者を迎えた私たちも、先に信徒として在籍していた私たちも、自分が洗礼を受けた日のことを思い出し、かつて交わした誓約を、再び思い起こしていました。中には、あの日、洗礼を受ける人以上に、自分が緊張していた方もいたと思います。

 

きっと、何人かはこう思ったはずです。かつて、洗礼を受けたあの日、私はイエス様を信じますと約束したけど、神様に仕えますと告白したけど、洗礼を受けてからも、新しくされてからも、疑ったり、間違えたり、教会から離れることが何度もあった。今改めて、洗礼を受けたあの日に戻ったら、同じように告白できるだろうか? 

 

神様を信じ、教えられたことを守りますと約束できるだろうか? 今だったら、そんなこと言える者ではありません……と頭を下げて、イエス様の弟子を、クリスチャンを名乗ろうとはしないんじゃないか? 目立たないように、会堂の後ろの方で座っているか、教会そのものに来なくなっているんじゃないか?

 

安心してください。みんなでイエス様の復活を記念する日に、大きな喜びを分かち合う日に、あなたがそう思ってしまったなら、それはあなただけではありません。あなたの隣に、前に、後ろにいる人も、イエス様の復活を聞いた日に、イエス様から離れてしまった自分自身を、どこかで感じていたりします。

 

私も、洗礼を受けてから、何なら牧師になってからも、もし、自分が牧師家庭に生まれていなかったら、クリスチャンの家庭に生まれてなかったら、自分は教会に行く意志があるだろうか? 洗礼を受ける決心をしただろうか? 人生を最初からやり直せたら、どうするだろうか? と考えることが何度もあります。

 

やり直せたら、自分は教会に行くだろうか? 洗礼を受けるだろうか? 牧師になるだろうか? 正直、教会へ行かないで、洗礼を受けないで、神学校へ行かないで、違う人生を歩もうとしたのではないか? イエス様へ会いに墓へ行くことも、かねて告げられていた場所へ、ガリラヤへ行くことも、なかったのではないか?

 

そう思ってしまうことがけっこうあります。不安になります。自分の心はイエス様から離れていて、本来、ここで信徒を、牧師をすることはできないんじゃないかと……こんな中途半端な人間が、みんなと一緒に礼拝しているのは、みんなと一緒に教会員をしているのは、誠実ではないかもしれないと。

 

でも、違うんです。あの日、私たちは復活したイエス様と会わないように、離れるように、エルサレムを出発し、エマオの村へ向かって、歩き始めたにもかかわらず、この方は話しかけてきたんです。約束を信じないで、約束した場所にも行かないで、全然違う方向へ行く私たちと、同じ宿に入られたんです。

 

会わないようにしていたのに、離れようとしていたのに、私たちはキリストに出会ってしまいます。この方は私たちの目を遮って、自分だと分からないように出会われます。離れようとしていた私たちが、自分から引き留めるように、一緒に居てほしいと願えるように、気づいたら出会っているんです。

 

後から振り返って、私たちは気づきます。教会から、神様から、心が離れていると思っていたあの日、私の目は遮られていたけれど、確かにイエス様は一緒に居てくださった。自分から離れていく私のために、以前と同じようにパンを割いてくださった。責めるためでも、裁くためでもなく、共に食卓へつくために、再び出会ってくださった。

 

私も、改めて宣言します。キリストの復活を記念するイースターを迎え、共に洗礼の喜びにあずかった日、教会から、イエス様から、離れていこうとした者も、この方のパンを受け取っています。あの日、復活した方は、あなたと同じ道を歩き、あなたと同じ宿に泊まり、あなたと同じ食卓で、パンを分けてくださいました。

 

キリストの姿が見えなくなった者は、安心して行きなさい。あなたの目に写らなくなった方は、あなたと共に歩いています。あなたと共に帰っていきます。立ちどまるあなたに語りかけ、出発させます。既に新しいことが起こっています。共に、この方のもたらす変化を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌6番「戻らない世界で」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。新年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、来週の教会総会で、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にする提案が出されます。

 

コロナ禍に入ってからストップしていた様々なものを、私たちは再び始めようとしていますが、「見よ、新しいことをわたしは行う。今やそれは芽生えている」という神の言葉に象徴されるように、「昔と同じように」なることが教会の目標ではありません。

 

「以前と同じようになること」ではなく「以前から新しくなること」を目指して、今、私たちができることを考え、実践し、今週も希望を分かち合っていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄の讃美歌26番「グロリア、グロリア、グロリア」を歌いましょう。(お立ちください)

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。(ルカによる福音書24:30〜31)

 

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった25名、同時に視聴された7名、計32名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週は、礼拝後、定期教会総会を開催します。教会員の方で、当日出席することが困難な方は、委任状を伴う議決権行使書を渡しますので、牧師までお申し出ください。感染症対策のため、長時間に及ばないよう、12:30の終了を目指しています。

 

議案は礼拝プログラムの裏にあるとおり、決算、予算、活動報告、活動計画、役員・監事・教区総会信徒議員の選挙です。会員の方は全員議決権があるので、どうぞよろしくお願いします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。