ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『やってられるか』 ルカによる福音書15:25〜32、コロサイの信徒への手紙3:12〜17

日曜礼拝 2023年9月17日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。(イザヤ書43:1)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌Ⅱ編の26番「ちいさなかごに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆慈しみ深い、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて礼拝に集まることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。この一週間、思いと言葉と行いによって罪を犯し、あなたを悲しませてしまったことをお赦しください。どうか今、私たちが傷つけた人、怒りをぶつけた人を癒し、回復させてください。特に、私たちが避ける相手を顧みてください。

◆私たちの神様。この一週間、私たち自身も傷つけられ、痛みと苦しみを覚えてきました。どうか今、私たちの心と体の傷を癒し、変化と回復をもたらしてください。特に、できることとできないこと、変えるべきことと変えてはならないことを整理させてください。

◆私たちの神様。この一週間、恵みと慰め、励ましと勇気を与えてくださったことを感謝致します。どうか今、これから必要な力と気づき、助けと支えをもたらしてください。私自身も、必要なとき、必要な人のもとへ遣わしてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書15:25〜32、コロサイの信徒への手紙3:12〜17(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編37:7〜22(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の437番「行けども 行けども」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

DedeによるPixabayからの画像

メッセージ

ある人に息子が2人いました。弟の方が父親に「自分が受け取るはずの遺産を先に分けてくれ」と言いました。まだ父親が生きているのに、とんでもない言い分です。ところが父親は次男に言われるがまま、財産を息子たちに分けてやります。あまり良い父親に見えません。普通は、弟を嗜めたり、諭したりするのが、父親の役目に思えます。
 
案の定、下の息子は何日も経たないうちに、全部を金に換えて遠い国に旅立ち、遊び尽くして、財産を無駄遣いしてしまいます。何もかも使い果たしたタイミングで、その地方にひどい飢饉が起こり、彼は食べるのにも困り始めました。仕方なく、その地方に住む、ある人のところに身を寄せますが、豚の世話をするくらいしか仕事がありません。
 
しかも、飢饉のせいでろくに食べ物もなく、彼は豚の餌でもいいから腹を満たしたいと思います。そこでようやく、弟は我に帰って、実家に戻って父親に謝り、雇い人の一人にしてもらおうと考えます。反省したように見えますが、「こう言えば父親は許してくれる」という打算がないとも言えません。
 
本当に態度を入れ替えて、真面目な生き方が身につくまで、厳しく、見守る必要があるのを感じます。ところが、父親は帰ってきた息子を見つけて憐れに思い、厳しく接するどころか、走り寄って首を抱き、接吻します。財産を無駄遣いして帰った息子に、一番良い服を着せ、指輪をはめ、肥えた子牛を丸ごと焼いてご馳走します。
 
息子を諭して、反省を促す姿はありません。むしろ、「食べて祝おう」と言って、僕たちに音楽や踊りを舞わせ、どんちゃん騒ぎを始めます。一方、その日の畑仕事から帰ってきた長男は、このことを知って腹を立てます。弟の帰りを知らされず、自分を放置したまま宴会を始めた父親に、猛烈な怒りが湧いてきます。
 
そりゃそうです。彼は、何年も父親に仕え、真面目に暮らし、言いつけに背いたこともありませんでした。しかし、自分が友達と宴会するために、子山羊一匹すらくれなかった父親が、財産の半分を無駄遣いした弟には、肥えた子牛をご馳走してやるんです。やってられるか……という話ですよね。
 
すると、息子をなだめにきた父親はこう言います。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」……当たり前でしょうか? どれくらいの人が共感するでしょうか?
 
おそらく、現代社会で、この父親の言うことに共感する人は少ないと思います。祝宴を開いて喜ぶ前に、父親としてやることがあるんじゃないか? と感じます。イエス様がこの譬えを語った当時のイスラエル社会でも、共感した人は少なかったでしょう。父親として正しい姿というより、間違った姿に見えたでしょう。
 
果たして、兄はこの後、家の中に入れたんでしょうか? 一緒に弟の帰還を祝えたんでしょうか? そう簡単に父親の言葉に納得できたとは思えません。私たちだってそうですよね? 譬え話が綺麗な結末で終わらないのは、兄の納得を記さないのは、彼に、自分を重ねた私たちが、納得できない現実を知っているからかもしれません。
 
おかしいでしょう? それでも父親ですか? やってられません!……親子喧嘩の勃発です。驚くべきことに、この父親に譬えられているのは、父なる神、もしくは、イエス様自身です。弟に自分を重ねれば、ありがたい話かもしれませんが、多くの聞き手は、兄に自分を重ねます。父親に、神様に、イエス様に対して怒る、彼の姿に共感します。
 
この譬え話を読んだ後で、同じ日に聖書日課で指定されているコロサイの信徒への手紙を読むと、ますます、やってられなくなるでしょう。「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。」
 
分かりました、と素直に頷くことができません。がんばります、と返事をすることができません。自分よりも、愚かで、雑で、乱暴な人の方が、愛されているように感じます。良心に従い、真面目に生きている自分の方が、愛されていないように感じます。柔和に、寛容に、なれません。どうして自分の方が赦し、耐えなければならないのか分かりません。
 
神様、弟を赦さなきゃならないでしょうか? 自業自得だと思わないで、憐れまないといけないでしょうか? あなたのあの息子がいる家に、入らないといけないでしょうか? 神の国に、あいつがいることを受け入れないといけないでしょうか? 私には荷が重いです。まだ、この家には入れません。それとも、私の方を家から閉め出しますか?
 
イエス様のたとえ話は、私たちの反応を潰しません。このように続ける余地を残しています。その場で父に納得し、弟を受け入れ、一緒に食卓へ着く、ご立派な兄の姿は描かれません。むしろ、父親に対して、長男が、私たちが、続ける言葉を待っています。怒りを、嘆きを、問いかけを、投げかけるのを待っています。
 
本当に、私は愛されているんですか? むしろ、放置され、傷つくままにされてませんか? 何年もあなたに仕え、言いつけに背いていないのに、私にばかり憐れむように、赦すように、耐え忍ぶように、求めてませんか? あなたは弟を選び、愛して、家に迎えたけれど、私のことは、そんなふうに迎えてくれないんじゃないですか?
 
声なき声に対する、父親の応答も記されません。しかし実は、弟と違って、真面目に生きたのに、苦しみを耐え忍ばされ、愛されなかったように見える、兄と同じところに下って、応答された方がいます。それは、罪を犯してないにもかかわらず、神様に従い続けたにもかかわらず、十字架にかけられたイエス様です。
 
神の国を受け継ぐ長男なのに、神様に守ってもらえず、人々に殺されてしまいます。何度も罪を犯してきたイスラエルの民は、繰り返し敵の脅威から守られてきたのに、イエス様は鞭打たれ、磔にされ、槍で突かれてしまいます。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」その言葉は、父なる神に納得できない私たちの声と重なります。
 
イエス様は、本当に、私たちと同じところに来てくださったんです。私たちが嘆き、怒り、納得できないと訴えるように、自分も一緒に嘆き、怒り、問いかけてくださるんです。そして、自分を死んだまま、見捨てられたままにせず、復活させた神の愛を、本当に、我が子を愛してやまない神の姿を証ししたんです。
 
イエス様が復活させられたとき「死んでいたのに生き返った」と喜び祝う父の言葉は、罪を犯した弟に対してだけでなく、何年も自分に仕え、言いつけに背かなかった兄にも、当てはまる言葉になりました。「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから」という聖書の言葉は本当です。
 
憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけられない今のあなたも、神の国へと迎えられる、死から命へ招かれている、大切な子どもの一人なんです。イエス様は、全ての人を自分の兄弟姉妹と呼びました。あなた自身と重なって、あなたと共に、神の国へ帰るため、この世へ下ってくださいました。やがて私たちは、同じ祝宴に招かれます。
 
自分が聖なる者、愛されている者であることを、今から知っていきなさい。神様に目を留めてもらえないと思ったとき、あなたと重なるように遣わされた、イエス・キリストを呼びなさい。この方は、既にあなたの中にいて、前に、隣に、後ろにいて、一緒に神の国を受け継ぐ準備をしています。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿りますように。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌1番「枯れた谷に鹿が」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、10月の宗教改革記念礼拝や11月の召天者記念礼拝に向けて、初めてくる人や久々に来る人たちを迎えられるように、準備を進めていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である私たちの神様。今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」3節を歌いましょう。

 

讃美歌

「派遣」の賛美歌92番「主よ、わたしたちの主よ」3節を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。(コロサイの信徒への手紙3:16)

 

祝 福

平和の源である神が あなたがた一同と共におられるように、アーメン。(ローマの信徒への手紙15:33)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった17名、同時に視聴された10名、計27名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

礼拝後、2階集会室で主に女性の信徒が集まるオリーブ会と3階集会室で主に男性の信徒が集まるヒラソルの会を開きます。初めて来た方も興味のある方は自由に参加できます。「こころの友」の輪読や近況などを分かち合っています。よかったらぜひご参加ください。

 

なお、来週の日曜日も三密を避けた会衆礼拝を配信と並行して行います。教会に来られる方は賛美中のマスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただけるよう、お願いします。それではまた、日曜日まで皆さん一人一人に神様の平和がありますように。