ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『三度否定した者へ』イザヤ書63:1〜5、ヨハネによる福音書21:15〜19

日曜礼拝 2024年4月21日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会の著作物使用許諾を得て、日曜日の礼拝を、配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。(ヨハネの黙示録3:20)

 

讃美歌

讃美歌二編の130番「ひつじをまもる」を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆まことの羊飼いである神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今週も、新しい出会いや、大切な人との再会を導いてくださり、感謝致します。一週間の間、それぞれに癒しと回復を、力と気づきを与えてくださったことも、感謝致します。どうか今、新しい一週間も、新しく立つことができるよう導いてください。

◆私たちの神様。今日は、礼拝後、オリーブ会の総会が開かれます。ヒラソルの会と合わせて、今後の活動や会費について話し合います。どうか今、華陽教会で行われる会衆の集まりが、より豊かに用いられるよう、導いてください。

◆私たちの神様。来週は、礼拝後、定期教会総会が開かれます。昨年度の教会懇談会を受けて、華陽教会をみんなに知ってもらうため、新しい取り組みも始めます。どうか今、一つ一つの事柄を、誠実に協議し、決断できるように、私たちを導いてください。

◆一人一人を支え起こす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書63:1〜5、ヨハネによる福音書21:15〜19(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編118:1〜12(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

讃美歌21の97番「羊飼いの羊飼いよ」を歌いましょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

kalhhによるPixabayからの画像

メッセージ

 死んだはずの人間が3日目に甦って、自分を見捨てた仲間のところへ現れる。「必ず帰ってくるから」「3日目に戻ってくるから」そう言ったのに信じないで、閉じこもっている仲間のもとへ会いに行く……イエス様の復活を、後から見返してみると、けっこう孤独な復活だったことが分かります。

 最初に再会したマリアは、自分の声を聞いても気づいてくれず、顔を見てもまだ分からず、泣きながら「あなたが遺体を持ち去ったんですか?」「どこに置いたのか教えてください」と犯人扱いしてきます。約束どおり、甦った自分ではなく、死んだままの、遺体の自分を捜す彼女に、イエス様は「マリア」と声をかけ、ようやく気づいてもらえました。

 ところが、マリアが弟子たちに「わたしは主を見ました」「復活したイエス様に会いました」と伝えても、弟子たちは信じないで、戸に鍵をかけたまま閉じこもっていました。墓から出てきたイエス様を探しに行くことも、帰ってきたらすぐ迎えられるよう、鍵を開けておくこともなく、ユダヤ人を恐れて閉じこもっていました。

 イエス様は、自分を締め出した弟子たちに、家の真ん中へ現れて、「あなたがたに平和があるように」と言われます。十字架にかかったときの、手とわき腹の傷跡を見せ、確かに復活したことを示します。弟子たちはイエス様の声を聞き、イエス様の手とわき腹を見てようやく信じることができました。

 けれども、イエス様が帰ってきたとき、一人だけ家に居なかったトマスは、他の弟子たちから「わたしたちは主を見た」と言われても、信じようとしませんでした。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言い張りました。

 八日の後、イエス様は彼のためにも現れて、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい」「あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい」「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言いました。トマスはイエス様の言葉を受けて、「わたしの主、わたしの神よ」と告白することができました。

 しかし、それからしばらく経ったあと、イエス様が再び、弟子たちに姿を現したとき、彼らはまたも、イエス様だと分かりませんでした。夜が明けるまで、ティベリアス湖で漁をしていた弟子たちは、岸の方からイエス様に声をかけられ、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われますが、誰に声をかけられたのか、一向に気づく気配がありません。

 「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ」と言われて、そのとおりにしたところ、網が引き上げられないほど魚が獲れて、初めて「主だ」と気がつきます。陸に上がった弟子たちは、イエス様から「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と招かれ、間違いなく、イエス様だと知ることができました。

 これが、復活したイエス様と弟子たちの3度目の再会です。3度目ですが、弟子たちは一度も、イエス様を迎える準備ができていませんでした。イエス様が帰ってきても、戸には鍵をかけっぱなしで、家を出て捜しに行くこともなく、再会しても、声を聞いても、それがイエス様だと分からないまま、しばらく過ごしてしまいました。

 そんな中、食事を終えて、イエス様が弟子の一人に尋ねます。「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」……「この人たち以上に」って、なかなか酷な質問です。みんなの前で「はい、わたしが一番あなたのことを愛しています」「この人たち以上に、わたしはあなたを愛しています」と答えるわけにもいきません。

 それに、ペトロ自身、イエス様に「あなたを一番愛しています」と言える資格があるのかどうか、自信を持てないときでした。自分が捕まりそうになったとき、イエス様のことを3度知らないと否定したくせに……「あなたのためなら命を捨てます」とイエス様へ言ったのに、結局、命が惜しくて逃げ出したくせに……私が「愛している」と言えるのか?

 ペトロは考えた末、こう答えます。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです。」……正面から、「わたしが一番あなたのことを愛しています」とは言えないけれど、このように聞いてきたイエス様は、今も、わたしが自分を愛していると信じて聞いたに違いない。

 すると、イエス様は「わたしの小羊を飼いなさい」と答え、二度目の質問をしてきました。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」……念押しのように聞くイエス様へ、ペトロはやはり、正面から答えられず、同じ回答しかできません。「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです。」

 すると、イエス様はまた「わたしの羊の世話をしなさい」と答え、三度目の質問をしてきます。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか」……ペトロは、イエス様が三度も、「わたしを愛しているか」と聞いてきたので、悲しくなってしまいました。まるで「愛しているの? 本当に?」と疑われているように見えたからです。

 「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます」……自分の言葉が届かないのか、聞いても信じてもらえないのか不安になりながらも、いいや、この方は分かってくれるはずだ、わたしのことを知っているはずだ、とペトロは必死に答えます。

 それはちょうど、イエス様が「3日目に甦る」と言った言葉が、信じてもらえなかったとき、復活して声をかけても、気づいてもらえなかったとき、弟子たちに抱いた不安と期待を思い起こさせるものでした。そうか……イエス様も、わたしが気づかなかったとき、信じられなかったとき、寂しく思いながらも、信じ続けてくださったのか……と。

 イエス様は、答えます。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」……それは一見、罪を犯した人に対する、報いのように聞こえます。

 イエス様を3度知らないと否定して、復活しても、すぐには信じなかったことを非難して、お前は将来嫌な目に遭う……と言われているように感じます。しかし、ペトロにとって、この言葉は、非難や罰の宣告ではなく、「あなたもわたしと同じ道を通って、わたしと同じところへ来る」という大切な知らせに聞こえたでしょう。

 なぜなら、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる……というのは、ペトロが最後までついて行けなかった、イエス様の歩んだ道、十字架の道のりだからです。「あなたのためなら命を捨てます」と言いながら、自分の十字架を背負えなかった、思わず逃げ出してしまったペトロに、イエス様は言うんです。

 わたしは、あなたがわたしを愛しているのを知っている。わたしのいるところへついてきてくれるのを知っている。わたしが捕まったとき、十字架にかかったとき、あなたがついてこられなかった、あなたの行きたくないところ、恐れているところへも、あなたは必ず、来ることができる。わたしの行くところへ、あなたも連れてこられる。

 イエス様は、自分を3度否定した者へ、「わたしの羊を飼いなさい」と言われ、最も大切な使命を託されました。自分と同じように、神の栄光を現す者として、行きたくなかったところへ、行けなかったところへ、一緒に行くことができると宣言しました。そして、改めて言うんです。「わたしに従いなさい」

 イエス様の方から、私たちに願い、頼み、信頼してくださいます。自分に「従えない」と思っていないんです。「できる」と知っているんです。あなたはここに来ることができると……もし、自分の愛に、信仰に、勇気に、自信がないのなら、何もかもご存じであるキリストが、あなたの行けなかったところへ連れて行ってくださることを思い出しましょう。

 これはペトロだけでなく、イエス様を信じて、キリストの証人となった全ての人に向けられた言葉です。「わたしに従いなさい」……共に、神の栄光を現す者として、イエス様があなたを選んだことを思い出しましょう。あなたが否定したことよりも、あなたが応答してくれたことを信じてくださる主がいます。立って、答えて、行きなさい。

 

讃美歌

オンライン賛美歌4番「わたしの主が取り去られた」(©️柳本和良)を歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

 

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。新年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

「父よ、わたしに与えてくださった人々を、わたしのいる所に、共におらせてください。それは、天地創造の前からわたしを愛して、与えてくださったわたしの栄光を、彼らに見せるためです。」

 

年間主題

華陽教会では、4月28日の総会で「ここをみんなに知らせよう」というテーマで、ヨハネによる福音書17:18を今年度の年間聖句にすることを提案する予定です。

 

今週は、教会総会の準備をしつつ、オリーブ会やヒラソルの会の今後について話し合い、新しい一歩を作っていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

憐れみ深い神様。私たちの生活の一部をおささげします。どうか、これらの献金を、困っている人のため、信仰生活を支えるため、教会の働きを続けるために用いてください。人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の28番「み栄えあれや」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。(ヨハネによる福音書21:18)

 

祝 福

見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。わたしは決して見捨てない。(讃美歌21の93-7-6 創世記28:15より)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった19名、同時に視聴された2名、計21名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は『わたしと一緒にいたのだから』と題して、ヨハネによる福音書15:18〜27と17:20〜26のお話をします。なお、来週は礼拝後、定期教会総会が開かれます。本日、総会資料をボックスへ配布したので、教会員の方は忘れずにお持ちください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。