ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『因果応報?』 使徒言行録18:9〜17

聖書研究祈祷会 2023年9月20日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の370番「おもいもことばも」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様、先日の日曜日には、今年度、3回目のオリーブ会、ヒラソルの会を開くことができました。礼拝後、なかなか作れなかった交流のときが回復してきたことを感謝致します。どうか今、これからも、これらの機会が豊かに用いられますように。

◆私たちの神様、来月末の火曜日には、延期していた白百合の会も再開します。しばらくの間、会えなかった在園生や卒園生のお母さんたちが、良い交流とリフレッシュのときを持てますように。

◆私たちの神様、これから先、控えている、芽含幼稚園の運動会や、華陽教会の宗教改革記念礼拝、教会研修会、召天者記念礼拝など、様々な行事が、事故なく、誠実に、進められますように。特に、参加者とスタッフの健康と安全を導いてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録18:9〜17の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Steve BuissinneによるPixabayからの画像

メッセージ

コリントの町と言えば、コリントの信徒への手紙からも分かるように、パウロがしばらくの間滞在し、教会を建て、教師として一年半教えていた町です。これまでパウロが訪れたヨーロッパの町では、たいていユダヤ人から反感を買い、攻撃を受け、追っ手を逃れては次の町へ移っていく……ということを繰り返していました。
 
コリントの町でも、パウロがユダヤ人に対し、「救い主メシアはイエスである」と力強く証をすると、やはり「そんなわけあるか」と反抗され、口汚くののしられます。けれども他の町と違って、すぐに追い出されたり、襲われたりしたわけではなかったようです。パウロは町の中で、拠点を異邦人の家に移しただけで、まだ次の町へは行きません。
 
もしかすると、パウロ自身は、さっさと次の町に行きたかったのかもしれません。神様が夜中に幻を通して語りかけた言葉は、彼をこの町に引き止めているように聞こえます。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ。」
 
神様にこう言われなければ、パウロが一年半もコリントに留まることはなかったかもしれません。しかし、一年半後、ついに、ユダヤ人たちは一団となってパウロを襲い、法廷に引き立ててしまいます。神様、話が違うじゃありませんか……と思いつつ、パウロが弁明のため、口を開こうとすると、地方総督のガリオンが先にユダヤ人たちへ語ります。
 
「ユダヤ人諸君、これが不正な行為とか悪質な犯罪とかであるならば、当然諸君の訴えを受理するが、問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない」……宗教内の争いは、宗教内で解決してくれ。法律違反ならともかく、神学論争に付き合う気はない。
 
一見、ドライな反応ですが、為政者としては公正な態度に思えます。神様が、パウロに「危害を加える者はない」と言ったとおり、パウロを法廷に連れて行ったユダヤ人たちは彼に危害を加えることはできませんでした。ところが、ユダヤ人たちが法廷から追い出されると、今度は群衆が会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴り始めます。
 
これは、宗教内の争い云々ではなく、明らかに不法行為、暴力行為です。治安を維持する当局者は、当然止めなければなりません。ところが、ガリオンはそれに全く心を留めずソステネが殴られるままにしていました。法廷からユダヤ人が追い出された時点で、解放されたはずのパウロも、この件に関しては無視しています。
 
突然出てきた会堂長ソステネですが、彼は何者だったんでしょう? パウロに敵対し、彼を訴えて法廷まで連れてきた代表者だったんでしょうか? 実際、いくつかの注解書はソステネがパウロを告訴した会堂長だったと記しています。もしそうなら、無実の罪で訴えた者が、逆に危害を加えられる、という因果応報を迎えたことになります。
 
彼は自分の行為の報いを受けたのだ……と考えれば、ガリオンが群衆の暴力を止めなくても、パウロが仲裁に入らなくても、仕方ないと片付けることもできるでしょう。ソステネを殴った群衆は、パウロの味方だったのかもしれません。パウロが連れて行かれたのを心配して、かけつけた人たちだったのかもしれません。
 
でも、パウロの話を聞いて、イエス・キリストを救い主だと信じた者たちが、人に暴力を振るうってどうなんでしょう? それを止めないってどうなんでしょう? さらに、ソステネという名前は、コリントの信徒への手紙一1:1にも、パウロの仲間として出てきます。同一人物であるなら、ソステネは後の仲間です。
 
もし、このあとソステネが回心し、信者となっていったなら、彼は、自分を殴りつけたキリスト者たちの仲間になった……ということになります。彼をボコボコにした群衆よりも、ボコボコにされてなお、回心して仲間になったソステネの方が、よっぽど大人に見えるかもしれません。どうも、単純な因果応報が描かれているわけではなさそうです。
 
また、実を言うと、ソステネがパウロを告訴した会堂長だと、明確に記している箇所は聖書のどこにも出てきません。注解書によっては反対に、ソステネもクリスポと同じく、パウロの話を聞いて仲間になった会堂長の一人だったと記しています。確かに、その方がコリントの信徒への手紙で、パウロの仲間として挙げられるのも自然に感じます。
 
この場合、群衆はパウロを訴えても処刑してもらえなかったため、パウロの仲間であったソステネに八つ当たりをして、法廷の前で殴りつけたと考えられます。そうなると、ガリオンは、パウロに危害を加えようとした群衆の八つ当たりを、見て見ぬ振りしたことになります。
 
パウロは無事だったものの、代わりに彼の仲間が襲われた……という構図は、少し前の17章にも出てきました。パウロがテサロニケでユダヤ人たちに襲われそうになったとき彼は逃がしてもらえましたが、彼を匿ったヤソンと数人の兄弟が捕らえられ、投獄され、保証金を取られて釈放される、というエピソードです。
 
ある信仰者が、敵の手から逃れて助けられる一方、ある信仰者は、敵の手に捕まって危害を加えられる……信仰がある人は、みんな神様に守られて平気……という話ではありません。ある人は助かりますが、ある人は傷つきます。傷ついた人の信仰が欠けていたわけでも、未熟だったわけでもありません。聖書には、あらゆる信仰者の歩みが描かれます。
 
この話を、パウロが守られてよかったね……で終わらせることは簡単ですが、もう少し深い意味が込められているように思います。通常、法廷はイエス様の教えと業を証しする絶好の機会として用いられてきましたが、この日、パウロは話を遮られ、メッセージを語ることができません。
 
パウロは守られますが、代わりにソステネが襲われます。ソステネがこの時点でパウロの仲間だったなら、同じ信仰者が傷つくままにされています。ソステネがパウロを告訴した会堂長であったなら、パウロの仲間たちが彼に暴力を振るっています。パウロはしばらくの間滞在してコリントを去りますが、手紙を見れば、たくさんの課題が残っています。
 
聖書に出てくる教会の姿は、信仰者の姿は、決して、理想的で模範的なものばかりではありません。むしろ、教会の中にあった黒歴史や、うまくいかない現実が赤裸々に記され、今の私たちと重なる問題が、聖霊を受けた弟子たちの間でも、次々と起こっていたことを語ります。
 
逆に言えば、清く、正しく居られない私たちの間に、聖霊は注がれ続けているんです。間違えたり、失敗したり、過ちを犯す私たちから、神様は離れないで留まって、語り続けているんです。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる」……気まずいときにも、恥ずかしいときにも、神様はそばで導き続けます。
 
正直に、赤裸々に、自分たちの姿を告白してきた初代教会を見つめながら、私たちも、正直に、誠実に、自分たちの姿を見つめ直し、これからの教会を築いていきましょう。道を逸れたとき、立ち止まったとき、後ろに下がろうとするとき、繰り返し、思い出しましょう……恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(岩手県花巻市の花巻教会)のために、子どものために、青年のために、高齢者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆岩手県花巻市の花巻教会のために祈ります。この教会が、年間主題に掲げたように、一人一人が違いを認め、弱さを受けとめ合って、互いを大切にしていくことができますように。地域の人の生活が守られ、支えられますように。

◆子どものために祈ります。芽含幼稚園をはじめ、教会学校や、済美高校、金城学院高校、地域の子どもたちに、あなたの恵みがありますように。新学期がはじまって、新しい挑戦を始めた人、躓いている人、それぞれに、あなたの助けがありますように。

◆青年のために祈ります。華陽教会の青年や中部学院大学・短期大学の学生たち、金城学院、名古屋学院、北陸学院の学生たち、地域の青年に、あなたの導きがありますように。困っている人、悩んでいる人、それぞれに、あなたの知恵と力がもたらされますように。

◆高齢者のために祈ります。華陽教会の年配の方々や鷹見町、岐阜市の年長の方々に、あなたの祝福がありますように。心と体の健康が支えられ、豊かなつながりがもたらされ、事故や孤立から守られますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌18番「あの方が独り子を」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった3名、同時に視聴された2名、計5名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。