ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『パンをくださいと言えなくて』 ヨハネによる福音書6:1〜15

日曜礼拝 2024年2月11日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。(フィリピの信徒への手紙4:19)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌二編の189番「丘の上の教会へ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆全ての者を癒される、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。この一週間、思いと言葉と行いによって罪を犯し、あなたを悲しませてしまったことをゆるしてください。どうか今、私たちが傷つけた人、怒りをぶつけた人を癒し、回復させてください。

◆私たちの神様。この一週間、自分自身も傷つけられ、痛みと苦しみを覚えてきた、一人一人を顧みてください。どうか今、私たちの心と体の傷を癒し、変化と回復をもたらしてください。

◆私たちの神様。あなたは心に平安をもたらし、大切な言葉を与えてくださいます。どうか今、心を乱す様々な事柄に惑わされず、あなたの声を聞かせてください。これから後、新しい人として主に仕え、あなたの栄光を現すことができますように。

◆パンと言葉を分けられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書6:1〜15(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編95:1〜11(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の198番「二ひきのさかなと」を歌いましょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。(差し支えない方はお立ちください)

 

VĂN HỒNG PHÚC BÙIによるPixabayからの画像

メッセージ

大勢の群衆が、自分の後を追ってくるって、けっこう恐ろしい光景です。自分の後ろにたった一人でも、誰かがピタッとついてきたら、何をされるか、思わず不安になってしまいます。しかも、男だけで5千人以上、ゾロゾロついてきたとしたら、普通はパニックになるでしょう。

 

実は、この少し前、イエス様がベトザタの池で、体の不自由な男を癒したあと、多くのユダヤ人たちが、イエス様を殺そうと、狙うようになっていました。なぜなら、イエス様はユダヤ人の掟で「仕事をしてはいけない日」と定められた安息日に、男を治療し、床を担がせ、歩かせていたからです。

 

さらに、神様を自分の父と呼んだため、「人間のくせに、自分を神に等しい者だと言っている」と、ユダヤ人たちを怒らせ、よくない教えを広めていると、議論の的にもなっていました。そんな中、大勢の群衆が、自分の後を追ってくる……しかも、湖の向こう岸へ渡っても、なお、しつこく追ってくる。

 

おそらく、皆さんの多くは、大勢の群衆が、イエス様の後を追ってきたのは、イエス様の話を聞きに来たか、病気を癒してもらうためだった……と思うでしょう。実際、2節には「イエスが病人たちになさったしるしを見たからである」というふうに、ちゃんと理由が書かれています。

 

しかし、彼らは、病人が癒やされたのを「見たから」ついてきたのであって、自分が癒やされるために、身内を助けてもらうために、ついてきたのではなさそうです。この後、イエス様は山に登ったり、湖を渡ったり、再び山へ戻ったりしますが、その間に、イエス様へ病気を癒してもらおうと、声をかける人たちは現れません。

 

私もずっと不思議でした。イエス様が、5千人以上の人々に、パンと魚を分けたあと、すぐに一人で退いて、姿を消してしまったことが……これだけ多くの人が、病気を癒してもらいに、身内を助けてもらいにきたのであれば、イエス様が彼らを置いたまま、姿を消してしまうのは、ちょっと考えにくかったからです。

 

けれども、そもそもここに集まった人たちは、湖を渡ったり、山を登ったり、あちこち進んでいくイエス様をしつこく追いかけられるくらい、元気な人のようでした。イエス様に分けられたパンと魚で、全員のお腹が満たされたあとも、病気を癒してもらおうとする人はなく、むしろ、自分たちの王にするため、イエス様を連れて行こうとしてきました。

 

けっこう元気ですよね……? 考えてみれば、イエス様が湖を渡ろうとする前に、人々と話していた内容も、決して歓迎されている雰囲気ではありませんでした。神様を自分の「父」と呼ぶイエス様に、ユダヤ人たちは反感を覚え、イエス様が安息日に病人を癒した業も、素直に神様の力とは思えないでいるようでした。

 

おそらく、彼らがイエス様を追ってきたのは、病気を癒してもらうためでも、イエス様の教えを聞くためでもなく、イエス様が何者なのか、捕えるべき相手なのか、知るためだったんだと思います。そもそも、イエス様はベトサダで、安息日に病人を癒したときから、命を狙われている人でした。

 

そう思うと、このシーンもだいぶ印象が変わってきます。「イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、『この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか』と言われた……フィリポは仰天したでしょう。いやいや先生……あの群衆が、あなたに何をするか分かりません。パンなんてあげている場合ですか?

 

そう、これって、イエス様に好意的な、歓迎的な人々が、追いかけてきたシーンではないんです。何かきっかけがあれば、いつ飛びかかってきてもおかしくない、イエス様を疑問視する人たちの塊なんです。それなのに、イエス様は自分を追ってきた人たちのために腹を満たそうと提案します。

 

「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」……聖書には、イエス様がこう言ったのは、フィリポを試みるためであったと書かれていますが、何を試みたんでしょうか? 明らかに「パンを買える場所を答えられるか」ではありません。「彼らのために、パンを用意することを、あなたも賛成してくれるか?」という問いかけです。

 

当然、弟子たちもイエス様が安息日に病人を癒したことで、ユダヤ人たちに命を狙われていると知っています。おそらく、湖を越えて近づいてくる群衆は、自分たちに剣をかまえた軍隊のように見えたでしょう。困ったフィリポは、それでも何とか答えます。「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」

 

さらに、ペトロの兄弟アンデレが、イエス様にこう言います。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」……2人とも、群衆のためにパンを用意することを、正面から反対はしませんが、「これだけでは足りないので、彼らの分もパンをください」とは言えません。

 

弟子たちが最初に見たイエス様の奇跡は、足りなくなったぶどう酒を増やす奇跡です。ただの水を良いぶどう酒に変えてしまった、あの奇跡……同様に、足りなくなったパンを見つめて、思い出さなかった弟子はいないでしょう。けれども、彼らは言い出せません。イエス様の後を追ってくる群衆のため、パンをくださいと言えません。

 

だって、彼らは襲ってくるかもしれません。襲いにきたのかもしれません。パンを用意するよりも、さっさと距離を取りたかったのが本音でしょう。ところが、イエス様は落ち着いて、少年からパンと魚を受け取ると、追いかけてきた群衆を座らせ、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられます。欲しいだけ、満腹になるまで……。

 

ちょうど、過越祭が近づいているときでした。過越祭では、神殿で小羊が屠られ、種無しパンと小羊の肉をメインとした、過越の食事を家族で取ります。イエス様は、自分のことを、よく「小羊」と表現しました。洗礼者ヨハネも、イエス様のことを「神の小羊」と言いました。

 

まさに、自らを「過越の小羊」として差し出す方が、自分を追いかけてきた群衆にも、「取って食べなさい」と分け与えます。いつ、自分を捕まえて、最高法院へ引きずっていくか、自分を都合よく捉えて、王にしようと引っ張っていくか分からない相手に、空腹を満たすようパンを渡します。

 

彼らもまた、イエス様に「パンをください」と言えなかった人たちです。そもそも、パンをもらえるなんて思ってもいなかった人たちです。だって、自分たちはイエス様のことを捕えるべきか、持ち上げるべきか、値踏みしている者だったから……神様を自分の父と呼ぶ人が、本当に神の子だとは思っていなかったから……。

 

可哀想な者、弱っている者、従順な者のように、分かりやすく、イエス様が手を差し伸べてくれそうな人たちだけが、パンをもらったのではありません。そこには、イエス様を裏切る人がおり、イエス様を見捨てる人がおり、イエス様に楯突く人がいました。パンをもらって当然とは思えない人がたくさんいました。

 

信じていなかったけど、疑っていたけれど、詰め寄ってしまったけれど、自分のために感謝の祈りを唱えて、分け与えてくれるイエス様に出会った……それこそが、5千人の給食の奇跡だと思うんです……あなたも、そこに居た一人でした。御言葉のパンを与えられ、足りないものを満たされた、イエス様に迎えられた一人でした。

 

さあ、少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい。こぼれ出たパン屑を、溢れ出たパン屑を集めて、さらに配れるようにしなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌24番「イェスは教あなたを」(©️柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

 

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、先週の教会懇談会を振り返り、華陽教会を地域に知ってもらうために、どのような工夫がしていけるか、共に考えつつ、アイディアを出していきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様、今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたは食べて満足し、良い土地を与えてくださったことを思って、あなたの神、主をたたえなさい。(申命記8:10)

 

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し、御顔の輝きを、わたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった22名、同時に視聴された3名、計25名が参加されました。後から動画や原稿を通して祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後の昼食と教会懇談会にもたくさんお集まりくださり、ありがとうございます。リクエストのあった、聖書研究祈祷会の「夜の部」についてと、リードオルガンのミニコンサートについて、本日から役員会で話し合っていく予定です。

 

なお、今週の水曜日から、イエス様が私たちのために受けられた苦しみと十字架の死を思い起こし、自らの罪を悔い改めて、復活を祝う準備をする受難節(レント)に入ります。去年から、この時期に受洗勉強会を水曜日の聖書研究祈祷会後に行っています。

 

洗礼を希望する方も、決心はしていないけれど学びに興味のある方も、既に洗礼を受けているけどもう一度学んでみたい方も、自由に参加できるようにしています。よかったらご参加ください。それではまた、日曜日まで皆さん一人一人に神様の平和がありますように。