ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『どうして訴えられたのか?』 使徒言行録22:30〜23:11

聖書研究祈祷会 2024年2月7日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の455番「神は私の強い味方」を歌います。最後の「アーメン」は、つけずに歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もこうして、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、教会懇談会を開き、役員会や総会で取り上げて欲しいことをみんなで共有することができました。どうか今、思い切って話してくれた一人一人と、一緒に聞いてくれた人たちに、あなたの恵みが豊かにありますように。

◆私たちの神様。華陽教会をより多くの人に知ってもらって、地域から身近に感じてもらえるように、オルガンコンサートや入り口のレイアウトなど、様々な意見が出ています。どうか今、新しいことを始めようとする私たちに、あなたの力を与えてください。

◆私たちの神様。お昼から始めている、この聖書研究祈祷会も、夜なら出られる人たちがいます。どうか今、一緒に聖書を読みたい人たちが、少しでもたくさん来られるように、来年度の準備と計画をさせてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録22:30〜23:11の新共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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succoによるPixabayからの画像

メッセージ

エルサレム神殿の境内に、異邦人を連れ込んだと勘違いされ、ユダヤ人たちにリンチを受けた宣教者パウロは、かけつけたローマ帝国の千人隊長から尋問を受け、騒動の原因を調べられます。けれども、パウロはどういうわけか、自分がユダヤ人たちに訴えられ、殺されかけた理由について、ストレートに証言してくれません。
 
「ユダヤ人しか入ってはいけない神殿に、私が異邦人を連れ込んだと勘違いされ、これほどの騒動に発展してしまったのです」……一言、そう申しを開きすれば、もっと早く、解放されたと思います。ところが、パウロは自分を連行した千人隊長に、直接証言をしようとしませんでした。
 
まずは、ユダヤ人に話をさせてくれと頼み、ユダヤ人にしか分からないアラム語で弁明を始め、千人隊長ら、ローマ帝国の人間には、まともに話を聴かせません。自分が鞭打たれそうになり、ローマ帝国の市民権を持っていると明かした後も、直接、千人隊長へ何があったか説明した様子はありませんでした。

不思議です。千人隊長はパウロから話を聞きたいのに、ちゃんと聞く耳を持っているのに、パウロは一貫して、千人隊長ではなく、自分を殺そうとしたユダヤ人たちに話す機会を得ようとします。でも、彼が解放されるのに必要なのは、自分を連行したローマ帝国の人間に対する弁明です。ユダヤ人を説得する意味は、そんなにありません。
 
そんな中、先ほど読んだ聖書箇所では、千人隊長が、「なぜパウロがユダヤ人から訴えられているのか、確かなことを知りたい」と思って、祭司長たちと最高法院全体の召集を命じたことが書かれていました。しかし、ユダヤの総督ならいざ知らず、千人隊長に、最高法院の招集の権限があったかは、たいへん微妙なところでした。
 
そもそも、ここで最高法院を開く必要は本来ありません。パウロが素直に、千人隊長へどうしてこうなったか聴かせれば済む話です。それなのに、越権行為になり得るという、危ない橋を渡ってまで、千人隊長がユダヤ人の最高法院を招集したのは、パウロが、自分に対して、まともに証言しない態度を崩さなかったからでしょう。
 
自分たち、ローマ帝国の取り調べにはまともに反応してくれない。しかし、彼はローマ帝国の市民権を持っているため、適当に扱うわけにもいかない。こうなったら、ユダヤ人たちの最高法院を招集して、そちらで訴えを聞かせてもらい、取り調べを進めていくしかない……そんな事情があったのかもしれません。
 
事実、最高法院でパウロが話した内容は、千人隊長に自分の無実を知ってもらうための弁明ではありませんでした。むしろ、ユダヤ人の間に亀裂をもたらす内容でした。彼は、議員たちに、大祭司が律法に従わず、自分の口を塞ごうとしていることを強調し、ふさわしくない指導者であると暗に示し、分裂の種を作ります。
 
さらに、死者の復活を信じるファリサイ派と、死者の復活を認めないサドカイ派が同席しているのを知って、彼らにミスリードをもたらします。「わたしは生まれながらのファリサイ派です。死者が復活するという望みを抱いていることで、わたしは裁判にかけられているのです。」
 
これを聞いたファリサイ派は、いっきにパウロの味方となり、「この人には何の悪い点も見いだせない。霊か天使かが彼に話しかけたのだろうか」とまで言い始めます。でも、実際には、パウロが訴えられ、殺されかけた理由は、神殿の境内に異邦人を連れ込んだと勘違いされたためであって、復活論争は、今回の件と直接関係ありません。
 
それなのに、ファリサイ派の人間はおろか、サドカイ派の人間からも、パウロの発言に突っ込みが入らず、ユダヤ人同士が対立して、裁判は成り立たなくなります。どうやら、パウロを訴えた人たちも、大半は、彼がどうして捕まったのか、何がきっかけで責められたのか、ちゃんと知らなかったみたいです。
 
いやいや、神殿の境内から引き摺り出して、殺そうとまでした人たちが、何でパウロを訴えたのか、ちゃんと分かっていなかったってどういうこと?……そう感じるかもしれません。でも、テレビやSNSで叩かれている人たちが、学校や職場で噂されている人たちが、何で悪く言われているのか、事実はどうなのか、検証している人は少ないでしょう。
 
教会の中でさえ、誰かと誰かの言い分をきちんと検証して、事実確認をして、責めたり庇ったりしているとは、言い難い現実がありますよね? 最高法院が分裂した様子は、私たちが身勝手に誰かの言い分を鵜呑みにして、もとの事実を確認しないで、非難したり裁いたりして、会衆が分裂してしまう様子と重なってくるかもしれません。
 
自分を殺そうとする人たちとはいえ、パウロは何でこんなことしたんでしょう? 最高法院を開いて、彼らを分裂させる意味はあったんでしょうか? そんなことより、さっさとローマ市民の裁判にかけられ、無実を認められ、ユダヤ人たちに狙われないようこっそり逃がしてもらった方が、はるかにマシな気がします。
 
けれども、パウロが千人隊長とまともに話をするようになるのは、彼がこの後、ユダヤ人の一部に暗殺されそうになってからです。それまでは、できる限り、ローマ帝国とのやりとりを拒んでいるように見えてきます。実は、異邦人宣教を精力的に行ってきたこの時点でも、パウロはローマの人々に証言するということに抵抗があったのかもしれません。
 
生粋のユダヤ人を自称し、異邦人との接触を拒む「生まれながらのファリサイ派」を名乗っていながら「生まれながらのローマ市民」という複雑な生育歴を持った男……彼は、ローマ帝国に支配された、様々な地域の異邦人に伝道をしてきましたが、自分の母国を直接的に支配している、自分の恥であるローマ帝国の人間にまで、積極的にはなれませんでした。
 
どうして訴えられたのか? 無実かどうか、話を聞こうとする千人隊長にも、心を開けませんでした。しかし、その夜、神様はパウロのそばにたって言われます。「勇気を出せ。エルサレムでわたしのことを力強く証ししたように、ローマでも証しをしなければならない」……あなたがユダヤ人でありながら、ローマ市民であることは、もはや恥ではない。
 
夜が明けると、彼は始めて、千人隊長を頼ります。自分を暗殺しようとするユダヤ人から身を守るため、ローマ帝国の人間に助けを求めます。同様に、私たちも、証言するべき相手を避けて、やりとりを拒んでいる自分に、神様が呼びかけてくる声を、耳にすることになるでしょう。
 
かつて敵対していた者に、拒んでいた者に、恐れていた者に、そして恥じていた者に、勇気を出して、証をすることになるでしょう。そこに、キリストの体が、教会が建てられていきます。私たちの証しの輪が、これからも広がっていきますように。対立が連帯に、分裂が一致に、新しく変えられていきますように。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(千葉県千葉市の土気あすみが丘教会)のために、性的マイノリティーのために、障がい者のために、難病の人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆千葉県千葉市の土気あすみが丘教会のために祈ります。この教会が、創立40年に向けて、宣教のヴィジョンを語り合い、地域の方々へ豊かに福音を伝えていくことができますように。

◆性的マイノリティーのために祈ります。性自認や性的指向を理由に、虐げられている人や不合理な現状に置かれている人、自分の在り方に悩み、苦しんでいる人が、自然に生きられる社会が作られますように。

◆障がい者のために祈ります。発達障害、精神障害、身体障害など、外見に現れるものから、気づかれにくいものまで、様々な困難がある人に、あなたの慈しみがありますように。それぞれのハードルが解消され、生きやすくなりますように。

◆難病の人のために祈ります。あまり知られてない病気や、誤解されやすい病気、理解してもらいにくい病気で、傷ついている人たちに、あなたの癒しがありますように。症状の緩和や治癒だけでなく、周りの理解も進みますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌21番「心騒ぎ不安になる夜に」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。配信終了後の「分かち合い」については、諸事情のため、本日はお休みです。急な変更で申し訳ありません。

 

来週の水曜日は、通常どおり、メッセージ後の分かち合いも14:30まで行う予定です。また、受難節に入るため、14:30から30分前後の受洗勉強会もイースターまで開いています。興味関心のある方は気軽にご参加ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。