ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『そんな無茶振りされても』 イザヤ書41:8〜16、ルカによる福音書9:10〜17

日曜礼拝 2023年2月19日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

                         

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

わたしたちの助けは、天地を造られた主の御名にある。(詩編124:8)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌83番「めぐみのひかりは」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(差し支えない方は、お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆慈しみと恵みをもたらす神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。この一週間、思いと言葉と行いによって誰かを傷つけ、あなたを悲しませてしまったことをお赦しください。どうか今、私たちが傷つけた人、怒りをぶつけた人を癒し、回復させてください

◆私たちの神様。この一週間、様々なことによって私たち自身も傷つけられ、痛みと苦しみを覚えてきました。どうか今、私たちの心と体の傷を癒し、変化と回復をもたらしてください。

◆私たちの神様。この一週間、事故や事件や災害に巻き込まれた人、親しい人を失って苦しんでいる人、今も助けを待ち望んでいる人を憐んでください。どうか今、それぞれに必要な力、安心できる居場所を与え、新しい毎日をもたらしてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書41:8〜16、ルカによる福音書9:10〜17(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編46:1〜12(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の409番「救いの道を」を歌います。(お立ちください)

 

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メッセージ

イエス様が弟子たちに「こうしなさい」「ああしなさい」と言うことの中には、度々、無茶振りとしか思えないような内容がありました。たとえば、弟子たちに向かって、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気を癒す力を授け、人々へ神の国について宣べ伝えるよう命じたとき、次のように言われました。

 

「旅には何も持って行ってはならない。杖も袋もパンも魚も持って行ってはならない。下着も二枚は持ってはならない。どこかの家に入ったら、そこにとどまって、その家から旅立ちなさい。だれもあなたがたを迎え入れないなら、その町を出ていくとき、彼らへの証として足についた埃を払い落としなさい」

 

ようするに、ほとんど何も持たせずに、あちこちの村や町へ遣わし、行き当たりばったりで、泊まるところを見つけて伝道しなさい、と言ったわけです。今、教会の牧師が、伝道師や神学生にこんなことを命じたら、とんでもないパワハラになるでしょう。下手すれば、派遣先の土地で、食べる物も泊まる所も見つからず、野垂れ死なせてしまうでしょう。

 

「資金は出さないし、取り引き先の世話もしないけど、新しい事業を始めなさい」と言ってくる悪質企業(ブラック企業)の上司のようにも見えてきます。いやいや、イエス様の場合は、弟子たちに何も持たせなかったわけじゃなくて、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになったじゃないか……と思われるかもしれません。

 

確かに、悪霊を追い出す力、病気を癒す権能が授けられていることは、訪れた町や村で大きな助けになったでしょう。すぐに弟子たちを「先生」と呼び、一生懸命、話を聞こうとする人が現れるでしょう。ところが、特別な力を持った先生に出会えたと思ったら、その弟子たちは、杖も、袋も、パンも、お金も持っていません。下着さえ替えがありません。

 

弟子たちは、特別な力を授けられたにもかかわらず、行く先々でお願いしなければなりません。「すみませんが、食べ物を分けてくれませんか?」「突然ですが、今夜泊まらせてくれませんか?」「よかったら、下着の替えを用意してもらえませんか?」……人々は弟子たちを見て、すごい人がやってきた、と思ったら、けっこう情けない姿で頼られます。

 

これじゃあ、弟子たちも偉そうにすることはできません。そう、イエス様は、弟子たちを送り出すにあたって、彼らが一方的に頼られるような関係は作らせませんでした。病気や悪霊に苦しむ人たちが弟子たちを頼り、食べ物や泊まる所がない弟子たちが人々を頼り、互いに助け合う関係を作らせました。

 

イエス様の「無茶振り」は、どんな困難に思えることも、信じて突き進めば叶えられるという話に受け取られがちですが、むしろ、どういう関係を作らせたかが大事なんです。後から美談にできる、奇跡的な体験をさせるために、弟子たちを送り出したのではなく、みんなと神の国に入る、互いに愛し合う関係を築くために送り出されたんです。

 

さて、そうやって送り出された弟子たちが、イエス様のもとへ帰ってきて、自分たちの行ったことを残らずイエス様に告げました。当然ですが、遠くまで旅をして、人々の病気を癒し、悪霊を追い出し、大声でイエス様の教えを伝えてきたので、もうヘトヘトです。すぐにでも休みたいと思ったでしょう。

 

そこで、イエス様は彼らを連れて、自分たちだけで、ベトサイダという町へ向かいました。ところが、ベトサイダにイエス様と弟子たちが来ていると耳にして、たくさんの人が集まってきてしまいました。「私もイエス様の話が聞きたい」「あの村で病気を癒した弟子たちに会ってみたい」「うちの子も悪霊から助けてほしい」

 

そうやって、休もうとしていた弟子たちのところへ、次々と人が集まってきます。弟子たちはすっかり困り果てました。「イエス様、もう遅いですし、今日は休みましょう。私たちも疲れているし、先生だって疲れています。みんなを帰らせて、今夜はゆっくりしましょうよ」……たぶん、そんなことを言ったんじゃないでしょうか?

 

けれども、イエス様は集まってきた人たちを見て、彼らを迎え、神の国について語り始めます。治療の必要な人たちを癒していきます。弟子たちも、ただ見ているわけにいかないので、イエス様と一緒に、集まってきた病人を癒したり、みんなが話を聞けるよう並ばせるのを手伝ったりしました。

 

やれやれ、もう一踏ん張りか……ところが、日が傾いて夕方になっても、人々は全然帰る様子がありません。このままじゃ自分たちも休めません。弟子たちはイエス様に懇願します。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」

 

けれども、イエス様はこう返します。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」さあ、恒例の無茶振りです。さすがに、弟子たちも黙っていられません。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり……」

 

自分たちだけでも、このパンと魚の量じゃ足りないのに、成人男性だけで5千人、女性や子供も含めると、約1万人は集まっています。当然ですが、1万人分の食べ物を買いに行くなんて、金銭的にも物理的にも不可能です。長旅の後も休みなく働いてきた弟子たちはもう限界でした。そんな無茶振りされても困ります……と思ったでしょう。

 

そのとき、弟子たちは気づいていませんでした。群衆に対して求めたことが、派遣先の村や町で、自分たちを迎え入れなかった人たちと同じ反応だったことに……「うちに食べ物はありません。どこか他所をあたってください」「ここには泊められません。周りの村へ行って宿をとってください」

 

日が傾きかけ、暗くなってきた時間帯に、何度も、何度も断られ、ようやく、どこかに迎え入れてもらった経験が、弟子たちにはあったはずです。中には、「うちに泊めることはできないけれど、家畜小屋なら空いています」と案内してくれたり、「隣の友人の家に聞いてみましょう」と交渉してくれたり、何とか彼らが休めるように助けてくれた人たちもいたでしょう。

 

けれども、イエス様のもとへ帰ってきた弟子たちは、今度は自分たちが迎え入れる番になって、同じようにはできませんでした。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とイエス様に言われたとき、自分たちにも何とかして食べ物を分け与えてくれた人たちがいたことを思い出せませんでした。ここまで勝手についてきた群衆が、自分たちで何とかするべきだと思ってしまいました。

 

そこで、イエス様は弟子たちに命じます。「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」……そんなことしてどうするんだろうと思いながら、弟子たちは言われたとおり、集まっている人を50人ずつ組にして座らせます。すると、最初はただの群衆だった人たちが、家族同士、ご近所同士で固まってきます。

 

弟子たちの記憶に、以前、自分たちを迎えてくれた村の家、町の家族が蘇ってきます。ああそうだ、これくらいの時間に、空腹だったときに、私を迎えてくれた家があの村にあったな……深夜に食べ物を買いに行ってくれた家族がいたな……自分たちのご飯を半分にして、お皿に分けてくれた人たちがいたな……。

 

イエス様は続けて、5つのパンと2匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱えます。当初は、ただの無茶振りとして、イエス様の言葉を聞いていた弟子たちも、進んで考え始めます。「何とかして、このパン切れを、この50人に行き渡らせよう。あの日、私のお腹を満たしてくれた家族のように」

 

当然ながら、みんなに行き渡らせるため、パンと魚を割いていけば、どんどん細かくなっていきます。人の手で5つのパンを1万人へ綺麗に分けることなんてできません。にもかかわらず、イエス様が裂いては渡し、切っては配らせるパンと魚は、いつまで経ってもなくなりません。人々の間に、十分な食事が行き渡ります。

 

どのようにしてパンが増えたのか、魚が多くなったのか、聖書は記してくれません。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、4つ全ての福音書に記されているにもかかわらず、その増え方は描かれません。パンが大きくなったとも、魚の数が増えたとも書かれません。淡々と、人々に十分な量が行き渡り、みんなが満たされことが記されます。

 

この話は、「信じたら増えた」という単純な話じゃないんです。むしろ、パンや魚が増えると信じた人は出てきません。この話は、イエス様の言葉と呼びかけによって、弟子たちと群衆の関係が、新しく変えられた話なんです。かつて、あちこちの村へ遣わされた弟子たちに、今度は群衆の方が遣わされました。かつて、訪れた者へ食事を提供した群衆に、今度は弟子たちが食べ物を渡しました。互いに遣わされ、互いに分けていきました。

 

神の国の食卓は、こうして築かれていきました。神の国に迎え入れられる関係は、こうして築かれていきました。さあ、私たちもどこかへ遣わされ、誰かを迎える者として送り出されています。ただの無茶振りではなく、新たな関係を築けるように、イエス様に導かれています。共に、この食卓を囲みましょう。共に、賛美と祈りをささげましょう。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌7番「何も変わらないと(A)」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。(お立ちください)

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください)(お立ちください)

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください)(お立ちください)

 

 

聖句と主題

今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。使徒言行録26:16。

 

年間聖句

起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。

 

年間主題

華陽教会では、今年度「これからの教会を考える」というテーマで、使徒言行録26:16を年間聖句にしています。

 

今週は、教会を探している人、礼拝に出たいけど迷っている人、キリスト教に触れてみたいけど不安もある人に、教会として何ができるか、共に向き合っていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様、今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の1節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌います。(A)のところは牧師が、(B)のところは会衆が、(全員)のところは一同で歌いましょう。(お立ちください)

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」(ルカによる福音書9:13より)

 

祝 福

父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙二1:2)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった19名、同時に視聴された10名、計29名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、「岐阜県医療ひっ迫防止対策強化宣言」が5日に解除されたことを受け、先週から「三密を避けた会衆礼拝」を再開しています。教会員も、客員も、求道者も、新来者も、問い合わせなしで集まれるようにしています。

 

教会学校こども礼拝、聖書研究祈祷会、キリスト教ABC講座についても、引き続き、感染症対策をして、誰でも集まれるようにしています。それぞれ体調と相談してお越しください。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。