聖書研究祈祷会 2025年4月9日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書の学びと祈りの会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の53番「神のみ言葉は」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆慈しみ深い神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。
◆私たちの神様。慌ただしい日々の中、いつも、あなたが共にいて支えてくださることを感謝致します。どうか今、調子を崩している人、病気が悪化している人、疲労が溜まっている人に、あなたの癒しと励ましが豊かにありますように。
◆私たちの神様。来週には、キリストが十字架にかけられるまでの一週間、受難週を迎えます。どうか今、イエス様がエルサレムへ入城された、棕櫚の主日を覚えつつ、私たちも救い主を心に迎えられるよう、聖書の言葉を受けとめる知恵と力を与えてください。
◆私たちの神様。キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こす受難節第5週目を迎えています。どうか今、キリストの復活を記念するイースターまで残り2週間、苦しみから解放され、喜びを分かち合えるように、一人一人を導いてください。
◆贖いと平和の主である、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。ヨシュア記10:5〜14の新共同訳を朗読します。会衆席にある旧約聖書354頁です。
同じく、ヨシュア記10:5〜14の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の旧約聖書339頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |

メッセージ
今年度の聖書研究祈祷会は、「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで、聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は、「聖書における時代性」というトピックについて、天体を動かす奇跡が出てくる、ヨシュア記10章5節から14節に焦点を当てて、話していこうと思います。
さて、聖書の中には、御伽噺や神話のような「現実的には思えない話」が度々登場し、どのように捉えるべきなのか、私たちを悩ませてきます。特に、神様がもたらす奇跡の話は、超常現象やオカルトのように感じられるものもあり、本当にそんな奇跡が起こったのか、なかなか信じられないことが多いです。
たとえば、ヨシュア記10章には、イスラエルの兵がアモリ人の連合軍と戦っていた際、敗走するアモリ人を追撃するため、ヨシュアが神様に「太陽が沈むのをとめてください」「月が動くのをとめてください」と祈った話が出てきます。すると、願いどおり「日はとどまり、月は動きをやめ」太陽が丸一日、中天にとどまったと書かれています。
けれども、現実に、天体が動くのをやめたなんて、私たちはなかなか信じられません。物理法則を無視していますし、科学的にありえない話です。神様が人間に与えた「聖なる書物」「神の言葉が記された書物」に、正しくないこと、間違ったことが載っているなんて何を信じたらいいか分からなくなるので、読者は困ってしまいます。
すると、このような「現実的には思えない話」を合理的な説明によって、現実的に捉えることができるんだ、と教えてくれる「親切な人」と出会うことがあります。聖書の記述は科学と対立しているように見えるけれど、実際にはそうじゃなくて、科学と宗教は統一できる、統合できると力説されて、安心し、感動するかもしれません。
ただしそこには、合理的な説明で、聖書を正しく解釈しているように見せかけて、信者を都合よくコントロールする教えが隠されていることもあるんです。もちろん宗教と科学の対立は、悪戯に煽るべきではありませんが、宗教と科学を統一させる、統合させる主張には、科学的にも宗教的にも誠実でない、根拠も検証も不十分な理論が使われています。
たとえば、ヨシュアが神様に「日よ/とどまれ」「月よ/とどまれ」と祈ったとき、実際には太陽や月が止まったのではなく、敵を討つのに必要な時間が短縮されたのだ、という合理的な説明で、納得させられることがあります。ヨシャアから見たら、太陽や月がとまったように見えたけれど、現実にはそうじゃないことが起きていたという理解です。
なぜなら、太陽は地球を中心に回っているのではなく、地球が太陽を中心に回っているため、「日よ/とどまれ」という祈りが、文字どおり叶えられるなら、地球の方が、動きをとめなければなりません。しかし、地球は時速10万7千キロという高速で太陽の周りを回っているため、本当に地球が止まったら、慣性の法則で、地上にあるものは全てふっとんでしまいます。
ヨシュアが生きていた時代は、地上を中心に太陽や月が動いているという「天動説」に近い感覚が支配的で、太陽を中心に地球が動いているという「地動説」は、まだ知られてもいませんでした。そのため、ヨシュア自身は、天体の動きを止めたら地上が壊れてしまうと知らないで、「日が沈まないよう止めてほしい」と願います。
すると神様は、アモリ人たちを逃さないよう、彼らの軍を混乱させ、天から雹を降らせて、一気に敵を打ち倒していきます。ヨシュアとイスラエルの兵も、流れる時間がゆっくり感じられるほど、集中力を高められ、次々と敗走する敵を斬りつけ、あっという間に、敵を滅ぼしてしまいました……このように捉えると、確かに納得できますよね?
神様はヨシュアの願ったとおり、太陽や月が動くのを止めたのではなく、ヨシュアたちの集中力を高めさせ、自分も加勢して、本来なら夜通しかかったはずの戦闘を、日が暮れる前に終わらせてくださった。それを見たイスラエル人は、まるで太陽や月がとどまって一日の時間が伸ばされたように感じたのだ……というわけです。
このように、「聖書は時代性を考えて読まなければならない」「現代の感覚だけで聖書を読んでも、正しく受け取ることはできない」「時代性を踏まえて聖書を読めば、現実的には見えない話も、科学と矛盾しない捉え方ができる」と言われたら、そんな気がしてきますよね?
実際、時代的な制約を受けた聖書の記述や表現を、近代的な視点で捉え直し、キリスト教の信仰が、現代の人々にどのような意味をもたらすのか、理解・説明する聖書の解釈方法を「非神話化」と言い、これ自体は、メインラインのプロテスタント教会でも取り入れられている方法です。直ちに問題となるわけではありません。
ただし、「非神話化」を使って、神様の奇跡や業を合理的に説明し、他の一切の解釈を否定したり、聖書における修辞的な表現が意図するところを軽視して、現代における自己啓発的なメッセージに無理やり結びつけてしまうと、悪質なコントロールに陥ってしまうことがあります。
たとえば、「日はとどまり、月は動きをやめた」という出来事を「神様がヨシュアたちに時間を治めさせ、時間に勝利させてくださったのだ」と言うことで、「だから、時間は大切に使わなければならない」「何に時間を使うか、優先順位をつけなければならない」「優先すべき時間の使い方とは、リーダーの指示に従って組織の活動に取り組むことだ」という結論へ結びつけるような展開です。
キリスト教系の破壊的カルトには、信者に対し、生活の時間の大半を教会の活動へ割くよう促し、全力で奉仕活動や伝道活動に従事するよう、指導しているところがあります。同じ時間でも、効率的に、たくさんの作業をできる者が、神の教えを実践している良い信者だ……と刷り込んで、メンバーに過密なスケジュールを課したりします。
友達と遊ぶ時間より、家族と過ごす時間より、組織の仲間といる時間、教えと活動に取り組む時間が、あなたに成功をもたらしてくれる……実は、自己啓発セミナーや、マルチ商法で使われてきたメソッドを、聖書の記述に無理やりこじつけ、一人一人にノルマを課し、コントロールする手段にしているところもあるんです。
しかし、太陽がとどまる出来事を「非神話化」するのであれば、他にも様々な解釈が可能です。たとえば、ヨシュアがイスラエルの兵を率いて、アモリ人の連合軍と戦った際、「夜通し軍を進めて急襲した」ことが、10章9節に書かれています。そのとき、神は天から雹を降らせて敵を打ち、アモリ人の軍勢を追い詰めたことも記されていました。
「雹に打たれて死んだ者はイスラエルの人々が剣で殺した者よりも多かった」と出てくるので、相当激しく氷の塊が降り注いだと考えられます。当然、太陽や月は見えなかったでしょう。つまり、「日はとどまり、月は動きをやめた」という表現は、「太陽も月も氷の雲で見えなくなって、敵を打ち破るまで雹が降り続いた」と解することもできるんです。
その場合、この出来事は、人間の手柄によるものではなく、神様の大いなる助けによってもたらされた勝利である、ということが強調されます。「どのように戦えば、神様は勝利をもたらしてくれるのか?」ではなく「戦いに勝てないはずの者も神様はどこまでも守り抜いてくださる」というメッセージが語られていることになるでしょう。
このように、時代的な制約を受けた聖書の記述を、近代的な視点で捉え直し、現代の人々にどのような意味をもたらすのか、理解・説明する方法には、たった一つの正しい答えが存在するわけではありません。様々な捉え方の中には、合理的な説明に見えて、組織やリーダーに都合の良い教えを刷り込むものも存在します。
分かりづらい、理解しがたい聖書の話を、綺麗に説明してくれる、納得させてくれる教えが正しいものとは限りません。確かに、聖書は事実をそのまま描いた、単なる記録ではありませんが、「科学的・合理的な説明がつくように見える」という基準だけで、正しい解釈かどうかは図れません。
そして、聖書の記述を素直に受けとめられなくて、疑問や問いが出てくることは、不信仰の証ではありません。疑いは信仰のプロセスです。神に選ばれた指導者も、何度も神様にしるしを求め、イエス様の弟子たちも、何度も教えについて尋ねました。疑わないこと、問いを持たないことが、信仰の証なわけではありません。
なかなか理解できなくても、すぐには信じられなくても、「恐れるな、わたしは必ずあなたと共にいる」と、モーセやヨシュアに繰り返された、神様の言葉に信頼し、各々の疑問や問いかけを大事にしていきましょう。主の平和が、あなたがた一同と共にありますように。アーメン。
とりなし
共に神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている兵庫県南あわじ市の淡路三原伝道所のために、幼稚園の子どもたちのために、教会に来た新来者のために、教会にいる会衆のために祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆兵庫県南あわじ市の淡路三原伝道所のために祈ります。礼拝に集まっている一人一人にあなたの祝福が豊かにあって、新しい出会いが広がっていきますように。教会の知恵と誠実さがますます豊かにされ、地域への使命を果たしていくことができますように。
◆幼稚園の子どもたちのために祈ります。新年度がはじまって、入園・進級した子どもたち、担任・副担任を持つことになった先生がた、子どもたちの保護者一人一人に、あなたの導きが豊かにありますように。教会も幼稚園を支えることができますように。
◆教会に来た新来者のために祈ります。初めて教会へ来てくれた人、久しぶりに礼拝へ来てくれた人、これから来ようとしている人に、あなたの恵みが豊かにありますように。新しい出会いを通して、私たちも新しく変わっていくことができますように。
◆教会にいる会衆のために祈ります。華陽教会に連なる信徒、客員、求道者、それぞれにあなたの祝福がありますように。教会の中で困っていること、葛藤していることに、みんなで向き合っていくことができますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌6番「戻らない世界で」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『偶像崇拝と異性関係』と題して、列王記上17:1〜7のお話しをします。なお、華陽教会ではイースター前の6週間、受難節の間に、洗礼を考えている人や受洗に興味のある人に向けて、受洗勉強会を行っています。
礼拝後に何もない日曜日や、聖書研究祈祷会後に何もない水曜日、第3金曜日のキリスト教ABC講座の後、その他、希望者と牧師の都合が合う日程で、随時、開催していますので、参加したい方は気軽にお申し出ください。
今のところ、4月16日の水曜日と4月24日の木曜日、午後2時半〜3時半に、受洗の学びを開催する予定です。また、受難節が終わった後も、5月4日の日曜日、礼拝後に受洗の学びを追加で開催する予定です。関心のある方は、気軽にご参加ください。
それではまた、日曜日まで皆さん一人一人に神様の平和がありますように。