ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

岐阜市の華陽教会にいる牧師個人のブログ

嘘つきサムソンと正直デリラ? 士師記16:1〜22

聖書研究メッセージ 2018年8月15日

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【女と男の問題】

 女と男の問題……そんなついつい聞き耳を立ててしまうスキャンダラスな話が、士師記13章から16章にかけて描かれる、サムソン物語のクライマックスに出てきます。通常、「英雄の悲劇」として読まれている箇所ですが、どうも、「女性には気をつけろ」という話になりがちなところです。

 

 実際、16章には一人の女性によって力を失い、敵に捕らえられてしまう男の姿が出てくるのですから、ある種自然な読み方ではあります。しかし、イスラエル最後の士師がどのような姿で描かれているのか、その士師を倒した女性がどんな姿勢を貫いているのか、これを丁寧に読み直していくと、単純に、男性に対する女性への警戒を呼びかける話とは違った側面が見えてきます。

 

 皆さんはこの話をどう読むでしょうか? たいてい、ここに出てくるデリラという女性が好意的に見られることはありません。一般的に彼女は嫌われ者で、「こういう女性には気をつけろ」「警戒しろ」という目で見られます。逆にサムソンの方はどうでしょう? 不器用で注意の足りない可哀想な男と見る人が多いかもしれません。

 

 しかし、彼に言い寄られる女性の立場からしたらどうでしょうか? 「あなたはただわたしを嫌うだけで、少しも愛してくださらない」「あなたはわたしを侮り、うそをついたでしょう」「あなたの心はわたしにはないのに、どうしてお前を愛しているなどと言えるのですか」……それが彼に口説かれた女性たちの言葉です。実際、女性に対する彼の態度はあまり良いものとは言えません。

 

 彼は、自分の妻であった女性が焼き殺された後も、特に涙を流すことなく、ガザで見つけた遊女のもとへ入ります……物語全体を通して読むと、単にサムソンに対する同情を誘っているようには見えません。いったいこの箇所から、聖書は何を言おうとしているのでしょうか? まずは、嫌われがちなデリラの方から見ていきましょう。

 

【誘惑か身の危険か?】

 デリラは、サムソンが愛するようになった3番目の女性で、唯一名前が分かっている人物です。上質なぶどうが採れるソレクの谷出身で、ペリシテ人の一人だったと思われます。デリラという彼女の名前は、おそらく「あだっぽい女」という意味だと言われています。

 

 キリスト教会ではその名の通り、自分を愛するサムソンに害悪を為した悪女のように捉えられてきました。しかし、実は注意して読んでいくと、デリラがサムソンを誘惑するシーンは特になく、むしろサムソンの方から彼女に言い寄ったことで悲劇が始まります。

 

 サムソンはかなり惚れっぽく、女性を好きになると後先考えず、強引な行動に出てしまうことが、これまでの章にも書いてありました。一方、デリラは意外と正直者で、サムソンと比べてもかなりフェアな態度を貫いているのです。

 

 5節で彼女は、サムソンに恨みを持つペリシテ人の領主たちから、彼の弱点を聞き出してほしいと要求されます。成功すれば、一人一人が銀1100枚を与えると言うのです。サムエル記上6章4節によると、ペリシテ人の領主は5人だったと書かれています。もし、サムソンの時代も5人だったとすれば、1人1100枚の銀貨が、全部で5500枚支払われるという計算になります。とんでもない数字です。

 

 しかし、逆に言えばこの数字は「引き受けなければどうなるか分かっているな?」という含みがあるようにも聞こえてきます。デリラの前に、サムソンが愛したペリシテ人、ティムナの女性は、同族から火を放たれて焼き殺されていました。彼らの要求を飲まなければ、期待を裏切って失敗すれば、自分も同じように焼き殺されてしまうかもしれない……そう思わせるには十分な話、覚悟を迫らせる金額でした。

 

【デリラのフェアな態度】

 「金の誘惑に目が眩んだ」と思われることの多い彼女ですが、同時に身の危険を感じさせる話であったことも事実です。デリラはさっそく、サムソンから弱点を聞き出そうとします。どんな誘惑によって、口車によって、サムソンを騙すのかと思いきや、彼女は非常に正直な聞き方をします。「あなたの怪力がどこに秘められているのか、教えてください。あなたを縛り上げて苦しめるにはどうすればいいのでしょう?」

 

 こんな聞き方をすれば、自分がサムソンの弱点を探っていると丸わかりです。騙す気があるのかと聞きたくなるような正面からの質問に、サムソンはふざけて答えます。「乾いていない新しい弓弦七本で縛ればいい。そうすればわたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう」

 

 もちろん、これは嘘でした。しかし、デリラはその言葉を真に受けて、素直に彼を七本の弓弦で縛り上げます。おそらく3回目、4回目と同じように、眠っている間にそうしたのでしょう。

 

 もし、サムソンの言葉が事実であれば、後はペリシテ人たちに襲いかからせれば、任務達成です。サムソンは死に、デリラは身の安全を守って、銀5500枚を手に入れることができます。ところが、デリラがペリシテ人にサムソンをこっそり襲わせることはありませんでした。なんと彼女は、油断しているスキに襲わせたらいいものを、わざわざ事前に彼へ告げるのです。

 

 「サムソン、ペリシテ人があなたに」……もし、本当に彼が弱っていたなら、敵の待ち伏せを知らせたゆえに、逃げ出すかもしれません。チャンスを棒にふるかもしれません。にもかかわらず、デリラはこう告げたのです。実際には、サムソンの言葉は嘘であったため、自分を縛っていた弓弦をいとも簡単に断ち切ってしまいます。待ち伏せした者が襲いかかる前だったので、彼が敵と出会うことはなく、結果的にどちらも死なずに済みました。

 

 デリラは再び、正面からサムソンに問いかけます。「あなたはわたしを侮り、うそをついたでしょう。あなたを縛り上げるにはどうすればいいのか、今教えてください」……今度も偽らずに聞いてくるデリラに対し、サムソンはふざけて答えます。「まだ一度も使ったことのない新しい縄でしっかりと縛れば、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう」

 

 もちろんこれも嘘でした。デリラはもう一度彼を縛り上げ、敵が待ち伏せている間に「サムソン、ペリシテ人があなたに」と告げてきます。今回も、サムソンは腕の縄を糸のように断ち切ってしまいました。どうやら足の方は何も縛られていなかったようです。もし本当に彼の力が弱っていれば、彼女が敵の待ち伏せを告げた後、その足で逃げていたかもしれません。

 

【秘密を探り当てる】

 こんな調子でデリラは3度、サムソンに正面から弱点を聞き、3度とも彼が眠っている間に襲わせることをせず、結果的に余計な犠牲を出しませんでした。彼女は敵と味方両方に嘘をつくことなく、両方にフェアな態度で臨み、できるだけ誰も傷つかない結果をもたらしたのです。また、デリラは一度も、逃亡を防ぐためサムソンの足を縛ることはありませんでした。

 

 そして4度目、しつこく聞いてくるデリラに、とうとうサムソンは秘密を教えてしまいます。「わたしは母の胎にいたときからナジル人として神にささげられているので、頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、わたしの力は抜けて、わたしは弱くなり、並の人間のようになってしまう」

 

 ナジル人というのは「聖別された者」という意味で、サムソンの力の秘密が、神様にささげられていることだったと明らかになります。今までと違う彼の口調に、デリラは嘘でないと確信し、ペリシテ人の領主たちに使いをやりました。

 

 「上って来てください。今度こそ、彼は心の中を一切打ち明けました」……そして、膝を枕にしてサムソンを眠らせ、人を呼んで彼の髪の毛七房を剃らせたのです。こうしてサムソンの力は抜けてしまいました。しかし、この時もデリラは、寝ている間にこっそり彼を襲わせることはありませんでした。逃げないように縄で縛ることもありませんでした。彼を起こし、こう言います。「サムソン、ペリシテ人があなたに」……

 

 毎回、自分が言ったとおりに弱点を試してきた女……その女に、正直に弱点を教えてしまった日、サムソンは一切警戒することなく、彼女の膝の上で眠っていました。そして、髪の毛を剃られて起き上がった後、敵の待ち伏せを知らされて、あろうことかこう言うのです。「いつものように出て行って暴れて来る」……

 

 彼は、ナジル人として神様にささげられている間、いつも力を与えられてきました。しかし今、自分から弱点を晒し、髪の毛を剃られ、神様にその身をささげなくなったとき、主は既に離れていました。にもかかわらず、サムソンは主が離れたことに、まだ気づいていなかったのです。凶暴な獅子を裂き、何十人、何千人もの敵を倒したときのように、「いつものように」暴れまわることができると思い込んでいました。

 

 自分の力を過信する高慢な態度が露わになります。最後の最後まで、ペリシテ人の待ち伏せをわざわざ知らせてもらえたのに、彼は逃げ出すチャンスを捨ててしまいます。デリラは、馬鹿正直に思える問いかけから始まって、実は最後まで、敵と味方の両方にフェアな態度で臨み、嘘つきに勝利した女性でした。

 

【野蛮なサムソン】

 一方、サムソンの方はどんな人物だったのか……これについてはもう、どうしようもない男だったと言う他ありません。彼は、自分から3人の女性に惚れて、その度に問題を起こします。一人目はティムナの女性で、当時イスラエルを支配していた敵、それも異教の神々を拝むペリシテ人でした。

 

 サムソンは両親に反対されながらも、強引に彼女を妻として迎え、宴会に呼んだ30人の客たちに、解けるはずのない不公平な謎を持ちかけます。「自分しか知らないプライベートなエピソードについて当ててみよ」と言ったわけです。七日間でこの謎に答えられなければ、麻の衣30着と着替えの衣30着を差し出せという、ほとんどカツアゲに近い乱暴な賭け事でした。

 

 客たちは困って、その答えを夫から聞き出すよう、ティムナの女性を脅します。「夫をうまく言いくるめて、あのなぞの意味を我々に明かすようにしてほしい。さもないと、火を放ってあなたを家族もろとも焼き殺してやる」……サムソンは、自分が仕掛けた不公平な賭け事のせいで、愛する女性とその家族が殺されかけているというのに、全く気にする様子がありません。

 

 彼が最終的に答えるのは、彼女を助けるためではなく、彼女にしつこくせがまれたからでした。ティムナの女性はどちらかと言うと被害者です。サムソンは彼女と強引に結婚したにもかかわらず、その後、実家に帰ってしまい、しばらく彼女のもとへ戻りません。長いこと放っておいた末、小麦の収穫の頃になってようやく妻を訪ねます。

 

 しかし、宴会以降、姿を見せなくなってしまったサムソンに、彼女の父親は「あなたが娘を嫌ったものと思い、あなたの友に嫁がせてしまった」と語ります。父親も父親ですが、それを今まで気づかなかったサムソンもサムソンです。どれだけ、彼女を大切にせず、ほったらかしにしてきたかが浮き彫りになります。

 

 妻の家に入ることができなくなったサムソンは、腹いせにペリシテ人の麦畑やぶどう畑、オリーブの木に向かって火を放ち、一気に燃やしてしまいます。自分が妻を放っておいたことは棚に上げ、妻を横取りした友人には一切責めることなく、関係ないペリシテ人たちの生活の糧を奪ったのです。

 

 当然、ペリシテ人たちは「誰がこんな事をしたのか」と騒ぎ、原因がサムソンとティムナの女の家にあると知らされます。生活の糧を燃やされた彼らは、彼女とその父の家に上っていって火を放ち、一家全員焼き殺してしまいました。

 

 自分の野蛮な行動ゆえに、愛する者を焼き殺されてしまったサムソンは、これまた自分のことを棚に上げて、ペリシテ人に報復し、徹底的に打ちのめします。負の連鎖は続き、このことを受けてペリシテ人たちはユダに上って来て陣を敷き、イスラエルの人々を攻撃しようとしました。

 

 イスラエルの士師として立てられた男が、イスラエルに戦争をもたらすきっかけを作ってしまったのです。そんな出来事があったにもかかわらず、サムソンは反省する気配を一切見せず、再びガザへ出かけて遊女と寝たり、ソレクにいるデリラを愛したりと、問題を起こし続けます。

 

 デリラに対しては、彼女が一切嘘をつくことなく、非常にフェアなやり取りをしてくる一方、自分は何度も嘘をつき、彼女が最後に与えた逃亡のチャンスも棒に振って出て行きます。どこまでも自分の暴力に頼っていた男は、こうして敵の手に捕まり、両目をえぐり出され、牢屋で粉を引く奴隷となってしまいました。

 

【イスラエルと重なる姿】

 どうしようもないサムソンの姿は、そのままイスラエルの姿を映し出します。神様に守られ、力を与えられ、様々な困難に打ち勝つ導きを受けてきたにもかかわらず、繰り返し神様に背く生き方をしてきたイスラエル……異教の神々を拝み、律法を破り、不正を行って高慢になっていく姿……彼らもまた、サムソンのように敵に捕らえられ、連れて行かれ、奴隷のような仕打ちを受けることになります。

 

 捕囚の民となったイスラエルは、笑い者にされたサムソンのように蔑まれ、見世物にされ、辱めを受けます。因果応報、勧善懲悪で言えば当然の結果です。こんなどうしようもない人々、神様はもう顧みられないでしょう……ところが、サムソンもイスラエルも、神様から捨てられたままにはなりません。

 

 サムソンの髪の毛は剃られた後、また伸び始めていたのです。彼は、最後の最後に神様から与えられた力を発揮し、建物を支えている真ん中の柱を破壊しました。それによって、建物は敵の上に崩れ落ち、自分ごと敵を滅ぼしてしまったのです。

 

 自分の愚かさゆえに敵に捕まってしまったサムソンが、それでも神様から力を回復されたように、神様に背いたゆえにバビロンで捕囚の民となったイスラエルにも、回復の預言が語られます。自分に偽り、自分を侮り、自分を愛してこなかった人々に、それでも神様はチャンスを与えます。和解と回復の機会をもたらします。

 

 デリラとサムソンとの対比は、まさにイスラエルのどうしようもない姿を浮かび上がらせ、それでもなお、彼らを導く神様の愛が映し出されます。同時に、この物語を通して、神様は私たちにも問われています。「あなたはわたしを侮っていないか?」「わたしにうそをついてないか?」「わたしを本当に愛しているか?」……それらの問いを正面から受け止め、自らの生き方を振り返りつつ、どこまでも私たちを見放さない神様に信頼して歩みたいと思います。