ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『絶対に認めるものか!』 ヨハネによる福音書7:25〜52

聖書研究祈祷会 2018年11月21日

f:id:bokushiblog:20181121162514j:plain

【嫌われ者のイエス様】

 こいつだけは絶対に認めてなるものか……そんなふうに何かと噛みつき、粗探しをしてしまう相手が、皆さんにはおられるでしょうか? 一度こう思った相手には、ちょっとしたことでも、揚げ足を取ってしまいたくなります。何ならその人を否定しようとして、自分が大事にしてきたことさえ無視してしまう……そんな人間の愚かさが、ファリサイ派や祭司長たちの姿にも見られます。

 

 彼らにとって、その相手とは、まさにイエス様のことでした。イエス様は、この世の救い主として神様から遣わされ、病人を癒し、貧しい者や嫌われ者に、赦しと救いを語ってきた人物です。しかし、エルサレムの、特に権威を持つ人たちからは、たいへん嫌われた人物でもありました。

 

 なぜなら、民の指導者的立場である彼らを差し置いて、人々に奇跡を行い、聖書を教え、「この人こそ、我々を助けてくれる救い主メシアだ!」という期待を集めていたからです。しかも、聖書の専門家である彼らの教えを、真っ向から批判することも語っていました。このまま、イエス様が人気を集めていけば、自分たちの立場が危うくなってしまいます。ほっとくわけにはいきません。

 

 ファリサイ派や祭司長たちだけでなく、エルサレム、言わば、イスラエルの首都に住む町中の人々にとっても、イエス様は、祭りのために集まってきた大衆を誘惑し、伝統的な価値観を破壊する人物でした。彼らは、イエス様を信じるのは、律法を学ぶことのできない、無学で、田舎者の、貧しい人たちだけだと考えていました。

 

 「議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。だが、律法を知らないこの群衆は呪われている」……48節でファリサイ派の人たちも語っているように、彼らは、自分たちのような責任ある地位の者は、イエス様など決して信じないと思っていたのです。

 

 一方で、今日読んだ箇所の冒頭では、命を狙われているはずのイエス様が、神殿の境内で堂々と教え始めたにもかかわらず、議員たちが何の反対行動も取らないことに、人々が当惑している様子が記されていました。「これは人々が殺そうとねらっている者ではないか。あんなに公然と話しているのに、何も言われない。議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。」

 

 人々から漏れ出た言葉は、ファリサイ派の思惑とは違って、実は責任ある地位を持つ人の中にも、イエス様を信じる者がいたかもしれないことを匂わせます。事実、ファリサイ派で、ユダヤ人の議員であったニコデモは、イエス様のことを「神のもとから来た教師」と認めていたことが、3章に記されていました。彼の他にも、イエス様を信じるファリサイ派や議員の者が、少しはいたのかもしれません。

 

 けれども、伝統的な価値観を堅持する人々の大多数は、そんなこと思いも寄りませんでした。彼らにとって、イエス様を認めることは、自分たちの権威や正しさを否定することでした。我々こそ聖書を正しく捉え、神の言葉を守っている存在だ! イエスという男が救い主のはずがない! そう訴えるために様々なことを主張しました。

 

【どこから来たのか?】

 25節では、エルサレムの人々が、まずこんなふうに考えたことが記されています。「メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ」……神様が約束した救い主は、普通の人と違って、何か隠された、神秘的な登場の仕方をするに違いない。けれども、イエスという男はガリラヤ出身で、我々はその家族のことも知っている。こんなつまらない登場を、救い主がするわけがない……。

 

 若干、オカルト好きの要素を感じさせるこの発想は、あたかも一般的な考えであったかのように書かれていますが、決してユダヤ教における主流の教義ではありませんでした。むしろ、後期ユダヤ教のファリサイ派では「救い主、メシアたる王は、ダビデの末の出身で、ベツレヘムに生まれる」と期待されていたからです。

 

 事実、42節を見てみると、「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか」と訴える人たちの声が記されており、27節の主張と矛盾しています。エルサレムに住む人々の間でも、救い主の出自については、異なる意見があったようです。

 

 ちなみに、ヨハネによる福音書は4つの福音書の中で最後に書かれたと言われており、おそらく、他の福音書を踏まえた上で記されたと考えられています。イエス様は、成人してから、主にガリラヤを中心に活動していましたが、他の福音書では、生まれたときベツレヘムにいたこと、ダビデの血を引く、ヨセフの家に誕生したことが記されています。

 

 しかし、ヨハネによる福音書では、人々がそのことを知っている様子はありません。皆、イエス様が、ガリラヤで生まれたと思っているかのようです。「メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ」……皮肉なことに、イエス様の出自を知っているつもりの人たちの間で、そのとおりのことが起こっていたのです。

 

【律法主義者の律法無視】

 イエス様は、自分がどこから来たのか分かっていない群衆に、こうおっしゃいます。「わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」

 

 非常に回りくどい言い方をしていますが、イエス様が「その方」とおっしゃっているのは神様のことで、自分は神様のもとから来たことを語っています。ファリサイ派の人々はこれを耳にして、「自分を神の子だと言って、我々の神を冒涜している!」と憤慨し、イエス様を捕えるために下役たちを遣わしました。

 

 ところが、下役たちは、イエス様がこれまで聞いたことのないような話をするのを聞いて、「この人は本当に救い主かもしれない」と思い、捕まえることができませんでした。ファリサイ派の人々は、「お前たちまでも惑わされたのか」と非常に立腹しますが、その中でニコデモはこう口を挟みます。

 

 「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたか確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか」……事実、申命記1章16節〜17節には、裁判についてこう書いてありました。「同胞の間に立って言い分をよく聞き、同胞間の問題であれ、寄留者との間の問題であれ、正しく裁きなさい。裁判に当たって、偏り見ることがあってはならない……」

 

 しかし、ニコデモの注意に対し、自分たちが正しい手続きを踏んでいないことについて、他のファリサイ派は何も答えません。彼らは、自分たちこそ聖書を正しく教えていると主張するにもかかわらず、大事にするべき聖書の掟を、蔑ろにしていたのです。自分たちの権威を守ろうとするあまり、彼らは守るべきもの、信じるべきものが見えなくなっていました。

 

 代わりに、イエス様とニコデモを馬鹿にするような言葉を放ちます。「あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる」……確かに、ガリラヤはエルサレムから見て田舎の村で、軽く見られやすい土地でした。他の人々も「メシアはガリラヤから出るだろうか? いやいやそんなはずはない」というように、ガリラヤから特別な者など現れないと見下していました。

 

 しかし、実際のところ、ユダの王ヤロブアム2世の頃に活躍した預言者、アミタイの子ヨナは、ガト・ヘフェル、すなわち、ナザレ出身のガリラヤ人であったことが、列王記下14章25節に記されています。「よく調べて」みたら、実はガリラヤから預言者が出ることも、分かってしまうのです。

 

 「神を冒涜している」「聖書の教えを歪めている」……イエス様のことをそう批判するファリサイ派や祭司長たちは、結局自分たちこそ、聖書の掟を蔑ろにし、聖書の言葉を理解せずにいることが、見えなくなっていたのです。

 

【実は誰も信じていない?】

 このように、彼らをはじめとするエルサレムの人々が、イエス様に敵意を見せる一方で、田舎や外国から来た巡礼者からなる多くの民衆は、違った態度を見せました。彼らは、イエス様が多くの奇跡を起こすのを見て、「メシアが来られても、この人より多くのしるしをなさるだろうか」と感嘆し、イエス様を信じるに至ります。

 

 イエス様の奇跡を見ても決して信じなかった、ファリサイ派の姿と対象的です。何を守るべきか、何を信じるべきか、見えなくなっていた彼らより、いくらかマシな人々に思えます。しかし、ヨハネによる福音書では、「奇跡を見たから信じる」という態度は、表面的な信仰と捉えられ、真の信仰とは区別されます。イエス様も人々に対して、自分の奇跡を「見て」信じることよりも、「見ないで」信じることを求めました。

 

 けれども、聖書の中で、イエス様を信じたと書かれている人たちのほとんどは、イエス様の奇跡を「見た」から信じた人々でした。結局、その人たちも、やがてイエス様が十字架にかかり、自分たちの期待するような軍事的な王ではないと知ると、失望し、あっさり見捨ててしまいます。

 

 ヨハネによる福音書では、繰り返し、「信じる者」と「信じない者」とが対比されて出て来ますが、本当の意味でイエス様を救い主と信じていた人は、誰もいなかったんじゃないかと思わされます。イエス様を「絶対に認めるものか!」と思っていた人たちも、「この人こそ救い主だ!」と思っていた人たちも、最終的には、イエス様が十字架にかかるとき、皆、怒りか悲しみに支配されていたからです。

 

 現代においても、クリスチャンとそうでない人がいるように、「信じる者」と「信じない者」という見方が発生します。しかし、聖書を読んで、イエス様を分かっているつもりの信仰者が、実は聖書を大事にせず、自分の正しさや権威を守ろうとする自らの姿が、見えなくなっている……そんな現実があることを、この箇所は思い出させます。

 

 イエス様は、そんな私たち一人一人に対し、見えない神様のもとからやって来て、見えない神様のもとへ導きます。守るべきもの、信じるべきものが見えなくなっている人たちの目を開かせ、愛と平和の業に導きます。37節から39節には、イエス様のこんな言葉が記されていました。

 

 「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」……イエス様が「生きた水」「命の水」について最初に語ったのは、サマリアの女性に対してでした。4章に出てきたこの女性は、最初、イエス様が何者か分からず、「あなたはわたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか?」と言ってしまった人物です。

 

 にもかかわらず、彼女はイエス様と話した後、喉の渇きも忘れて、町中の人にイエス様のことを話し始めます。守るべきもの、信じるべきものが分からなくなっていた人の目に、頼るべき方が誰なのか、見えるようにされたのです。彼女は確かに、イエス様から命の水を与えられ、生き生きと歩むことができるようになりました。

 

 この水が、生きた水が、全ての人に与えられます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」37節の言葉は、マタイによる福音書11章28節の言葉も思い出させます。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」渇き、傷つき、疲れている者、信じるべきものが見えていない全ての人を、イエス様は招かれました。その招きに、一人一人答える時が訪れるよう祈っています。