ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『母の話は照れ臭い』 マタイによる福音書15:21〜28

証 2018年10月16日         

      

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 今日はもともと、母の日を覚える礼拝として2人の信徒に証をしてもらう予定でしたが、そのうちの1人が病気で来られなくなったため、急遽、その方に代わって牧師も証をすることになりました。今回はそちらを載せようと思います。

 

【証】

 私の母について教会できちんと話したことはそんなになかったと思います。父については礼拝や就任式でも話したことがありますが、なぜか母のことになると照れ臭いのか、まとまった話をすることはありませんでした。

 

 私の母は、もともと日本基督教団の教会ではなく、滋賀県甲賀市にある福音派の単立教会に通っていました。洗礼を受けたのは小学校4年生、中学生の頃にはもう教会学校の教師を手伝っていました。

 

 こう言うと、真面目で熱心なお堅い感じのクリスチャンなのかな、と思うかもしれませんが、むしろ、天然でおっとりした人間です。

 

 そんな母が神学部を受験しようと思ったのは、自分の受け持つ教会学校の子どもたちがきっかけでした。ある日、教会に通っていた二人の子どものご両親から、怒りの電話がかかってきました。

 

 たまたま教会で電話を受け取った母は、厳しい口調でこう言われました。「あなたのところに通っているせいで、うちの子が仏壇に手を合わせなくなった。死んだ人は神様じゃないと言ってきた。もう教会に通わせることはできない」

 

 母はどう答えたらいいかわからず、オロオロしてしまい、そのまま電話を切られてしまいました。向こうの親も、自分の知らないところで子どもたちに起きた変化が怖かったんでしょう。

 

 その家から来ていた女の子と男の子の兄弟は、毎週教会で遊ぶのを楽しみにしていました。けれども、その日からもう二人の姿を見ることはありませんでした。母は「あの時なんと答えたらよかったんだろう……」とずっと悩み続けていました。

 

 神学部へ行ったら、こういうときどうすればいいか分かるかもしれない。子どもたちと教会のつながりを保てるかもしれない。そう思って、母は神学生になることを決心しました。

 

 そして神学部へ行くようになってから、牧師を目指していた父と出会うことになります。やがて、神学部を卒業して結婚した二人の間に、私と弟が生まれました。

 

 母は直接牧師にはなりませんでしたが、神学部へ行くきっかけだった教会学校の先生を続けました。

 

 教会学校にくる子どもたちにも、息子である私たちにも、自分の考えを押し付けることは一度もありませんでした。洗礼を受けるように、牧師になるようにと、直接言ってきたことはありません。

 

 私の「伸良」という名前も、「信じる」の「信」という字を使うと、信仰を押し付けているようだから、伸び伸びと生きるように「伸びる」という字を使おうと、父と一緒に決めたそうです。

 

 実際、母が私たちを育てるやり方は、かなり伸び伸びとしていました。日常の色んなところでお茶目な悪戯をされてきました。

 

 母を見たことのある人は、素直そうな印象から、あまり想像がつかないと思うんですが、実はかなり悪戯好きです。

 

 父の同僚である牧師先生が遊びに来たとき、「チョコレートです」と言って差し出したお菓子が、実はドングリだったという事件は、今でも笑いながら語り継がれています。

 

 私と弟も、高校に進学してからは、毎日お弁当箱を開ける度にドキドキしていました。パッと蓋を開けたら「全部緑!」ということがあって、クラスメートに仰天されたことがあったからです。

 

 どうも全てのオカズを、わざわざレタスで包み込むように盛り付けていたらしく、一瞬、葉っぱしか入っていないお弁当に見えてしまいました。

 

 さすがに弁当箱開けて全部緑は驚くから、もう少しカラフルにできないか? と母に頼んだところ、次の日には普通のお弁当になっていました。

 

 ホッとして、たくあんの乗ったご飯を口の中に入れて噛み締めたところ、パリポリという歯ごたえではなく、なぜジュワッと甘い汁が出てきます。なんと母は、たくあんと見せかけてドライフルーツのパイナップルをそっとご飯の上に乗せていたんです。

 

 そんな、お茶目なエピソードに事欠かない母ですが、子どもの見てないところで命がけの行動をしていることもありました。私たちが中高生の頃、仕事と人間関係のストレスから、父が重度のうつ病になりました。

 

 「死にたい」という思いを、抑えることもコントロールすることもできなくなり、夜中になると自分自身を傷つけたり、睡眠薬を大量に飲んでしまったりすることが続いていました。

 

 ところが一年近く、私たちはその事実を知りませんでした。毎晩母が、二階にいる私たちに気づかれないよう、父を止めていたからです。

 

 やがて、父が家族全員に、自分はうつ病で、症状が出ると人格が変わってしまうこと、長い治療が必要なことを打ち明けたとき、はじめて母の奮闘を知りました。

 

 父本人も、自分をコントロールできない夜の記憶はあやふやだったため、母が隠れたところで踏ん張っていたことは、ほとんど誰にも認識されていませんでした。

 

 最初に読んだ聖書の言葉は、そんな母に対しても、イエス様が語ってくださった言葉のように、私は思うんです。

 

「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」

 

 悪霊にとりつかれた娘のため、叫びながらついてきた女性、周りの人にも弟子たちにも冷たい反応をされ、非常に孤独な戦いをしてきた母親。彼女の奮闘に対し、イエス様は最後に振り返って、「あなたの信仰は立派だ」と呼びかけます。

 

 子育てほど、自分の奮闘が見てもらえない、認めてもらえない、理解してもらえない働きはないかもしれません。けれども、イエス様は最後みんなの前で、「あなたの信仰は立派だ」と宣言されます。

 

 皆が冷たく反応してきたあなたの奮闘は、神様に受け入れられ、慰められ、立派だと言われる……私も、今まで話してこなかった、隠れたままだった母の姿を語ることで、この知らせを証ししたいと思いました。

 

 皆さんも一緒に、今この場にいる兄弟姉妹へ証の務めを果たしましょう。私たちが信じるキリスト教の教えを要約した『使徒信条』をご覧ください。共に、信仰を告白しましょう。