ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

岐阜市の華陽教会にいる牧師個人のブログ

『死の準備』 マルコによる福音書14:10〜26

在宅聖研祈祷会 2020年7月1日 


『死の準備』マルコによる福音書14:10〜26

 

 

讃美歌

ただいまより、在宅聖研祈祷会を始めます。最初に、オンライン賛美歌「心騒ぎ不安になる夜に」(©️柳本和良)を歌いましょう。こちらの賛美歌は、著作者の許可を得て使用・配信しています。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書の言葉を受け取る時間が与えられ、感謝致します。どうか今、私たち一人一人に必要な力と気づきを与えてください。

◆私たちの神様、日曜日にはみんなと集まれるようになってから、改めて花の日こどもの日の礼拝を行うことができ、感謝致します。どうか今、学校、施設、自宅の中、あるいは外にいる子どもたちに、あなたの恵みと祝福を与えてください。

◆私たちの神様、今年に入って様々なことがありましたが、この半年間、あなたがいつも側にいて守ってくださったことを感謝致します。どうか今、感染症や熱中症、ストレスによる心身症からも、それぞれの健康を守ってください。

◆私たちの神様、もう既に、心や体を侵されている人、痛みや傷を負っている人を助けてください。どうか今、痛みを隠さざる得ない人、周りに気づいてもらえない人たちに、あなたの癒しと回復を与えてください。

◆私たちと共におられるイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書14:10〜26

 

十二人の一人イスカリオテのユダは、イエスを引き渡そうとして、祭司長たちのところへ出かけて行った。彼らはそれを聞いて喜び、金を与える約束をした。そこでユダは、どうすれば折よくイエスを引き渡せるかとねらっていた。除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠る日、弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。夕方になると、イエスは十二人と一緒にそこへ行かれた。一同が席に着いて食事をしているとき、イエスは言われた。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事をしている者が、わたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは心を痛めて、「まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めた。イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取りなさい。これはわたしの体である。」また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。

 

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Free-PhotosによるPixabayからの画像

メッセージ

最後の時を過ごす場所

明日、自分が死ぬと分かっていたら、その日の晩餐が最後の食事になるとしたら、どこで、誰と、どのように味わうか、皆さんは考えたことがあるでしょうか? 死ぬ前の最後の食事になるから、思い出に残る食事にしたい。みんながこの日のことを繰り返し思い出せるように、しっかり準備しておきたい。

 

私ならそう考えるでしょう。自分の家族や仲間、友人たちに、最後の食事を思い出してもらえるように、丁寧に準備をするはずです。思い出の場所、落ち着く場所で、みんなとゆっくり過ごせるように。ところが、イエス様が最後の食事に選んだのは、弟子たちが全然知らない人の家でした。

 

普通なら、前にもみんなで食事をしたことがあるペトロの家や、他の弟子の家で、食事を準備させる気がします。その方が思い出になるし、馴染みのある落ち着いた場所でもあるからです。けれども、実際にイエス様が食事の用意をさせたのは、今まで会ったこともない、都の主人の家でした。

 

当然、弟子たちも会ったことがないので、その家の場所を知りません。イエス様は2人の弟子にこう言います。「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい」……なんと、その見知らぬ男の入った家が、食事の用意をする場所だと言うんです。

 

最期を準備する人たち

落ち着かないですよね? しかも、弟子たちをその家へ導く男も、たいへん奇妙な存在です。「水がめを運んでいる男」……この男の何が奇妙なのか、皆さんピンと来るでしょうか? そう、本来「水がめ」は、男性ではなく女性が運ぶものでした。聖書を読んでいて、水がめで水を汲む女性たちは出てきますが、男性はここ以外出てきません。

 

男性が水を運ぶときは皮袋を使います。たとえるなら、女性ものの鞄を持った男性が往来を歩いているわけです。家父長制の男性中心社会では、たいへん目立つ存在でした。「何あれ?」「何か変じゃない?」「ちょっとおかしな人が歩いている」……周りでそうささやく声が聞こえていたかもしれません。

 

きっと、皮袋を持つこともできない貧しい家だったから、代わりに水がめを使ったんだと考える人もいるでしょう。しかし、この家の主人は、裕福な象徴であった二階建ての家、それも「席が整った」つまり、「敷物が敷かれた」豪華な部屋を持つことができる人物でした。

 

とても、皮袋を買えない貧しい家とは思えません。女性の使用人だって複数雇っていたでしょう。それなのに、わざわざ男性の使用人に水がめを運ばせるって、なかなかチャレンジングです。「あの家は、男の僕に水がめを運ばせていた」と奇異な目で見られるわけですから。

 

そして、その男についていくよう弟子たちに命じ、彼の入った家で食事の準備をさせたイエス様も、チャレンジングな方でした。確かに、思い出に残るシーンでしょう。多くの人から奇異な目で、クィアな存在として見られる人物に、最後の晩餐、死ぬ前の食事をする家へ案内させる。しかも、その晩餐は聖餐式を形作った「主の晩餐」でもありました。

 

最初の聖餐式、キリストの死と復活を思い起こす食卓が、「奇妙な」「クィアな」人物によって案内されたんです。同時に、イエス様の死を準備した人たちも、世の中の人から奇妙に、クィアに見られる存在でした。食事の最中、突然、イエス様の頭に香油をかけてきた女性、髪の毛で足を拭った女性、埋葬に使われる薬や油をプレゼントした異邦人。

 

自分の死を準備させる、みんなに思い出してもらう最後のシーンを整えさせる。そんな重要な場面に、普段爪弾きにされていた、大切に扱われなかった人々が用いられ、一人一人の価値を取り戻されていくんです。

 

彼らの多くは、社会的な嘲笑だけでなく、宗教的にも嫌悪感を持たれた人たちでした。人種、民族、セクシュアリティを理由に奇異な目で見られてきた人たち、多数派から見て偏りのある行動をとる人たちが、全ての人を死から解放するイエス様の大切な業に用いられてきたんです。

 

神の国への案内人

かつて、私が喧嘩別れした恩師の一人が亡くなったとき、その先生の葬儀には、世の中で奇異に見られている、たくさんの人が集まりました。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、自分の性が分からない人。

 

アルコール・薬物依存症の人、自傷行為を繰り返す人、セックスワーカーもいれば、牧師もいました。私はその場に行けませんでしたが、後から記録に残った映像を見させてもらいました。葬儀なのに、明るい虹色で飾られた式場、希望を感じさせる場所。

 

普段、静かで、厳かで、シンッとした雰囲気の葬儀に慣れている私たちには、落ち着かない場所でもありました。しかし、その場所を用意した人、その場所に案内した人たちによって、悲しみを覚える一人一人に、命の喜び、復活の希望、新しく生まれる喜びを思い出す瞬間が生まれました。

 

そう、イエス様は自らも奇異に見られながら、「変な人」「おかしな人」と爪弾きにされる人々を、神の国へ招くだけでなく、神の国へ案内する使者として、新しく立てていきました。あなたも、私も、その一人なんです。信じられないことに、聖書の言葉を聞いたあなたは、神の国へ他の人々を招く使者、案内人でもあるんです。

 

裏切る者、見捨てる者、生まれてきたことを悔やむ者にも、イエス様はご自分のパンと杯を与えて言われました。「やがて来たる神の国で、あなたがたと共に新たに飲む日がやって来る」……そこへ招かれ、そこへ案内する者として、あなたも神様の恵みと祝福を受け取りましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(愛媛県西条市の伊予小松教会)のために、今年度に入ってから一度も教会へ来られなかった人のために、病院、介護、福祉の現場で働く人たちのために、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィアな人たちのために祈りを合わせます。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆愛媛県西条市の伊予小松教会のために祈ります。代務者をしている牧師の上に、教会と地域を支える信徒の上に、これから招かれる新来者の上に、あなたの導きが豊かにあって、それぞれ祝福を受けることができますように。

◆今年度に入ってから一度も教会へ来られなかった人のために祈ります。病や怪我、介護や仕事、人間関係の問題ゆえに、長期間教会へ行けなかった人たちに、あなたの慰めと希望がありますように。新たな繋がりと癒しをもたらしてください。

◆病院、介護、福祉の現場で働く人たちのために祈ります。人手が不足している中、できないことを責められ、不満をぶつけられ、どうしたらいいか分からなくなっている人たちに、あなたの憐れみと助けがありますように。

◆レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー、クィアな人たちのために祈ります。自分の性に悩んだり、伏せたり、笑われたりする人たちに、あなたのお守りと励ましがありますように。どうぞ、周りの理解と知識を深めさせてください。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌「恐れ惑うこの身に」(©️柳本和良)を歌いましょう。こちらの賛美歌も著作者の許可を得て使用・配信しています。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 

以上で聖書研究祈祷会を終わります。また日曜日まで、あなたに平和がありますように。