ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

岐阜市の華陽教会にいる牧師個人のブログ

『神に近づきたくない』 ヘブライ人への手紙12:18〜29

日曜礼拝 2020年6月28日


『神に近づきたくない』ヘブライ人への手紙12:18〜29

 

 

案 内

今日は、14日に迎えた花の日こどもの日を記念して、改めて子どもたちのためにみんなで祝福を祈ります。例年、皆さんで花を持ち寄って、礼拝後に数名の方へ花をプレゼントしていますが、今年は新型コロナの接触感染を防ぐため、花の持ち寄りとプレゼントは無しにし、子どもたちの祝福も一人一人に手を置く形ではなく、会衆の皆さんで祈りを合わせる礼拝をしたいと思います。

 

招 詞

しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」

(マルコによる福音書10:14)

 

讃美歌

讃美歌21の419番を歌いましょう。前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。マスクをしておられない方は、受付で使い捨てマスクをお受け取りください。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ感謝致します。どうか今、家庭で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様、今日は花の日こどもの日を記念して、改めてみんなと集まり、子どもたちの成長のために祈ります。どうか今、各家庭、各学校、各施設、あるいは外にいる子どもたちの上に、あなたの恵みと祝福を注いでください。

◆私たちの神様、楽しみにしていた舞台や大会、キャンプやお祭りが休止になった子どもたちに、新しい発見と喜びを与えてください。どうか今、目標や楽しみが失われないように、一人一人へあなたの道を示してください。

◆私たちの神様、芽含幼稚園、済美高校、中部学院大学の子どもや学生、職員に、あなたのお支えがありますように。関わり方が変わっても、一人一人に必要な出会いと交わりが作れるように私たちを導いてください。

◆私たちに現れたイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヘブライ人への手紙12:18〜29

 

あなたがたは手で触れることができるものや、燃える火、黒雲、暗闇、暴風、ラッパの音、更に、聞いた人々がこれ以上語ってもらいたくないと願ったような言葉の声に、近づいたのではありません。彼らは、「たとえ獣でも、山に触れれば、石を投げつけて殺さなければならない」という命令に耐えられなかったのです。また、その様子があまりにも恐ろしいものだったので、モーセすら、「わたしはおびえ、震えている」と言ったほどです。しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そして、アベルの血よりも立派に語る注がれた血です。あなたがたは、語っている方を拒むことのないように気をつけなさい。もし、地上で神の御旨を告げる人を拒む者たちが、罰を逃れられなかったとするなら、天から御旨を告げる方に背を向けるわたしたちは、なおさらそうではありませんか。あのときは、その御声が地を揺り動かしましたが、今は次のように約束しておられます。「わたしはもう一度、地だけではなく天をも揺り動かそう。」この「もう一度」は、揺り動かされないものが存続するために、揺り動かされるものが、造られたものとして取り除かれることを示しています。このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。

 

f:id:bokushiblog:20200628090223j:plain

Myriam ZillesによるPixabayからの画像

メッセージ

 

近づきがたい神

旧約聖書を読んでいると「近づきがたい神」というイメージが自然にできていくでしょう。神様が人々の前に現れるときは、風や炎や稲光が伴い、身の危険を感じるような恐ろしい現象が起きました。岩や家畜が真二つに避けたり、近くのものが燃え上がったり、明らかに脅威を感じる現れ方。

 

「これは命が取られてもおかしくない」……そう覚悟せざるを得ないような、破滅と裁きを予感させ、人々は神を見るのを恐れました。もし、直接神様の顔を拝んだら、その場で死んでしまうとも思われました。また、神様のいるところへむやみに足を踏み入れるのは、神様ご自身からも強く禁じられていました。

 

特別に、神様から直接言葉を受ける人は、山の頂まで登らされ、他の人からは見えないように、雲や雷によって隠されました。たとえるなら、自分一人先生から呼び出され、ピシャッと閉じられた職員室で話を聞くような感じです。できれば自分は近づきたくない、違う人を呼んでほしいと、プレッシャーを感じる人がほとんどでしょう。

 

一方で、近づきがたい神様が、自ら私たちの方へやってくることも多々あります。敵地のど真ん中、嵐に遭った海の上、暗い牢獄、乾いた荒れ野……こんなところへ、落ちぶれた自分に、神様がやってくるわけがない。そう思いながら、呼びかける声に振り向くと、やれやれという顔で手を差し伸べる方がいた……そんなエピソードも出てきます。

 

普段は怖いけど、ピンチのときには誰よりも自分を守ってくれるお父さん、必ず見つけてくれるお母さん、あるいは、厳しいことを言うけれど、自分を第一に思ってくれる親友のような存在……そんなふうにたとえられるかもしれません。度々反抗して、耳を貸さなくなってしまうけど、いつも自分を正しい道に戻してくれる声の主。

 

近づいてくる神

今日は、14日に迎えた花の日こどもの日を記念して、改めて皆さんと集まりました。このご時世なので、小さい子どもが安心して集まることはまだ難しく、残念ながら、子どもたちの姿はほとんど見えません。せっかく教会に来てくれても、近くで触れ合ったり、マスクを外して顔を合わせるのが困難な状況です。

 

それこそ、一人一人に手を置いて祈る「子ども祝福式」なんて、多くの教会が今年は見合わせているでしょう。子どもの成長と祝福を祈ってもらおうと、牧師に手を置いてもらいに来たら、その親は「この時期になんてことしてるんだ!」と責められてしまうかもしれません。

 

かつて、イエス様に触れていただこうと、子どもたちを連れてきた人々が、弟子たちに叱られたときのようです。マスクをつけるのを嫌がったり、すぐにベタベタ触ろうとする子どもたちは、あちこちで警戒され、注意される存在でしょう。ソーシャルディスタンスなんて分からない。分かっていてもついやってしまう。

 

「ダメだ、ダメだ、こっちに来たら迷惑になる」「あっちへ行かせても迷惑になる」「大人しくジッとしていなさい」「静かに我慢していなさい」「いっそ家へ帰ってくれないか」イエス様から遠ざけるため、弟子たちに叱られた子どものように、現在の子どもたちもあちこちで叱られ、大切なものに触れる機会を遠ざけられています。

 

今年はそんな状況が、より浮かび上がった年……ジッとしていられない子ども、ルールを守れない子ども、言うことを理解できない子ども。彼らは公共の場や教会から遠ざけられ、迷惑をかけないように、こっぴどく叱られないように、裁きを下されないように、近くへくるのを妨げられます。

 

近づけてくる神

「ほら、神様に怒られるから」「見えないところで責められるから」……過ちを正す方の膨れ上がったイメージによって、さらに呼びかける方から遠ざけてしまう。大切なことを聞けなくしてしまう。そんな状況に陥ったとき、神様はご自分の独り子を通して、私たちにこう言われます。

 

「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである」……正しく振る舞えない存在、知恵や理解の足りない存在、泣いたり喚いたりする存在、けれども、危険を感じ、不安を感じ、恐怖を感じたとき、神様にすがりつくあなたこそ、神の国を受け継ぐ長子である。

 

よだれや鼻水で服を汚し、手を置くと泣き始める子どもたちを祝福しながら、イエス様は優しく宣言されます。恐れることはない。神様はあなたを滅ぼすためではなく、あなたを受け入れるために、あなたを救い出すために、この集会へ招かれた。泣き出す者を叩くためではなく、手を置いて慰めるために、優しく背中を押すために、新しい生き方を渡すために、ここへ来なさいと呼んでいる。

 

既に、神様の方から、イエス様の方から、私たちに近づき、呼んでおられます。私たちもこの呼びかけに応えて、互いに受け入れ、互いに仕え、互いに愛し合う生き方へ変えられていきたいと思います。

 

紹 介                                

本日、初めて教会に来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ受付の方と一緒にお立ちください。今日は( )名の方が来てくださいました。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

こども祝福式

今日は、各家庭や施設にいる子どもたちのために、神様の祝福を祈りましょう。

 

◆神様、あなたはみんなに叱られる子も、大人の前で無理している子も、周りに認めてもらえない子も、ご自分のもとへ招かれます。どうか今、全ての子どもに与えられる祝福を一人一人に示してください。

◆家族や親戚を失った子のために祈ります。どうか今、寂しさや悔しさを抱える子どもたちに、あなたの癒しがありますように。素敵な出会いと新しい交わりをもたらしてください。

◆家族に傷つけられた子、家族を傷つけてしまった子のために祈ります。どうか今、痛みと苦しみを覚える子どもたちに、関係の回復や避難先が与えられるよう、必要な助けをもたらしてください。

◆いじめや差別に遭っている子、また、加担している子のために祈ります。どうか今、不安に襲われている子どもたちに、あなたの慰めがありますように。守ってくれる人の出会いと、必要な気づきをもたらしてください。

◆成長や発達に偏りがある子のために祈ります。どうか今、周りとの違いに苦しむ子どもたちに、あなたの励ましがありますように。自分自身のペースと価値に気づかせてください。

◆人間関係で悩んでいる子のために祈ります。最も配慮されにくい、最も我慢を強いられる子どもたちに、あなたの憐れみがありますように。抱えている痛みや辛さを癒してください。

◆今も、子どもたち一人一人に手を置かれる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。

主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『あなたの内なる人を』(©柳本和良)を歌いましょう。先ほどと同じく、前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

願わくは主があなたがたを祝福し、あなたがたを守られるように。

願わくは主がみ顔をもって、あなたがたを照らし、あなたがたを恵まれるように。

願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜るように。アーメン。