ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『遺体のあった場所を見ろ』 マタイによる福音書28:1〜10

日曜礼拝 2021年4月4日


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案 内

華陽教会では現在の医療提供体制を踏まえて、第一・三日曜日と第二・四日曜日に会衆が半分ずつ、数カ所に分かれて集まる小規模礼拝を行っています。共に今、教会にいる人も自宅にいる人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

招 詞

それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。(ローマの信徒への手紙6:3)

 

讃美歌

マスクをしたままで、旧讃美歌291番「主にまかせよ」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆復活と希望の主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まれたことを感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日からキリストの復活を記念するイースターの礼拝を4回に分けて行います。どうか今、一度に集まることができない私たちに、見えないつながりと結び付きをもたらし、感謝の賛美をさせてください。

◆私たちの神様。あなたは後悔する者に癒しを、責める者に希望を与えてくださいます。本来なら、恵みを受け取れない者が喜べるように、変化と回復をもたらします。どうか今、あなたの赦しと祝福を、ここに連なる一人一人に受け取らせてください。

◆私たちの神様。香港で、ミャンマーで、台湾で、命と尊厳が脅かされている人に、あなたのお守りがありますように。どうか今、墓の前で立ち尽くしている人たちに、キリストの出会いと力を与え、あなたの愛と平和のために連帯させてください。

◆私たちを送り出される、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。マタイによる福音書28:1〜10(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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hudsoncraftedによるPixabayからの画像

 

メッセージ

「遺体があった場所を見ろ」……小説や映画の名シーンに出てきそうな台詞です。次の瞬間、甦った怪物が、背後からみんなに襲いかかる。そんな不吉な展開を予測させます。でも実は、イエス様が復活した日、墓参りにやってきた女性たちも、まさにこの言葉を聞いていました。

 

「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」

 

何者かが大きな地震を起こし、墓の入り口を塞いでいた石をどかして、亡くなった人と親しかった者へそう告げる。まあまあ怖いシーンです。映画の冒頭に出てきたら、たぶん居合わせたこの人たち死ぬな……と考える。安心からはほど遠い、振り向くことがためらわれる、そんな恐ろしい場面です。

 

ところが、女性たちが振り返った所には、遺体の置いてあった場所には、本当に何もありませんでした。復活したイエス様はそこにいません。背後から脅かしてもきません。遺体を包んでいた布が置いてあっただけ。とても静かです。復活の日の朝、女性たちが最初に確認したのは、イエス様の不在でした。ここにはいない、見つからない。

 

ちょうど去年、同じイースターを迎えた日、私は空っぽの教会にいました。新型コロナウイルスの流行によって、在宅礼拝を余儀なくされた日、会衆が集まれなくなっていた日、私は誰もいない教会で、カメラに向かって話していました。まだライブ配信ができなかった頃なので、本当に誰も見てないところで、一人収録をしていました。

 

そして動画をUPすると、改めてみんながいるはずの時間、みんながいるはずのところで、いつものように礼拝を始めました。司会者不在、奏楽者不在、会衆不在の礼拝堂で、見えない人たち、見えない方のことを思いながら、復活の日の朝を迎えました。あの日のことを、皆さんも覚えているでしょうか?

 

信仰が死んでいく、つながりが消えていく、力が失われていく……あるはずのものがなくなった、いるはずのものが見えなくなった。それを確認した日の朝、イースターを迎えた。そんなとき、誰かが言うんです。「遺体があった場所を見ろ」「誰もいない会堂を見ろ」「あの人がいない席を見ろ」……復活の日に、そう聞いた。

 

やめてくださいよ……何でそんな酷なこと言うんですか? コロナのせいで空いた席、亡くなった人がいたところ、イエス様の遺体を置いた場所……何でそこを見ろと言うんですか? 何があると言うんですか? 振り向いたら、探したら、結局そこには何もない! 5月に、11月に、見送ったあの人も座っていない。

 

「遺体があった場所を見ろ」

 

クレイジーな台詞です。もし、「恐れることはない」と天使が言ったとおり、女性たちを安心させたいなら、最初から振り向いたとき、生き返ったイエス様と出会わせればよかった。ほら、帰ってきたよ。ここにいるよ。もう怖くないよ……と。だけど、「恐れることはない」と言いながら、天使はみんなを怖がらせる。

 

「さあ、遺体があった場所を見なさい」

 

そこには何もない。あなたたちが花を添えて、香油を塗って、埋葬しようとした遺体は、動かなくなったあの方は、どっか行ってしまったから。この墓は空っぽです。あの人の席は空っぽです。この教会は空っぽです。そこにいたはずの人は、あなたの知らない所にいます。あなたの予測がつかないことをしています。

 

確かに恐ろしい。経験したことのない状況が私たちを襲います。でも、復活の日の朝、私たちに沸き起こるのは、恐れだけじゃありません。

 

天使は言います。「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお目にかかれる。』」……女性たちは恐れながらも、大いに喜んで、墓を後にします。イエス様の不在は、イエス様が生き返った証になった。

 

彼女たちの他にも、墓を見にいく人たちがいます。他の福音書では、まずペトロが見に行きました。もう一人の弟子も見に行きました。ひょっとしたら、みんなが家に集まっていたとき、外出していたあのトマスも、イエス様の墓を見に行っていたかもしれません。自分たちを捕えるかもしれない番兵が見張っているところへ、危険を犯して見に行った。

 

「遺体があった場所を見ろ」……天使の言葉を伝えた女性たちの話を聞いても、弟子たちはイエス様の復活を信じませんでした。信じませんでしたが、その行動は「信じようとする者」へ変えられます。普通なら見ない場所、見たくもない場所を見に行かせます。そして、墓を出てきたところで、自分を待っている方と出会う。

 

どうか、恐れないでください。イエス様の不在を確認したとき、あなたは復活の日の朝を迎えています。信じたくても、どこにいるのか分からない、目の前にいてくれない方を思うとき、あなたはイエス様が出ていった、あの墓穴の中にいます。「主よ、あなたが見えません!」「あなたの示す希望も見えません!」そう叫ぶとき、あなたはもう、天使の言葉に従っているんです。

 

「さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい」

 

そこにイエス様はいない。あなたの見たい方はいない。でも、あなたが出ていった先に、この方は待っている。あなたより先に行って待っている。恐れながらも、喜んで出てくるあなたのことを迎えるために。「おはよう」と挨拶するために……墓から出るときがやってきました。行って、あの人に会いなさい。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の323番「喜び祝え、わが心よ」1、4、5節を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

紹 介

本日は、あちらにいる( )人の方が初めて来てくださいました。ようこそいらっしゃいました。配信後、ご了承いただいた方のみ紹介させていただきます。ぜひ、これからも神様の平和が皆さんと共にありますように。(*拍手)

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。お手元にあるとりなしの祈りの用紙をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

食卓を囲めない日の祈り

本日は感染症の流行に伴い、パンとぶどう液をいただく聖餐式を休止し、「食卓を囲めない日の祈り」を行います。共に「命のパン」「命の水」である神の言葉を受け取りましょう。

 

招 き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。(ヨハネ6:35)」「わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ6:57)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ4:14)」

 

主は、荒れ野で悪魔の誘惑を受け、空腹の中「石がパンになるよう命じたらどうだ」と言われたとき、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる(マタイ4:4)」と答えました。そうして悪魔は離れ去り、主はガリラヤに帰られて、人々に神の言葉を与えました。

 

今、様々な事情で食卓を囲めない私たちに、主は「命のパン」「命の水」である神の言葉を与えます。食事が喉を通らず水も飲めない人々に、みんなと一緒に食事を味わえない人々に、神様は新しい糧をもたらします。

 

共に、聖書を通して与えられた「神の恵み」「神の祝福」を分かち合う、見えない食卓を囲みましょう。

 

感謝の祈り

恵みと祝福の源である私たちの神様、あなたは私たちの欠乏を満たす「命のパン」「命の水」をお与えになります。孤独に共感を、対立に連帯を、恐怖に信頼をもたらします。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、共に渇き、共に飢え、共に痛みを負われました。

 

ご自分が渇いているときに、孤立した女性に水を求め、新しいつながりを与えました。ご自分が飢えているときに、神の言葉に信頼し、人々に希望を示しました。パンがなく、水がなく、共に食卓を囲めないとき、あなたの言葉一つ一つは、私たちに見えない糧をもたらします。

 

どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和がこの世界を満たしますように。アーメン。

 

とりなし

共に、神の祝福を宣言しましょう。

皆さんの隣に、前に、後ろにいる人、あるいは離れている人へ、イエス様から与えられた良い知らせを伝えましょう。

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる(ルカ23:43)」

司式者:私たちも知らせましょう。

一 同:「主があなたと共におられます」

 

司式者:主は言われます。

一 同:「あなたがたに平和があるように(ヨハネ20:19)」

司式者:私たちも答えましょう。

一 同:「わたしの主、わたしの神よ」

 

応答の祈り

感謝の応答として、共に祈りをささげましょう。

 

信仰と希望と愛をもたらす私たちの神様、今ここで、食卓を囲めない日に、「命のパン」「命の水」であるあなたの言葉を分かち合えたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者がもたらされます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を共に分け合う者として、送り出してください。

 

主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。持ち合わせのない方は、受付でもらった献金袋をそのままお入れください。配信を見ておられる教会の方は、また後日来られたときにおささげください。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「わたしの主がとり去られた」(©️柳本和良)を歌いましょう。(お立ちください)

 

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祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。(マタイによる福音書28:10より)

 

祝 福

願わくは主があなた(がた)を祝福し/あなた(がた)を守られるように。

願わくは主がみ顔をもって/あなた(がた)を照らし、あなた(がた)を恵まれるように。

願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように。(民数記6:24〜26)

 

報 告

本日も、教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の小規模礼拝は、教会に集まった13名、同時に視聴された20名、計33名の出席でした。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週は、小規模礼拝Bグループのイースター礼拝です。「初めて礼拝に参加したい」「集会に出てみたい」という方は、三密回避の人数調整をしているので、ホームページの「問い合わせフォーム」か、電話にてご相談ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。