ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『証人に向かない人たち』 ルカによる福音書24:44〜53

在宅礼拝 2021年5月16日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

招 詞

主よ、あなたに並ぶものはありません。あなたは大いなる方/御名には大いなる力があります。(エレミヤ書10:6)

 

讃美歌

旧讃美歌179番「よろこびあふるる」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。ついに岐阜県でも第3波を超える新規感染者数となり、緊急事態宣言の要請がなされました。どうか今、感染リスクの高い人たちを守り、医療従事者の負担が軽減されるように、私たち一人一人の力を合わせてください。

◆私たちの神様。来週には、イエス様の弟子たちに聖霊が送られたことを記念するペンテコステを迎えます。引き続き、在宅礼拝として、それぞれの自宅から礼拝します。どうか今、家に閉じこもる私たちに、今こそ、あなたの聖霊を送ってください。

◆私たちの神様。日本に滞在する外国人や、海外に滞在する日本人のことを思います。どうか今、行きたいところへ行けない人、帰りたいところへ帰れない人、留まりたいところに留まれない人たちを助け、安らぎと希望を与えてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書24:44〜53(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編93:1〜5(新共同訳交読詩編より抜粋)

交読詩編付きの『讃美歌21』をお持ちの方は、後ろの方に載っています。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください)

 

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David MarkによるPixabayからの画像

メッセージ

「私の証人になってくれ」と言われたことはあるでしょうか? 読んで字のごとく、大切な事実を証明する人。あなたにそれをお願いしたい……けっこう身構える要求ですよね? 信頼に足る人物であることを証する証人、二人に結婚の意志があることを証する証人、原告や被告の主張が正しいことを証する証人。

 

もし、自分が誰かにお願いされたら、皆さんはその証人を引き受けるでしょうか? 内容がそこまで重要でなければ、引き受けるかもしれません。でも、大きなプロジェクトに関わることや、人生を左右する裁判に関すること、自分自身にもリスクがあることは、ちょっとためらうんじゃないでしょうか?

 

引き受けられればいいけれど、自分にそんな技量はない。その大役は重すぎる。もっとふさわしい人がいますと、言いたくなるかもしれません。全ての人を救うため十字架にかかり、三日目に復活したイエス様から「あなたがたはこれらのことの証人となる」と言われた弟子たちも、戸惑ったことでしょう。我々がこの事実を、人々に証明できるのか?

 

何かを証明しなければならない、誰かを説得しなければならない、みんなに訴えなければならない。証人を頼まれる人物は、通常、それができる人物だと信頼されています。この人は私を裏切らない、この人は周りに嘘をつかない、この人はみんなを説得できる……今までも、私を助け、私を支え、私を見捨てなかったから。

 

間違っても、最近私のことを裏切り、自分可愛さに嘘をつき、見捨てたばかりの人間へ、「私の証人になってくれ」とは言いません。お願いしたくもありません。また裏切られ、また嘘をつかれ、また見捨てられる未来が目に見えています。むしろ、最後まで裏切らず、見捨てず、正直でいてくれた人間こそ、証人をお願いできる相手です。

 

つまり、イエス様が敵に捕まったとき、一目散に逃げてしまった、「知らない」と嘘をついてしまった、最後までついていくことができなかった弟子たちは、当然、証人なんて引き受けられません。もともと裏切るつもりも、見捨てるつもりもなかった彼らですが、またやってしまうかもしれない……。

 

また、証明する内容が、重要であればあるほど、困難であればあるほど、証人を頼める人物も限られてきます。最初から、周りに信頼されてない人を証人には立てません。事実を証明する力がない人を証人には選びません。反論されると口をつぐむ人には、証人を任せられません。証人は、誰でも頼めることじゃありません。

 

つまり、「あいつら、イエス様見捨てて逃げたしな……」と白い目で見られる弟子たちは、証人に全く向いてません。イエス様の処刑後、ユダヤ人から逃げ回り、戸に鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちを、誰が信頼するでしょう? 祭司長やファリサイ派との論争に、一切口を挟めなかった弟子たちに、誰が期待できるでしょう?

 

さらに、証人として最も重要な条件は、証明する内容を、ちゃんと信じているかどうかです。自分の無実を「信じきれない」という人に、身の潔白を証明してもらおうとは思いません。自分のことを信頼していない人間に、自分の業績を紹介させようとは思いません。自分の言うことを守らなかった人間に、自分の遺言を託そうなんて思いません。

 

弟子たちはどうでしょう? イエス様に、「わたしは十字架につけられて殺され、三日目に復活する」と再三言われていたにもかかわらず、再会するまで、そのことを思い出しもしなかった。女性たちから「わたしたちは主を見た」と言われても、戯言だと切り捨てた。目の前にイエス様が現れても、まだ信じきれなかった。

 

そんな人に、復活した自分の証人をさせるなんて、適切だとは思えません。やっぱりあれは幻だったのかもしれない! イエス様じゃなくて幽霊だったのかもしれない! 私の思い違いかもしれない! 誰かに疑われ、反論され、自信がなくなり、何度も揺り動かされることが目に見えています。

 

それでも、なぜか弟子たちは、イエス様から「私の証人になってくれ」と頼まれます。いえ、正確には宣言されます。「あなたがたはこれらのことの証人となる」……最も証人に向かない人たちが、最も重要なことを証するために選ばれる。しかも、祝福までされて……「この人にお願いして大丈夫かな?」という不安や心配じゃなく、祝福をかけられる。

 

およそ、「キリストの証人」になる人が、もともと「向いている」なんてこと、ありえません。復活なんてありえないことを信じさせる能力、誰も持ち合わせていないですよね? 洗脳やマインド・コントロールじゃなくて、本当に信じてもらうことができるって、奇跡みたいな話です。その奇跡を起こすために選ばれたのは、たいてい奇跡なんて起こせない人たちです。

 

たとえば、洗礼を受けたけど何度も神様を疑ってしまうあなただったり、牧師になったけど何度も聖書につまずく私だったり、信じたいけど信じきれない不安定な毎日を送っている誰かだったり……イエス様にこんなこと頼まれるとは思ってもいない人たちが宣言される。「あなたがたはこれらのことの証人となる」

 

まさか、自分のことなんて思わないですよね? 特別な弟子たちの話だと思いますよね? ちゃんと信じている、ちゃんと従っている、ちゃんと生きている人たちに言われた言葉って思いますよね? はっきり言っておきます。イエス様に証人として呼ばれたのは、直前まで信じきれないでいたあなたです。人々に罪の赦しと救いをもたらす証人として遣わされたのはあなたです。

 

疑っているのに、揺れているのに、自信がないのに、そんなこと意にも貸さないで、この方はあなたを全力で信頼し、お願いしたことを果たさせてしまうんです。あなたの祈り、あなたの証言、あなたの行為が、誰かの救いにつながるように。かつての弟子たちにかけられた言葉は、今、あなたにかけられています。約束されたものを受けなさい。

 

讃美歌

讃美歌21の16番「われらの主こそは」1、2、4節を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

 

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

 

司会:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。配信を見ておられる教会員の方は、郵送する献金袋に入れて、また後日来られたときにおささげください。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「戻らない世界で」(©️柳本和良)を歌いましょう。(お立ちください)

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祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

今、行きなさい。わたしはあなたを遣わす。(出エジプト記3:10より)

 

祝 福

主がすべての災いを遠ざけてあなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)

 

報 告

本日も配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の在宅礼拝は、信徒の方に個人の証をお願いし、プライバシーに配慮して、限定公開で配信させていただきました。奉仕者と役員7名、同時に視聴された40名、計47名が見てくださいました。

 

来週も、引き続き在宅礼拝となりますが、世界宣教の始まりを記念するペンテコステを迎えるので、キリストの祝福を分かち合う食事「愛餐式」を行います。ご用意できる方は、各家庭でパンと水を準備していただき、それぞれの自宅から、弟子たちと食事を囲んだイエス様を一緒に思い起こしましょう。

 

なお、会衆礼拝の再開は2週間毎に検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページでお知らせします。今のところ、5月中は在宅礼拝を続ける予定です。また日曜日まで、神様の平和がありますように。