ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『祈れば病は癒される?』 コリントの信徒への手紙二12:1〜10

聖書研究祈祷会 2021年5月12日


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案 内

華陽教会では、岐阜県の医療提供体制を踏まえて、会堂に集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の526番「苦しみ悩みの」1、2、4節を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて在宅聖研祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、今必要な力と言葉が、みんなに与えられますように。

◆私たちの神様。岐阜県の非常事態宣言から2週間が経ち、今なお、新型コロナウイルスの感染が広がっていることを覚えます。どうか今、治療が必要な人、治療する人、周囲の人間が守られ、速やかな回復と収束を導いてください。

◆私たちの神様。感染症対策をめぐって、様々な主張と言説が生まれています。中には、対立してしまうところもあります。どうか今、極端な恐怖からも、極端な楽観からも脱して、誠実な議論と行動ができるように、一人一人を助けてください。

◆私たちの神様。5月23日のペンテコステも、残念ながら教会に集まらないで、それぞれの自宅から礼拝することが決まりました。どうか今、家に閉じこもる弟子たちへ聖霊の風が送られたように、私たちにも、あなたの風を送ってください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。コリントの信徒への手紙二12:1〜10(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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メッセージ

去年の11月くらいに、匿名の質問が私のところへ飛んできました。「質問箱」というサービスを通して、送られてきた質問です。とても素朴で、とても切実な問いかけでした。既に公開されている内容なので、ちょっと紹介したいと思います。「もうずっと祈り続けているのに持病が癒されません。なぜでしょうか?」

 

同じことを、もう何年も感じてきた人がいるでしょう。面と向かって牧師には言わないけれど、祈っても、祈っても癒されないことに、すごく不安を抱いている。誰かが神様に祈って助けられた、祈ったら病気が治った、という話を聞くと、自分はなぜ癒してもらえないんだろうと辛くなる。

 

先生、祈ったら本当に叶うんですか? 祈れば病は癒されますか? どんな困難も解決しますか? これらの問いに直面したとき、私はいつも困ってしまいます。たかだか30年の人生ですが、それでも色んな人を見てきました。心から神様に祈っているにもかかわらず、状況が改善されない人、祈ったらすぐ願いどおりになった人、たまたまなのか、必然なのか、私たちには分かりません。

 

ちょうど、5月は「祈り」をテーマに聖書研究をしています。第一週目の先週は、まず「祈り方」について話をしました。その次は、祈ったら実際に癒されるのか? 自分たちに悪さをしてくる「悪魔」や「悪霊」といった存在を追い出せるのか? という話が気になってくると思います。

 

癒されないとしたら、叶えられないとしたら、それは祈りに効果がないのか? それとも、自分の祈り方が悪いのか? 私の信仰が足りないせいか? 次々と疑問が湧いてきます。最初に紹介した方の質問……「もうずっと祈り続けているのに持病が癒されません。なぜでしょうか?」という言葉にも、「私が悪いんでしょうか?」「祈る意味なんてないんでしょうか?」という不安が滲んでいるような気がします。

 

確かに、聖書には「求めなさい。そうすれば、与えられる」と書かれています。「わたしの名によって願うことは、何でもかなえてあげよう」というイエス様の言葉が出てきます。神様を信じて、イエス様に願って、病を癒してもらったり、家族を救ってもらった人たちが出てきます。

 

逆に、イエス様の名前で悪霊を追い出そうとしても、追い出せなかった弟子たちが、「信仰が薄いからだ」と指摘されるシーンも出てきます。もしかして信仰が弱い人は、信じる力が足りない人は、祈っても、祈っても助けてもらえないのか? 聞いてもらえないのか? 罪人である証拠なのか?

 

「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない」……こんなことまで言われています。裏を返せば、病一つ治せない信仰がいかに小さいことか……と言われているようです。これってかなり厳しいですよね?

 

キリスト教を名乗るグループの中には、「病気になることは罪です」とまで言うところもあります。信じたら、祈ったら、癒されるのに、病気にかかるのは、癒されないのは、信じていない証拠だと。でも、聖書に記された「病を癒された人たち」ってどういう人たちだったか、改めて思い出してみましょう。

 

13年間、出血が止まらなかった女性……イエス様に触れた瞬間、癒してもらえましたが、彼女は13年間、神様を信じない生活、祈らない生活を送ってきたんでしょうか? それならなぜ、彼女はイエス様に「あなたの信仰があなたを救った」なんて言われたんでしょう? 重い皮膚病の人たち、生まれてからずっと目が見えなかった人たち、歩くことができなかった人たち……彼らはイエス様に会うまで、神様を信じていなかったんでしょうか? 心から祈る思いが足りなかったんでしょうか?

 

もし、そうならなぜ、イエス様に出会った瞬間、信じることができて、祈ることができて、心から願うことができたんでしょうか? むしろ、彼らはどれだけ祈っても癒されなかった、願いを聞いてもらえなかった人たちの代表格だと思うんです。そして、イエス様自身も心から神様に祈って、願いを聞いてもらえなかった存在でした。

 

「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」……十字架につけられて血を流し、全ての人に見捨てられる死を免れさせてください。そう願いましたが、叶いませんでした。イエス様は、神の子であるにもかかわらず、誰よりも神を信頼していたにもかかわらず、祈りを聞いてもらえません。「見捨てられた」「神に願いを聞かれなかった」そう思わされる人たちと同じ姿です。

 

晩年、病気が癒されなかったパウロも、自分を痛めつけるサタンが、病気が、苦しみが、祈っても、祈っても、去らせてもらえなかったことを赤裸々に告白しています。「祈ったとおりにならなかったこと」を、教会のみんなへ正直に書き残しています。願いが叶えられないことは、信仰の有無や深さに関係なく起こります。

 

一方で、ずっと子どもができなかった夫婦や、13年も出血が止まらなかった女性のように、ある日、祈り続けていたことが叶えられることもあります。なぜ、「そのとき祈ったとおりにならないのか」は、私たちには分かりません。でも、祈り続ける中で「変わらないことと向き合う力」や「変わっていく力」が与えられていくんだと思います。

 

そして、「なぜ、癒してくれないのか?」「神様は私をどうしたいのか?」嘆き、怒り、問いかける言葉も、神様は自分に向けられた「祈り」として、切実な訴えとして、全て聞いてくださいます。ずっと願いを聞かれなかった、信仰が弱い者と見なされてきた人が、13年越しに「あなたの信仰があなたを救った」と宣言されるように、神様は、誰一人その人の信仰に目を留めないときも、見つめておられる方なんです。

 

今、願っても、願っても、病を癒されない人が、なぜすぐに癒してもらえないか、私には知ることができません。神様がどうされようとしているのかは、正直分かりません。でも、速やかに、あなたに必要な力が得られるように、必要な変化が訪れるように、癒しと回復がもたらされるように、一緒に祈りたいと思います。主の御手があなたを包みますように。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(大阪府松原市の河内天美教会)のために、教会に集まれない信徒のために、教会員の家族のために、教会学校の子どもたちのために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆大阪府松原市の河内天美教会のために祈ります。コロナにより、礼拝休止となりがちなところ、孤独に耐えているところに、あなたの恵みがありますように。地域に開かれた教会へ成長し、つながりが広がっていきますように。

◆教会に集まれない信徒のために祈ります。ライブ配信の奉仕に加わることができない人、感染リスクの高い人、家族の安全を願う人に、あなたの恵みがありますように。今こそ、私たちの間に立たれる、あなたの力を示してください。

◆教会員の家族のために祈ります。普段、教会へ行く家族と日曜日一緒に過ごせなかった人たちに、あなたの恵みがありますように。一緒に居られる今だからこそ、共有できる時間が、心と体と魂をつなげる時間となりますように。

◆教会学校の子どもたちのために祈ります。日曜日、教会や外へ遊びに行くことがしにくくなった子どもたちに、あなたの恵みがありますように。かえって、今まで行けなかったところ、出会えなかった人とつながるきっかけとなりますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「祈れないときに」(©️柳本和良)を歌いましょう。オンライン讃美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

ねがわくはみ名をあがめさせたまえ。み国を来らせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを 我らが赦すごとく、我らの罪をもゆるしたまえ。

我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ。

国と力と栄えとは 限りなくなんじのものなればなり。アーメン。

  

報 告

本日も、配信を通して聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、ライブ配信の奉仕者2名、配信参加者の7名が出席されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の水曜日も配信等による在宅聖研を行います。教会に集まる集会の再開は、非常事態宣言の解除を目安に、2週間毎に検討し、教会員への連絡網とホームページ等でお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。