ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『あなたが手にかけた人』 使徒言行録2:22〜36

日曜礼拝 2023年6月4日


www.youtube.com

 

説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。(ヨエル書3:1)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌63番「いざやともよ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆父・子・聖霊なる三位一体の私たちの神様。今日もまた、日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの母なる神様。先週の日曜日は、ペンテコステの礼拝として、教会の誕生を記念しつつ、神の祝福を分かち合う食事、愛餐式を行うことができました。どうか今、これから始まる一週間も、あなたの聖霊を豊かに受けて、必要な業を行わせてください。

◆私たちの父なる神様。本日は、三位一体主日として、世界を創造され、一人一人に語りかけ、私たちに変化をもたらす、あなたの恵みに感謝して、信仰者が信仰者であり続けるための式、聖餐式を行います。どうか今、私たちの信仰を新たにしてください。

◆私たちの友なる神様。来週の日曜日には、子どもたちの成長をみんなで喜び、共に感謝をささげて礼拝する「花の日・こどもの日」を迎えます。どうか今、教会と、幼稚園と、地域に連なる全ての子どもに、あなたの慈しみを届けさせてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録2:22〜36(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

www.bible.or.jp

交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編8:1〜10(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の353番「父・子・聖霊の」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

HansによるPixabayからの画像

メッセージ

イエス様の弟子たちが、約束された聖霊を受け、天下のあらゆる国の言葉で語り出し、世界中へ伝道していった、教会の誕生日「ペンテコステ」から一週間が経ちました。ペンテコステの翌週と言えば、「世界を造られた父なる神」と「子なる神イエス・キリスト」と「父と子から送られる聖霊」の「三位一体の神」を讃える祭日です。

 

聖霊を受けた弟子たちは、イエス様から命じられた宣教命令……「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(マタイ28:19〜20)という言葉に従って、人々へ神様の教えと業を伝えていきました。

 

先ほど読んだ聖書の言葉は、まさに、イエス様が天へ昇って見えなくなってから、残された弟子たちが、最初に語ったメッセージです。弟子たちを代表して、ペトロはこう話し始めます。「イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です……」

 

ここから、イエス様がどのような方か紹介されていきます。イエス様は、かつて神様が約束された、イスラエルの新しい王であり、ダビデの子孫としてこの世に生まれ、様々な奇跡や業を行い、やがて完成する「神の国」を現した方です。しかし、新しい王を待っていたはずのユダヤ人たちは、もともと神を信じていなかった異邦人の手を借りて、イエス様を裁判にかけ、十字架につけて殺してしまいます。

 

しかし、イエス様は、死に支配されたまま朽ち果てることはなく、神様によって復活させられ、自分を見捨てた者たちに、自分を裏切った者たちに、自分を信じなかった者たちに再会し、「あなたがたに平和があるように(ルカ24:36)」「信じない者ではなく、信じる者になりなさい(ヨハネ20:27)」と告げられて、和解と平和をもたらしました。

 

ペトロは、念を押すように、イエス様が生き返ったことを、繰り返し人々に伝えます。空腹だった人たちにパンを増やして満腹にさせ、病気で苦しんでいた人たちに手を触れて癒され、悪い者に取り憑かれていた人たちを解放してきたイエス様は、殺されたけれど、復活した。甦った姿を私たちに現し、天に昇って、神の王座に着かせられた。

 

そう、「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」……ペトロの周りに集まっていた人たちには、これがどう聞こえたでしょうか? その日は五旬祭、「刈り入れの祭り」とも呼ばれる日で、大麦の初穂をささげる日から50日目、ようするに、収穫を祝って、神様へ感謝をささげる祭りの日でした。

 

エルサレムには、その日に合わせて、多くの人が、神殿へ献げ物をしに集まっていました。その中でも、特に目立ったのは「信心深いユダヤ人」でした。数世代前に、敵の捕虜として外国へ連れて行かれ、長年イスラエルの外で暮らしてきたものの、祖父や母から聞かされた、故郷の町で神様を礼拝することを願い、エルサレムへ移住してきた人々です。

 

何世代か前に日本へ連れて来られた在日朝鮮人の子孫が、家も仕事も失った故郷、韓国へ帰ってきたのと似ています。今まで暮らしていた外国から引っ越し、エルサレムで家を買い、仕事を探して、言葉を学び、再び故郷で暮らすようになった人……そのために必要な努力や苦労を考えると、形だけの信心深さではありません。

 

けれども、そんな彼らに、ペトロはショッキングな言葉を突きつけます。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」……そう、この日集まっていた人々は、一時的に外国から里帰りした人たちではなく、しばらく前に移住して、もうそこで生活している人たちです。

 

当然、イエス様がエルサレムに入城し、住民から「ダビデの子にホサナ」と歓迎を受けていたときも、祭司長たちの扇動によって「十字架につけろ」と罵られていたときも、息を引き取って神殿の垂れ幕が真ん中から裂けたときも、彼らはエルサレムで過ごし、事件と遭遇していました。

 

信心深いユダヤ人にとって、これらの出来事が起こった「過越祭」も、故郷のエルサレムで家族と過ごす、重要な時期だったからです。つまり、彼らはあの日、イエス様を歓迎し、エルサレムに迎え入れた一週間後に、あっさり掌を返して「十字架につけろ」と叫んでいた、ユダヤ人の一部でもあったんです。

 

祭司長たちに扇動されるまで、イエス様のことを見たことも聞いたこともなかったような者たちではなく、神殿でイエス様が話していること、会堂で教えていたこと、道行く人たちを癒していたこと、近隣の村や町で起こされた奇跡も、見聞きしている人たちでした。あの日、あなたが見聞きしたイエス様は、殺されたけれど生き返って、私たちの王として、救い主メシアとして、神の国で王座についている。

 

それは、第三者が、「自分の知らないすごい人」を聞かされるのとは違いました。ペトロ自身が、何回も「あなたがたの間で」「あなたがた自身が既に知っているとおり」と告げているように、彼らは、よく知った人物について聞かされていました。それは、自分たちが最初、歓迎したにもかかわらず、十字架につけてしまった存在です。

 

あなたが訴えた人を、あなたが罵った人を、あなたが手にかけた人を、神は主とし、メシアとなさった……それが、最初にペトロが語ったメッセージでした。良い知らせとして聞くには、恐ろしい話でした。神様を信じて、故郷の町へ引っ越してきた、信心深い自分たちが、待ち望んでいたはずの救い主に手をかけ、殺してしまった。

 

その方は今、復活させられ、天に昇って、神の右に座しておられる……次に待っているのは何だろう? 自分たちへの怒りだろうか? 裁きだろうか? 復讐だろうか? 不安が募ってくるはずです。ちょっと前、彼らは激しい風が吹いてくるような音が、天から聞こえてくるのを耳にしました。それは、弟子たちのいる家中に響くような爆音でした。

 

この物音に、何事かと集まってきた人々は、家の中にいたはずの弟子たちが、天下のあらゆる国の言葉で話しているのを目にしました。気がつくと、弟子たちのいた家は野ざらしになっていたのか、ペトロは座っていた11人と共に立ち上がり、声を張り上げ、人々に語り始めます。まるで、突然嵐に襲われたか、爆発で家を吹き飛ばされた後のようです。

 

これは神の怒りだろうか? 今まさに、神の裁きが下っているのか? 驚き、怪しみ、戸惑っている人々へ、ペトロは大声で告げました。今日、天から私たちへ下されたのは、神の裁きではありません。約束された聖霊です。あなたがたが十字架につけて殺した方は、私たちへ聖霊を送って、あなたたちの故郷の言葉で、大切なことを告げさせています。

 

あなたたちに、裁きが下るようにではなく、聖霊を受けるように、今、私たちへ語らせています。だから、聞いてください。あなたたちが見聞きしたものを思い出してください。あの日、あの時、信じなかったあなたたちが、信じる者となるように、救いにあずかる者となるように、キリストが招いておられます。

 

ペトロの言葉は、一見すると、過ちを犯した者へ、間違いを突きつけるような、愚かさを指摘するような、鋭利な言葉に感じられます。しかし、彼自身、一緒に捕まるのを恐れ、イエス様を知らないと言い、キリストを引き渡した愚かな者の一人でした。イエス様を十字架につけて、見殺しにした一人でした。そんな自分を人目に晒して語ります。

 

あのとき、あなたたちの前で「キリストを知らない」と嘘をついた私のもとへ、裁きではなく、聖霊が下ってきたのを見てください。今まで、あなたがたに捕まるのを恐れて、閉じこもっていた私自身を、外へ押し出した聖霊の力を見てください。あなたがたが十字架につけて殺したイエスは、あなたたちにも聖霊を送られて、和解と平和をもたらします。私がその証人です。私たちがその証人です。

 

神様が信じられなくなったとき、どうしたらいいか分からないとき、祈る言葉も出てこないとき、聖霊はあなたに留まります。閉じこもって、沈黙して、座り込んでいた弟子たちを、外へ押し出し、言葉で満たし、立ち上がらせた聖霊が、あなたの上にも留まります。共に、賛美をささげ、祈りを合わせ、父・子・聖霊なる、神の栄光を讃えましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌17番「祈れないときに」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖 餐[1]

御着席ください。ただいまより、聖餐式を始めます。本日は、感染リスクを避けるため、一人一人ケースに入れたパンとぶどう液を一緒に配らせていただきます。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(*ご着席いただいたままで大丈夫です)

 

主の食卓への招き

兄弟姉妹、今から神の民の祝宴が開かれます。主は言われました。「やがて人々は東から西から、北から南から来て、神の国で共に食卓に着く」

 

また、食事の席で、主は約束されました。「前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によるバプテスマを授けられる」

 

主は、弱っている者を励まし、閉じこもっている者を力づけ、ご自分が用意された祝宴にあずからせてくださいます。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹も、キリストのとりなしと祝福を受けましょう。

 

感謝と聖別の祈り

世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。

 

主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。

 

私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。

 

陪 餐

ただいまより、パンとぶどう液を配ります。誰でも洗礼を受けて信仰を告白し、この食事にあずかることができます。洗礼式はキリスト者になるための式で、この聖餐式はキリスト者であり続けるための式です。ですから、この食事には洗礼を受け、信仰を告白してからあずかることをお勧めします。

 

まだ、洗礼を受けておらず、信仰を告白していない方は、恐れ入りますが、しばらくお待ちください。皆さんの信仰の自由と、その決断とを尊重させていただきます。なお、洗礼を受けて信仰を告白した方は、進んでこの聖餐にあずかり、パンと杯を受けない方へ、神様の祝福と平和を祈りましょう。(*配餐者は手指の消毒をしてパンと杯の入ったケースを配る)

 

オンライン賛美歌の後ろをめくった「陪餐」のところをご覧ください。パンと杯を共に受けつつ、この場にいる人のために、神の祝福を祈りましょう。

 

(パンを手に取る)

これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命を捨てられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

パンを手にしている方は、パンを受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と平和で満たされますように」

 「アーメン」

食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。

 

(杯を手に取る)

これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。

 

杯を手にしている方は、杯を受け取っていない方へ、神様の祝福を祈りましょう。

 「あなたの手が、キリストの愛と祝福で満たされますように」

 「アーメン」

飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。

 

陪餐後の感謝

共に、感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、若者も年長者も、信仰を告白した者も告白していない者も、共にあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この食事を見ている全ての者を結び合わせてくださいました。

 

あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちが御子の体の手足であること、御国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、(着席のまま)讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

神様、私たちが持っている物は皆、あなたからいただいたものです。今、私自身の生き方をあなたの御用のためにおささげします。どうか、ここに献げた献金も、あなたの求めていることに用いてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の3節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄の讃美歌88番「心に愛を」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。(使徒言行録1:8)

 

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった19名、同時に視聴された11名、計30名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日も、三密を避けた会衆礼拝を配信と並行して行います。教会に来られる方は賛美中のマスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただけるよう、お願いします。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。

 

[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。