聖書研究祈祷会 2021年11月3日
案 内
華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会も、配信と並行して開いています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
マスクをしたままで、讃美歌21の128番「悪は罪人の」を歌いましょう。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆全ての人の救い主である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を開くことができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を探している人を導いてください。
◆私たちの神様。先週は、504年目の宗教改革記念日に、久々の聖餐式を行うことができました。この日をあなたが整えてくださり、感謝致します。どうか今、様々な事情で聖餐を受けられなかった方々も、あなたの恵みと聖霊を豊かに受けることができますように。
◆私たちの神様。来週は、聖徒の日として召天者記念礼拝を行います。今年も遠方から来ることのできない人たちに、あなたの慰めと希望がありますように。どうか今、親しい方を亡くして悲しみと寂しさを覚えている人に、必要な言葉をもたらしてください。
◆私たちの神様。今月から「永遠の命」と「死」と「復活」をテーマに、聖書研究を進めていきます。どうか今、私たちの間にあるつまずきや疑問、驚きを大切にしながら、今週もあなたの言葉を受け取らせてください。
◆私たちを起こし、揺り動かす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。マルコによる福音書16:14〜18、ヨハネの黙示録21:5〜8(新共同訳より抜粋)
*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。 |
メッセージ
「信じなければ地獄に落ちる」……破壊的カルトと呼ばれる反社会的な団体で、よく聞かされる言葉です。信じる者は救われて天国へ行けるが、信じない者は裁かれて地獄へ落ちる。信じる者は永遠の命を受けるが、信じない者は滅ぼされる。残念ながら、キリスト教会の中にも、こういうことを強調して訴える人もいます。
「だから、信じなさい」と……一緒に天国へ行きたいから、あなたも救われてほしいから、私たちの言うことを信じて洗礼を受けなさいと……時折、教会に電話がかかってきます。洗礼を受けたいという電話が、年に1回か2回かかってきます。死ぬ前に天国へ行けるように洗礼を受けたい、家族がこのまま逝く前に洗礼を受けさせてあげたい。
そうしないと、「信じた」と認めてもらわないと、神様に救ってもらえない。そのまま死んで滅びてしまう。だって、聖書にもそう書いてある。誰かがそう言うのを聞いてきた。信じる者と信じない者の間には、絶対的な差があって、神は不信仰な者に無慈悲だから。容赦されない方だから。
実際、先ほど読んだ、マルコによる福音書には、神の子であるイエス様のこんな言葉が記されていました。「信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける」……決定的ですよね? イエス様からこう言われたら、焦らずにはいられません。どうしよう? 私はまだ「信じる」と言っていない! あの人も洗礼を受けていない!
さらに、ヨハネの黙示録にはこんな言葉も出てきます。「しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である」……こんなにはっきり言われると、震え上がってしまいます。
「第二の死」……けっこうなパワーワードです。「火と硫黄の燃える池」は、まさに、私たちが想像する「地獄」ですよね? 不信仰な者は天国へ行く代わりに、地獄へ投げ込まれる。マグマに落ちて、炎で焼かれ、魂まで滅ぼし尽くされる。そんな恐ろしいイメージが湧いてきます。
この他にも度々、信じない者、信仰を捨てた者に対する、厳しい裁きが出てきます。聖書に記されたこれらの言葉を読むと、いっそう不安が大きくなります。早く「信じる」と言わないと! 早く洗礼を受けさせないと! でも、信仰を告白したら、洗礼を受けさせたら、それで安心できるんでしょうか? イエス様は気になる言葉を続けています。
「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る」……信じる者なら、それができる。ちょっと雲行きが怪しいですね。信仰を告白して、洗礼を受けて、さらに牧師になった私を見てください。
悪霊を追い出し、何か新しい言葉を語り、手で蛇を掴めるかと言われたら、全部無理です。私は悪霊を追い出したことなんてないし、新しい言葉どころか外国語全般苦手だし、手で蛇を掴むこともできません。毒を飲んだら死にますし、病人に手を置いても、治す力なんてありません。私自身も、咳ぜんそくや偏頭痛に悩んでいます。
どうやら私には、信じる者に伴うはずの、しるしが一つも見られない。皆さんはどうでしょう? 信仰を告白して、洗礼を受けて、礼拝に来ている信徒の方々はどうでしょう? もしかしたら、蛇を掴める技術を持った人が、何にはいるかもしれませんが、たぶん、ほとんどの方は、一つも実行できないでしょう。
私たちは、「信じる者」と認めてもらえるんでしょうか? イエス様は別の箇所で、「もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、そのとおりになる」と言われました。未だかつて、私はそれができた人を見たことがありません。からし種一粒ほどの小さな信仰も、私たちにはないようです。
イエス様に直接従っていた弟子たちはどうでしょう? 彼らは「信じる者」として申し分なかったのでしょうか? いえ、むしろ聖書には、イエス様から直接権能を授けられた弟子たちが、信仰が薄いゆえに、悪霊を追い出せなくなったり、病人を癒せなくなった場面が、赤裸々に記されています(マタイ17:20)。
さらに、弟子たちが「不信仰である」と、はっきり書かれたところもありました。「その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである」……決定的ですよね?
イエス様が捕まったとき、見捨てて逃げたような臆病者で、復活したと周りが言っても信じなかった。ペトロに至っては嘘まで言います。「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」と言う人々に「そんな人は知らない」と答えてしまう。黙示録の言葉と合わせて見ても、弟子たちは「火と硫黄の燃える池」に投げ込まれるのが自然でした。
聖書には、イエス様の弟子たちの「信仰的な姿」より「不信仰な姿」が詳細に記されています。何度も「なぜ信じないのか?」と言われる場面が出てきます。私たちと同じです。彼らも信じることがなかなかできず、力をもらっても行使できず、信じない者であることを嘆かれてきた人間です。
しかし、イエス様は、信じない者が信じるように、どこまでも彼らに付き合います。見捨てられて、死んでしまったにもかかわらず、死を超えて彼らと再会し、良い知らせを信じさせます。「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(ヨハネ20:27)と、自らの傷跡を示します。そう、イエス様は死を超えて、信じない者を信じる者にする方です。
イエス様と会う前に、イエス様を信じる前に亡くなった、ナインのやもめの一人息子も、イエス様の呼びかけに答えざるを得ませんでした。「若者よ、あなたに言う。起きなさい」生前、一度もイエス様の呼びかけに答えられなかった人も、この方は、死をものともせずに、大声で呼びかけて起こされます。
信じない者は滅びの宣告を受ける……しかし、この方は信じるまで呼び続ける。生きている者も死んでいる者も、この方は返事をするまで、執拗に呼びかけ続けます。私は聖書に書いてあるとおり、イエス様を信じる者が救われると信じています。全ての者が信じるまで、応答するまで、呼びかけるのをやめない方に、救われるのを信じています。
弟子たちがそうだったように、私自身がそうであるように、信じない者、信仰を捨てた者を、放っておかない神様が、イエス様を遣わして、聖霊を送り続け、誰一人滅びないように働きかけておられます。私たちの声が届かない死者も、私たちの呼びかけに答えない者も、この方の粘り強さには敵いません。その呼びかけに、起こされる日がやって来ます。
信じない者は地獄に落ちる……でも、信じない者は信じる者に新しく変えられる。そのことをどうか思い出し、信頼し、粘り強いイエス様の呼びかけに、私たちも加わっていけたらと思います。脅しではなく、福音を、良い知らせを伝える誠実な宣教が、私たちの間で広がっていきますように。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(福井県福井市の城之橋教会)のために、政治に携わる人のために、福祉に携わる人のために、教育に携わる人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆福井県福井市の城之橋教会のために祈ります。この教会の全ての世代がつながり合い、教会の歩みを進めることができますように。幼稚園や教会学校、婦人会の働きが祝され、豊かな交わりを持てますように。
◆政治に携わる人のために祈ります。先週の選挙によって、選出された全ての議員に、あなたの導きがありますように。誠実な判断と丁寧な議論ができるように、一人一人の勇気と良心が強められ、票を投じた私たちも、その責任を果たすことができますように。
◆福祉に携わる人のために祈ります。様々な施設や病院で働く介護福祉士、ヘルパー、ケアマネージャーの方々に、あなたの助けと祝福がありますように。労苦に見合う賃金と、十分な人手、周りの理解が促進されますように。
◆教育に携わる人のために祈ります。幼稚園や学校、大学や専門学校、職業訓練所で働く教師やスタッフに、あなたの慈しみがありますように。適切な教育ができるように、一人一人の心身を整え、相談する人や助ける人と出会えますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
マスクをしたままで、オンライン賛美歌12番「信じたくても」(©️柳本和良)を歌いましょう。
主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。
天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。
報 告
本日も教会に集まって、配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、出席3名、配信3名、計6名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。
配信はここまでですが、この後2時半まで、希望する参加者が質問したり、祈ってほしいことをお願いできる「分かち合い」を持ちたいと思います。時間のある方はぜひ、ご参加ください。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。