ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『定められている人?』 使徒言行録13:44〜52

聖書研究祈祷会 2023年4月12日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の322番「天の座にいます」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆命と希望をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キリストの復活を記念するイースターを迎え、新しく教会に加えられたメンバーの洗礼式が行われ、4年ぶりに礼拝後のティータイムを行うことができました。どうか今、新たなつながりと出会いが祝され、あなたの平和が広がりますように。

◆私たちの神様。芽含幼稚園も新年度を迎え、子どもたちが新しく入って来ました。一年経って、お姉ちゃん、お兄ちゃんになった子どもたちと、入ったばかりの子どもたちに、あなたの恵みがありますように。どうか今、それぞれの成長を導いてください。

◆私たちの神様。県外にいる人、ドイツにいる人、自宅や施設で配信を見ている人、それぞれも、新しい一年が始まりました。どうか今、離れたところにいる一人一人と、課題や喜びを分かち合うことができますように。どうか今、私たちを結び合わせてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録13:44〜52の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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salofotoによるPixabayからの画像

メッセージ

キリストの受けられた苦しみと、十字架の死を思い起こす受難節が終わり、キリストの復活を記念するイースターを迎えました。ようやく、みんなで喜びを分かち合う、お祝いの時期に入りました。死んでいた人が生き返り、信じる者すべてに、永遠の命を約束された、あの日の記念すべき出来事が、全国の教会で語られます。

 

良い知らせ、救いの訪れが告げられた日曜日、華陽教会では、新たに信仰を告白した人の洗礼式も行われ、大きな喜びの中、新しい一週間が始まりました。ところが今日、週の真ん中に聞いた聖書の言葉は、どうも私たちの胸に引っ掛かります。それは、48節に出てくるこんな言葉です。

 

「そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った」……永遠の命に定められている……その言葉は、死を恐れる私たちにとって、滅びや裁きを怖がる私たちにとって、希望であり、励ましであり、魅力的な言葉です。一方で、永遠の命に定められている人がいるなら、定められていない人もいるのか、どうしても気になってきます。

 

永遠の命を得るように定められている人は皆信仰に入った……それなら、信仰に入らなかった人は、信じることができなかった人は、永遠の命を得るように定められていないのか? 信仰に入らなければ、信じなければ、永遠の命はもらえない。信仰を持っていなければ、最終的に滅ぼされる。そういうことが言いたいんだろうか?

 

先日、信仰を告白して、洗礼を受けたばかりの人も、不安に襲われるかもしれません。私は洗礼を受けて、信仰の群れに入ったけれど、私の家族は洗礼を受けてないし、信じる気持ちも芽生えていない。もし、このまま、この人が信仰に入らなければ、洗礼を受けないままだったら、一緒に永遠の命を受けとることはできないんだろうか?

 

愛する子どものいる人や、仲の良い友達がいる人も、もうじき亡くなりそうな身内と暮らしている人も、心配になってくるでしょう。この子も救われてほしい。この人も滅びないでほしい。どうか、永遠の命を与えられて、神の国に受け入れられてほしい。だけど、信じる様子も、洗礼を受ける気配もない。どうしたらいいだろう?

 

もしかしたら、大切な人が救われるように、焦って教会へ連れてこようとする人がいるかもしれません。無理やり聖書を読ませようとしたり、嘘をついてまで礼拝に出させようとする人がいるかもしれません。実際に、多くの破壊的カルトでも、その人を救うためなら、嘘をついてもいいと教え、正体や目的を隠して集会へ連れてこさせます。

 

「カルト」とまでは言えない教会も、一部、強引な勧誘や伝道をして、問題視されているところがあります。主催が教会であることを伏せてコンサートへ連れて来たり、礼拝へ連れてくる目的を伏せて英語の勉強会へ誘ったり、自分たちの集会に参加すれば病気が治るかのように宣伝したり、色々なことがされています。

 

昨年度、「これからの教会を考える」というテーマで、使徒言行録を読んできた私たちも改めて問われます。さあ、みんなが救われるように、永遠の命を得られるように、私たちはどうやって伝道しよう? 信仰へ入らせるために、何かを偽ったり、騙したり、強制したりすることも、その人の救いのためなら、伝道のためなら、やむを得ないんだろうか?

 

ここで、思い出してほしいのは、もし、永遠の命を得られるように、信仰へ入らせるために、嘘をつくことが正しいなら、神様に許されるのなら、聖霊を受けて伝道していた弟子たちも、そうしたはずだということです。彼らはどこの町へ行くときも、最初にユダヤ人の会堂を訪れました。そして、たいてい同胞のユダヤ人から反対され、迫害されました。

 

エルサレムで会堂を追い出され、何人も捕まって投獄され、さらには殺された人もいるのに、繰り返し迫害を受けたのに、イエス様の弟子たちは、外国へ行っても、懲りずに正面から伝道します。私たちは、あなたたちが十字架につけて殺してしまったイエス様のことを伝えに来た。私たちは、復活して天に昇ったキリストの弟子であり、証人です、と。

 

あちこちで他のユダヤ人から悪い噂を聞かされていた人たちは、これを聞いて、彼らを追い出そうとします。正面から、イエス様の教えを伝える弟子たちに心を開き、信じて仲間になる人もいましたが、迫害が厳しかった時代、どこへ行っても伝道は困難でした。それなら、最初から正体を明かさず、目的を隠して仲良くなった方が上手くいきそうです。

 

ユダヤ人と同じ信仰を持っているふりをして、キリスト教を徐々に信じ込ませていった方が、信じて救われる人も、永遠の命を得られる人も、増えるんじゃないかと思えます。でも、弟子たちはそうしません。自分たちの正体を、目的を、隠しません。「自分たちについてくれば病気を治そう」とも「仲間になれば奇跡を授けよう」とも言いません。

 

信じないで拒む人には、ただ、こう言います。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。」そして、神に救われることはないと言われてきた、選ばれることはないと言われてきた異邦人に、救いを伝えていきました。

 

その後、弟子たちを拒んだユダヤ人たちは、永遠の命を得るように定められることはなかったんでしょうか? 異邦人の中で、信仰に入らなかった人たちも、永遠の命を得るように定められなかったんでしょうか? 彼らは滅びに定められてしまったんでしょうか? そう言われているんでしょうか?

 

弟子たちの言葉を聞いて、信じなかった者、拒絶した者と同じように、イエス様の言葉を聞いて、信じなかった者、拒絶した者たちがいます。それは、他ならぬイエス様の弟子たちです。イエス様から3回にわたって、自分が十字架につけられて死ぬことと三日目に復活することを聞いたにもかかわらず、誰もそのとき信じませんでした。

 

イエス様が復活して、それを見た女性たちから話を聞いたあとも、弟子たちはたわ言だと思って信じませんでした。マタイによる福音書に至っては、ガリラヤでイエス様ご自身と再会したときでさえ、まだ「疑う者もいた」と書かれています。復活したキリストと出会ってなお、信仰に入っていなかった者が、弟子たちの中にもいたんです。

 

にもかかわらず、そんな彼らへイエス様は言いました。「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る」「あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられる」……そうして本当に、弟子たちは天から聖霊を送られて、信じない者ではなく信じる者になっていきました。

 

永遠の命を得るに値しない者から、永遠の命を得るよう定められた者へ変えられていきました。イエス様が、自分を信じなかった者に、死を越えて再び訪れ、聖霊を送って導かれ、永遠の命をもたらしたように、今、私たちが出会う一人ひとりにも、すべてを新しくする方が変化と回復をもたらします。

 

だから、私たちはそれを信じて伝道します。私の大切な人を、決して滅びるままにはしておかない方を信頼して、自分自身の生き方を通して、キリストを証ししていきます。言葉で上手く伝えられなくても、直接礼拝へ連れて行けなくても、自分自身が神様に、信仰に生かされている姿を通して、イエス様の愛を伝えていきます。

 

この方は決して、あなたも、あなたの大切な人も見捨てません。時を越え、場所を越え、死を越えて、倒れている者を起こされる方が、私たちのそばについています。その信頼を捨てないで、焦らないで、恐怖に呑み込まれないで、安心して、あなたにできる伝道を、キリストのもたらした生き方を示してください。主の平和がありますように。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(東京都港区の霊南坂教会)のために、新来者のために、新入生のために、受洗者のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆東京都港区の霊南坂教会のために祈ります。都心にあって、様々な働きを担っているこの教会に、あなたの助けがありますように。今年度も、新型コロナをはじめとする様々な感染症や事故や事件から守られて、聖書の言葉を伝えていくことができますように。

◆新来者のために祈ります。4月から、新しく教会へ来てくれた金城学院や済美高校の生徒たち、初めて礼拝へ来てくれた人たちに、あなたの恵みがありますように。引っ越しや転勤で、この時期教会を探している人たちにも、良い出会いと場所が与えられますように。

◆新入生のために祈ります。中部学院大学、短期大学の学生たちをはじめ、全国の新入生たちに、あなたの祝福がありますように。特に、留学したばかりで、慣れない生活に不安を覚えている学生が、良い仲間と環境を与えられますように。

◆受洗者のために祈ります。華陽教会で新しく洗礼を受けられた人をはじめ、各地の教会で信仰の群れに加えられた人たちに、あなたの慈しみがありますように。共に仲間を迎えた教会にも、良い変化と気づきがもたらされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌18番「あの方が独り子を」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった3名、同時に視聴された9名、計12名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。