ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『キリスト教の救いって?』 ヨハネによる福音書3:16〜21

聖書研究祈祷会 2022年2月23日


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案 内

華陽教会では、岐阜県の医療提供体制を踏まえて、会堂に集まる集会を休止し、配信等による在宅聖研を行っています。共に今、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで讃美歌21の451番「くすしきみ恵み」を歌いましょう。讃美歌21をお持ちでない方はそのままお聞きいただき、心で賛美をささげましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、水曜日の在宅聖研祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。現在起きている戦争や紛争に、平和的な解決がもたらされますように。防衛や抑止力のために、再び、核保有や軍備拡大を安易に進めませんように。どうか今、脅威や不安を前にして、冷静に、誠実に解決の道を探せますように。

◆私たちの神様。県内で広がり続ける感染症に、一刻も早い収束がもたらされますように。治療中、療養中の人たちが守られ、癒されますように。どうか今、幼稚園、保育園、高齢者施設、病院にいる一人一人に、あなたの励ましがありますように。

◆私たちの神様。卒園、卒業、修了していく子どもたちや若者に、あなたの恵みがありますように。また、その期間が伸びた人たちも、新しい豊かな時間を過ごすことができますように。どうか今、それぞれにあなたの祝福を与えてください。

◆私たちを支え、導き、送り出すイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書3:16〜21(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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truthseeker08によるPixabayからの画像

メッセージ

「あなたにとって救いとは何ですか?」と聞かれたとき、皆さんは何と答えるでしょうか? ある人にとっては病気が治ること、ある人にとっては友達ができること、ある人にとっては暴力から解放されることかもしれません。いずれにしても、救いとは、悪いものから助けられること、悪い状態から解放されることを意味します。

 

では、キリスト教の「救い」とは、何から解放され、何から助けられることを指すのでしょうか? 端的に言うと、それは、死から解放され、滅びから助けられることです。全ての罪を赦されて、永遠の命を受けることです。こう言うと分かりにくいので、多くの人はもっと簡単に言うでしょう。「神様を信じて天国へ行くことが救いだ」と。

 

今年度、最後の一ヶ月は、「贖いと救い」というテーマで、聖書研究を進めていきます。正直、このテーマはあまり扱いたくありません。キリスト教の根幹に関わる内容ですが、「どうしたら救われるのか?」「誰が救われるのか?」「救われないのはどんな人か?」というセンシティブな疑問が出てくるからです。

 

実際、神様を信じて天国へ行くことが救いなら、洗礼を受けてない友達や「キリスト教徒になる気はない!」と言っている身内や家族は、そのまま滅んでしまうんでしょうか? 仏教や神道を信じていた人、死ぬまで信仰を持たなかった人は、永遠の命を受けられず、神の国で再会することができないんでしょうか?

 

大切な人が見捨てられ、自分だけが救われる……というのは、多くの人にとって、本当の救いではないでしょう。そんなことになるのなら、自分も一緒に滅んでしまった方がいい……と考える人もいるでしょう。一方で、理不尽な暴力や支配を行ってきた存在が、自分や仲間を傷つけてきた人間が、無条件で救われるのも、救いとは思えないのが本音です。

 

とりかえしのつかない過ちを犯して、反省もしていない、何一つ変わっていない人間が自ら傷つけてきた人たちと、一緒に迎えられてしまう……それって正直恐ろしいです。自分を苦しめてきたもの、傷つけてきたものから解放されることが救いなら、誰もがありのまま迎えられた先で、絶望する人もいるでしょう。

 

あの人が過去と変わらないまま、反省も変化もしないまま、迎えられてしまったところでは、私に安らぎは訪れない……本当に悔い改めた人だけが、生き方を変えた人だけが、一緒に迎えられてほしい……そういう思いを持つことは、不自然でも、身勝手でもありません。平安を求める人たちの自然な願いです。

 

とはいえ、「本当に悔い改めた人」「生き方を変えた人」という枠組みに、どれだけの人が入れるのかも疑問です。無意識に誰かを傷つけたり、自分が虐げた人を忘れていたり、信仰を告白したけど、信じる前と特に変わっていなかったり、洗礼を受けた人でもしょっちゅうです。信仰者である自分たちも、古いまま、新しい自分になれずにいないか?

 

万人救済説に反対する人も、支持する人も「本当の救いって何なのか?」ということをそれぞれ考えた結果、「こういう人たちが救われる」「こういう人たちも救われる」と主張し、訴え、信じています。無視できない課題がそれぞれあって、少し考えただけでも、救いって厄介な問題です。

 

私の信じている救いは、全ての人が永遠の命を受けて神の国に迎えられることですが、全ての人が、何の変化も求められず、自動的に受け入れられるとは思っていません。神様が繰り返し人々の応答を求めたように、イエス様が人々に信じて悔い改めることを求めたように、救いには、変化と回復が伴うものだと思っています。

 

そして、本当の救いとは、全ての人が、信じて悔い改めるまで、赦され受け入れられるまで、新しい生き方に変わるまで、神様があらゆる隔たりを超えて、付き合い続けてくださることだと思います。

 

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」……ヨハネによる福音書3:16の有名な一節は、一見、信じることが永遠の命を受けるための条件のように聞こえます。しかし、この福音書の中には、最後まで独り子であるイエス様を、信じなかった人が出てきます。

 

イエス様の復活を最後まで疑った弟子の一人、トマスです。他にも、マタイによる福音書では、イエス様と再会してなお、疑う弟子のいたことが書かれています。イエス様を裏切り、見捨て、帰ってきた後も、信じられなかった人たちですから、もはや手遅れと見なされて、見捨てられるべき存在です。

 

ところが、イエス様は、自分が復活してからも信じられなかった弟子たちに、「わたしは決して信じない」と語っていた者たちに、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と呼びかけ続け、ついには従わせてしまいます。死んでから四日経って、誰一人回復することを期待しなかった人にさえ、「起きなさい」と呼びかけ、新しく生き返らせます。

 

私たちの声が届かない人、私たちが変化を期待できない人さえ、イエス様は死を超えて働きかけ、応えるまで呼びかけ続けるお方です。この方こそ、本当の救いを全ての人にもたらす方です。罪人を罪人のままにしておかない、信じない者を信じないままにしておかない、敵対する者を敵対したままにしておかない……それが私たちの神様です。

 

たとえ、私が呼びかけて、最後まで信じなかった人たちも、皆さんと一緒に、信仰を持つことができなかった人たちも、和解できなかった人たちも、イエス様は死という隔たりさえ超えて、応答するまで呼びかけ続け、起き上がらせてしまいます。永遠の命を受けて、神の国に受け入れられるその人は、何も変わらないまま迎えられるのではありません。

 

その人自身も、周りにも、期待することのできなかった新しい生き方を、新しい命を、得させられ、神の国へ入るんです。「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」……この言葉は真実です。どうか、私たちが願う以上の救いを、神様から受け取ることができますように。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(山梨県笛吹市の石和教会)のために、ウクライナのために、アフガニスタンのために、シリアのために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆山梨県笛吹市の石和教会のために祈ります。教会に集まり、共に礼拝する人たちが増し加えられますように。隣接する山梨英和こども園との交わりが豊かにされ、子どもたちや保護者、スタッフに、あなたの恵みがもたらされますように。

◆ウクライナのために祈ります。ロシアがウクライナへの侵攻をやめることができますように。ウクライナから出たい人たちが何とか避難させてもらえますように。危険な地域に残っている人たちが守られ、平和的な解決がもたらされますように。

◆アフガニスタンのために祈ります。国外退避ができなくなった人たちに、あなたのお守りがありますように。特に、女性や子どもの安全が確保されますように。一人一人にあるはずの権利が取り戻せますように。

◆シリアのために祈ります。素性や過去を疑われ、外国へ避難しようとしても、難民申請が通らない人たちに、あなたの慈しみがありますように。長引く紛争で犠牲となっている人たちに、一刻も早く平安が訪れますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌16番「苦難のはざまから」(©️柳本和良)を歌いましょう。

 

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主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、配信を通して聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の在宅聖研祈祷会は、配信奉仕者2名、同時に視聴された2名、計4名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

教会に集まる集会の再開は「まん延防止等重点措置」の解除を目安に、来週の臨時役員会で検討し、決定次第、教会員への連絡網とホームページ等でお知らせします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。