ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『他の誰にも救えない?』 申命記8:11〜20、使徒言行録4:5〜12

日曜礼拝 2023年6月18日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(ルカによる福音書8:48)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌63番「いざやともよ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。全国で起きている事故や事件や災害から、感染症の流行から、一人一人を守ってください。どうか今、傷つき、疲れ、苦しんでいる人たちに、あなたの癒しと回復をもたらしてください。

◆私たちの神様。悪質商法や詐欺に巻き込まれてしまった人、身内や本人が破壊的カルトに入ってしまった人、闇バイトや暴力団に関わってしまった人、それぞれに必要な気づきと助けを与えてください。どうか今、一刻も早く、みんなが解放されますように。

◆私たちの神様。毎日、色々な出来事が起こる中、いつも私たちを離れずに、守り、助け、導いてくださっていることを感謝致します。どうか今、この一週間も、勇気と力と励ましを受け、新しく歩んでいくことができますように。

◆私に平和を告げられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。申命記8:11〜20、使徒言行録4:5〜12(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編52:1〜11(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の527番「み神のみわざは」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

HansによるPixabayからの画像

メッセージ

実を言うと、今歌った『讃美歌21』の527番は、私が苦手な賛美歌です。「苦手なのにどうして選んだのか?」と不思議に思われるでしょうが、今日、この聖書箇所について話すなら、今こそ私は、この賛美歌とも向き合わなければならない……と思わされているからです。

 

なぜ、この賛美歌に苦手意識を持っているか? それは、最初に繰り返される、歌詞の言葉が原因です。「み神のみわざは、すべて正しい」……1番から4番まで、この歌詞が繰り返されています。皆さんは、歌えたでしょうか?……特に疑問なく、素直に歌えた方もいるでしょう。しかし中には、私のように、ちょっと歌い辛かった方もいると思います。

 

なぜか? それは、聖書に記された、神様の為さったこと、神様が行われたことについて、「全て正しい」と言い切ることに、ためらいを覚えてしまうからです。実際、聖書を読んでいると、神様の命じたこと、為さったことは本当に正しかったのか、疑問を持たずにはいられない話が多々出てきます。

 

たとえば、アブラハムに、自らの子どもを「焼き尽くす献げ物」として献げるよう命じた話。エジプト人の長子、最初に生まれた子どもたちを、皆殺しにしてしまった話。障害者や病人に、神様へ献げ物をする儀式に参加しないよう命じた話。どんなに辛いことがあっても、信仰を捨てないか試すために、ヨブの子どもたちを奪った話。

 

ついさっき、使徒言行録の前に読んだ、申命記の言葉にも「すべて正しい」と言いづらい、神の言葉が出てきました。他の宗教を信じたら、その人たちは皆、滅ぼされるという話……「主があなたたちの前から滅ぼされた国々と同じように、あなたたちも、あなたたちの神、主の御声に聞き従わないがゆえに、滅び去る」

 

3日前、私は教団のカルト問題全国連絡会へ行っていました。多くのカルト団体は、自分たちの語る教えを信じない者は、地獄に落ちると脅したり、メンバー以外の人間は、救われないと語ったり、不安と恐怖を煽って信者を集め、被害者をコントロールしています。

 

そういった集団と、私たちキリスト教会は違うんだ……と言いたいですが、このような聖書箇所にぶち当たると、途端にどう言えばいいか分からなくなります。聖書に書いてあることを、そのまま信じるのであれば、神様が命じ、行ったという記述を、そのまま受け入れるのなら、私たちはカルトと何が違うんだろう?

 

「み神のみわざは、すべて正しい」……改めて、この歌詞をどんな思いで口にするのか問われます。正しいと思うこともたくさんあります。読んでいて、慰められ、励まされるエピソードもたくさんあります。しかし、そうでない言葉やエピソードも出てきます。受け入れ難い、正しいと思えない言葉や出来事がぶつかってきます。

 

同時に、聖霊を受けたイエス様の弟子たちが、神の子イエス・キリストについて語った言葉をどう伝えるかも問われます。「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです」……他の誰によっても救われない。他の宗教によっても、哲学によっても、科学によっても!

 

もしこれをストレートに、他の宗教の人へ語ったら、失礼で、暴力的な態度に映るでしょう。異なる信仰を否定する、他の立場を認めない、排他的な姿勢に見えるでしょう。イエス様の弟子たちは、これをエルサレムの神殿で、ユダヤ教の人々の前で、思いっきり大胆に宣言しました。

 

神が死者の中から復活させたイエス・キリスト……ほかのだれによっても、救いは得られません!……神様を信じて、イエス様の言葉と出会って、私は何度も助けられてきました。他の何によっても、自分は救われなかったという確信も実感も持っています。でも、始めて教会に来た人へ、自分が外で出会った人へ、このように言う気にはなれません。

 

私はイエス様に救われた。あなたもイエス様に救われる……確かに、そう信じている。でも、あなたに「ほかのだれによっても、救いは得られません」と、面と向かって口にするのは難しい……あなたは私を排他的な信仰者だと思うかもしれない。あなたは私に自分の立場を傷つけられたと思うかもしれない。あなたは私を怖がるかもしれない。

 

事実、私は他の宗教の信仰者から、その人の信じる宗教以外に救いはないとメッセージをもらいます。他の宗教はみんなカルトだと言われます。お前の伝えているものは本当の救いをもたらさないと責められます。私は相手のことが怖くなり、嫌になり、その宗教の印象は最悪になります。

 

牧師がSNSをやっていると、そういうメッセージは一件、二件じゃないんです。お前の信じているものは、お前の伝えているものは、みんなに救いをもたらさない。本当の救いをもたらすのは、我々の信じるものだけだ……こう言われたって、私は傷つくだけで、腹が立つだけで、その人の信仰を受け入れて救われることはありません。

 

むしろ、自分の大事にしてきた信仰を、生きる土台にしてきたものを、粗末に、乱暴に扱われ、隅に捨てられた気分になります。無意味で、無益な信仰として、死んでしまった教えとして、投げ捨てられた気分になります。しかし、よく見るとそれは、病人を癒したのに捕まえられ、議会で取り調べを受けたイエス様の弟子たちと同じ状況でもあります。

 

「ほかのだれによっても、救いは得られません」……ペトロとヨハネがそう語ったのは神殿の前で足の不自由な男を癒し、驚いた人々にイエス様の言葉を伝え、何がこの人を救ったのか教えているときでした。2人は、イエス様を妬んで十字架につけた、祭司やサドカイ派の人々に引いていかれ、無理やり裁判にかけられます。

 

何の権威で、足の不自由な男を癒したのか? 誰の名によって、人々に教えを語ったのか? 祭司やサドカイ派の人々は、苛立ちながら問い詰めます。彼らは「イエス・キリストは神の子でも、救い主でもない」「あの男は神を冒涜して処刑された」「その名によって救いがもたらされることはない」と反対し、弟子たちの言うことを否定しようとしました。

 

ペトロが、イエス・キリストの名を出して「ほかのだれによっても、救いは得られません」と語ったのは、まさにこの時です。あなたが否定している、私の信じる方は、十字架につけられて殺されましたが、神様が死者の中から復活させられ、今も、私たちに聖霊を送ってくださいます。

 

あなたが、無意味で無益なものとして、乱暴に捨てようとした方は、隅の親石となって私の生きる土台となり、今も私を立たせています。この方が私を救い、私と出会ったあの人を救い、これからも、みんなを救っていきます。たとえ、あなたに十字架につけられ、隅に捨てられ、救い主じゃないと言われたところで、この方は必ず救いを実現します。

 

自分が捕まったとき、見捨てて逃げた私のもとにも、復活して会いに来てくれたように……裏切った私のことを赦し、新たに弟子としてくださったように……イエス・キリストの名を否定した、投げ捨てた、信じなかった全ての者を、この方は、救いにくるんです。あの日、イエス様を3度否定し、見捨てて逃げた私自身が、その名によって生かされている、今この時がその証です。

 

弟子たちが、「ほかのだれによっても、救いは得られません」と言ったのは、自分の信仰の正しさを訴えるためではありません。むしろ、自分も否定し、捨ててしまった方に助けられ、立ち上がらされ、救われてきたことを、身をもって証しするためです。イエス・キリストの名を否定する者へ、自分も否定していたけれど救われたことを告げるためです。

 

思い返せば、申命記の言葉も、背く者への裁きの予告だけで終わりませんでした。神様はその後、自分の言うことを聞かない者、信じない者、従わない者に、裁きが下ることを告げながら、滅ぼし尽くされることがないように、絶えず呼びかけ続けました。聞く耳のない者が、聞くようになるまで、過ちを犯す者が、正しくなるまで、付き合い続けました。

 

「み神のみわざは、すべて正しい」……私たちがそのように神を賛美するのは、この方が間違ったことを間違ったまま、放置しないことを知っているからです。敵が敵のままでいることを、罪人が罪人のままでいることを、神様は放置できません。裁きを宣告した相手に、信じて救われ、神の国で一緒に食卓へ着くように、今日も呼びかけ続けます。

 

だから、改めて宣言します。神が死者の中から復活させたイエス・キリスト……この方こそ、私が疑い、否定して、隅へ捨ててしまったにもかかわらず、隅の親石となって、私を支えてくださった救い主です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。

 

これを聞く者、揺れ動いている全ての者に、神の平和があるように。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌17番「祈れないときに」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、健康な人も、リスクの高い人も、安心して集まれるように、教会の感染対策を見直し、過剰にならない、負担にならない、効果的な取り組みを始めていきます。引き続き私たちにできることを行いながら、誠実に、教会のあり方を築いていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

神様、私たちが持っている物は皆、あなたからいただいたものです。今、私自身の生き方をあなたの御用のためにおささげします。どうか、ここに献げた献金も、あなたの求めていることに用いてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄の讃美歌88番「心に愛を」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6-6)

 

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日も、三密を避けた会衆礼拝を配信と並行して行います。教会に来られる方は賛美中のマスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただけるよう、お願いします。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。