ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『大胆になれない』 使徒言行録4:23〜31

聖書研究祈祷会 2022年7月6日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会に集まっています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の223番「造られたものは」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆信仰と希望と愛をもたらす、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。来週の日曜日には、参議院選挙が行われます。市民の安全、公衆衛生、経済活動、子どもたちの未来など、多くの課題を前にして、国会に送り出す代表を選出します。どうか今、一人一人が誠実な選択と行動ができますように、導いてください。

◆私たちの神様。ウクライナに対するロシアの攻撃がやみ、ミャンマーにおけるクーデターが止められ、シリアやアフガニスタンの紛争が終わり、台湾や香港での弾圧がなくなりますように。どうか今、それぞれの争いに平和的な解決がもたらされますように。

◆私たちの神様。東京や愛知では、再び新型コロナの感染が増え、岐阜でも500人を超える新規の感染者とクラスターが発生しています。どうか今、再び医療が逼迫したり、重症化する人たちが増えないように、私たちに必要な行動を取らせてください。

◆一人一人を送り出される、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録4:23〜31の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Jody DavisによるPixabayからの画像

メッセージ 

「イエス・キリストの名前を出して、人々に話をしてはならない」「もし、イエスの名によって話したり、教えたりしたら、次は牢に入れるだけでは済まないぞ」「十字架にかけられたイエスのように、お前たちも裁判にかけられ、処刑されるぞ」……そんなふうに脅された直後、「よし、大胆にイエスの名によって話をしよう!」「病人を助け、イエス様の教えを語っていこう!」とは、なかなかならないと思います。

 

下手に目立ち続ければ、かえって周りから痛い目で見られます。あの人たちは、議員や長老の言うことを聞かないで、国の言うことを聞かないで、教えを広め続けている。聞く人を巻き込もうとしている。放っておいたら、過激な集団になるんじゃないか?……そう警戒されても、おかしくはありません。

 

何せ、リーダーであるイエスという男は、この前捕まって裁判にかけられ、みんなの前で処刑されてしまったばかり。弟子たちは、その人が復活したとか、自分たちの前に現れたとか言っている。しかも、イエスと対立していた、祭司長や律法学者が集まっている、神殿や会堂の中へやって来て、堂々とその名を口にしている。

 

ちょっとした、カルトのメンバーに見えてきます。狂信的な信者が、自らの危険を顧みず、周りを巻き込むことも躊躇せず、あちこちで教祖の教えを語っている。昨日まで牢に囚われ、釈放された仲間を迎えた人たちは、政府から脅しを受けてなお、思い切って、大胆に、教えを語ることができるように祈り始める。

 

普通は、脅しがなくなるように、弾圧されないようにと祈ります。自分たちの安全が守られ、保証されるように祈ります。でも、釈放されたペトロとヨハネの2人をを迎えた仲間たちは、そんなことよりも、大胆に語ることができるように、口にするなと言われたイエスの名によって、様々なしるしを行えるように、一丸となって祈ります。

 

この様子を見ていると、現在、警戒されている破壊的カルトと、初期のキリスト教会の信者たちは、いったい何が違うのだろう? と疑問に思うかもしれません。あまり比べたくはないけれど、地下鉄サリン事件を起こして、観察処分を受けている、オウム真理教の後継団体が、表では教祖の名前を隠して布教している姿が浮かんできます。

 

迫害されても、攻撃されても、大胆に語れるようになろう! 恐れず、伝道を続けていこう! そんなふうに頑張っている姿は、確かに、信仰に熱く、心が燃えているように感じます。一方で、恐ろしさもあります。大胆になれるよう祈り、大胆に語った信徒の姿が模範として描かれるものの、そうはなれない、そうなっちゃいけない気がしてしまう私たちもいます。

 

なりふりかまわず、大胆に語ることが、果たしてイエス様の命じた宣教なんだろうか? 自分の命を危険にさらして出ていくことが、仲間の危険を顧みずに送り出すことが、神様の求める伝道なんだろうか? 聖霊によって、大胆にされるとは、そういう狂信的な姿なんだろうか? それでいいんだろうか?

 

さて、ここで勧められている「大胆になる」って、いったいどういうことなんでしょう? 政府の言うことを聞かないで、脅しを受けても怖がらないで、周りを巻き込むことも恐れないで、ひたすら活動を続けることなんでしょうか? おそらく違います。なぜなら、彼らの大胆さは、危険を避けないことではなく、本当に伝えたいことを隠さないことにあったからです。

 

弟子たちが捕まり、脅しを受けたのは、立ち入り禁止の場所に入ったからでも、しつこく勧誘を続けたからでも、誰かに暴力を振るったからでもありませんでした。彼らが止められたのは「イエスの名によって話したり、教えたりすること」でした。それならいっそ、仲良くなって信頼されるまで、イエスの名を口にしなければ、キリスト者であることを隠していればよかったのに、彼らは自分たちの正体や目的を隠しません。

 

政府からの監視を受けてなお、果敢にメンバーを獲得しようとするカルトなら、教祖の名を隠し、一番伝えたい教えを隠し、離れ難い関係を築いてから、ようやく、正体と目的を明かします。でも、イエス様の弟子たちはそうしません。たとえ、「その名によって話したり、教えたりするな」と言われても、大胆に、イエス様の名前を口にし、イエス様の教えと業を語ります。

 

私たちが一番伝えたいのは、この方が行ったこと、教えてくれたことなんだと……一切もったいぶらずに、初めて聞く人たちに明かします。仲間になったら教えてあげよう、教会に来たら秘密を明かそう……そんなふうには言いません。最初から、これをあなたに知ってほしいんだ。これをあなたに伝えたいんだと、信じているものを明かします。

 

私たちが忘れてはならないのは、人々の警戒を避けるため、教会に人を集めるために、イエスの名によって語ることを隠してはならないということです。私たちはイエス・キリストを信じています。それを隠して、人を連れて来てはいけません。私たちが伝えたいのは、イエス様が十字架にかかって、復活して、私たちを神の国へ招いてくださったことです。それを伏せて、秘密にして、人を誘ってはいけません。

 

聖霊は、イエスの名によって大胆に語らせます。誠実に人々へ語るよう導きます。思い切って、大胆に、御言葉を語ることができるように祈りましょう。困っている人が助けられ、苦しんでいる人に希望がもたらされるように、私たちの生き方をささげましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎南湖教会)のために、自宅にいる人のために、施設にいる人のために、病院にいる人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆神奈川県茅ヶ崎市の茅ヶ崎南湖教会のために祈ります。感染予防に努めつつ、日曜礼拝と祈祷会を続行することができますように。教会の使命を誠実に果たし、会衆の信仰、生命、生活が守られますように。

◆自宅にいる人のために祈ります。病気のため、怪我のため、障害のため、衰えのため、そして、心労や疲労のために、自宅で療養している人、家で休んでいる人に、あなたの慈しみがありますように。どうか、十分な休息と癒しが与えられますように。

◆施設にいる人のために祈ります。デイサービスに通っている方や施設に滞在している方に、あなたの慈しみがありますように。どうか、新しい喜びや発見がもたらされ、日々を楽しく過ごすことができますように。

◆病院にいる人のために祈ります。検査のため、手術のため、治療のため、入院している人たちに、あなたの慈しみがありますように。どうか、不安や恐怖が和らいで、痛みや苦しみが解消され、希望と平安がもたらされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌13番「恐れ惑うこの身に」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった4名、同時に視聴された4名、計8名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は、14時半まで、2階集会室にて、自由に質問や感想が言える第二部「分かち合い」のときを持とうと思います。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。