ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『これって天罰?』 使徒言行録12:18〜25

聖書研究祈祷会 2023年3月1日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の298番「ああ主は誰がため」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆赦しと和解をもたらす、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。キリストの受けた苦しみと十字架の死を思い起こす受難節に入って、一週間が過ぎました。キリストの復活を祝うイースターまで、あと5週間、私たちが心からあなたの赦しと和解を信じられるように、今日も聖霊によって導いてください。

◆私たちの神様。今週も、調子を崩したり、挫折したり、新たな問題にぶつかって、苦しんでいる人たちに、あなたは寄り添って来られました。どうか今、どこまでも付き合ってくださるあなたを思い出し、休む力、立つ力、歩く力をもたらしてください。

◆私たちの神様。今年度も、残り一ヶ月となりました。今年残された課題に向き合いつつ、来年度に向けて準備を進めます。どうか今、私たち一人一人が、あなたに託された使命と向き合い、誠実に物事へ取り組めるよう、これからも一緒に居てください。

◆全ての者をとりなされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録12:18〜25の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Terry McGrawによるPixabayからの画像

メッセージ 

イエス様の12使徒であったヤコブを殺し、続けてペトロも殺そうとしていたヘロデ王が、ティルスとシドンの式典の最中、突然、天使に撃たれて息絶えた……2行で出来事をまとめると、まさに「悪い人が天罰を受けた」出来事のように聞こえてきます。実際、「蛆に食い荒らされて」という表現は、迫害者の典型的な死に方として知られていました。

 

天罰を受ける……今でも、私たちはこれを恐れて、あるいは、誰かに起こることを期待して、世の中の出来事を見ています。悪いことをしたら神様が見ていて、突然、罰が下される。驕り高ぶって生きていたら、突然、天から懲らしめを受ける。自分にそのようなことが起きないよう、日々、気をつけて生きていこう。

 

そう思って、真面目に生きようとする一方で、こんな思いも出てきます。あの人が突然不幸に見舞われたのは、ついに天罰が下ったからだ。あの人もそのうち、天から懲らしめを受けるときがやってくる。その日を、今か、今かと待ってしまう。特に、誰かに虐げられ、不満を抱えているときは、この思いが強くなるでしょう。

 

ヤコブが殺され、ペトロも捕えられ、危うく殺されかけた初代教会の人々にとって、まさに、ヘロデの死も、天罰として期待してしまうものでした。ここまで、聖書を読み進めてきた読者にとっても、教会のある人々を迫害し、命まで奪ってきたからこそ、ついに天使に撃たれたのだと感じるでしょう。

 

ところが、この箇所をよく見ると、単純に、教会を迫害したから罰を受けた……という話ではないことが分かってきます。なぜなら、ヘロデが天使に撃たれたのは、自分の演説を聞いている人々に「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けられたことが直接の原因であるように読めるからです。

 

ヘロデは、ティルスとシドンの人々が自分を人間ではなく、神のように扱うことを止めませんでした。それが原因で、主の天使がヘロデを打ち倒し、蛆に食い荒らされて息絶えます。「神に栄光を帰さなかったからである」と理由が添えられているように、ヘロデの死は、教会を迫害したからというより、この地で自分が神のように振る舞ったからだと受け取れます。

 

なるほど、本当の神ではなく、自分自身を神としたから、神様に怒られて罰を受けた。イエス・キリストの父なる神こそ、本当の神だと分かるように、ヘロデは民の前で懲らしめられた。そのように捉える人が多いでしょう。しかし、果たして、これを見ていたその地の住民は、イエス・キリストの父なる神を信じるようになったんでしょうか?

 

20節に、ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民に、ひどく腹を立てていたことが書かれていました。理由はおそらく、彼らとの経済問題だと言われています。ティルスとシドンは、ユダヤ人から見ると、異邦人の地で、異教の神々を拝むフェニキア人の町でした。フェニキア人は、昔から食料をパレスチナから輸入していましたが、ヘロデは彼らとの交易を制限してしまいます。

 

その理由は定かでありませんが、実を言うと、ヘロデ・アグリッパは、信心深い人間として称されており、エルサレムに偶像が建てられるのを止めに入ったり、律法に反することを咎められたら、素直に何が悪かったか聞こうとするなど、ユダヤ人からは比較的評価されている人間でした。

 

一方で、フェニキア人をはじめとするユダヤ人以外の人々からは人気がなく、ヘロデが死ぬと、複数の町で、それを祝う人たちがいたとも言われています。もしかしたら、ヘロデの政策は、偶像礼拝をする異邦人への経済制裁だったのかもしれません。だからこそ、和解を願い出た住民たちは、自分たちの神ではなく、ヘロデを神として扱うことで、経済制裁を解除してもらおうとしたのかもしれません。

 

ところが、ティルスとシドンの住民は、自分たちがヘロデを神のように扱った瞬間、天使によって彼が撃たれ、息絶えてしまったところを目撃します。彼らにとっても、それは天罰に見えたでしょうが、ヘロデの信じていた、ユダヤ人の神ではなく、もともと自分たちが礼拝していた、異教の神によって撃たれたように感じたのではないでしょうか?

 

ここで、神様が天罰としてヘロデ王を撃つことは、ティルスとシドンの住民が、本当の神である自分を信じるようになることより、彼らがもともと礼拝していた偶像の神を再び信じるようになる……そんなリスクを伴います。実際、住民にとっては、偶像礼拝をする自分たちへの経済制裁をしていた王が、神として扱われた途端に殺されたんですから、もともと自分たちの持っていた信仰を邪魔する男が天罰を受けたように見えたでしょう。

 

もともと、本当の神を信じていた多くのユダヤ人から見ても、迫害を受けていた教会の人々から見ても、この天罰は「自分たちのために神が行ったもの」とは言えないことが分かってきます。むしろ、異教の神を信仰していた、偶像礼拝をしていた住民たちが、異なる信仰を持ち続けるリスクがあるにもかかわらず、神様から憐れみを受け、暴君から救われてしまった話に見えるでしょう。

 

現在でも、どこかで災害が起こる度に、わざわざその土地の人々に向かって「あなたがたが災いを受けたのは、その不信仰に神が怒ったからだ」と説教にくる人たちがいます。天罰は、本当の神を礼拝しない、不信仰な者に対して下されると語ってきます。しかし、神様は自分を信じる暴君から、自分を信じない異邦人を守るために、天使を遣わしたこともありました。

 

さらに、ショッキングなことに、ティルスとシドンの住民の前で、ヘロデが打ち倒されたあと、「神の言葉はますます栄え、広がって行った」ことが記されます。先ほども言ったように、その地の住民にとって、この天罰は、もともと自分たちが礼拝していた異教の神からユダヤ人のヘロデが撃たれたように見えたと思われる出来事でした。

 

にもかかわらず、ヘロデが腹を立て、ユダヤ人が忌み嫌っていたフェニキア人の間で、本当の神の言葉がますます栄え、広がって行ったと書かれるんです。もともと、不信仰だと思われていた人たちが、本当の信仰を持つことができないと思われていた人たちが、信心深いと評されていたヘロデに代わって、神の言葉を栄えさせ、広げていきます。

 

ヘロデ王の急死について書かれた記事は、教会を迫害する者への天罰ではなく、教会と同じく迫害されていた異邦人が、本当の神に助けられ、神の言葉を広げていく、教会の仲間となった出来事を証しています。フェニキア人が仲間になる……信仰共同体に加えられる……カイサリアとアンティオキアに続き、シドンとティルスで起きた出来事も、教会にとって信じられない、衝撃的なことだったでしょう。

 

神様は、信じられない変化を私たちの間にもたらします。ときに、それは私たちにとって都合が悪く、受け入れ難く感じられます。すぐにはついていけないこともあります。しかし、目まぐるしい変化の中、初代教会が歩みを止めなかったように、現代の私たちも、ただ混乱し、戸惑うだけでは終わりません。神の言葉はますます栄え、広がっていきます。

 

共に、天から新たに仲間へ加えられた人々を見つめましょう。かつて腹を立てていた相手に、かつて不信仰だと思っていた相手に、かつて仲間になれないと思っていた相手に、大いなる助けと導きをもたらし、私たちにも変わる勇気を与えてくださるイエス様に、聖霊を求めて祈りましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(新潟県村上市の村上教会)のために、怪我をしている人、病気にかかっている人、衰えを感じている人のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆新潟県村上市の村上教会のために祈ります。今年度から始まった、月一回の教会学校が祝福され、子どもたちと豊かな時間を過ごすことができますように。教会員と牧師が守られ、地域の人たちと豊かな結びつきができますように。

◆怪我をしている人のために祈ります。転んだり、ぶつかったり、事故にあったりして、怪我をしている人たちに、あなたの慈しみがありますように。それぞれの痛みが和らぎ、回復が進み、新しい日常を送れるように導いてください。

◆病気にかかっている人のために祈ります。様々な病気によって、痛みを覚え、しんどくなり、回復を願っている人たちに、あなたが寄り添ってくださいますように。適切なケアと治療が進み、心も体も癒されますように。

◆衰えを感じている人のために祈ります。体が弱り、心がすり減り、日々、力を消耗している人たちに、あなたの憐れみがありますように。それぞれの生活が支えられ、楽しみと喜びがもたらされ、新しく生きていく力が与えられますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった4名、同時に視聴された4名、計8名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

聖書研究祈祷会が終わった後、受洗志願者と一緒に受洗勉強会も15:30まで行っています。受洗する気はないけど興味のある人、既に受洗したけど出てみたい人も、自由に参加できるようにしています。どうぞ気軽にお越しください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。