ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『生まれた場所が分からない』 ルカによる福音書2:8〜20、マタイによる福音書2:1〜12

クリスマス祈祷会 2023年12月25日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、クリスマス祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の258番「まきびとひつじを」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆光と希望をもたらす、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られてクリスマス祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。今日は、24日のクリスマス礼拝に、出られなかった人のため、聖書を開き、メッセージを聞き、賛美と祈りをささげつつ、神の祝福を分かち合う、愛餐式を行います。どうか今、ここに連なる一人一人に、あなたの恵みを与えてください。

◆私たちの神様。クリスマスを迎え、一年の終わりに近づき、間もなく、新しい年へ入ろうとしています。どうか今、年末に疲れ果て、力を失い、新しく歩み始めることが、困難になった人たちに、十分な休息と、支え合う仲間と、必要な助けをもたらしてください。

◆私たちの神様。救い主を探し当てるまで、ベツレヘムをさまよった羊飼いや、エルサレムで訪ね回った博士のように、私たちも、どこへ行けばいいか分からず、迷いながら進んでいます。どうか今、必ずそこへたどり着かせる、あなたに信頼を向けさせてください。

◆私たちの間に生まれた、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書2:8〜20とマタイによる福音書2:1〜12の新共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Jeff JacobsによるPixabayからの画像

メッセージ

メリー・クリスマス! 救い主イエス・キリストの誕生を記念する、クリスマス当日を迎えました。クリスマスと言えば、「イエス様の誕生日」……そのように聞いている人も、いるかもしれませんが、実際には、12月25日がイエス様の生まれた日というわけではありません。
 
もともと、12月25日は、ローマで信仰されていた太陽神ミトラの誕生祭であったと言われています。けれども、キリスト教が世界中に広まって、イエス様の誕生をいつお祝いするか、決めなければならなくなったとき、多くの地域で冬至の祭りが行われていた、ミトラ教の誕生祭に、救い主の誕生をお祝いしよう……ということになっていきました。
 
だから、クリスマスは、あくまでイエス様の誕生を記念する日で、誕生日そのものではありません。イエス様の生まれた日が、本当はいつか分からない……でも、年に一度、みんなで救い主がこの世に来られたことを思い出し、一緒にお祝いして、感謝と喜びを分かち合おう。そうやって、今もクリスマスを記念しています。
 
さて、現在の私たちは、イエス様が生まれた本当の日を知りませんが、イエス様が生まれた場所については、聖書にはっきり書かれています。マタイによる福音書では、救い主メシアは、ユダヤのベツレヘムという町で生まれることになっている、と言われていましたし、ルカによる福音書でも、ダビデ王が生まれたベツレヘムで、イエス様が誕生したと書かれていました。
 
生まれたばかりのイエス様を最初に礼拝した占星術の学者たちや、羊飼いたちも、ベツレヘムへ行って、その誕生をお祝いしました。けれども、よく見ると、彼らは特別な新しい王が、救い主が生まれることを知ったとき、その方がどこで生まれるのか、はっきり教えられたわけではありません。
 
羊飼いたちは、天使から「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである」と教えられますが、ダビデの町ベツレヘム、ということ以外は、何も聞いていませんでした。もし、皆さんが目的地について、町の名前だけしか知らされていなかったら、かなり途方に暮れますよね?
 
町についても、一軒、一軒、「ここに救い主の赤ちゃんはおられますか?」と尋ねていかなければなりません。羊飼いたちは、夜通し羊の群れの番をしていたときに、天使からお告げを受けたので、彼らがベツレヘムで赤ちゃんを探し回ったのは、深夜から朝方にかけてです。家を回って、玄関の戸を叩くのは、かなりハードルが高かったでしょう。
 
それでも、彼らは「主が知らせてくださった、その出来事を見ようではないか」と話し合って、みんなで聞いて回り、ついに、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てます。最初から「ベツレヘムのこの場所へ行け」と天使に教えてもらったら、迷わずたどり着けたかもしれません。
 
でも、羊飼いがベツレヘムを探し回ったおかげで、救い主の赤ちゃんについて尋ねられた人たちも、この出来事を知ることになりました。彼らは、帰りがけに「天使が話してくれたとおりだった」という羊飼いの報告を聞くことになります。「そんな不思議なことが本当にあったのか」と、さらに赤ちゃんを見に行こうとする人が、続いていったでしょう。
 
一方、東の方からやってきた占星術の学者たちは、「ベツレヘムで生まれた」という情報さえ、最初は持っていませんでした。彼らは、星によって、特別な新しい王が生まれたことを知りましたが、「ユダヤ人の王として生まれた」ということ以外、詳しいことは何も分かりません。
 
どこへ行ったら会えるのか、何も知らない学者たちは、ユダヤ人の首都エルサレムへ向かいます。エルサレムに着くと、彼らは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか?」「わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と尋ねて回ります。
 
そのうち、ヘロデ王のもとまで、外国から来た博士たちが、新しい王を探し回っているという噂が届くようになりました。自分以外の新しい王が生まれるという知らせを聞いて焦ったヘロデは、旧約聖書に記された預言に詳しい人たちへ、「メシアはどこに生まれることになっているのか」と問いただします。
 
祭司長や律法学者が「ユダヤのベツレヘムです」と答えると、ヘロデは自分に代わって王となる存在を殺すため、密かに学者たちを呼び寄せ、ベツレヘムへ行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら教えてくれ……と頼みます。そこで初めて、学者たちは、目的地がベツレヘムであることを知りました。
 
もちろん、ベツレヘムということ以外、どこの家へ行けばいいのか、詳しいことはまだ分かりません。町に着いたら、またみんなに聞いて回って、幼な子のいるところを探さなければなりませんでした。ところがその時、東方で見た星が先立って進み、どこへ行けばいいか、教えてくれるようになります。
 
だったら、エルサレムへ寄る前に、最初から目的地まで導いてくれたらよかったのに……と思いますよね。でも、学者たちが、新しい王の誕生を知らせたおかげで、エルサレムの住民も、神様が約束していた救い主が、ついに誕生したことを知ることになりました。外国から来た異邦人は、ユダヤ人にとって、良い知らせを告げる預言者となりました。
 
不思議ですよね? 救い主の生まれた場所が分からないのに、救い主の誕生を知らせる預言者として、羊飼いも、学者たちも用いられていきました。彼らはきっと、なぜ神様は赤ん坊がどこで生まれたか、はっきり教えてくれないんだろう? 早く辿り着かせてくれないんだろう? と道中で思ったんじゃないかと思います。
 
私たちも、どこに自分の救いがあるのか、解放される道があるのか、分からないまま進んでいます。どっちに行けばいいか、何を目指せばいいか、はっきりした答えを告げられないまま、歩んでいます。でもそれは、あなたが目的地へ着くことを妨げられているからではありません。
 
あなたが目指している場所を、一緒に目指す人が広がっていくように、あちこち尋ね回るあなたのことを、神様が用いているからです。クリスマスを迎え、一年の終わりに近づき、新たな年に向けて、私たちは出発しようとしています。おそらく、その道はこれまでのように、はっきりとゴールや目的地が見えるわけではありません。
 
でも、確かに、たどり着くことができるように、たどり着いたときの喜びを、分かち合う仲間が広がるように、星の光が、天使の言葉が、あなたを導いています。さあ、私たちも、主が知らせてくださった、その出来事を見に行きましょう。探し当てた喜びを、みんなで分かち合っていきましょう。

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」を歌いましょう。御着席のままで大丈夫です。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

配 餐

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、初めて来た方も、このパンと水は信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。(パンと水を配る)

 

分かち合い

ケースの蓋をお取りください。共に、神の恵みを味わいましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の263番「あら野のはてに」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通してクリスマス祈祷会にご参加くださり感謝致します。昨日のクリスマス礼拝には、教会に集まった48名、同時に視聴された9名、計57名が参加されました。

 

また、19時からのクリスマス演奏礼拝には、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

今週12月27日から、来週1月3日の聖書研究祈祷会は、年末年始のためお休みです。次回の聖書研究祈祷会は、1月10日(水)13:30から開催致します。なお、1月1日(月)には、14時から元旦礼拝を行い、神の祝福を分かち合う式、「愛餐式」を行います。

 

礼拝後、牧師の作ったぜんざいを振る舞う予定なので、興味のある方はぜひ、お待ちしています。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。