ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『約束されたのに』 ヘブライ人への手紙11:32〜12:2

日曜礼拝 2023年10月22日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。(ヨハネによる福音書4:23)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌Ⅱ編の26番「ちいさなかごに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆いつも隣に居てくださる私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、牧師の出張にもかかわらず、鈴木重正先生をはじめ、奉仕者一人一人のとりなしによって、礼拝と集会を豊かに持つことができ、感謝致します。どうか今、新しい週も、あなたの恵みを豊かに分かち合うことができますように。

◆私たちの神様。各地の戦争や紛争、弾圧や迫害、災害や貧困によって、長い間、ずっと苦しんでいる人たちがいます。どうか今、少しでも早く、平和的な解決がもたらされるよう、私たちみんなに必要な勇気と良心、知恵と力をもたらしてください。

◆私たちの神様。来週の日曜日は、宗教改革506年目を記念して愛餐式を行います。午後からは、「カルトと教会」というテーマで、教会研修会も開かれます。どうか今、自らを見つめ直し、改革し続ける教会として、私たちが新たに立つことができますように。

◆あなたの平和が実現し、あなたの栄光が現され、あなたのお名前が、ますます豊かに、褒め称えられますように。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヘブライ人への手紙11:32〜12:2(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編78:1〜8(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の185番「旅に疲れて」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

PublicDomainPicturesによるPixabayからの画像

メッセージ

信仰によってできること、信仰によって分かること、信仰によって得られるもの……皆さんは、それらに魅力を感じるでしょうか? ヘブライ人への手紙11章には、旧約聖書に登場する様々な人物が出てきます。アベル、エノク、ノアに続いて、アブラハムとサラ、その子孫であるイサクにヤコブ、ヨセフと来て、モーセの後は娼婦ラハブも出てきます。
 
彼らは、信仰によって死を経験しないまま、天の国に移されたり、信仰によって自分の家族を救ったり、信仰によって困難な命令を実行し、信仰によって子宝に恵まれ、信仰によって神様に命を救われました。先ほど歌った賛美歌にも、信仰によって出発し、イスラエルの先祖となった、ヤコブの姿が出てきました。
 
彼らは、信仰を持ったことによって、破滅を免れ、力を与えられ、救いをもたらされたように思えます。確かに、この人たちは、その生涯に多くの奇跡を体験し、「信仰を抱いて死にました」と言われますが、13節に気になる言葉が出てきます。それは「約束されたものを手に入れませんでした」という言葉です。
 
この人たちは、神様を信じて命を救われ、勇気を与えられ、力をもたらされたのに、約束されたものを手に入れていなかった……土地を与えられ、子孫に恵まれ、財産も増し加えられたのに、約束されたものは手に入れていなかった……どうやら、神様が約束されたものとは、これらに勝るみたいです。これ以上何があるんでしょう?
 
32節からは、士師や王、預言者の名前も挙げられて、信仰によってできたこと、信仰によって得られたものが、次々と列挙されています。ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル、その他の預言者……彼らは、信仰によって国々を征服し、信仰によって正義を行い、信仰によって弱かったのに強くされ、敵軍を敗走させました。
 
中には、信仰によって獅子の口をふさぎ、信仰によって燃え盛る火を消し、信仰によって身内を生き返らせてもらった人も出てきます。亡くなった者が甦る、死んでも命を与えられる。これはもう、「約束されたものを手に入れた」と言って良さそうです。どうやら、神様が約束されたものとは、私たちの「死」に、打ち勝つものみたいです。
 
期待が高まります。けれども、信仰によって生きたはずの「他の人たち」が出てくるとちょっと雲行きが怪しくなります。この人たちは、信仰によって釈放を拒み、信仰によって拷問にかけられ、信仰によって鎖につながれ、投獄されてしまいます。初代教会で、ユダヤ人やローマ帝国から迫害を受けた、いわゆる殉教者です。
 
彼らは、信仰によって、石で打ち殺され、のこぎりで引かれ、剣で切り殺されました。信仰によって、羊の皮や山羊の皮を着て放浪し、暮らしに事欠きました。信仰によって苦しめられ、虐待され、追放されました。信仰によって生きたのに、荒れ野、山、岩穴、地の割れ目をさまよって、不遇な生活を送りました。
 
本当は、信仰が認められていなかったから、信仰が足りていなかったから、そのような報いを受けたんだ……と思いたくなるほど、理不尽な目に遭っています。しかし、この人たちはすべて、その信仰ゆえに、神に認められていたと、39節に、はっきり記されています。にもかかわらず、約束されたものを手に入れませんでした。
 
手に入れたのは、拷問、嘲り、投獄、処刑、貧困、虐待、孤独でした……同じ、信仰によって生きた者でも、大きく異なる人生です。しかも、信仰の優劣でそうなったのではありません。この人たちはすべて、その信仰ゆえに神に認められていました。実際、最も不遇な扱いを受けて殺されたのは、他ならぬ神の子、救い主でした。
 
それなら、信仰によって、彼らはみんな、どんな苦しい人生も、平穏に感じることができたんでしょうか? 信仰によって不安にならず、怒りも湧かず、モヤモヤすることもなかったんでしょうか? 寂しくなったり、戸惑ったり、疑ったりせず、いつも満足することができたんでしょうか?
 
違います。私たちは、信仰によって、最後まで神様に従った方が、神の子イエス・キリストが、十字架につけられる前の夜、悶え苦しんでいたことを知っています。できればこの杯を、十字架の死を取り去ってほしいと、神様に願ったことを聞いています。イエス様も自分が理解されないことに、嘆き、呻き、憤ったことを見ています。
 
「信仰によって」故郷を離れ、知らない土地へ出て行ったアブラハムも、神様に約束された、息子の誕生を信じられず、笑ってしまった人物でした。「信仰によって」子をもうける力が与えられたサラも、アブラハムと同じく、その約束を信じられず、笑ってしまった人でした。
 
「信仰によって」ヤコブとエサウに祝福を祈ったイサクは、実際のところ、リベカのように、神様の計画を聞くことなく、長男だけに祝福を送ろうとした人でした。「信仰によって」王の怒りを恐れず、エジプトを立ち去った指導者モーセは、イスラエルの民を導き出す使命から、何度も逃れようとした人物でした。
 
これ以上、何を話しましょう。「信仰によって」国々を征服したギデオンは、本当に神様が一緒に来てくれると、なかなか信じられず、何度も試した人物でした。「信仰によって」獅子の口をふさぎ、敵軍を敗走させたサムソンは、神様の言いつけを破って、敵に捕えられた人でもありました。
 
「信仰によって」身内を生き返らせてもらった女性たちは、預言者に対し、怒りと恨みをぶつけた人たちでもありました。「信仰によって」動物の皮を来て暮らし、荒れ野で放浪し、投獄された洗礼者ヨハネは、イエス様が、本当に約束された救い主か、疑った人でもありました。
 
信仰によってブレなかった人って、実は一人もいないんです。信仰によってどんな困難も平気になって、どんな状況にも満足できた人なんて、聖書にも出てこないんです。にもかかわらず、この人たちはすべて、その信仰ゆえに「神に認められた」と言われています。人生で与えられてきた恵みより、更にまさったものを与えられる計画が告げられます。
 
それは、新しい命です。単に、死んだはずの者が生き返らされ、もう一度、この世でやり直せるという、古い命ではありません。朽ちることのない神の国で、朽ちることのない体に復活し、新しく生きていくことのできる命です。疑い、迷い、戸惑いながらも、神様から与えられてきた信仰によって、神様と共に生かされていく命です。
 
神様が、その約束をされたのは、他ならぬ、あなたです。「信仰によって」生きることができていないと思うなら、もう一度、思い出してください。あなたのように恐れ、怖がり、不安になって、戸惑い、迷い、揺れ動いて、信じたり、信じなかったり、神様に従ったり、背いたりしてきた人たちが「信仰によって」生きたんだと、神様が認めてられたことを。
 
神様は、あなたの信仰を、ちゃんと信仰として受け取っています。自分の愛する独り子を送って、揺れ動くあなたと共にいて、一緒に呻き、嘆き、憤っていることを知らせます。「神様に従えない」と項垂れるとき、「神様に応えるのが怖い」と叫ぶとき、あなたはあの日、ゲッセマネで悶え苦しんだ、イエス様と共にいます。
 
自分がやったことの罰を受け、報いを受けたと思うとき、神様に、自分を思い出してほしいと思うとき、あなたはあの日、隣で十字架に釘付けられた、イエス様と共にいます。「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と告げられた、イエス様の右にいます。
 
思い出してください。あなたが「信仰によって」生きていることを。あなたがイエス様の姉妹として、兄弟として、神の子として、受け入れられていることを。もう既に、あなたは信仰によって義とされ、信仰によって神の子とされ、天の国の市民権が、与えられていることを……ブレても、揺れても、神の国へと至る道に、引き戻されていくことを。
 
「こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか」「信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら」……アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌8番「何も変わらないと(B)」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週も、来週の「宗教改革記念礼拝」と「教会研修会」に向けて準備をしながら、私たち一人一人が改革すべきことは何か、共に問いかけていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

「派遣」の賛美歌92番「主よ、わたしたちの主よ」2節を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ。(『讃美歌21』の93-6-4、イザヤ書52:7より)

 

祝 福

主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった21名、同時に視聴された11名、計32名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

福岡地区での礼拝奉仕と、信徒大会も無事に、行うことができました。受付にお土産のお菓子があるので、よかったら、お帰りの際、一つずつお持ち帰りください。また、来週10月29日(日)は、31日の宗教改革記念日を覚えて、宗教改革記念礼拝を行います。

 

礼拝後、軽食を挟んで、12時半から「カルトと教会」というテーマで、教会研修会を行います。13時半に終わる予定なので、時間のある方や興味のある方はぜひ、ご出席ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。