ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『信教の自由と衝突』 使徒言行録19:21〜27

聖書研究祈祷会 2023年10月25日


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案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の380番「信仰のつばさを」を歌います。諸事情でマスクの着用ができない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆世界を創造し、愛される神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。この時期、教会や、幼稚園や、学校や、自治会で、様々な行事が続いていきます。どうか今、無理をして体調を壊した方々や、疲れが出てきている方に、あなたの癒しと、十分な休息がもたらされますように。

◆私たちの神様。華陽教会への転会や、受洗を考えている方々に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、悩んだり、困ったり、話しにくいことが出てきたとき、お互いに誠実な関係を築きながら、支え合うことができますように。

◆私たちの神様。今度の日曜日には、宗教改革記念礼拝が行われます。午後には、「カルトと教会」というテーマで、教会研修会も開かれます。どうか今、私たちが自身の課題と問題に気づかされ、健全で誠実な伝道を担えるように、この時を豊かに用いてください。

◆全ての者をとりなされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録19:21〜27の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

メッセージ

異なる宗教、異なる信仰、異なる信者がぶつかり合う……典型的な出来事が、エフェソでの騒動として、使徒言行録に記されています。宣教者パウロが伝えるキリスト教と、エフェソに神殿が建っている、女神アルテミスへの信仰……両者が衝突し、暴動に発展し、収集がつかなくなる様子は、まさに、小さな宗教戦争です。
 
現在、多くの先進国では、これを防ぐために「信教の自由」が保障されています。信教の自由とは「宗教を信仰し、宗教上の行為を行う自由」であり、「何を信じるか、何を信じないかが尊重される権利」です。つまり、相手に、自分と同じ信仰を持つよう強制したり、むりやり改宗させたりすれば、「信教の自由に反している」ということになります。
 
よく日本でも、「自分の信仰を押し付けてはならない」とか、「ひとの信仰を否定してはならない」と聞きますよね? 「福音」を、「良い知らせ」を、キリスト教を伝えるときも異なる信仰を否定したり、攻撃したりしないように、相手を尊重し、誠実に伝道できているかが問われます。
 
ところが、エフェソで伝道していたパウロは、デメトリオという銀細工師から、「他者の信仰を否定して、蔑ろにしている」というような批判を受けます。エフェソでは、女神アルテミスを祀る神殿の模型が、銀細工師によってたくさん作られ、多くの人がそれを所有し、大事にしていました。
 
しかし、パウロは以前から「手で造ったものなどは神ではない」と言っていたため、「これでは、我々の仕事の評判が悪くなってしまうおそれがある」とデメトリオたちが心配します。「評判が悪くなるおそれがある」ということは、単なる工芸品として、美しい置物として、売り買いされていたわけじゃなさそうです。
 
高額な神殿の模型を置くことで、女神の恩寵が多く受けられる……という、開運商法に近いビジネスがあったのかもしれません。一方で、アルテミスの神殿を指して「あそこには神なんていない」「女神アルテミスなんて存在しない」と言われたら、もともと信仰していた人が、腹を立てるのも分かります。
 
キリスト教徒の私たちが、神社仏閣を指差して、「あれは偶像礼拝だ」「本当の神じゃない」と言うようなものですから、相当失礼です。もし、そういう言い方をして改宗を迫るなら、パウロの伝道方法も「何を信じるか、何を信じないかが尊重される権利」を侵した宗教カルトの勧誘と、そう変わらなく見えるでしょう。
 
しかし、デメトリオたちの扇動によって、野外劇場で始まった暴動は、町の書記官によって治められ、パウロたちに非のないことが伝えられます。「諸君がここへ連れて来た者たちは、神殿を荒らしたのでも、我々の女神を冒涜したのでもない」……どういうことでしょう? パウロは、ひとの信仰を否定したんじゃなかったのでしょうか?
 
改めて注意して見ると、パウロがエフェソの町でキリスト教を伝えていたのは、ユダヤ人の会堂や、ティラノという人の講堂でした。ところかまわず出て行って、すれ違った人を捕まえて、話を聞かせたわけではありません。実は、パウロの伝道旅行を見ていくと、ほとんど決まったところで、そこに集まった人たちに向かって、話をするのが常でした。
 
つまり、女神を信じる人の集まりに、アルテミスの神殿に、パウロが自ら乗り込んで、キリスト教を伝えていたのではありません。彼が、会堂や講堂で話しているところに、色んな人たちが集まって、噂が広がっていくうちに、もともと女神を信じていた人も、話を聞きに来て、キリスト教を信じるようになったんです。
 
実際、パウロはアテネでも、至るところに偶像があるのを見て、憤慨しながらも、最初から、町の人々の信仰を否定するような言い方はしませんでした。無理やり改宗させるようなこともしませんでした。嫌がる人たちへ押しかけてではなく、興味を持った人たちに連れていかれて、アレオパゴスの真ん中で話しました。
 
「アテネの皆さん、あらゆる点においてあなたがたが信仰のあつい方であることを、わたしは認めます。道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう」
 
「世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、手で造った神殿などにはお住みになりません」……こう聞くと、決して、ひとの信仰を蔑ろにしたわけじゃないことが、感じられると思います。パウロはアテネの人にも、エフェソの人にも、異なる信仰だからと言って、人格を否定するような態度は見せませんでした。
 
むしろ、銀細工師の扇動でパウロたちに腹を立て、「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と叫び出した群衆の方が、異様な熱狂を見せています。パウロは一言もエフェソ人を悪く言ったり、アルテミスを馬鹿にしたりしていませんが、群衆はそんなこと関係なく、彼の仲間を捕えて、野外劇場になだれ込みます。
 
劇場で、パウロと同じユダヤ人が話そうとすれば、一斉に、声を被せて「エフェソ人のアルテミスは偉い方」と二時間近くも叫び続けます。女神アルテミスを讃える、宗教上の行為と言えばそうですが、彼らが捕えて連れてきた、パウロの同行者は、その意志を尊重されず、無理やり連れて来られています。
 
事態を収集するため、弁明しようとしたユダヤ人も、ユダヤ人という理由で、異なる信仰の持ち主だという理由で、黙らされてしまいます。これに耐えきれなくなって、パウロの仲間たちがキリスト教の信徒を辞めたら、アルテミスへの信仰に改宗したら、それこそ「何を信じるか、信じないかが尊重される権利」を侵された出来事になるでしょう。
 
繰り返しますが、信教の自由とは「宗教を信じ、宗教上の行為を行う自由」であって、「人権侵害や不法行為を行う自由」ではありません。宗教を理由にすれば、何をやっても許される権利ではありません。目的に信仰が絡んでいても、手段とやり方が間違っていれば、その行為は尊重されません。
 
実際、エフェソの町の書記官は、冷静に、この集まりが、他者の権利を侵害した無秩序な集会になっていることを指摘します。デメトリオと仲間の職人にも、誰かを訴え出たいのなら、法廷か地方総督へ訴えるか、正式な会議で解決してもらいなさい、と注意します。幸いにも、エフェソには、自分たちの誤りを正す作用が、ちゃんと働いていました。
 
一方、現在の教会はどうでしょうか? 私たちは、自分の宗教が、自分の信仰が、尊重されることを求めますが、他者の宗教や、他者の信仰も、ちゃんと尊重できているでしょうか? 自分と同じ信仰を持ってほしい子どもたちに、友人に、キリスト教を伝えるとき相手の意志をきちんと尊重できているでしょうか?
 
昨日、日本基督教団のホームページで、「いわゆる『宗教二世』問題を新たに作らないための約束と宣言」が公開されました。これは、宗教団体に属する親が、法令に違反する行為や人権侵害を容認する教えや指導に従うことで、尊厳を傷つけられてきた子どもたちの訴えから、ようやく作られたものです。
 
今度の宗教改革記念礼拝のあと、教会研修会でも取り上げますが、本日の聖書研究祈祷会でも、最後に、この約束と宣言を読んで、誠実な伝道と、信仰継承のあり方について、考えていくきっかけにしたいと思います。

 

私たちの教会が、無秩序な集会にならないように、悲しみや苦しみを引き継ぐ群れではなく、喜びを分かち合う群れとなるように、これからも祈りを合わせていきましょう。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(北海道稚内市の稚内教会)のために、イスラエルとパレスチナのために、ロシアとウクライナのために、紛争地帯のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆北海道稚内市の稚内教会のために祈ります。厳しさを増す教会の現状の中で、会衆一人一人の祈りの場として、これからも教会を続けることができますように。新しくこの教会へ来る人、共に信仰を告白する仲間と巡り会うことができますように。

◆イスラエルとパレスチナのために祈ります。複雑な背景が重なって、対話が困難な人たちに、あなたの慈しみがありますように。戦争に巻き込まれていく一人一人が、助かるように、平和へ至るように、周囲の私たちも導いてください。

◆ロシアとウクライナのために祈ります。広がり続ける被害と増え続ける犠牲者が、一日も早く止まりますように。平和的な解決のために、周囲の私たちも知恵と勇気を与えられますように。

◆紛争地帯のために祈ります。イラン、イラク、シリア、ミャンマー、イエメン、ソマリア、南スーダン、その他、様々な衝突が起きている国や地域に、あなたの憐れみがありますように。全ての命と権利が大切にされ、和解がもたらされますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌9番「たくさん悩んでみたけれど」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

 

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、感謝致します。先週の聖書研究祈祷会は、教会に集まった5名、同時に視聴された1名、計6名が参加されました。後から動画や原稿を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。