ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『昔のことを思い出すな?』 イザヤ書43:18〜19a

元旦礼拝 2024年1月1日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする」と言い、また、「書き記せ。これらの言葉は信頼でき、また真実である」と言われた。(ヨハネの黙示録21:5)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、讃美歌二編の189番「丘の上の教会へ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。去年一年間、最初から最後まで、あなたが導いてくださったことを感謝致します。どうか今、残された課題や、新たな問題にぶつかりつつも、癒しと回復が導かれ、新しく出発することができますように。

◆私たちの神様。良い天気の中、新年を迎えました。あなたが与えてくださる新しい一年の始まりに感謝致します。どうか今、この一年も、揺らいだり、迷ったり、悩んだりしながら、あなたへの信頼が確かにされ、喜びと希望を持って、歩むことができますように。

◆私たちの神様。休みに入った子どもたちや大人に、あなたの慈しみがありますように。ゆっくりできない人、心が落ち着かない人、焦りが募っている人たちに、平安がもたらされますように。どうか今、それぞれに必要な休息と助けがありますように。

◆私たちを新たにされる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書43:18〜19aの新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編90:1〜13(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、讃美歌21の367番「偉大なみ神の」を歌いましょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。差し支えない方はお立ちください。

 

Mohamed HassanによるPixabayからの画像

メッセージ

2024年1月1日、新しい年を迎えました。普段は、教団の聖書日課で、その年の元旦に読むよう指定された聖書箇所を読んでいますが、今回はいつもと違います。日曜日に渡される、礼拝プログラムの右上をご覧になれば分かるように、先ほど読んだ聖書の言葉は華陽教会における今年度の年間聖句です。

 

「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」……イザヤ書43章18節から19節a……最近は、聖餐式や愛餐式がないときの礼拝で、月に3回、読んでいる言葉でもあります。新年を迎えた今日の礼拝にも、ピッタリの聖句に聞こえるでしょう。

 

しかし、「初めからのことを思い出すな」と命じられて、「昔のことを思いめぐらすな」と釘を刺されて、「何だかな……」と感じた方も多いと思います。新しく出た聖書協会共同訳では、もっとストレートに「先にあったことを思い起こすな。昔のことを考えるな」と言ってきます。

 

思わず、「それっていけないの?」と反論したくなりますよね。昔を思い出しちゃいけないのか? 過去を振り返ったらいけないのか? 「振り返ってばかりでくよくよするな」というメッセージなら、コロナ禍を経験し、それ以前の様子を度々思い返している私たちには、ちょっと厳しく感じます。

 

だって、振り返りたくなりますよね? 今日は、礼拝が終わった後、残ってくれた方へ牧師が用意したぜんざいを振る舞う予定ですが、コロナ禍に入ってから4年間、できなかったことでした。過去を振り返ったから、昔を思い出したから「またやってみよう!」と考えて、再び始められたんです。

 

12月24日に行われたクリスマスの祝会も、数年前を思い起こし、こうやっていたな……ああやっていたな……と準備して、再開できたものでした。初めからのことを思い出さなければ、昔のことを考えなければ、みんなで喜びを分かち合った、あの集まりも、この集まりも、たどり着けませんでした。

 

去年一年間、華陽教会で歩んできた道のりを思い返しても、過去を振り返ること、昔のことを思いめぐらすことは、私たちが留まっていたところから、新しく出発するために、必要不可欠なことでした。どうやら、「昔のことを思いめぐらすな」というのは、単純に、今のことだけ考えて、前だけ向いて進みなさい……という話ではないようです。

 

そもそも、ここで言われている「初めからのこと」「昔のこと」っていったい何を指しているんでしょう? この聖句だけ切り抜くと、漠然と「過去のこと、昔のことは考えるな」と言われているように感じますが、もう少し具体的な話をしています。実は、ちょっと前の16節から17節には、こんな言葉が語られていました。

 

「主はこう言われる。海の中に道を通し、恐るべき水の中に通路を開かれた方。戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し、彼らを倒して再び立つことを許さず、灯心のように消え去らせた方」……教会にしばらく通っている方ならピンとくるでしょう。明らかに、出エジプトの出来事が語られています。

 

昔、エジプトで奴隷にされていたイスラエル人が、神様によって作られた、海の中の道を通って敵から逃れ、重い労苦から解放された話……それは、過越の祭りを通して、繰り返し思い起こすよう、神様が命じたものでもありました。それだけ大事な過去なのに、どうしてここでは「先にあったこと、昔のことを考えるな」と言われてしまうんでしょう?

 

実は、預言者イザヤがこう伝えたとき、イスラエルの人々は、バビロニアによって自分の国を滅ぼされ、捕虜として外国へ連れて行かれ、自由になれない日が続いていました。昔は様々な奇跡によって助けられたのに、今はかつてのように助けてはもらえない……と嘆く人たちが増えていました。

 

もともと、辛い困難に遭っても、神様はこのように助けてくださる……という希望をもたらす記憶だったのに、いつの間にか、「これは過去の栄光であり、今は見る影もない」という悲しみに浸る記憶として、変質していたんです。人々は、現状に希望を見い出すためではなく、現状を嘆くために、昔のこと、出エジプトを振り返るようになっていました。

 

そのため、神様は預言者イザヤを通して語ります。「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」……よく見なさい。過去に起きていなかったことが、もう既に始まっている。失ったもの、できなくなったことに目を奪われて、目の前に作られた道が見えなくなっている。

 

コロナ禍に入ってから、以前はできたこと、今はできないことに目を奪われることが増えました。昔はあったもの、今はなくなったものに、心が囚われることもありました。礼拝に来る人数は、感染症の拡大が収まってからも、もとのようには回復せず、毎週行っていたハレルヤランチは、何か行事があるときに再開するのでやっとです。

 

戦後、いっきに信徒が増えたようには受洗希望者も現れず、結婚式を教会でやる人も、滅多に見なくなりました。かつて起こったリバイバルは、いっきに起こった癒しの奇跡は、昔のようには聞きません。過去を振り返ると、失ったもの、できなくなったものが次々と頭に浮かんできます。

 

でも、既に新しいことが始まっています。過去になかった奇跡が起きようとしています。クリスマス祝会には、初めて礼拝に来た人が、そのまま最後まで出てくれました。夜には教会学校の子どもが、一緒に演奏をささげてくれました。過去には華陽教会を知らなかった人たちが、配信を見て、礼拝へ来てくれるようになりました。

 

幼稚園と協力して、子どもたちの夏祭りや、ハロウィンと宗教改革にちなんだお楽しみ会も始まりました。何年も同じメンバーだったオリーブ会やヒラソルの会に、初めての方が参加して、今まで聞かなかった会衆同士の好きな歌、好きな聖句を語り合うようになりました。

 

かつてなかったことが起きています。既に新しいことが始まっています。この先、昔のことを振り返って、何かを再開していくとき、私たちは「もとのようになること」を目指すのではありません。過去に起きたことをもう一度、期待するのではありません。過去を超えて、前より変化して、新しいことが起きるのを目指します。

 

「もとのように」できなくていいんです。過去に歩んだ道と同じところを進まなくていいんです。昔起こった奇跡をもう一度起こさなくてもいいんです。神様は、出エジプトを越える、新しい奇跡を起こすと約束しました。その言葉どおり、外国の支配に苦しんでいた人々は、戦争の勝利に変わる、救い主の到来を経験しました。

 

私たちも、「初めのように」「昔のように」なることを願って、過去を思い出すのではなく、新しいことが行われるために、神様が共に歩んでくださったことを思い起こします。だから、改めて言いましょう。「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」……アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌1番「枯れた谷に鹿が」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

愛 餐

本日は、共に礼拝をささげる全ての人と神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。冊子の8頁です。御着席のままで大丈夫です。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

配 餐

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、初めて来た方も、このパンと水は信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。

 

本日、礼拝に来られているお子さんや学生も、一緒に受け取っていただけます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。係の方は、前へお越しください。(パンと水を配る)

 

分かち合い

ケースの蓋をお取りください。共に、神の恵みを味わいましょう。

 

主は言われます。「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。

 

主は言われます。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、冊子の8頁、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2、3節を歌いましょう。御着席いただいたままで大丈夫です。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。(イザヤ書43:19a)

 

祝 福

主があなた(がた)を祝福し、あなた(がた)を守られるように。主が御顔を向けてあなた(がた)を照らし、あなた(がた)に恵みを与えられるように。主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。アーメン。(民数記6:24〜26)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。昨日の日曜礼拝は、教会に集まった12名、同時に視聴された8名、計20名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

本日礼拝後、2階集会室で、牧師の作ったぜんざいを振る舞う予定です。よかったらぜひ、お召し上がりください。なお、今週の聖書研究祈祷会は牧師休暇のためお休みです。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。