ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『アンチキリスト』 ヨハネの手紙一2:22〜29

日曜礼拝 2020年6月21日


『アンチキリスト』ヨハネの手紙一2:22〜29

 

 

招 詞

わたしは歩哨の部署につき、砦の上に立って見張り、神がわたしに何を語り、わたしの訴えに何と答えられるかを見よう。(ハバクク書2:1)

 

讃美歌

讃美歌21の419番を歌いましょう。前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。マスクをしておられない方は、受付で使い捨てマスクをお受け取りください。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただいき、心で賛美を味わいましょう。

 

お祈り

共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ感謝致します。どうか今、家庭で、職場で、施設で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様、今日からついに、半分ずつ集まっていた会衆が、複数の部屋に分かれて一緒に礼拝を守ります。どうか今、2階で、3階で、ロビーで、配信で、あなたの前に集まった人たちを祝福してください。

◆私たちの神様、自分のことでいっぱいいっぱいになりがちな私たちに、新しい視野と連帯する力を与えてください。逃げること、休むこと、嘆くこと、怒ることを通して、仲間との気づきや前進する力をもたらしてください。

◆私たちの神様、耐え忍び、我慢し、傷ついている人を救ってください。隠れたところで誰かを守り、見えないところで痛みを負った人たちに、あなたの両手を差し伸べてください。小さな勇気と思いやりにどうか報いてください。

◆私たちに現れたイエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネの手紙一2:22〜29。

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

f:id:bokushiblog:20200619132110j:plain

Ryan McGuireによるPixabayからの画像

メッセージ

 

アンチのイメージ

聖書に出てくる「反キリスト」という言葉を原文のギリシャ語に直すと“アンティ クリストス”まさに今日のタイトルにつけた「アンチキリスト」という言葉になります。「アンチ」って最近よく聞きますよね? 特定のグループや著名人に反対し、その主張や言動を批判する人たちを「誰々のアンチ」とか「アンチ何々」というふうに呼んでいます。

 

たとえば「アンチ巨人」と言ったら、読売ジャイアンツのことが嫌いな人たち、あるいは、巨人や巨人ファンを敵対視する人たちです。ネット上でアンチと言えば、より攻撃的なイメージを持たれます。相手の言動を逐一取り上げては批判を加え、誹謗中傷し、その心が折れるまで、あるいは世間の評価が下がるまで執拗に追い回す人たち。

 

ブログやYouTubeで発信するようになった私も、正直、自分にアンチがつかないか、アンチからのコメントが来ないか、いつもビクビクしています。けれど反対に、私自身が破壊的カルトを攻撃する「反カルト」「アンチカルト」というふうに一括りに見られることもあります。

 

キリスト教から見て少数派の異端を排除しようとする人たち、自分たちの教勢を増やすため、他のグループから信者を脱会させ取り込もうとする人たち。破壊的カルトの脱会支援や救出カウンセリングをしている人は、しばしばそう見られてきました。実際には脱会者が教会員になることはほとんどないんですが、未だにこのイメージは変わってません。

 

できれば、キリスト教会の一牧師として、異なるグループを執拗に攻撃するアンチには見られたくないな……と思いつつ、厄介なことに、今日呼んだヨハネの手紙には、異端への批判と攻撃が満載です。キリスト教徒ってあんまり心が広くない? と思われがちな聖書箇所。

 

反キリストの正体

教会から去った人、イエスを神の子と認めない人、そういう人はもともと仲間じゃなかったんだ。彼らはアンチキリストで、互いに愛し合うことのない、偽りを口にする者だ。けれど、我々は真理を知っているし、他の者から教えを受ける必要もない。だから堂々としていよう……乱暴にまとめたらこんな感じですよね? 非常に上から目線です。

 

どちらかと言うと、教会から出ていった人をこんなふうに中傷する方が、今で言うアンチのイメージに近いかもしれません。ヨハネの手紙以外でも、異端のことを「滅びの子」と中傷したり、彼らの生活スタイルを事細かく取り上げて批判する記述が出てきます。いったいどっちがアンチなのか?

 

ただ、注意したいのは「反キリスト」という言葉に使われている「アンチ」は、現代の私たちがイメージするアンチとは、ちょっとニュアンスが違うことです。実は、アンチキリストのアンチには、「◯◯に反対する」と同時に、「◯◯の代わり」という意味もありました。ようするに、「キリストに反対し」「キリストの代わり」を自称する人たち。

 

たとえば、「キリストの救いは完全ではなかったが、私こそ救いを完成しに来たメシアである」と主張する者、「実は私が再臨したキリストだ」と騙る者、そういう人たちに追従する信者やグループも含まれました。単に教会から離れた人たち、出ていった人たちと言うよりも、「キリストの代わり」を作り、「キリストの代わり」を信じている人たちです。

 

そして厄介なことに、彼らの中には、キリストを信じる者を装って人々を惑わす者もいたようです。本当は別のものを救い主と信じているのに、あたかも仲間であるように近づいて、キリストの代わりに別のものを信じるよう誘導していく……そんな教師や指導者が居たみたいです。

 

いったい何が本当のことなのか、かつて教えられたことは間違っていたのか、混乱する教会の人々に、手紙の著者は繰り返しこう伝えます。「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい」……異なることを言って惑わしてくる者がいるけれども、イエス様を神の子と信じ、互いに愛し合いなさい。他に特別な教えはありません。

 

注意すべきアンチ

初代教会の時代、こういう事件が何度も何度も起きました。救われるためにはこういう決まりを守らなければならない! これだけのことをやらなければならない! どうすればいいか知っているのは我々だけだ! だから、全てを捨てて付いてきなさい!……今でも、自分たちこそ秘密を知っているという態度で、こう訴えてくるところがあります。

 

何か特別なことをしないと、大きな犠牲を払わないと、細かい掟を守らないと、神様に認めてもらえない、罪を赦してもらえない、自分も家族も救われないんじゃないか?……そんな不安につけ込む人が現れる。そう、本当に注意すべき「アンチ」って、私たちが頼るべきもの、付いていくべきものの「代わり」を信じさせてしまうものなんです。

 

ちょうど、新型コロナが流行る中、感染症にかからないための秘訣や秘密を知っているという団体が至るところに現れました。「この教師に祈ってもらえば」「この人の油をもらったら」「この教えを信じるなら」感染症から守られる……宗教団体だけでなく、アロマや除菌グッズを売る人からも、必要なものの「代わり」を信じさせられた人がいます。

 

実際にできることと言ったら当たり前のことなんです。手洗い、マスク、消毒、換気……初めから聞いていたことを守ること。それ以外に特別なことをした方がいいんじゃないかと不安になりますが、落ち着いて、冷静に、私たちは信じるべきものを判断しなければなりません。

 

不安や恐怖を煽ってきたり、それまで信じていたものの「代わり」を強引に信じさせようとするものが現れたら、今日の言葉を思い出して、とどまるべきところにとどまりましょう。神の子イエス・キリストが、あなたの不安と動揺に、いつも寄り添ってくださいますように。

 

紹 介

本日、初めて教会に来られた方、久しぶりに来られた方で、紹介をご了承いただいた方のみ受付の方と一緒にお立ちください。今日は( )名の方が来てくださいました。配信に乗らないようにお名前は後ほど紹介させていただきます。神様の平和が皆さんと共にありますように。

 

とりなし

共に、礼拝につながった者として、とりなしの務めを果たしましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

◆世界の国民と政府のために祈ります。主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

◆世界に広がる全ての教会のために祈ります。主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

◆教会員のために祈ります。主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

◆一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

◆身近な人のために祈ります。主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

◆幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

◆苦しんでいる人のために祈ります。主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

◆今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス・キリストが私たちに教えられた、最も基本的な祈りを祈りましょう。

主の祈り。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。

御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。

アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。礼拝のライブ配信に参加されている方は、また後日、教会に来られたときにおささげください。

 

(*新来者が来られたとき)献金は神様の恵みに対する感謝の応答です。教会の維持や運営、地区や教区の働き、福祉や慈善活動への寄付に使われます。金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、受付で配られた袋をそのままお入れください。

 

讃美歌

オンライン讃美歌『神よ 諦めない心』(©柳本和良)を歌いましょう。先ほどと同じく、前後左右の人と十分に距離を取って、マスクをしたまま歌います。諸事情でマスクを外しておられる方は、飛沫感染を避けるため歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を味わいましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

主がすべての災いを遠ざけてあなたを見守り、あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも、主が見守ってくださるように。今も、そしてところしえに。アーメン。(詩編121:7〜8)