ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『異端論争と解釈の違い』ヨハネの手紙一2:22~23

聖書研究祈祷会 2025年7月9日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の540番「主イェスにより」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

◆恵みと希望をもたらす神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。

◆私たちの神様。今度の日曜日には、岐阜地区を覚える月間の交換講壇が行われます。どうか今、田瀬、付知、坂下、蘇原、中濃、飛騨高山、各務原の教会と、互いに支え合うことができるように、このときの交流を豊かに導いてください。

◆私たちの神様。在日大韓基督教会の岐阜教会と大垣教会、フィリピン合同教会、すぐ隣にある日本キリスト教会の岐阜教会にも、あなたの祝福が豊かにありますように。どうか今、それぞれの集会とコミュニティーが守られ、会衆の健康が守られますように。

◆私たちの神様。来週、華陽教会へ来られる川上侑先生、岐阜教会へ行かれる鈴木重正先生、それぞれの牧師と一緒に教会へ伺う信徒の上に、あなたのお守りがありますように。どうか今、私たちの間にある関係が、ますます豊かにされますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネの手紙一2:22~23の新共同訳を朗読します。会衆席にある新約聖書443頁です。

 

同じく、ヨハネの手紙一2:22~23の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の新約聖書431頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

www.bible.or.jp

Jason GillmanによるPixabayからの画像

メッセージ

 今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「異端論争と解釈の違い」というトピックについて「反キリスト」について言及している、ヨハネの手紙一2:22~23に焦点を当てて、話していこうと思います。

 カルト問題について話していると「異端」と「カルト」の違いについて、説明しなければならないシーンが出てきます。「異端」とは「その時代における、その宗教一般の共通理解から外れたもの」で、「カルト」とは「個人の人権を侵害し、公共の福祉を破壊する、反社会的な集団」のことです。

 「異端であってもカルトでない集団」や「異端じゃないけどカルトである集団」もあります。サッカーの話にたとえると、「ゴールキーパーじゃない人も、手を使ってプレーして良い」と教えているサッカー部が、サッカーにおける「異端」です。周りから見たら、まともなサッカー部ではありませんが、そのサッカー部の中で、試合を楽しむ限りにおいては、周りに迷惑をかけることも、メンバーが傷つくこともありません。

 ただし、「他のサッカー部と試合をするときも、手を使ってプレーしなさい」と教えていたら、他のサッカー部に迷惑がかかり、メンバーもルール違反をさせられるので、傷つく人が出てきます。これが、サッカーにおける「カルト」です。単に、サッカーの楽しみ方が変わっているだけでなく、トラブルや被害をもたらすことになるからです。

 けれども、「女性がサッカーをプレーするのは王道じゃない」と言われていた時代に、まともなサッカー部として認められなかった女子サッカー部が、時代の流れと共に、公式の部活として認められるようになることもあります。これが、時代の変化に伴って、異端から正統へと変わっていった集団にたとえられます。

 一方で、サッカー自体は普通にプレーするものの、「試合に勝つためなら、授業をさぼってでも、門限を破ってでも、練習に来なければならない」と教えているサッカー部があったとします。これが、「異端」じゃないけど「カルト」と言える集団にたとえられます。サッカーのルールは正しく教えていたとしても、勝つための手段が間違っており、健康被害や関係性の破壊がもたらされるからです。

 このように、「異端」というのは、時代と共に「正統」へ加えられることもありますが、「サッカーの試合は全員手を使ってプレーして良い」と教えるチームと仲良く試合はできないように、全ての「異端」を「同じ宗教として排除せず、仲良くやっていきましょう」と言うことはできません。

 その時代に「まとも」と言えない集団が、時代の流れによって「まとも」と言われるようになるとも限らないからです。もちろん、「異端」と「カルト」を混同してはいけませんが、だからと言って、「異端」の区別を一様に「少数派の排除」として非難することも間違っています。

 議論の積み重ねによって、正統と認められる「異端」もあれば、問題点が整理され、「同じ宗教として同一線上には立てない」と確認すべき「異端」もあるからです。また、多くの破壊的カルトは、「個人の人権を侵害し、公共の福祉を破壊する、反社会的集団」として非難されているのに、「異端論争による少数派の排除に遭っている」と言って、議論をすり替え、理解や擁護を求めてきます。

 その際にしばしば使われるのが「キリスト教も、もともとはユダヤ教から見て『異端』だった」「イエス様も『異端』として攻撃を受けていた」という点です。確かに、かつてはキリスト教もユダヤ教の一派として始まり、ユダヤ教徒から異端として排除され、ローマ帝国からも新宗教として警戒されていました。

 けれども、そのように迫害されていた初期のキリスト教会は、自分たちが何をどう信じているかを明らかにし、公に告白して、信仰を継承していました。最初に読んだヨハネの手紙一2:22〜23には、イエス様を神の子として、救い主キリストとして信じていることを公に告白することが、神様に結ばれている者の証であると書かれています。

 一方で、イエス様がメシア(救い主)であることを否定したり、イエス様が神の子であることを認めなかったり、イエスをキリストと公に言い表さない者は「反キリスト」であると批判されています。キリスト教で「反キリスト」と出てきたら、いわゆる「異端」を指していると言えるでしょう。

 ところが、キリスト教系の破壊的カルトでは、この部分を都合よく解釈し、「異端とは、イエスがキリスト(救い主)であることを認めないことで、現代においては、自分たちのリーダーである先生を『再臨主』『再臨のキリスト』と認めないことを指している」と教えてくることがあります。

 一方で、世間に向けて、自分たちが何をどう信じているか、公に告白することを避けるように教えます。「自分たちの先生が、再臨のキリストだと公にしたら、十字架にかけられたイエスのように、迫害を受けて殺され、神の使命を果たせなくなってしまう」「先生の正体を明かしたら、警戒する者たちに伝道を阻止されてしまう」「先生を再臨のキリストと信じていることは、隠して伝道しなければならない」と教えるわけです。

 しかし、迫害を受けながらも伝道を続け、社会へ認められるようになっていったキリスト教は、周りから警戒され、攻撃されていた教え、すなわち「イエスを神の子、救い主と信じていること」を公に告白し、隠さないで、誤魔化さないで伝えてきました。そして、イエスを神の子、救い主と公に告白しないで、新たに「メシア(救い主)」を名乗るリーダーたちを「反キリスト」と呼んできました。

 そして、キリスト教を異端として警戒し、非難してきた者たちとの議論を重ね、社会と対話を続けたことで、今のキリスト教会があります。単に、新たな時代が来たから、異端ではなく正統と認められるようになったのではなく、何をどのように信じているか、公に告白し、公に議論を重ねてきたからこそ、認識が変わっていったんです。

 また、「異端」として非難されている団体が、自分たちを擁護するために、よく使われる言説に、もう一つ「コペルニクス的展開」が挙げられます。かつて、天動説が主流だった世界で、異端とされていた地動説が、新しい時代に、正しい教えとして受け入れられていったように、きちんと時代を見極められる人間は、自分たちのことも異端じゃないと分かるようになる……と言うわけです。

 けれども、地動説が受け入れられていったのも、公に何をどのように考えているか発表し、検証し、議論を重ねてきた人たちの努力があったからであり、非難や攻撃を正面から受けとめて、研究が続けられたからです。何をどのように信じているか、公に告白しないで、正体や目的を隠して、世間での理解や擁護を求める態度は、これらと全く違います。

 そして、正体や目的を隠して、嘘をついて活動を続ける集団は、異端から正統へ認められる前に、カルトへ変貌していきます。これは、現在、正統と言われる教義や教理を教えている伝統教団であっても同じで、信者を獲得するために、主催や目的を隠して人集めを行っていれば、正統な団体もカルトへ変貌していきます。

 今一度、この点を重く受けとめ直し、何をどのように信じているか、隠さないで、騙さないで、公に告白していく群れでありたいと思います。共に、イエスが神の子、メシアであることを言い表し、誠実に信仰を証しして、神様に結ばれていきましょう。どうかあなたも、御子の内にとどまりなさい。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている 教会のために、のために、のために、のために、祈りを合わせましょう。

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆大阪府枚方市の磐上教会のために祈ります。住宅街の中にある教会を、近隣の方々に知っていただき、気軽に来てもらうことができますように。オンラインライブ礼拝が多くの方に用いられ、共に信仰生活を送る仲間が与えられていきますように。

◆岐阜地区の諸教会のために祈ります。怪我や病気、衰えや障害によって、あるいは、様々な事情によって、自分の教会へ通うことが困難になっている人たちに、あなたの助けがありますように。恵みと喜びを分かち合う居場所と関係が作られますように。

◆在日大韓基督教会のために祈ります。韓国と日本を行き来する高誠先生とご家族の健康が守られ、癒しと休息が与えられますように。岐阜教会と大垣教会の会衆が守られ、共に宣教の業を担っていくことができますように。

◆フィリピン合同教会のために祈ります。会堂を持っていない教会にも、礼拝する場所が備えられていきますように。離れたところで礼拝を守っている会衆同士の関係が、新しくされていきますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

オンライン賛美歌11番「どうか平和の主が」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。

 

よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『従わないと裁かれる?』と題して、創世記 6:11~22のお話しをします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。