聖書研究祈祷会 2025年7月2日
案 内
華陽教会では、讃美歌委員会と日本聖書協会の著作物使用許諾を得て、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。
讃美歌
讃美歌21の442番「はかりも知れない」を歌いしょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。
お祈り
ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。
◆恵みと希望をもたらす神様。今日もまた、あなたによって守られて、聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝致します。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人に、祝福がありますように。
◆私たちの神様。岐阜地区を覚える月間の7月に入りました。13日には、日本基督教団と在日大韓基督教会の岐阜地区の教会で交換講壇が行われます。どうか今、私たちの交流が豊かに導かれ、共に支え合って、新しく生きていくことができますように。
◆私たちの神様。岐阜市で教会を探している中国の方やベトナムの方に、あなたの助けがありますように。どうか今、御言葉を求めて来た人に、共に礼拝へあずかれる場所を共有することができるように、私たちにも新たなつながりをもたらしてください。
◆私たちの神様。家庭の事情や職場の変化、心身の調子によって、なかなか教会へ来られない人たちに、あなたの支えがありますように。どうか今、それぞれに癒しと回復がもたらされ、希望を受け取って健やかに歩める道が与えられますように。
◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
聖書朗読
聖書の言葉を聞きましょう。歴代誌下 35:20~24の新共同訳を朗読します。会衆席にある旧約聖書722頁です。
同じく、歴代誌下 35:20~24の聖書協会共同訳を朗読します。新しい翻訳の旧約聖書707頁です。お持ちでない方は、新共同訳と読み比べながらお聞きください。
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |

メッセージ
今年度の聖書研究祈祷会は「信仰継承を考える」という華陽教会の年間主題に沿って、「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書を読むときの注意点について共有しています。今回は「無知の罠?」というトピックについて、神様の意思を汲み取れなかったヨシヤの出てくる、歴代誌下 35:20~24に焦点を当てて、話していこうと思います。
「カルトの教えとキリスト教」というテーマで聖書研究をやっていると、「無知の罠」という言葉が出てきたら、まさに、カルトのことを知らないゆえに、カルトを信じてはまってしまうという「罠」を思い浮かべるかもしれません。カルトの手口を知っていたら、本来のキリスト教の教えが分かっていたら、こんなものにははまらないと……。
実際、カルト信者に対する世間のイメージは「疑わないで盲信する」「色んなことに無知である」というものが、大半ではないかと思います。そのため、破壊的カルトや陰謀論の信者になってしまわないよう「疑うことは大切だ」「無知のままではいけない」ということがよく言われます。
もちろん、疑うことは大事ですし、無知のままでいることはよくありません。けれども、同時にカルトも、自分たち以外は「無知」であり、当たり前に信じてきたことを「疑う」必要があると促します。実は、カルトの多くは、人々を「盲信させる」というイメージに反し、まず「疑う」ことを促してきます。
しかも、自分たちが疑っているものを疑わなければ、あなたも無知なまま、愚かなままだと思わせて、一緒に「疑い」の目を持つよう熱心に説いてくるんです。そして、メディアで発信されている組織の否定的な情報など、10のうち9の情報を疑わせ、自分たちが出す1の情報を確かなものとして信じさせます。
さらに、自分たちの「疑い」を支持してくれない情報は、間違ったことを妄信させる、フェイクニュースだと断定して、自ら切り捨てさせるようになります。無知なのは世間の方で、自分たちはちゃんと「疑って」「調べて」「考えて」真理に気づいたと思わされていくんです。
そして、無知なまま、大事なことを知らないまま、誤った選択をしないように、組織のリーダーへ報告・連絡・相談を怠らないよう厳しく指導してきます。ちなみに、あるキリスト教系の破壊的カルトでは、神様の意思を汲み取れず、無知が原因で、失敗してしまった人々を聖書の中から紹介し、何でも一人で決めないように、組織の上司へあらゆることを相談することを徹底させます。
たとえば、歴代誌下に出てくるヨシヤ王は、神様に従って、イスラエル中から偶像礼拝を取り除き、壊れた神殿の再建を始め、風化していた過越の祭りを復活させるなど、古代の「宗教改革」を担った、偉大な人物として出てきますが、あるとき、神様の意思を汲み取れず、大きな失敗をしてしまいます。
それは、エジプトの王ネコが、ユーフラテス川のほとりのカルケミシュへ向かうため、攻め上って来たときのことでした。ネコはヨシヤ王に使いを送って、自分がやって来たのは、ヨシヤたちイスラエル人を攻撃するためではなく、「敵の家」「戦っている家」に向かうためであると言い、邪魔をしないようにお願いします。
これは、神様が命じたことであり、カルケミシュまで行こうとしている、自分たちエジプト人を攻撃すれば、神様に逆らうことになり、神様はあなたを滅ぼされるだろうと警告もしてきます。けれども、ヨシヤはネコの言うことを信じられず、彼と戦うために変装して、討ち取りに出掛けてしまいました。
エジプトは、イスラエル人を長い間奴隷にしていた国であり、神様の言うことを聞くような国ではないと思ったからかもしれません。ところが、神様は本当に、エジプトの王ネコが、カルケミシュまで行くように命じていたのか、ネコの言ったとおり、ヨシヤは射手たちに射抜かれて重い傷を負い、まもなく亡くなってしまいました。
聖書を用いるカルトの中には、このエピソードから、ヨシヤは神様の考えに対して無知であり、「エジプトは敵だ」という固定観念を脱することができなかったと教えます。神様は敵のような国も、必要に応じて用いられることを知らなかったというわけです。これは聖書を字義どおりに受け取ろうとする傾向の強い「原理主義」よりのキリスト教会でも、よく見られる受け取り方です。
現代における「寄留の民」とも言える難民や移民を排除したり、友好国の虐殺や侵略行為を支持したり、人権を蔑ろにする態度が多い指導者であっても、キリスト教の影響力を強くするなら、エジプトの王ネコやペルシャの王キュロスのように、神の計画に用いられた王の一人とみなすべき……という考えです。
ただ、神様に選ばれた王であっても、弱い者や貧しい者を蔑ろにし、不義と不正を繰り返す行為が不問にされるわけではありません。神に選ばれた指導者にも、間違ったことは間違っていると指摘して、訴えていくことが、本来のキリスト教の教えですが、神に用いられた王の記述を安易に受け取り、無批判に従うことが正しいかのように、思考停止に陥る姿勢も多々見られます。
また、ヨシヤがネコの言葉を信じられなかった理由として、ヨシヤは「歴史について疎かった」「歴史においても無知だった」と教えるカルトも存在します。エジプトは、確かにイスラエル人を奴隷にしていた国ですが、その前に、イスラエル人の祖先であるヨセフによって、飢饉を乗り越えた国でもありました。
そのため、エジプト人はイスラエル人に借りがあり、イスラエル人が敵対していたアッシリアの残存勢力であるカルケミシュを倒しに行くだけの理由があった……しかし、ヨシヤはその歴史を分かっておらず、カルケミシュに向かって上っていくエジプトを信じることができなかった……と説明されます。
しかし、実際のところ、イスラエル人がエジプト人の奴隷になった理由自体が、エジプト人の記憶から、イスラエル人の祖先であるヨセフにお世話になったことが忘れ去られた点にあり、エジプト人が借りを返そうとしてカルケミシュに攻め上ったとは考えられません。なお、歴史的研究によれば、エジプトの王ネコはアッシリアの残存勢力を援助する方の立場であり、実際にカルケミシュを攻めようとしたとは考えにくいと言われています。
また、ネコが通ったメギドには、エジプトの軍事基地が存在したと言われており、ヨシヤ王からすると、エジプトの軍がアッシリアの残存勢力と手を組んで、イスラエルを攻撃しにくる準備のように見えたでしょう。歴史的に無知だから、ネコを信じられなかったというより、当時の歴史的背景では、信じられないのが当たり前だったと言えるんです。
もちろん、そんな状況だからこそ、本当にネコが言ったとおりなのか、神様に祈って確かめる必要があるとも言えます。一般的なキリスト教会でも、ヨシヤはネコの言葉が本当か、神様に祈って確かめることもしなかったため、それまで一生懸命宗教改革を行って来た人なのに、大失敗をしてしまったと語られることはよくあります。
ただし、キリスト教系のカルトでは、このエピソードを利用して、ヨシヤと同じ轍を踏まないように、何かを決断し、選択するときには、それが本当に神様の意思に適っているか、リーダーや幹部に細かく相談し、報告しなければならない……と指導し、信者をコントロールするところがあります。
また、ヨシヤが「エジプトは敵だ」という固定観念に支配され、ネコの言葉を信じることができなかったように、新約聖書に出てくるユダヤ人も「イエスは神を冒涜している」という固定観念に支配され、キリストを十字架につけてしまった……という失敗について取り上げて、「自分たちのリーダーや組織を敵だと思って非難している世の中も、固定観念に支配され、無知の罠にはまっている」と主張してくるカルトもあります。
このように、「無知であってはいけない」という意識を利用して、かえって、本当のことを見えなくする、疑うべきことを疑えなくするコントロールもあることを、私たちはよく知っておく必要があります。疑うことを促されても、無知のままではいけないと注意されても、その団体がカルトでないという証拠にはなりません。
むしろ、自分の頭で考えて、決断や選択をすることができなくなるように、何でも報告させ、小まめに連絡させ、全てを相談させるような動きこそ、大きな罠であることを認識しなければなりません。そのような歪んだ支配に囚われないよう、また私たち自身が間違った支配に陥らないよう、引き続き、真摯に聖書の言葉と向き合っていきたいと思います。
とりなし
共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている大阪府吹田市の千里ニュータウン教会のために、心の調子を崩している人のために、体の調子を崩している人のために、家族が調子を崩している人のために、祈りを合わせましょう。
◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。
◆大阪府吹田市の千里ニュータウン教会のために祈ります。昨年のクリスマスに洗礼を受けた方と、新しく仲間を迎えた教会に、あなたの祝福が豊かにありますように。地域の人たちに福音の、良い知らせの光が届くように、牧師と会衆が導かれますように。
◆心の調子を崩している人のために祈ります。不安や恐怖に苛まれている人、気力が失われている人、同じ思考から抜け出せない人に、あなたの助けがありますように。安心して休める時間と、自分を肯定できる力が新しく与えられますように。
◆体の調子を崩している人のために祈ります。眠れない人、起きられない人、痛みや疲労で調子を出せない人たちに、あなたの支えがありますように。適切なケアと治療がもたらされ、苦しみが癒やされますように。
◆家族が調子を崩している人のために祈ります。親や子ども、お連れ合いや親戚が苦しんでいる人たちに、あなたの励ましがありますように。側で支えている家族も慰めと回復がもたらされ、一緒に希望を受け取ることができますように。
◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
オンライン賛美歌9番「たくさん悩んでみたけれど」(©️柳本和良)を歌います。

主の祈り
共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の4頁にも掲載しています。主の祈り……

報 告
本日も教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。配信終了後、時間のある方は午後2時半まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることなど自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。
よかったらぜひ、ご参加ください。来週の水曜日は、『異端論争と解釈の違い』と題して、ヨハネの手紙一2:22~23のお話しをします。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。