ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『そこまで上手くいきますか?』 イザヤ書49:14〜21、使徒言行録4:32〜37

在宅礼拝 2021年6月27日


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案 内

華陽教会では岐阜県の医療提供体制を受けて、今週まで、会衆が集まる礼拝を休止し、配信等による在宅礼拝に切り替えています。共に今、自宅にいる人も、後から見る人も、聖書の言葉に耳を澄ませ、神の招きにあずかりましょう。(*前奏)

 

招 詞

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。(マタイによる福音書6:33)

 

讃美歌

旧讃美歌179番「よろこびあふるる」を歌います。54年版讃美歌をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆父・子・聖霊なる、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて在宅礼拝を始めることができ、感謝致します。どうか今、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。来週から、会衆が半分ずつ集まる小規模礼拝を再開します。感染拡大を防ぐため、今日まで様々な配慮をし、配信や原稿を通して礼拝を守り続けた方がいます。どうか今、その一人一人の努力と葛藤を祝福してください。

◆私たちの神様。新型コロナワクチンも少しずつ広がり、教会員の間でも、1回目、2回目の接種を終えた方が増えてきました。今まで省略してきた賛美歌や聖餐式も、ワクチンの接種が進めば、再開する予定です。どうか今、速やかな普及を助けてください。

◆私たちの神様。様々なところで、デマやニセ医学も広がっています。中には、感染症対策そのものを妨害したり、医療拒否を招く悪質な情報も出回っています。どうか今、正しい情報の選択と適用ができるように、一人一人の命を守ってください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。イザヤ書49:14〜21、使徒言行録4:32〜37(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編133:1〜3(新共同訳交読詩編より抜粋)

交読詩編付きの『讃美歌21』をお持ちの方は、後ろの方に載っています。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(お立ちください)

 

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Shutterbug75によるPixabayからの画像

メッセージ

先週に続いて、今週も「献げ物」に関する話……ちょっとしんどいなと、個人的には思っています。礼拝の中で「献金」や「奉仕」について取り上げるのは、けっこう気を遣うからです。なぜって、「自発的にささげましょう」というメッセージは、どうあがいても、その時点で「人に強いる力」を帯びるからです。

 

前回も話しましたが、コロナ禍で多くの教会は、礼拝献金がガクンと減り、今年も特別献金でカバーできるか分からない日々を過ごしています。これを聞くだけでもう「がんばってささげよう」「いっぱい献金しよう」って思わなきゃいけない気分にさせられます。みんなが苦しいときだから、みんなで支え合って、困難を乗り越えなきゃいけない。

 

でも、「みんなで支え合う」「みんなで乗り越える」って、言うほど簡単に、スマートに、美しくできることじゃありません。誰がどれだけ献金したのか気になる人、反対に、みんながどれだけささげているか全く気にならない人、もしくは、自分の生活で頭がいっぱいの人、あるいは、自分の生活を顧みないほどささげちゃう人。

 

困難を乗り越えようとする際、私たちの間にはギャップが生まれます。温度差が現れます。思いを一つにするって簡単にはいきません。そんなとき、目的を達成したい私たちは「美しい物語」を利用します。腹をすかせた群衆のために、幼い子どもが自分のパンと魚を差し出した話。夫に先立たれた貧しい女性が、自分の全財産を献げた話。母親が息子と食べるはずだった最後の食事を預言者に振る舞った話。

 

あの子のように、彼女のように、彼らのように、私たちも自発的にささげましょう。そうすれば、大いなる恵みがもたらされる……教会の中で繰り返し聞いてきた、私自身も語ってきたメッセージです。だけど、正直、本当に美しい話だったのか、時々疑問がもたげてきます。「自発的にささげる」って何だろう?

 

使徒言行録には、イエス様が天へ昇った後、聖霊を受けた弟子たちによって始められた教会が、理想的な姿で描かれています。「信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた」「信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」

 

全員が全員、自分の財産をささげて、それをみんなで分け合った。思いを一つにする上で、これほど説得力のあるやり方はないでしょう。あの人も、この人も財産をささげて、みんなと同じ生活をしている。本当にこれが達成されているなら、確かにすごいことです。「信者になったら全財産をささげてしまう」となれば、だいぶカルトっぽいですが、そのコミュニティーで一人も貧しい者がいなくなるって、さすがです。

 

だけど、私なんかは疑ってしまいます。本当にそこまで上手くいきますか? 本当にみんなが自発的にささげたんですか? 喜んでささげたとは言えない人もいたんじゃないですか? 周りに圧倒されて、自分もささげなきゃと思って、全てを差し出した後で、後悔した人もいたんじゃないですか?

 

実際、続く5章にはもう「全財産」と偽って代金をごまかした信者がいました。弟子のペトロは、「なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか。売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったのではないか」と非難しています。そして、ごまかした信者は天罰を受けるかのように、その場で亡くなってしまいました。

 

確かに、嘘をついたのは悪いことです。でも、それだけみんなに圧倒されて、全部ささげなきゃと思わされて、でもやっぱりできなくて……という心情は、誰だって理解できると思います。「あくまで自由だよ」と言われているものの、自由とは言い難い力が、雰囲気が働いてしまう。これを防いで、本当にみんなが、心から喜んでささげられるようにするって、たぶん完全にはできないでしょう。

 

当初、理想的に描かれていた初代教会は、あっという間にボロボロと問題を露出していきます。異邦人とユダヤ人の間で起きた不公平、新しく受け入れられた使徒に対する殺人未遂、それぞれの慣習をめぐって引き起こされる対立と論争……「みんなで支え合う」「みんなで乗り越える」は、やっぱり一筋縄ではいきません。

 

さて、私たちは来週から、再び教会に集まる礼拝を再開します。第一・第三日曜日と第二・第四日曜日に分かれて、半分ずつですが、ようやく信仰者の群れが帰って来ます。この2ヶ月で、それぞれの状況もだいぶ変わりました。体を壊して入院した人や、勤め先を辞めた人、再開と同時に来られる人も、再開しても家から出られない人もいます。

 

教会へ行く、礼拝に出ることの温度差も広がっているでしょう。果たして、在宅礼拝の間、教会に行けなかった人たちが全員戻ってくるか、全員顔を合わせて礼拝できるか、私もけっこう不安です。何人かは気力を失い、身体的な衰えも重なって、フェードアウトしてしまわないか心配です。

 

戻ってきたから、集まれるようになったから、さあ、みんなで教会を支えるぞ! みんなでがんばるぞ! と明るく前へ進めるかは、皆さんも自信がないかもしれません。きっとまた、献金をはじめとする色々な課題が見えてくる。外国で捕虜として暮らしていた捕囚の民が、イスラエルへの帰還を許されたときと似ています。

 

いざ、帰っていいよと言われても、そう簡単にイスラエルへは帰れない。すぐイスラエルに戻った者と、なかなか戻らない者との間でギャップがありました。帰ってきても、荒れ果てた神殿の再建や、暮らしの復興など、多くの課題待っていました。かつての仲間は、かつての暮らしは、かつての風景はどこへ行ったんだろう?

 

そんなとき、預言者イザヤの伝える神の言葉が聞こえてきます。「目を上げて、見渡すがよい。彼らはすべて集められ、あなたのもとに来る。わたしは生きている、と主は言われる」……帰ってきた教会で、半分ずつしか集まれない礼拝堂で、私たちの耳にも聞こえてきます。

 

「あなたが失ったと思った子らは/再びあなたの耳に言うであろう/場所が狭すぎます、住む所を与えてください、と。あなたは心に言うであろう/誰がこの子らを産んでわたしに与えてくれたのか/わたしは子を失い、もはや子を産めない身で/捕らえられ、追放された者なのに/誰がこれらの子を育ててくれたのか/見よ、わたしはただひとり残されていたのに/この子らはどこにいたのか、と」

 

おそらく、イザヤの言葉を聞いた人々は、「そこまで上手くいきますか?」と疑問に思ったことでしょう。ところが、失意のうちにはじまったエルサレムの再建は、本当に成し遂げられていきます。できあがった神殿は、昔に比べて小さいものでしたが、その後、たくさんの人が訪れるようになり、何度か改修を重ねて大きくなります。散り散りだった、まばらだった神の民、イスラエルは、以前より多くの人で溢れていきます。

 

弟子たちもそうでした。イエス様が捕まったとき、散り散りになった彼らは、家の中に閉じこもり、二度と会堂や神殿で人々と顔を合わせることはないと思っていました。自分たちのために、家を提供し、食事を出し、貧しい人への施しを一緒にしてくれる者が現れるなんて、イエス様の集めた信仰者が帰ってくるなんて、思ってもいませんでした。

 

ところが、ペンテコステの日に聖霊を受けた彼らは体験するんです。あの日、イエス様を「十字架につけろ」と叫んでいた群衆から、自分たちを散り散りにした民の中から、一緒に信じる者が現れる。イエス様の教えを聞いた人たちが集まり、帰ってくる。失われた群れが取り戻され、新しく教会が、神の民が作られていく。

 

喜んでささげずにはいられない人が確かにいました。自分たちと一緒に、この民を支える新しい仲間が戻ってくる、加わっていく様子を、熱く語らずにはいられない状況がありました。持ち物の共有は、仲間が戻ってきたこと、共同体ができていくこと、明るい未来が訪れることのしるしでした。孤立していた者たちへの慰めと回復のしるしでした。

 

どうぞ、ここに来て、一緒に喜びを味わってください。失われた人々が戻ってくる出来事を体験してください。感謝の応答は、そのとき、あなたから溢れ出る賛美と祈りに現れます。そこから、私たちの献げ物を始めましょう。そこから、主にある共同体を再び築いていきましょう。

 

讃美歌

讃美歌21の162番「見よ、兄弟が」を歌います。讃美歌21をお持ちでない方は、そのままお聞きいただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。使徒信条(讃美歌21の93-4Aです)。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

 

司会:一緒に礼拝できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、一緒に礼拝できない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。 

 

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。配信を見ておられる教会員の方は、郵送する献金袋に入れて、また後日来られたときにおささげください。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌「離れているけれど」(©️柳本和良)を歌いましょう。(お立ちください)

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祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。(詩編133:1より)

祝 福

平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。(エフェソの信徒への手紙6:23〜24)

 

報 告

本日も配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の在宅礼拝は、ライブ配信の奉仕者5名、同時に視聴された10名、計15名が参加されました。後から配信や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週から、第一・三日曜日のAグループと第二・四日曜日のBグループに分かれて、会衆が半分ずつ集まる「小規模礼拝」を再開します。初めて教会に来る人は、人数調整のため電話かメールでお問い合わせください。一度に大勢来ない限り、だいたい参加できます。

 

また、全会衆が複数の部屋に分かれて集まる「三密を避けた会衆礼拝」の再開は、岐阜県の感染動向と、教会員のワクチン接種の進み具合で判断する予定です。ワクチンの予約や手続きが分からなくて困った方は、遠慮なく牧師までご相談ください。