ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『苦しみ、疲れ、闘うの?』 創世記32:23〜33、コロサイの信徒への手紙1:24〜29

日曜礼拝 2022年10月9日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、配信と並行して礼拝に集まっています。共に今、教会にいる人も配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたは皆わたしにつまずく。『わたしは羊飼いを打つ。すると、羊は散ってしまう』と書いてあるからだ」(マルコによる福音書14:27)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌二編82番「きょうありて」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。昨日は、芽含幼稚園の運動会を無事に行うことができ、本当に感謝致します。どうか今、一生懸命準備と練習を重ね、力を出し切った子どもたちと保護者、先生がたに、あなたの恵みが豊かにありますように。

◆私たちの神様。礼拝や聖書研究祈祷会に、始めて参加する人や、始めて視聴する人が与えられて、感謝致します。どうか今、新しく出会った一人一人に、あなたの愛と力が豊かにもたらされますように。

◆私たちの神様。来週は、7月から延期していた岐阜地区の交換講壇が行われます。どうか今、それぞれの教会に、あなたの慈しみがありますように。蘇原教会から来られる川上野ゆり先生の上に、あなたの導きがありますように。

◆私たちの間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。創世記32:23〜33、コロサイの信徒への手紙1:24〜29(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編43:1〜5(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌19番「悲しみながら立ち去るとき」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

 

Barbara BonannoによるPixabayからの画像

メッセージ

今日は神学校日です。全国の教会で、神学校や神学部で学んでいる学生のため、牧師やキリスト教教育主事を目指している人のため、みんなで祈りつつ、神学生が礼拝でメッセージをするための機会が作られます。私も関西学院大学の神学部で学んでいた頃、神学校日に、神戸聖愛教会で何度かメッセージをする機会をいただきました。

 

実は、今日読んだ聖書の箇所、コロサイの信徒への手紙1:24〜29は、『苦しむことも喜びとして』というタイトルで、私が始めて、神学校日にメッセージを担当した箇所でもあります。10年くらい前だと思いますが、同じ箇所を、同じ神学校日に、もう一度目にすることになって、何だか不思議な気分です。

 

その日、まだ学生だった私は、緊張しながらメッセージを話し終え、ある方から声をかけられました。それは、ちょうど数週間前に、教会で洗礼を受けたばかりの高齢の男性の方でした。末期癌を患っていて、お連れ合いもクリスチャンで、自分も神様を信じたい、一緒に信仰を持ちたいと、証をされた方でした。

 

その方は、私が神学校日に選んだ「招詞」(礼拝の最初に読まれる聖書箇所)に、衝撃を受けたそうです。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマの信徒への手紙12:1)

 

キリスト教会の礼拝に出ていれば、自然と何度も耳にする言葉ですが、彼は、礼拝の最初に、この聖句が読まれるのを聞いて、「どういう意味だろう」と思ったそうです。確かに、一見矛盾だらけの言葉です。「いけにえ」になるということは、普通、殺されるということです。「憐れみを受ける」ということは、普通、「いけにえ」にならないということです。

 

それなのに、神の憐れみによって、いけにえになることが勧められ、いけにえなのに、殺される者ではなく、生かされる者であることが語られます。その言葉に続いて、コロサイの信徒への手紙から「苦しむことも喜びとして」と、これまた矛盾に満ちた話を私が始めたので、ものすごく記憶に残ったそうです。

 

私も、自分のメッセージを聞いて、自分が選んだ聖句を聞いて、「神の生けるいけにえとなる」「苦しむことも喜びとする」とはどういうことか? どういう意味か? と、末期癌で、高齢で、礼拝に来るのもままならない方が、正面から向き合って、考え込んでいるのを見て、強く印象に残りました。

 

その方は、神学生の私に、「自分にはまだ、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとなるのがどういうことか、苦しむことも喜びとして自らをささげるとはどういうことか、分からずにいる」という様子を見せていました。しかし、私にとっては、目の前にいるその方が苦しむことも喜びとして、自らを聖なる生けるいけにえとして神にささげている方でした。

 

数週間前、その人の洗礼を受ける日が近づいていたとき、彼の体調はあまりよくありませんでした。毎週、礼拝へ来ることは難しく、水を満たした洗礼槽に全身をつけることは無理だろうと思われました。長い間立つことも困難なため、洗礼式の時間も短くせざるを得ません。何とか、体の負担を少なくするよう教会のみんなで工夫していました。

 

しかし、洗礼式をすること自体が、下手すると病状を悪化させるかもしれない、苦しい思いをさせるかもしれない、という心配がどうしてもありました。信仰告白をする間、立っているだけで相当な体力を消耗することが分かっていたからです。教会での洗礼を諦めて、病床で洗礼を受けてもらう方がいいかもしれないとさえ感じました。

 

正直、ちょっと思いました。神様はなぜ、この人が信仰を告白する日、洗礼を受ける日に向けて、体調を整えてくださらないのだろうと。あなたが起こした信仰でしょう? あなたが求めた洗礼でしょう? どうして、その日が近づくにつれ、かえって体調が悪くなるんですかと……あなたは洗礼を受けさせたくないんですか?

 

もしかしたら、神様に命じられて、喧嘩別れした兄と数十年ぶりに再会しようとしたヤコブが、その直前に、神様から腿の関節を外されたときも、似たような思いだったかもしれません。これから大事な兄との再会なのに、神様から負傷させられてしまうなんて、足を引きずって行かなきゃならないなんて……神様は私を会わせたくないんだろうか?

 

洗礼式の前の週も、その方が礼拝へ来ることができなかったとき、私はもう、来週に、教会で洗礼式をする方が、本人にとってしんどいだろう、苦しいだろうと思っていました。たとえ、洗礼を受けられたとして、あと何回、教会へ来られるだろうかと思っていました。苦しみが、疲れが、増していくだろうと感じていました。

 

ところが、洗礼式当日、彼は少し震えながらも、私たちの前で立ち上がり、信仰を告白して、洗礼を受けました。その後も、決して楽ではない様子を見せながら、ゆっくり、休みながら、一緒に礼拝へ来て、賛美と祈りをささげていたんです。決して、苦しむことが平気な様子でも、苦しみなんて吹き飛ばすほど、喜んで見せたわけでもありません。

 

でも、確かに私にとって、彼の生きる姿が、苦しむことも喜びとして、自らをささげて礼拝に来る、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとなる姿だったんです。おそらく、彼自身は、信仰暦が浅いから、まだ信じて間もないから、自分は「神に喜ばれる聖なる生けるいけにえ」になれてないと思っていたでしょう。

 

どうすれば、苦しむことも喜びとして、キリストの体として、神に仕えることができるのか、分からないと感じていたでしょう。でも、自覚はなかったかもしれませんが、私にそれを教えた一人に、間違いなく、その人の姿がありました。苦しみ、疲れ、闘いながら神の喜びによって、静かに生かされている証をしていました。ここにいる、あなたと同じように。

 

そう、兄弟姉妹、あなたは私の模範です。車椅子から礼拝を受けているあなた、補聴器からメッセージを聞いているあなた、途中で帰らなければならないあなた、ここに集められ、ここに招かれているあなたは皆、紛れもなく、私に現れた、キリストの証人です。あなたの姿に押し出されて、私もまた、誰かのもとへ遣わされていきます。

 

だから、今日も、互いに送り出されていきましょう。互いに送り出していきましょう。キリストの平和の使者として行きなさい。

 

讃美歌

讃美歌21の433番「あるがままわれを」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろから2ページ目をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌います。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。(ローマの信徒への手紙12:1)

 

祝 福

主がすべての災いを遠ざけて/あなたを見守り/あなたの魂を見守ってくださるように。あなたの出で立つのも帰るのも/主が見守ってくださるように。今も、そしてとこしえに。(詩編121:7〜8)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった24名、同時に視聴された12名、計36名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、先週から、誰でも問い合わせなしで参加できる「三密を避けた会衆礼拝」を再開しています。9時15分からの教会学校こども礼拝や、水曜日13時半からの聖書研究祈祷会も、感染症対策をした上で通常通り集まっています。

 

引き続き、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整にご協力いただき、十分注意しながら、共に聖書の言葉を味わえたらと思います。なお、来週は岐阜地区交換講壇として、蘇原教会の川上野ゆり先生がメッセージをしてくださいます。