ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『行いによって幸せに?』 アモス書5:18〜24、ヤコブの手紙1:19〜27

日曜礼拝 2023年8月20日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか。(ルカによる福音書13:4)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌Ⅱ編の154番「あめつち造りし」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆信仰と希望と愛をもたらす私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、礼拝に集まることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。この一週間、思いと言葉と行いによって罪を犯し、あなたを悲しませてしまいました。どうか今、私たちが傷つけた人、怒りをぶつけた人を癒し、回復させてください。

◆私たちの神様。この一週間、様々な事件に遭遇し、私たち自身も傷つけられ、痛みと苦しみを覚えてきました。どうか今、私たちの心と体の傷を癒し、慰めと励ましを与え、変化と回復をもたらしてください。

◆私たちの神様。あなたは心に平安をもたらし、大切な言葉を与えてくださいます。全ての人を赦しへ至らせ、永遠の命を授けられます。どうか今、あなたの言葉に耳を澄ませ、隣に、前に、後ろにいる人と、新しくここから出発させてください。

◆愛と平和の源である、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。アモス書5:18〜24、ヤコブの手紙1:19〜27(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編119:73〜80(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の559番「見よ、世はすべて」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

PexelsによるPixabayからの画像

メッセージ

礼拝の初めに読まれた招きの言葉、ルカによる福音書13章4節に、ドキッとした方は少なくないでしょう。「シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいたほかのどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか」……ある事件が起きたとき、犠牲者、被害者が生まれたとき、その原因について、私たちは考えます。

 

なぜ、このような悲惨な出来事が起きたのだろう? なぜ、罪もない人々が犠牲になってしまったのだろう? 神様は彼らが死なないように、傷つかないように、助けてくださらなかったのか? 助けてもらえなかった彼らは、事故に、事件に、巻き込まれた彼らは何か悪い要素があったんじゃないか?

 

そうであってほしい。その方がまだ納得できる。何も悪いことをしてない人が、正しく生きてきた人が、理不尽に傷つけられ、巻き込まれ、捨てられるような世界であってほしくない。何か、そうなっても仕方のない理由があった、要因があったから、報いを受けてそうなったのだと思いたい。それなら、正しい行いをする限り、不幸を避けられる。

 

一方で、私たちは知っています。行いが正しくても、悪いことをしていなくても、事故や事件に巻き込まれ、抑圧され、捨て置かれる人がいることを。良心的な人も、信仰深い人も、努力した人も、苦労した人も、その行いによって、幸せになるどころか、むしろ、理不尽に傷つけられ、弄ばれ、苦しむ現実があることを。

 

「津波に巻き込まれて死んだあの1万4千人は、日本に住んでいたどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか」「原爆を落とされて死んだあの50万人は、世界に住んでいたどの人々よりも、罪深い者だったと思うのか」……こう言われたら、たいていの人は首を横に振るでしょう。

 

神の子であるイエス様も「決してそうではない」と言われます。あのとき死んだ人たちは、私たちと何も変わらない。私たちより罪深いわけでも、私たちより悪人だったわけでもない。けれども、ここでイエス様は、不安になる言葉を続けます。「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」

 

悔い改めって何でしょう? どうすれば、悔い改めたことになり、滅びを免れることができるんでしょう? 聖書において、悔い改めは、「心を入れかえる」「神に立ち帰る」といった意味で使われます。言い換えれば、「悪い道から離れて、良い道へ帰ること」「神様から離れた人が、神の呼びかけに答え、帰ってくること」です。

 

つまり、「悔い改めなさい」と言われたとき、私たちは、神から離れた状態で、神の呼びかけに答えない状態であることが前提になります。それは、災難にあったガリラヤ人や、シロアムの塔が倒れて亡くなった人、津波に巻き込まれて死んだ人、原爆で殺された人たちだけを、特別に指しているのではありません。

 

私たちみんな、苦難に襲われた人たちと同じように、神から離れた状態で、神の呼びかけに、答えていない状態なんです。そんなことない、私はちゃんと神様を信じているし、偶像礼拝をした覚えもない。信仰を告白して洗礼を受け、礼拝にも通っている。そう言いたくなる人に、ヤコブの手紙は、神の呼びかけによって、容赦なく鏡を突きつけます。

 

「御言葉を行う人になりなさい」「自分を信心深い者だと思っても、舌を制することができず、自分の心を欺くならば、そのような人の信心は無意味です」……礼拝に来ない人を裁き、聖書を知らない人を見下し、自分よりも罪深い、神から離れた存在だと蔑む人……そのような信心は無意味です。

 

子連れの家族が並んで座れず、席を譲ってくれる人がいなかったなら、その教会で、何をささげられても、神様は喜ばないでしょう。泣き出した赤子を慌ててなだめる親たちをチラッと睨むだけで、憐れみをかけないのであれば、その礼拝で、どんな賛美をしても、神様は喜ばないでしょう。

 

「お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない。正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ」…隣人を蔑ろにする礼拝は、神様の求める礼拝ではないんです。教会に来るのは、教会に来ない人を蔑むためではありません。神の国にみんなが招かれていることを、仲間と一緒に伝えるためです。

 

献金をささげるのは、献金できない人を見下すためではありません。自分にもたらされた恵みをみんなと分けて、一緒に神様を賛美するためです。信仰を告白して洗礼を受けるのは、洗礼を受けない人を裁くためではありません。自分に新しい命を与えてくださったイエス様が、自分と出会う人にも、命を与えてくださることを証しするためです。

 

ヤコブの手紙は、貧しい人より富んでいる人をえこひいきしてはならないことや、富んでいる人は貧しい人を助けるようにお金を用いるよう勧めています。おそらく、真面目に礼拝へ来る人たち、献金も一生懸命ささげる人たちの間で、同様のことができない貧しい人を裁いたり、見下したり、蔑む傾向があったのだと思います。

 

何でもっと働かないのか? 何でまともな仕事につかないのか? なぜ施しに頼るのか? その日の食べ物にも事欠くのは、あなたの信仰が薄いからじゃないか? 神の怒りを買うような悪いことをしたんじゃないか? 私はちゃんとした服を着て、ちゃんとした時間に到着して、ちゃんと献金をささげているけど、あなたは何ができているのか?

 

しかし、彼らは忘れていました。人を裁くなと教えられ、みなしごや、やもめが困っているときに世話をするよう勧められ、人に憐れみをかけるよう、呼びかけられてきたことを。神様の声に蓋をして、自分が安心するために、自分を優位に置くために、教会へ通うようになっていた……御言葉を聞くだけで行わない者とは、自分のことでした。

 

手紙の著者は、改めて呼びかけます。「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません」……あなたの前に、隣に、後ろにいる人、あなたが遣わされた相手のことをよく見なさい。その人は裁く相手でも、追い出す相手でもない。あなたの隣人であることを、イエス様から聞いたはずだ。忘れてしまったのか?

 

「自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です」……そう、忘れちゃいけません。私たちがここにいるのは、人を分け隔てするためではなく、隣人に出会って、自分も隣人となるためです。評価されるため、評価するための行いではなく、幸せになるための行いを積み重ねるためです。

 

私たちは今、向きを変えて、帰り始めます。聖書によって、自分の姿を鏡に映され、ショックを受け、悲しみながら立ち去るとき、その先で、イエス様が招いているのが見えてきます。離れていることに気づいた瞬間、振り返った先に、自分のために待っている、両手を大きく広げている、イエス様がおられます。それが今日、ここへ礼拝に来た意味です。

 

御言葉を行う人になりなさい……これは、あなたを裁くために語られた言葉ではありません。あなたがその行いによって、幸せになるために語られた言葉です。もし、ショックを受けているなら、自分の姿に項垂れているなら、あなたの変化はもう始まっています。あなたに息を吹き込んだ方は、あなたが完成されるまで、付き合い続けてくださいます。

 

さあ、共に賛美をささげましょう。この歌は神様にとって騒がしい歌ではなく、あなたの生き方を新たにする歌として、ふさわしい供え物となるはずです。「心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます」「あなたがたの魂を救うことができます」

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌19番「悲しみながら立ち去るとき」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、オリーブ会、ヒラソルの会の未来を考え、これからの集会やイベントを、どのように開催していくか、共に知恵を出し合いましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である私たちの神様。今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌10番「祝福」を歌いましょう。Aのところは牧師が、Bのところは会衆で歌います。差し支えない方はお立ちください。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

御言葉を行う人になりなさい。(ヤコブの手紙1:22a)

 

祝 福

父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。(テモテへの手紙二1:2)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった14名、同時に視聴された6名、計20名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週は24日(木)〜28日(月)まで、牧師が夏期休暇を取るため、隠退教師の鈴木重正先生が『山上の変貌』と題して、メッセージをしてくださいます。水曜日の聖書研究祈祷会終了後、福井へ帰省する予定なので、緊急の際は、牧師の携帯までご連絡ください。

 

再来週、9月3日(日)の礼拝は、1月から延期にしていたオープン礼拝と礼拝研修会を行います。オープン礼拝は前奏から後奏まで、一つ一つの要素を説明しながら行う礼拝です。礼拝後、軽食を挟んで「奏楽と賛美」をテーマに礼拝研修会を行う予定です。

 

牧師が司会をしながら懇談形式で行う予定なので、礼拝についての疑問やリクエストがある方はぜひ、礼拝後もご出席ください。だいたい60分程度、13時半頃に終わる予定です。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。