ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『妨げのない洗礼?』 使徒言行録8:26〜38

日曜礼拝 2023年6月25日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

まことに、主なる神はこう言われる。見よ、わたしは自ら自分の群れを探し出し、彼らの世話をする。(エゼキエル書34:11)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌63番「いざやともよ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆愛と力の源である私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今週も、それぞれの健康や体調、復帰や回復を導いてくださり、感謝致します。急に暑さが増して、調子を崩してしまった人にも、あなたの助けがありますように。どうか今、一人一人に癒しと安心をもたらしてください。

◆私たちの神様。今月も、各地で災害や戦争による被害がもたらされ、多くの人が困難な状況に直面しました。復旧や復興に向けて、今も踏ん張っている人たちがいます。どうか今、それぞれに休息と平安がもたらされ、解決へと至らせてください。

◆私たちの神様。今年も、新型コロナやインフルエンザなど感染症の流行が見られます。特に、ワクチンが行き渡っていない子どもたちの間で感染が広がっています。どうか今、日常を取り戻しつつ、子どもたちの命と健康を守らせてください。

◆私たちを支え起こす、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録8:26〜38(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編23:1〜6(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の200番「小さいひつじが」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

1195798によるPixabayからの画像

メッセージ

「エルサレムからガザへ下る道に行け」……ある日、天使にそう告げられたフィリポは迷う間もなくすぐに出かけて、人気のない道を歩き始めました。フィリポと言えば、救い主イエス・キリストが、天に昇って見えなくなった後、使徒たちを手伝って、教会で食事の世話をするよう選ばれた、7人のうちの一人です。

 

もともとは、教会に集まった人たちへ、食べ物を分配する給仕係のはずでしたが、神様は彼らを使徒たちと同様、イエス様の教えと業を語ったり、病人を癒したりして、救いを告げる働きに遣わしていきました。たとえるなら、華陽教会で、お花や食事を用意してきた人間が、牧師と同様の働きに遣わされていく感じです。

 

当然、止めようとする人もいたでしょう。「あなたは食事の世話をするよう選ばれたのになぜ先生のように聖書の教えを語るのか?」「あなたが食事の世話をしないでメッセージを語るなら、誰が給仕当番を担うのか?」「私たちは、そんなつもりで、あなたを選んだわけじゃない」「伝道は使徒に任せて、あなたは食事の世話に専念してくれ」

 

けれども、神様はみんなが食事の世話係に選んだ人たちを、次々と新しい業に遣わします。フィリポと一緒に、選ばれたステファノは、最初の殉教者となって、エルサレム中にイエス様の教えを広めました。フィリポもまた、彼に続いて、サマリアの町でイエス様の教えを宣べ伝え、病人を癒し、仲間を増やしていきました。

 

サマリアの人々は、もともと、ユダヤ人から忌み嫌われ、お互いに仲の悪い相手です。かつて、イエス様と弟子たちが、サマリアの村へ入ったときも、全く歓迎されず、ひどい扱いを受けたことが書かれています。「あの人たちは、以前イエス様を拒んでいるし、今から伝道しても何になるのか?」そう思っていた人もいたでしょう。

 

しかも、この町にはシモンという魔術師がいて、「この人こそ偉大なものだ」「神の力がある人だ」と言われていました。当時の感覚からすれば、もはや異教徒というより、邪教を信じる人たちでしょう。そんなところへ行って、イエス様の教えを伝え、仲間になるよう促すなんて、当初は誰も考えていなかったはずです。

 

ところが、神様は意外な人を、意外な所へ遣わします。教会の食事係だった者を、教会が忌み嫌う者たちへ遣わし、かつて、イエス様を歓迎しなかった人々を、受け入れる者へ変えていったんです。あのとき拒んだのに、あのとき受け入れなかったのに、神様は迎える者も遣わす者も新しくして、ご自分の民にしていきます。

 

魔術に心を奪われていた人たちも、魔術を使って人々を驚かせていたシモン自身も、信じて洗礼を受け、フィリポの仲間になっていきました。ちょっとびっくりです。もともと魔術を使っていた人に洗礼を授けるって、今聞いても、けっこう抵抗があると思います。みんなを神様から遠ざけて、惑わしてきた人間に、洗礼を授けてかまわないのか?

 

確実に議論を巻き起こす行為でしょう。そもそも、使徒でない人間が、食事係に過ぎない一信徒が、洗礼を授けてよかったのか? これも、間違いなく、議論を巻き起こす行為です。そのためか、サマリアの町には、間もなく使徒たちが遣わされ、洗礼を受けた人たちへ聖霊を受けるよう、手を置いて祈りが行われます。

 

おそらく、エルサレムの教会が、サマリアの人々を、信徒として受け入れるにあたり、フィリポの洗礼だけでは、仲間として認めることが困難な人もいたんでしょう。エルサレムから派遣された使徒たちは、フィリポが伝道した多くの村で、もう一度、イエス様の教えと業を語ってから帰っていきます。

 

こういった行き来を見ていると、フィリポの行った伝道と洗礼が、教会に受け入れられるまで、色々と紆余曲折あったのではないかと思わされます。今回、天使からガザへ下るよう命じられたフィリポには、そんな歴史と背景がありました。ここからは、さらに議論を巻き起こす行為が展開されます。

 

天使に命じられ、南に向かって進み始めたフィリポの前には、「寂しい道」と言われるように、人気のない、何もない道が広がっていました。どう考えても、たくさんの人を伝道できる場所じゃありません。そもそも、人がほとんど通らないからです。けれども、やがて「寂しい道」とは言えないくらい騒がしい光景が見えてきました。

 

フィリポの前方に、エチオピアの女王の宦官を乗せている馬車が見えたからです。この宦官は、女王の全財産を管理していた超エリートの高官です。当然、一人二人で馬車一台に乗っているなんてはずがなく、長い旅路に必要な荷物を載せた他の馬車や、護衛として仕える人たちが一緒に並走していたはずです。

 

宦官は、遠い外国の人であるにもかかわらず、どこかで神様の教えを聞いたのか、はるばるエルサレムまで礼拝に来て、帰る途中であったことが書かれています。しかし、彼はユダヤ人でない異邦人のため、エルサレム神殿に入ることはできません。加えて、去勢された男性は祭儀に加わることを禁じられたため、宦官が満足に礼拝できたとは思えません。

 

もちろん、神殿に仕える祭司や、民を教える律法学者が、一目見て、異邦人と分かる、外国の宦官に、親切に聞きたいことを教えてくれるとも思えません。彼らにとって、サマリア人以上に、接触したら汚れてしまうと感じていた相手だからです。むしろ、女王の高官が、護衛を連れてゾロゾロとやって来たら、恐れと不安の対象にもなったでしょう。

 

一方、フィリポは聖霊にこう命じられます。「追いかけて、あの馬車と一緒に行け」……いやいや、外国の要人へ不用意に近づいたら、護衛の人間に斬り殺されてしまいます。なにせ、相手は女王の全財産を管理する超重要人物です。徒歩の人間が、ものすごい勢いで馬車へ追いつこうと走って来たら、警戒されるに決まっています。

 

けれども、フィリポは命じられるまま走り寄って、なぜか護衛の攻撃を受けることもなく、宦官が預言者イザヤの書を朗読しているのを耳にします。彼は走り寄りながら問いかけます。「読んでいることがお分かりになりますか」……宦官は、あらかじめ彼が来ることを待っていたかのように落ち着いて答えます。

 

「手引きしてくれる人がなければ、どうして分かりましょう」……こうして、教会の給仕係と外国の宦官の奇妙な聖書講座が始まりました。場所は、揺れ動く馬車の上。エルサレムからどんどん離れていく中、全ての不安を置き去りにして、フィリポは聖書に記された救い主のこと、イエス様のこと、その教えと業を伝えていきます。

 

やがて、彼らは水のある所にやってきました。宦官はこう言います。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」……ないと言えば、嘘になります。事実、フィリポは自分から洗礼を勧められず、宦官の方から言い出しました。もし、エルサレムの信徒が、外国の宦官へ洗礼を授けると聞いたら、間違いなく反発するでしょう。

 

これまで祭儀に加わること、神殿で礼拝することが許されなかった人間ですし、フィリポ自身も使徒ではありません。しかも、馬車の上で数時間、聖書とイエス様の話をしただけです。何なら、サマリア人に伝道し、洗礼を授けたとき以上に、議論が巻き起こる行為です。この洗礼を妨げる理由は、頭の中にいくらでも湧いてきました。

 

しかし、フィリポは宦官が望むまま、聖霊に促されるまま、二人一緒に水の中へ入り、洗礼を授けて、神の民として受け入れます。「ここに水があります。洗礼を受けるのに、何か妨げがあるでしょうか」……そう言った宦官自身、本当は妨げるものが、いっぱい思い浮かんだはずです。

 

異国の宗教に入信したなんて知られたら、女王の高官というポストもなくなるかもしれない……同じ神様を信じるユダヤ人から、今後も差別を受けるかもしれない……護衛をしている人たちに一部始終を見られているから、このことは当然隠せない……けれども、彼は自ら言いました。「何か妨げがあるでしょうか?」

 

フィリポも、この言葉に力づけられ、共に洗礼の恵みにあずかります。彼だけでなく、私たちもそうです。洗礼を受けるにあたり、妨げとなったものが、それぞれ思い浮かぶでしょう。あるいは、今まさに、妨げとなっているものを目にしている方もいるでしょう。しかし、神様はそんなあなたを導いて、水のある所へ遣わします。

 

寂しい道を歩いていたはずが、エルサレムから、教会から離れていたはずが、神の民として出発する、新たな道に至っている……それが、私たちの進まされる道です。これから進んでいく道です。たくさんの衝撃と、困惑と、衝突に直面しながら、私たちは、互いに新しくされていきます。迎える者も、受け入れられる者も、変化と回復をもたらされます。

 

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタイ7:7)……イエス様の語った言葉を胸に、私たちも出発し、新しい道へ、送り出されていきましょう。平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに、平和をお与えくださるように。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌17番「祈れないときに」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、洗礼を受けて間もない人、これから洗礼を受けようか迷っている人たちが、健やかな教会生活を送れるように、自分が洗礼を受けた日を思い起こしましょう。かつて、どんなことに困り、どのように支えられたか思い出しながら、新しい群れを作りましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

神様、私たちが持っている物は皆、あなたからいただいたものです。今、私自身の生き方をあなたの御用のためにおささげします。どうか、ここに献げた献金も、あなたの求めていることに用いてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

(派遣)の讃美歌88番「心に愛を」を歌いましょう。差し支えない方はお立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。(マタイによる福音書28:19〜20)

 

祝 福

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。(コリントの信徒への手紙二13:13)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった17名、同時に視聴された15名、計32名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日も、三密を避けた会衆礼拝を配信と並行して行います。教会に来られる方は賛美中のマスク、消毒、換気、加湿、三密回避の座席調整にご協力いただけるよう、お願いします。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。