ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『こんな世界を造った神に』 ヨブ記38:4〜15、ルカによる福音書12:13〜21

日曜礼拝 2022年10月23日


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案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、配信と並行して礼拝に集まっています。共に今、教会にいる人も配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。(ルカによる福音書12:35)

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌二編82番「きょうありて」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝を始めることができ、感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。先週は、岐阜地区を覚える月間の交換講壇を、各教会で無事に行うことができ、感謝致します。どうか今、付知、坂下、田瀬、蘇原、中濃、高山、各務原の教会と在日大韓基督教会、UCCP-Jとの交流が、これからも豊かに導かれますように。

◆私たちの神様。水曜日には、芽含幼稚園で焼き芋会も開かれました。子どもたちと秋の恵みを味わうことができ、感謝致します。どうか今、今年も招待することができなかった子どもたちのおじいちゃん、おばあちゃんにも、あなたの恵みがありますように。

◆私たちの神様。来週には日曜日の翌日を覚えて、宗教改革記念礼拝が行われます。今年で宗教改革505年目を迎えますが、ここまで全ての教会を導いてくださり、感謝致します。どうか今、現代の課題や問題も、誠実に向き合うことができますように。

◆私たちの間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨブ記38:4〜15、ルカによる福音書12:13〜21(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編148:1〜6(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌19番「悲しみながら立ち去るとき」(©︎柳本和良)を歌います。オンライン賛美歌の楽譜は、著作者の許可を得て掲載しています。

 

 

Andreas LischkaによるPixabayからの画像

メッセージ

日本基督教団の聖書日課では、先週の日曜日で聖霊降臨節が終わり、今日から降誕前の9週間に入りました。神の子イエス・キリストが、この世に生まれたことを記念するクリスマスを迎える前、しばらくの間、世界を造られた神様の業を思い起こす期間です。本日は、まさに「創造」というテーマで、聖書箇所が選ばれています。

 

この世界の造り主、創造主である神様は、私たち一人一人に必要なものを与え、もたらし、備えてきました。もうすぐ、収穫感謝記念日もやってきますが、神様が実らせてくれた様々な恵みに感謝したり、癒しや成長を導く業を賛美します。一方で、今日のタイトルにもあるように、私たちは度々、世界の創造主に対して疑問が湧いてきます。

 

なぜ、こんな世界を造ったのか? なぜ、世界をこんなふうになさったのか? なぜ、世界をこのままにしているのか?……神様がいるなら、どうして戦争や紛争が絶えないんだろう? どうして貧困で子どもたちが死んでいくんだろう? どうして理不尽な災害が起きるんだろう? 神様はなぜ、悲しみや憎しみが生まれる世界にしたんだろうか?

 

私自身、そういうふうに思ったことは、一度や二度ではありません。創世記には、神様がお造りになったすべてのものを見て、「極めて良かった」と記されていますが、私たちを取り巻く世界には、良かったと言えないことも、極めて悪いことも、たくさんあります。震災、台風、感染症……戦争、不景気、性犯罪……いじめ、パワハラ、差別の世界。

 

先ほど読んだ聖書の記事にも、「良かった」と言えない世界で生きている人間の姿が出てきます。ヨブ記には、特に悪いことをしていないのに、子どもたちを悲惨な事故で亡くし、次々と家や財産を失い、自分自身も病気になって、「何か罪を犯したはずだ」と、友人たちから責められる、悲しい男の姿が出てきます。

 

神様は善人に恵みを与え、悪人に裁きを与えると信じていたのに、現実は、善人が裁きを受けて、悪人が豊かに暮らしている。報われるべき人が報われず、裁かれるべき人が裁かれずにいる……ヨブの声を通して、現代まで、この世の在り方に問いかけてきた、人々の嘆きが聞こえてきます。

 

また、ルカによる福音書には、遺産を独り占めされて、兄弟から財産を分けられず、困って、苦しんで、腹を立てている人が出てきます。どうやら、身内や町の長老には、解決してくれる人がいなかったようです。どう見てもおかしいのに、不公平なのに、誰も正そうとしてくれません。

 

どちらも、絵に描いたような理不尽です。その人の前に、正しくない世界が広がっています。神様がこの世界を造ったのなら、このまま放っておいていいはずがありません。歪んだままにしておくはずがありません。自分の訴えを聞いて、世界を変えてくれるはず……ところが、両者に返ってきたのは「あなたの言うとおりだ」という言葉じゃありません。

 

ヨブに対して神様は「わたしが大地を据えたとき/お前はどこにいたのか。知っていたというなら/理解していることを言ってみよ」と返します。そんなの「どこにもいなかった」としか答えられません。神様がどうやって世界を造ったか、どうやって世界を回しているか、知っているとも、理解しているとも言えません。

 

また、兄弟を訴える人にイエス様は「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか」と返します。そんなの「誰も任命していません」としか答えられません。イエス様は、地方裁判所の職員でもなければ、自分の相続に関する調停人でもありません。こちらから「やってくれ」と言える立場でもありません。

 

両者に対する神様とイエス様の返答は、こちらが黙らざるを得ない、冷たい返事に聞こえます。所詮、私たちは造り主のことを理解してないし、造り主に何か命じる権限もありません。一気に突き放された気分です。でも、聖書をよく読んでいくと、ヨブに対する神様も、群衆の一人に対するイエス様も、2人の世界をそのまま放置はされません。

 

自分は悪いことなんてしていないのに、神様に従ってできる限り正しい道を歩んできたのに、神様は報いてくださらない、私を悪者のように扱っている……そう訴えるヨブに対し、神様は「お前は何を知っているのか?」「何を理解しているのか?」と言いながら、ヨブを悪者だとは言いません。

 

ヨブに対して「何か罪を犯したはずだ」「悪の報いを受けている」と責め続けてきた友人に対し、その間違いを指摘して、彼らに裁きを負わせます。ヨブが辛い目に遭っているのは、罪を犯した報いでも、悪に対する裁きでもないと明らかにします。そして、彼を祝福し、家や生活を回復されます。

 

兄弟が自分に遺産を分けてくれない、独り占めして豊かになっている……そう訴える男に対し、イエス様は「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか」と言いながら、彼に向かってというよりは、おそらく、彼が訴えている兄弟を意識して、一同に語りかけ始めます。

 

「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである」……それは、明らかに、遺産を分けようとしない、兄弟の分を独り占めしている誰かのことを意識して言われたものでした。自分のために富を積むのでなく、兄弟や隣人と分かち合うよう促します。

 

理不尽な目に遭って、こんな世界を造った神に、怒りと嘆きをぶつけたヨブも、不条理な現状に対し、変化を願った群衆の一人も、確かに、造り主のことを理解せず、造り主に何かを命じる権限もない人間です。しかし、神様はその訴えを放置せず、損なったままにしておきません。イエス様は憤る者を蔑ろにせず、苦しんだままにしておきません。

 

こんな世界を造った神に、何も知らない人たちが、何の権限もない人たちが、たくさん、たくさん、訴えをぶつけてきました。私もその一人ですし、あなたもその一人かもしれません。しかし、神様は、私たちの訴えを捨て置かず、切り捨てず、いつも受けとめてくださいます。

 

私自身が、何も分かっていなくても、嘆き、怒り、問いかける声を、一つも漏らさず聞いてくれます。神の国が完成し、新しい世界に招き入れてくださる日まで、私たちの思いを超えて、想像を超えて、世界に介入し続けます。だから、どうぞ、恐れず訴えてください。怒りも、嘆きも、問いかけも、ごまかさずに神様へ差し出しましょう。

 

あなたの正直な問いに、あなたの切実な思いに、全ての声を受けとめてきた神様が、必要なとき、必要な仕方で、現れてくださいますように。この世界を好きになれる日が、一人一人に訪れますように。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌21の481番「救いの主イェスの」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。(オンライン賛美歌の後ろから2ページ目をご覧ください)

 

使徒信条93-4A

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)


使徒信条93-4B

わたしは、天地の造り主、全能の父である神を信じます。わたしはそのひとり子、わたしたちの主、イエス・キリストを信じます。主は聖霊によってやどり、おとめマリヤから生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられ、死んで葬られ、よみにくだり、三日目に死人のうちからよみがえり、天にのぼられました。そして全能の父である神の右に座しておられます。そこからこられて、生きている者と死んでいる者とをさばかれます。わたしは聖霊を信じます。きよい公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、永遠のいのちを信じます。アーメン。

 

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、配信を見られた方、久しぶりに参加された方と、一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろから2ページ目をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。(オンライン讃美歌の裏面をご覧ください)

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。(初めての方は、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください)

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって私たちは新しく生かされます。今からのち、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の頌栄25番「父・子・聖霊に」を歌います。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

平和のうちに、この世へと出て行きなさい。主なる神に仕え、隣人を愛し、主なる神を愛し、隣人に仕えなさい。(『讃美歌21』93-6-6)

 

祝 福

平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。(ローマの信徒への手紙15:33)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった22名、同時に視聴された2名、計24名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

華陽教会では、先週から、誰でも問い合わせなしで参加できる「三密を避けた会衆礼拝」を再開しています。9時15分からの教会学校こども礼拝や、水曜日13時半からの聖書研究祈祷会も、感染症対策をした上で通常通り集まっています。

 

引き続き、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整にご協力いただき、十分注意しながら、共に聖書の言葉を味わえたらと思います。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。