ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『散っていった人々』 使徒言行録8:4〜13

聖書研究祈祷会 2022年10月19日


www.youtube.com

 

案 内

華陽教会では、マスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、聖書研究祈祷会を配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、聖書の言葉を味わいましょう。

 

讃美歌

マスクをしたままで、讃美歌21の409番「救いの道を」を歌います。諸事情でマスクを外している方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に心を合わせましょう。

 

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて聖書研究祈祷会を始めることができ、感謝いたします。どうか今、ここに集まった人たちと、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を求めている人を導いてください。

◆私たちの神様。先日の日曜日は、延期していた岐阜地区を覚える月間の交換講壇を無事に行うことができました。各教会の礼拝を導いてくださり、感謝致します。どうか今、これからも、それぞれの会衆と牧師の交流が豊かに導かれますように。

◆私たちの神様。今日は、朝から芽含幼稚園の焼き芋会が行われています。先日の芋掘り遠足で、子どもたちが収穫してきた恵みに感謝します。どうか今、野菜や果物を育ててきた農家の方々、子どもたちを招いてくださる方々に、あなたの慈しみがありますように。

◆私たちの神様。再び寒い時期が近づいてきます。新型コロナだけでなく、RSウイルスやインフルエンザなど、様々な感染症が流行する恐れもあります。どうか今、一人一人の健康が守られて、健やかな日常を過ごすことができますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。使徒言行録8:4〜13の新共同訳と聖書協会共同訳を朗読します。

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

www.bible.or.jp

bertvthulによるPixabayからの画像

メッセージ

イエス様の昇天後、弟子たちによって多くの信徒が増えていく中、最初の殉教者が現れました。前回まで話していたステファノという人物です。彼は、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていましたが、同じギリシア語を話すユダヤ人から目をつけられ「誤った教えを広めて神を冒涜している」と訴えられ、処刑されてしまいました。

 

これを契機に、エルサレムの教会に対して大迫害が起こりました。それまで、一日に3千人や5千人も加わっていた信徒たちは、ステファノと同じように捕まったり、地方へ逃げたり、散り散りになってしまいました。迫害は非常に厳しく、回心前のパウロも、家から家へ押し入って教会を荒らし、男女を問わず引き出して、牢に送っていたほどです。

 

結局、迫害を恐れず、エルサレムに留まったのは、12人の使徒だけでした。他は皆、捕まって投獄されるか、ユダヤとサマリアの地方に散っていきます。明言はされていませんが、おそらく、迫害に屈して、信仰を捨てた人もいたでしょう。仲間と一緒に集まるのをやめ、イエス様を礼拝しなくなった人もいたでしょう。

 

回心前のパウロが家から家へ押し入っていたように、誰がキリストを信じているのか、どこに集まって礼拝しているのか、詮索される毎日では、少なくとも、表向き信仰を捨てた人しかエルサレムに留まることができなかったと思います。イエス様を救い主として、神の子として信じていると公言する人は、エルサレムから逃げるしかありませんでした。

 

ようするに、初代教会が集まるところを失い、仲間をバラバラにされ、致命的な打撃を受けた瞬間です。キリスト教会は、始まって間もなく、消滅の危機を迎えます。この危機を乗り越えるとしたら、しばらくは目立たないよう大人しくして、現在の(破壊的)カルトのごとく、正体や目的を隠して、じわじわ仲間を増やすのが得策に思えます。

 

ところが、先ほど読んだ聖書の言葉は、衝撃的な書き出しで始まります。「さて、散って行った人々は、福音を告げ知らせながら巡り歩いた」……「福音」というのは「良い知らせ」という意味で、イエス様が神の国について教えたことや、イエス様が行った神の業を指しています。

 

つい先日、その福音を告げ知らせて、ステファノが殺されてしまったばかりなのに、教会が破壊されたばかりなのに、エルサレムから追い出されたばかりなのに……散らされた人々は、隠すことなく、自分たちの信じていること、伝えたいことを告げ知らせながら歩きます。

 

しかも、ユダヤとサマリアの地方で、です……どちらも歓迎されることが期待できるとは言い難いところです。なぜなら、初代教会の信徒は、ユダヤ人の会堂から追い出されるのが常でしたし、サマリアの人たちは異邦人との混血が進み、信仰のあり方や風習が大きく違っていたので、仲良くするのが難しい相手でした。

 

にもかかわらず、エルサレムから追い出され、散っていった人々は、ユダヤとサマリアの地方で、自分たちの信じているものをはっきり宣べ伝えていきます。ユダヤ人が信じているユダヤ教を装ってではありません。ローマ帝国の皇帝崇拝を装ってでもありません。「イエス・キリストを救い主、神の子として信じている」と、公に明かして伝道します。

 

危険極まりありません。5節には、かつて、教会でステファノと一緒に、食事の世話をする者として選出されたフィリポが、サマリアの町へ下っていって、人々にキリストを宣べ伝えたと書かれています。はっきり、キリストの名を出して、エルサレムから追い出された一派であることを明らかにして、フィリポは群衆に伝道します。

 

しかも、ステファノが目をつけられるきっかけになった、すばらしい不思議な業としるしを彼も同じように行います。汚れた霊につかれた多くの人から霊が出ていき、体の麻痺した患者や足の不自由な人々は癒され、噂が広がっていきます。これでは仲間が増える前に、再び誰かに目をつけられて、迫害を受けてしまいかねません。

 

不思議なことに、信仰を捨てずに散らされた人々は、仲間やメンバーを増やすため、世間の信頼を得るために、正体や目的を隠したり、別のものを装ったり、そういうやり方を選択しません。私が何を信じているか、私が何を伝えたいか、出会った人たちへ、初めから、正直に明かします。

 

決して賢いやり方ではありません。人によっては愚かに見えるかもしれません。拒絶されやすく、受け入れてもらうまで、信頼を得るまで、時間のかかるやり方です。でも、ステファノが殺された後、エルサレムの教会が壊された後、散らされていった人々は、行く先々で、フィリポのように、正直な伝道を展開します。

 

彼が堂々とキリストの名によって信仰を証しするのを聞いて、イエス様の教えと業を語るのを聞いて、サマリアの人々は福音を信じ、男も女も、洗礼を受けていきました。エルサレムで、洗礼を受けた人たちが、教会に加わった人たちが散らされて、ここまで来たのを聞きながら、一緒に信じていきました。

 

その中に、魔術を使って人々を驚かせていたシモンという名の人もいました。彼は、この町で、以前から「偉大な人物」を自称していました。人々から称賛を得るため、注目を得るため、神の力が使えるように振る舞っていました。どのような術を見せていたかは記されませんが、普通なら、突然注目を奪っていったフィリポが邪魔に感じるでしょう。

 

けれども、驚くべきことに、長い間その魔術に心を奪われていた人々も、魔術を使って人々を驚かせていたシモン自身も、フィリポが神の国とイエス・キリストについて語るのを聞き、信じて洗礼を受けていきます。しかも、自分を偉大に見せようと夢中になっていたシモン自身が、自らフィリポに付き従います。

 

いつも自分が注目を得るため、人集めのためにやっていた魔術とは違い、フィリポは自分の力を見せるためでなく、純粋に人々が助かるように、救われるように、教えを語り、奇跡を行っていきます。人々の支持を失って散らされることを恐れないで、どこへ散らされてもイエス様が共にいて、新しい生き方ができることを証ししていきます。

 

シモンが見てきた光景とは違う生き方が広がっていました。ステファノの処刑によって、エルサレムの迫害によって、全地へ散らされたはずの信徒たちは、ペンテコステに聖霊を受けて送り出された使徒たちのように、各々が遣わされた場で、イエス様の教えと業を、神様の愛と平和を伝えていきます。

 

様々な宗教カルトの被害によって、宗教そのものが、危険に見られやすくなった現代、私たちも、宗教であること、信者であることを隠して、別のものを装って、仲間を増やしたくなるかもしれません。人集めのため、支持を集めるために、人々を驚かせるような誇張したアピールをしたくなるかもしれません。

 

しかし、初代教会が消滅の危機を迎えたとき、正体や目的を隠したり、別のものを装ったり、注目や支持を集めるために乱暴なアピールを行ったりせず、正直に、誠実に、キリストの名によって福音を宣べ伝えたことを、今こそ、振り返りたいと思うんです。散らされた先で、散っていった先で、確かに仲間が与えられたことを、思い出したいんです。

 

どうか今、信仰について悩み、伝道について悩み、組織のあり方に悩んでいる人たちに神様の慈しみがありますように。どうか今、それぞれに適切な言葉と振る舞いがもたらされますように。どうか今、キリストのもたらす良い知らせが、救いと恵みが、全ての人へ広がっていきますように。アーメン。

 

とりなし

共に、神様から与えられたとりなしの務めを果たしましょう。本日は『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(東京都八王子市の八王子ベテル伝道所)のために、岐阜地区の教会のために、在日大韓基督教会のために、フィリピン合同教会のために、祈りを合わせましょう。

 

◆神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

◆東京都八王子市の八王子ベテル伝道所のために祈ります。宣教活動が豊かに展開され、様々な人と教会がつながり、共に、礼拝できますように。誠実な信仰継承ができますように。ベテル保育園の子どもたち、保護者、先生が守られますように。

◆岐阜地区の教会のために祈ります。田瀬、付知、坂下、蘇原、中濃、高山、各務原の教会に、あなたの慈しみがありますように。華陽教会も、それぞれの課題と一緒に向き合い支え合っていけますように。

◆在日大韓基督教会のために祈ります。高齢の信徒や子育て中のご家族、仕事で忙しい人たちに、あなたのお支えがありますように。牧師と家族の健康が支えられ、必要なとき、必要な助けがもたらされますように。

◆UCCP-J(フィリピン合同教会)のために祈ります。中濃教会と各務原教会で、午後から礼拝している人たちに、これからも礼拝できる場所が与えられますように。また、仕事や住む場所、医療や法律で困っている人たちに、適切なサポートがありますように。

◆今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをしたままで、オンライン賛美歌23番「私の口は絶えず歌う」(©️柳本和良)を歌います。

 

 

主の祈り

共に、イエス様が弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。讃美歌21の93-5Aです。主の祈り。

 

主の祈り93-5A

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。


日本聖公会/ローマ・カトリック教会共通口語訳

天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです。アーメン。

 

報 告

本日も、教会に集まって、また配信を通して、聖書研究祈祷会にご参加くださり、ありがとうございます。先週の聖書研究には、教会に集まった4名、同時に視聴された3名、計7名が参加されました。後から動画を見て祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

配信終了後、時間のある方は、14:30まで、聖研の質問や感想、キリスト教について気になっていることを自由に聞ける第二部「分かち合い」の時を開きます。人前でお祈りするのを遠慮したい方は、飛ばしてもらうこともできます。よかったらぜひご参加ください。

 

それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。