ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『対立していたはずの民』 ルカによる福音書7:1〜10

日曜礼拝 2023年5月14日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方や疲れている方は座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:5)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、旧讃美歌63番「いざやともよ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆愛と平和の源である、私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝を始めることができ感謝いたします。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。心や体の調子が悪い人、治療やリハビリに励んでいる人、仕事や介護で忙しい人、それぞれに、あなたの慈しみがありますように。どうか今、各々の事情で教会に来られない人たちに、あなたの力と励ましをもたらしてください。

◆私たちの神様。来週の日曜日は、隠退教師の鈴木重正先生がメッセージをしてくださいます。どうか今、重正先生とご家族の上に、また、全国の隠退教師とご家族の上に、あなたの恵みとお支えが豊かにありますように。

◆私たちの神様。母の日を迎えた今日、複雑な思いを抱える子どもたちや、子どもとの関係が壊れてしまった人たちに、あなたの憐れみがありますように。どうか今、それぞれに必要な気づきと癒しを与え、新たな人生を歩ませてください。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書7:1〜10(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。交読詩編も同様に後からカットしています。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編34:1〜11(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の566番「むくいを望まで」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

Ingela SkullmanによるPixabayからの画像

メッセージ

ローマの兵隊を束ねる百人隊長が、イエス様に自分の部下を癒してもらったエピソード……神の民として選ばれたイスラエルを支配し、人々を苦しめていた、異邦人が癒やされる……本来、敵として忌み嫌われる存在が、その信仰を認められ、叶えてもらった奇跡の話……色々な衝撃が、聞き手を、読者を、襲います。

 

多くの人は、この話を、異邦人をも癒されたイエス・キリストの「寛容さ」や、ユダヤ人にも負けない百人隊長の「信仰深さ」が現れていると受け取ります。実際、イエス様は百人隊長とのやりとりを通して、「言っておくが、イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」と感心します。

 

たとえ、神様から選ばれた国民を虐げる大国側の人間であっても、イエス様を信じて、心から願い出れば、その訴えを聞いてもらえる……神様から救い主として遣わされたイエス様は、異邦人であろうと、自分の国の敵であろうと、信じる者には、分け隔てなく接してくださる……そんなありがたい話として聞こえてきます。

 

ただ、よく考えてみるとこの話、単純に、イエス様と百人隊長の関係だけが描かれているわけではありません。最初に、百人隊長の部下が病気で死にかかっていることを伝え、イエス様に助けてほしいと頼みにきたのは、ユダヤ人の長老でした。一般的に、聖書に出てくるユダヤ人は、異邦人との接触を好みません。

 

ましてや、自分たちの国を支配するローマ帝国のお偉いさん、軍隊を率いる隊長のために、使いとしてやって来るって、なかなか考えにくいことでした。しかも、単なるユダヤ人ではなく、長老です。ユダヤ人の会堂と、コミュニティーを守る者として、まあまあ、保守的に描かれてきた存在が、異邦人の軍隊の隊長のために、使いとしてやって来ます。

 

それも、イエス様を頼って、です。ユダヤ人の長老といえば、議員、祭司長、律法学者と並んで、イエス様と対立することが多かった存在です。基本的には体制側……伝統的な価値観を覆してくる教えに対し、異議を唱えて反論し、自分たちが変わることを拒否する者の代表格でした。

 

そんなユダヤ人の長老が、ここでは、今までと大きく変わって、異邦人の隊長のためにイエス・キリストを頼って、熱心に願います。百人隊長の部下が病気で死にかかっています。どうか隊長の部下を助けてください。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです」と。

 

そう、もともと敵である人間のために、他では対立していたイエス様を頼り、頭を下げて訴えたのは、ユダヤ人の長老でした。驚くべきことです。この長老だけでなく、カファルナウムのユダヤ人たちは、ローマ帝国から派遣されている百人隊長を、皆、愛していたことが伝わってきます。

 

もちろん、百人隊長が自分たちのために、会堂を建ててくれたから、という理由はあるでしょう。しかし、現金だと言い放つことはできません。ユダヤ人にとっての会堂は、エルサレムの神殿へ毎週行けない人々が、その土地で聖書の朗読を聞き、祈りと賛美を合わせるための神聖な場所です。その建物が、長年忌み嫌っている異邦人によって建てられた。

 

単なる異邦人ではなく、現在進行形で自分たちの国を支配するローマ帝国の軍隊長が、その手で建てた会堂に、ユダヤ人が集まって、共に祈りを合わせている……よく考えたら奇跡です。「異邦人の手で作られた会堂なんかで礼拝できない」「ローマ帝国の隊長が作った建物なんて壊してしまえ」そう言い出す人がいたって、おかしくない。

 

けれども、この町のユダヤ人は、自分たちを愛して会堂を建ててくれた百人隊長の好意を受け取り、そこを自分たちの会堂として受け入れ、本来敵であるローマ市民の部下のために、祈りを合わせていたんです。さらには、エルサレムの祭司長や長老たちが対立していたイエス様に、この人の部下を癒してほしいと頼みに来ます。

 

一方、百人隊長も、占領国の人間とここまで仲良くしていることは、リスクの高いことでした。ユダヤ人の暴動を収めなければならなくなったとき、情が湧いて、鎮圧できない隊長は、当局にとって困りものです。しかも、軍隊の隊長が占領国の民族のために、宗教的な施設を作るって、下手すればローマ皇帝への不敬に思われかねません。

 

にもかかわらず、彼はこの町のユダヤ人を愛し、長老たちとも仲良くし、自ら進んで会堂を建て、おそらく礼拝もしていたのでしょう。カファルナウムのユダヤ人とローマ帝国の百人隊長は、互いにリスクを冒しながら、互いの立場や偏見を超えて、互いに愛し合っていました。

 

ふと、思い出されます。「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」というイエス様の呟き……もしかしたら、この言葉は、百人隊長個人の信仰を讃えるものではなかったのかもしれません。イスラエルの中でさえ見られなかった、ユダヤ人と異邦人の、神の愛に基づく関係……それが、彼らの間に実現している。

 

面白いことに、この箇所では、イエス様が百人隊長のために、彼の部下を癒やされたという直接的な記述もありません。部下に触れて癒すシーンも、部下は治ったと告げるシーンもありません。百人隊長が願ったように、ひと言「治れ」と命じることさえありませんでした。

 

それなのに、使いに行った百人隊長の友達が戻ってみると、部下は元気になっていました。本当に、イエス様が癒したのかさえ分からない……実は、百人隊長が願ったとおり、そのままのことが起きたわけではないんです。彼は、イエス様が部下のために何か命じることを期待しましたが、イエス様が明確に行ったのは、その信仰を認めることだけでした。

 

「わたしはこれほどの信仰を見たことがない」……百人隊長が部下を思いやり、ユダヤ人を思いやり、ユダヤ人が百人隊長を思いやり、その部下を思いやる。その日、ここにあった信仰は、祭儀や掟に囚われた、イスラエルの中では見られなかった、互いに愛し合う関係の中で、実を結んだものでした。

 

そう、この箇所が奇跡として強調するのは、イエス様による病の癒しというよりも、イスラエルの中では見られなかったもの……対立していたはずの民、異邦人と、ユダヤ人と、イエス様の一行が、それぞれの対立の背景を超えて、互いを思い、互いに頼り、互いを愛した出来事なんです。ここに神の愛があります。ここに神の奇跡があります。

 

どうか、この日、ここに起きた奇跡が、私たちの間にも、実現しますように。自分一人で完結しない信仰が、あの人やこの人たちとの関係において、結ばれていく信仰が、豊かに実を結びますように。神よ、あなたの平和が実現し、あなたの栄光が表され、あなたのお名前が、豊かに褒め称えられますように。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌12番「信じたくても」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、華陽教会が、芽含幼稚園の子どもたちのために、今までやらなかったこと、これからできることを探しながら、新しい関わりを築いていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

変化と回復をもたらす私たちの神様、あなたから受ける言葉によって、私たちは新しく生かされます。今から後、私自身の生き方が変えられていくしるしとして、ここにささげた供え物を受け入れてください。 主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の2節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄の讃美歌88番「心に愛を」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

起き上がれ。自分の足で立て。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たこと、そして、これからわたしが示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にするためである。(使徒言行録26:16)

 

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった16名、同時に視聴された19名、計35名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日は、「信仰生活」と題して、隠退教師の鈴木重正牧師がメッセージをしてくださいます。ぜひ、今度の日曜日も、教会に集まって、配信を通して、共に礼拝にあずかりましょう。それではまた日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。