ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『奴隷を返す?』 ルカによる福音書17:1〜4、フィレモンへの手紙8〜20

日曜礼拝 2023年10月8日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、賛美中のマスク・消毒・換気・加湿・三密回避の座席調整をした上で、日曜日の礼拝も配信と並行して行っています。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、互いのために祈りを合わせ、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

もし同胞が貧しく、あなたに身売りしたならば、その人をあなたの奴隷として働かせてはならない。雇い人か滞在者として共に住まわせ、ヨベルの年まであなたのもとで働かせよ。(レビ記25:39〜40)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌Ⅱ編の26番「ちいさなかごに」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆慈しみ深い私たちの神様。今日もまた、あなたによって守られて日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。今日は、全国の伝道献身者を覚えて、祈りを合わせる「神学校日」です。どうか今、今年8月に夏期派遣実習へ来られた坂本子龍神学生をはじめ、各神学校の学生たち、Cコースで試験を受ける信徒の方々に、あなたの導きが豊かにありますように。

◆私たちの神様。来週は、牧師の出張のため、隠退教師の鈴木重正牧師が礼拝奉仕をしてくださいます。どうか今、重正先生をはじめ、司会者、奏楽者、配信、受付、献金当番を担う奉仕者に、あなたの祝福が豊かにあって、恵みをみんなで受け取れますように。

◆私たちの神様。来週の土曜日には、芽含幼稚園の運動会が開かれます。子どもたち、保護者、先生がたの体調が守られ、積み重ねてきた努力が報われ、素敵な思い出になりますように。特に、事故や怪我から守られますように。

◆愛と平和の源である、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ルカによる福音書17:1〜4、フィレモンへの手紙8〜20(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編82:1〜8(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。)

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、讃美歌21の431番「喜ばしい声ひびかせ」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

Sammis ReachersによるPixabayからの画像

メッセージ

主人のもとから離れた奴隷を、送り返そうとする聖職者。逃亡奴隷を、元の主人に返してしまう宣教師……こう聞くと、牧師や神父の皮を被った、血も涙も無い、冷酷な人物像が思い浮かびます。その人物が、キリスト教を世界に伝えたパウロであると聞かされたら皆さんはどう感じるでしょう?

 

通常、主人に背いて逃げた奴隷が、見つかったときに待っているのは、より酷い仕打ちか、重い刑罰です。ローマ帝国の法律でも、奴隷の主人が、逃げた奴隷を見つけた場合、厳しく罰することが許されていました。イエス様の教えと業を伝える者が、奴隷の所有に反対せず、その支配から逃れさせない……どう捉えたらいいか複雑です。

 

当時の奴隷制度が、アフリカにルーツを持つ人間への人種差別や、インドにある「カースト」のような階級制度でもなかったとは言え、人を誰かの所有物として扱ったり、主人の裁量で、酷い待遇も許されたりと、容易に肯定はできません。法的・経済的な社会制度の範疇でも、現在の「社畜」を容認できないのと同じです。

 

パウロはなぜ、信徒であるフィレモンへ、奴隷を解放するように、このまま保護させてほしいと言わなかったのでしょう? わざわざ奴隷を送り返さず、「私が引き取って自由にします」と、手紙に書かなかったのでしょう? 奴隷の所有者に強く出られない、忖度しなければならない事情が、パウロにも存在したんでしょうか?

 

確かに、手紙の宛先であるフィレモンは、コロサイに住む裕福な人で、教会の集まりのために、自分の家を開放している人物でした。つまり、礼拝の会場を提供している支援者でした。もし、フィレモンが機嫌を損ね、家を開放しなくなったら、コロサイの教会は、信徒たちの礼拝は、立ち行かなくなります。

 

けれども、その割に、パウロからフィレモンに対するご機嫌伺いはありません。フィレモンの奴隷であるオネシモに、代わりに仕えてもらおうと考えていたことや、承諾なしには何もしないけど、「自発的にそれを許してくれるよね?」と、圧を感じさせるところ……ついでに、「自分のために宿泊の用意もしてほしい」と、けっこう遠慮がありません。

 

どうやら、金持ちに対する忖度として、奴隷を帰したわけではなさそうです。そもそもパウロは投獄されているため、奴隷を無理やり、送り返すことはできません。普通、檻の中から「主人の家へ帰ってほしい」と言われても、奴隷は家へ帰りません。オネシモ自身の同意がなければ、奴隷が自分の足で帰らなければ、主人の家へ、フィレモンのもとへ、向かわせることはできません。

 

そう、驚くべきことに、この手紙の内容は、主人のもとから離れた奴隷が、自ら進んで帰らなければ、自分で家に向かわなければ、成り立たない話です。奴隷が主人を信頼し、和解できると信じなければ、送る意味のない手紙です。つまり、オネシモ自身が、別れた主人とやり直したい、関係を築き直したい、と思って初めて成立します。

 

どうやら、オネシモが主人のもとから離れた理由は、重労働を課せられたり、虐待をされたりしたからではなく、「役に立たない者」として、見なされたことにあるようです。「オネシモ」という彼の名前は、ギリシャ語で「有益な者」という意味でしたが、その名のとおり、「役に立つ」という評価は受けていませんでした。

 

むしろ、問題視されることが多く、主人とも、しょっちゅう揉めていたのかもしれません。なんなら、フィレモンが家を貸していた教会の人々とも、衝突していたのかもしれません。この手紙は、フィレモン個人へ宛てて書かれたにもかかわらず、教会の人々が見ることを意識しているように思えます。

 

もしかしたら、パウロが願っていたのは、オネシモが関係を拗らせて出ていった、教会の人たち、みんなとの和解だったのかもしれません。主人の信仰を理解せず、家に集まる他の信徒とも上手くいかず、離れていった人間が、今や、同じキリスト者として、仲間として召されていると、知ってほしかったのかもしれません。

 

実際、オネシモはパウロから「監禁中にもうけたわたしの子」と言われるように、投獄中のパウロから洗礼を受け、「わたしの愛する協力者」と言われるまでになりました。もはや、パウロだけでなく、フィレモンにとっても「仲間になり得ない者」から「兄弟として帰ってくる者」に変わったことが告げられます。

 

「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています」「彼がしばらくあなたのもとから引き離されていたのは、あなたが彼をいつまでも自分のもとに置くためであったかもしれません」……この言葉は、おそらく、フィレモンとその家にいる教会の人、全員に向かって言われた言葉です。

 

皆さんの中にも、教会に同僚を連れてきて、友人を連れてきて、他の信徒をギョッとさせるような、トラブルに見舞われた人がいるかもしれません。身内が、信徒と言い合いになって、二度と来てもらえない、二度と連れて来られない……と感じたことがあるかもしれません。

 

教会につまずきをもたらした……他のみんなも巻き込んだ……正直、何回謝ってきても仲間として受け入れられる自信がない。相手からも、謝ってもらえると思えない。イエス様の教えに出てくるような、一日に7回も謝る人、7の70倍まで謝る人って、実際にはそうそう見ないですよね? そもそも、和解の入り口に立つイメージができません。

 

おそらく、フィレモンと教会の人々も、自分たちから離れたオネシモが、兄弟として帰ってくることは想像できなかったんでしょう。だからこそ、パウロはしつこく、彼はもう奴隷以上の者、一人の人間としても、神を信じる者としても、愛する兄弟になっていることを伝えます。

 

分かります、期待してなかったでしょう。もう戻ってくるとは思わなかったでしょう。でも、彼は帰ってきたんです。単なる奴隷労働の従事者ではなく、あなたがたの兄弟として、愛する仲間として、帰ってきたんです。どうか、あなたも自発的に彼を受け入れ、兄弟として迎えてください。わたしの子であるこの人を、あなたの兄弟に迎えてください。

 

パウロ自身も、もともとイエス様の弟子たちから、仲間になり得ない者として、教会を破壊してきた人物として、受け入れ難く思われていました。それこそ、7の70倍まで赦してと言っても、迎え入れてくれるとは期待できませんでした。ところが、そんな彼のために、アナニアやバルナバが全力でとりなして、教会を帰れるところにしてくれました。

 

そのパウロから、今度はオネシモが、帰る場所を整えられます。パウロをよく知るフィレモンや教会の人々は、この信じ難い手紙の内容を、受け入れざるを得なかったでしょう。オネシモと同じく、「有益な者」と言えなかった、「有害な者」と恐れられた、彼らの愛するパウロ自身が、キリストの子として、兄弟として、変化した様を見ていたからです。

 

この手紙は、単に、奴隷を主人へ返す話ではありません。奴隷だった者が、愛する兄弟として、自分の家へ帰らされる話です。大勢の悪霊に取り憑かれ、墓場を住まいとしていた者が……重い病に侵されて、みんなと別居していた者が、「自分の家へ帰りなさい」と告げられて、居場所の回復を示されたように……オネシモも自分の家へ帰って行きます。

 

私たちはどうでしょうか? 自分の帰るべき場所が分かっているでしょうか? 兄弟が帰ってこられる場所に、私たちはなっているでしょうか? フィレモンに語られた言葉はあなたにも、私にも、語られています。「そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。」……アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌8番「何も変わらないと(B)」(©︎柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。
会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。
会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。
会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。
会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。
会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。
会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、私たちをとりなしてくださる方、イエス・キリストのお名前によって祈ります。
一同:アーメン。

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

聖句と主題

御着席ください。今年度の年間聖句を心に留めて、今週も新しく遣わされましょう。

 

年間聖句

イザヤ書43:18〜19a「初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている」

 

年間主題

華陽教会では、今年度「新しいことを行おう」というテーマで、イザヤ書43:18〜19aを年間聖句にしています。

 

今週は、月末に行われる「宗教改革記念礼拝」と「教会研修会」に向けて準備をしながら、私たち一人一人が改革すべきことは何か、共に問いかけていきましょう。

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」1節を歌いましょう。

 

讃美歌

「派遣」の賛美歌92番「主よ、わたしたちの主よ」1節を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げよ。(『讃美歌21』の93-6-4、イザヤ書52:7より)

 

祝 福

神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きをわたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り、御救いをすべての民が知るために。(詩編67:2〜3)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった 名、同時に視聴された 名、計 名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝いたします。

 

来週の日曜日は、柳本牧師が福岡へ出張するため、隠退教師の鈴木重正牧師がメッセージをしてくださいます。来週もぜひ、ご出席ください。また、今月末10月29日(日)は31日の宗教改革記念日を覚えて、宗教改革記念礼拝を行います。

 

礼拝後、軽食を挟んで、12時半から「カルトと教会」というテーマで、教会研修会を行います。13時半に終わる予定なので、時間のある方や興味のある方はぜひ、ご出席ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。