ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『人から聞いて従った』 ヨハネによる福音書1:35〜51

日曜礼拝 2024年1月14日


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説 明

教会にお集まりの皆さん、おはようございます。オンラインで配信を見ている方も、おはようございます。まもなく、10:30から礼拝が始まります。礼拝の最中は、携帯をマナーモードにしていただき、後から来た人も座れるように、席の譲り合いをお願いします。

 

礼拝の中で、立ち上がって賛美歌を歌うところや、立ち上がって祈りを合わせるところもありますが、体が不自由な方やお疲れの方は、座ったままで大丈夫です。賛美歌、聖書、交読文は、備え付けの籠からお使いください。それでは、もうしばらくお待ちください。

 

案 内

華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。(詩編98:1)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、讃美歌二編の189番「丘の上の教会へ」を歌います。諸事情でマスクを着用できない方は、歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

お祈り

ご着席ください。共に祈りを合わせましょう。

◆全ての関係を新たにされる神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの神様。この一週間も、傷ついた人を癒し、疲れた人を支え、苦しむ人と共に居てくださったことを感謝致します。どうか今、引き続き、孤独と、痛みと、虚しさに直面している私たちを助けてください。

◆私たちの神様。この一週間も、思いと、言葉と、行いによって罪を犯し、あなたを悲しませてしまったことをゆるしてください。どうか今、私たちが傷つけた人、怒りをぶつけた人を癒し、私自身が受けた痛みも、あなたの御手で癒してください。

◆私たちの神様。この一週間も、被災地で、戦場で、貧困で、追い詰められてきた人に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、一人一人に必要な、助けと仲間、気づきと変化が与えられるよう、導いてください。

◆私たちの隣に、前に、後ろにおられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。ヨハネによる福音書1:35〜51(新共同訳より抜粋)

*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編119:9〜16(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(また、Aのところは牧師が、Bのところは会衆がお読みください。ご着席のままで大丈夫です。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、讃美歌21の287番「ナザレの村里」を歌いましょう。最後の「アーメン」はつけずに歌います。差し支えない方はお立ちください。

 

Desiré 🙏 Dazzy 🎹🎶 K-e-k-u-l-éによるPixabayからの画像

メッセージ

どうして、イエス・キリストを信じるようになったのか、きっかけは話せても、理由は上手く言えない人が多いかもしれません。何を隠そう、牧師をしている私自身もその一人です。直接、神様の声を聞いたとか、イエス様の姿を見たのであれば、話は早いですが、そんな分かりやすい体験はしていません。
 
あるのはただ、イエス様について、神様について、ある時、この人から聞いた……礼拝へ誘われるようになった……それで、聖書を読んでみたり、教会へ行くようになった……それくらいの体験です。私の場合は、父や母、双子の弟がきっかけですが、皆さんはどうでしょうか? 
 
親から、子どもから、兄弟から、あるいは、パートナーや友人から、キリスト教について、教会について、聞くようになった。それで、ある時、自分も行ってみたことが始まりだった……たぶん、そういう話になることが、ほとんどだと思います。ちょっと不思議な経験や衝撃的なきっかけがあった人もいますが、大半は「誰かに聞いて」が始まりです。
 
実は、イエス様に従うようになった、最初の弟子たちの中にも、人から聞いて、イエス様を知り、会ってみるよう勧められ、信じていった人がいました。キリストの生涯を記した、4つの福音書には、それぞれ、イエス様から呼びかけられて、弟子になった人たちが書かれていますが、その中でも、ヨハネによる福音書は特殊です。
 
なぜなら、マタイ、マルコ、ルカによる福音書では、イエス様から直接「わたしについてきなさい」と声をかけられ、従った様子が描かれますが、ヨハネによる福音書では、イエス様について「人から聞いて」従うようになった姿が描かれるからです。たとえば、最初に弟子となった2人は、イエス様に洗礼を授けたバプテスマのヨハネがきっかけです。
 
2人は、イエス様が歩いているのを見たヨハネから「見よ、神の小羊だ」と2日連続で聞かされて、イエス様のあとをついて行きます。どうやら、この2人はもともと、洗礼者ヨハネの弟子だったみたいですが、ヨハネを置いて、イエス様について行きます。ヨハネから「その方はわたしにまさる」と聞いたからかもしれません。
 
他の福音書だと、最初の弟子たちは、漁師という仕事を捨てて、イエス様に従ったと書かれていますが、ここでは、自分たちの「ラビ」(先生)であったヨハネを捨てて、新しい先生についていったかのように記されます。こう言うと聞こえは悪いですが、2人の先生であったヨハネ自身も「あの方が神の子だ」と、ついていくよう促す様子が見られます。
 
もしかしたら、ヨハネが2日連続で、イエス様のことを「神の小羊だ」と繰り返したのは、2人が自分の目で見ても、イエス様が「全ての人を罪から救う神の子だ」とは、なかなか信じられなかったからかもしれません。ヨハネの後押しによって、2人の弟子は、イエス様について行き、振り返ったイエス様からこう言われます。
 
「何を求めているのか」……本来は、「私を弟子にしてください」という言葉が続くはずですが、2人から、そんな言葉は出て来ません。本当にこの人が神の子なのか? ヨハネから離れて、この人についていくのが正しいのか? 正面から聞く勇気も出てこなかったのかもしれません。イエス様が振り返るまで、自ら声をかけることもできませんでした。
 
さらに2人は、「どこに泊まっているのですか」という、ずれた返事をしてしまいます。けれども、イエス様は「来なさい。そうすれば分かる」と言って、自分が泊まっている家を教えました。すると、2人もイエス様のもとに泊まり、午後4時から朝まで一緒に過ごします。その時間帯なら、夕食も一緒にとったでしょう。
 
何か奇跡を見せられたわけでも、特別な体験をしたわけでもありません。ただ、一緒に泊めてもらっただけです。それなのに、2人のうちの一人、アンデレは、自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』――(救い主)に出会った」と言います。シモンは困惑したでしょう。
 
なぜ、その人をメシアだと信じるのか? どんな特別なことがあったのか? いったい何をしてもらったのか? でも、ご覧のとおり、アンデレがしてもらったのは、イエス様に泊まる場所を教えてもらって、一緒に過ごしただけです。彼自身、どうして自分の出会った方が、救い主だと言えるのか、兄弟に説明できません。
 
彼は、洗礼者ヨハネと違って、イエス様に「神の霊」が降るのも見ていませんでした。上手く説明できないアンデレは、とにかくシモンをイエス様のところへ連れて行き、会ってもらいます。すると、イエス様は彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われました。
 
ケファというのは、その地方で使われていたアラム語で、ギリシャ語だとペトロです。後に、弟子たちの中心的な人物となるシモン・ペトロも、人から聞いて、アンデレに連れて行かれて、イエス様と出会い、弟子たちの一人になりました。ちなみに、岩というのは聖書の中で、敵から身を隠したり、丈夫な家を建てる場所として、よく出てきます。
 
ところが、そんなふうに呼ばれるようになったペトロも、彼を連れてきたアンデレも、アンデレと一緒に居たもう一人の弟子も、イエス様に向かって、「わたしを弟子にしてください」とか「あなたに従います」と答えた場面は描かれません。実は、イエス様に従った弟子たちの返事は、どの福音書にも書かれていないんです。
 
それどころか、十字架にかけられて復活したイエス様が、再び弟子たちを訪れたときも「わたしに従いなさい」「わたしの羊を飼いなさい」という呼びかけに、正面から答えた人はいませんでした「はい、従います」「あなたの弟子にしてください」と、自分から口にできた弟子はいませんでした。
 
弟子たちの「信仰告白」自体、実はとても少ないことに気づかされます。不思議ですよね? 「イエス様に従う」って、そんなはっきり、分かりやすく、こういうことができたらOK……と言えるものじゃないんです。むしろ、これもあれもできていなかった人たちが、イエス様に従った者として、キリストの弟子になった者として、出てくるんです。
 
ナタナエルに至っては、フィリポから、ナザレ出身のイエス様のことを聞いて、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と馬鹿にしてしまう人物でした。彼にイエス様のことを伝えたフィリポも、この方こそ「モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方だ」と言いますが、なぜ、そう信じたのか、上手く説明できません。
 
否定的な友人に「来て、見なさい」と言うのがやっとです。実は、最初の弟子たちも、自分がどうして教会へ行くようになったのか、どうして神様を信じるようになったのか、一生懸命説明しようとするも上手くいかず、「教会に来てみて」というのがやっとの私たちと、そんなに変わらなかったんです。
 
特別な言葉も、特別なエピソードも持っていません。みんな不器用に「来て」「見て」と言うしかありませんでした。最初から、自分の信仰を上手く説明できたわけでも、納得してもらえたわけでもありませんでした。人から聞いて信じるのも、人に信じてもらうのも簡単にはできませんでした。
 
でもそれが、最初の弟子たちです。イエス様に従った12弟子の姿です。もしかしたらあなたもまた、イエス様に「わたしを弟子にしてください」と言えず、「従います」と答えられず、自分をどう呼んだらいいのか分からない、求道者の一人かもしれません。しかし、イエス様は振り向いて、あなたを自分のもとへ招き、新しい名前で呼ばれます。
 
もしかしたら、あなたもまた、自分が出会ったイエス様のことを、家族に、友人に、上手く説明できなくて、ちゃんと伝えられなくて、納得してもらえない人間の一人かもしれません。しかし、イエス様は、あなたが連れてきたい人のことも、あなたより前から「見て」います。あなたが連れてきたい人と、出会う準備をしています。
 
あなたが何かを果たせば、キリストの弟子になれるのではありません。もう既に、あなたはキリストの弟子として呼びかけられ、受け入れられ、送り出されているんです。見なさい、この方が神の子羊です。見なさい、この方があなたを呼んだ方です。見なさい、あなたがキリストの証人です。平和の使者として、行きなさい。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをお付けいただき、オンライン賛美歌1番「枯れた谷に鹿が」(©️柳本和良)を歌います。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。オンライン賛美歌の後ろの方の2頁をご覧ください。

紹 介

本日も、初めて礼拝に来られた方、初めて配信を見られた方、久しぶりに参加された方と一緒に礼拝にあずかれたことを感謝致します。受付でご了承いただいた方のみ、配信終了後にご紹介させていただきます。ぜひ、これからも一緒に礼拝へ出られると嬉しいです。

 

とりなし

共に、神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。オンライン讃美歌の後ろの方の1頁をご覧ください。

 

 

主の祈り

イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。オンライン讃美歌の後ろの方の4頁をご覧ください。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

献 金

感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた封筒をご利用ください。献金に、金額に定めはありません。持ち合わせのない方は、空のまま封筒をお入れください。

 

献金の祈り(例)

愛と慈しみに満ちた私たちの神様。感謝と喜びをもって、ここに集めた献金と、私たちの生き方をおささげします。どうか、私たちの日々の生活によって、恵みの主である、あなたがあがめられますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

マスクをお付けいただき、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」2節を歌いましょう。

 

讃美歌

オンライン賛美歌15番「わたしたちは旅人」を歌いましょう。差し支えない方は、お立ちください。

 

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

 

派 遣

はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。(ヨハネによる福音書1:51b)

 

祝 福

どうか、平和の主御自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与えくださるように。主があなたがた一同と共におられるように。(テサロニケの信徒への手紙二3:16)

 

報 告

本日も教会に集まって、また配信を通して礼拝にご参加くださり、ありがとうございます。先週の日曜礼拝は、教会に集まった25名、同時に視聴された8名、計33名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

来週の日曜日は『好意を示してくれません?』と題して出エジプト記33:12〜17とヨハネによる福音書2:1〜11からお話しします。なお、来週21日の礼拝は、例年1月に行っているオープン礼拝(前奏から後奏まで一つ一つ説明しながら行う礼拝)を開きます。

 

午後の研修会は9月に行ったので、礼拝後はオリーブ会とヒラソルの会を開きます。こちらもぜひ、ご参加ください。また、2月4日の第一日曜日には、礼拝後に13時まで、教会懇談会を開きます。

 

お茶を飲みつつ、教会にお願いしたいことや質問したいこと、総会で取り上げてほしいことなどを自由に話し合う会です。客員や求道者も参加できるので、時間のある方はご参加ください。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に、神様の平和がありますように。