洗足木曜日・最後の晩餐記念礼拝 2025年4月17日
- 案 内
- 前 奏
- 第一日目(日曜日)エルサレム入城
- 第二日目(月曜日)神殿から商人を追い出す
- 第三日目(火曜日)権威についての問答
- 第四日目(水曜日)香油を注がれる
- 第五日目(木曜日)弟子の足を洗う/最後の晩餐
- メッセージ
- 聖 餐[1]
- 第五日目(木曜日)ゲツセマネの祈り
- 第六日目(金曜日)十字架にかかる
- 第七日目(土曜日)墓に葬られる
- 主の祈り
- 後 奏
- 報 告
案 内
本日は、キリストが十字架につけられる前夜、弟子たちの足を洗い、最後の晩餐にあずかった「洗足木曜日」を記念する「最後の晩餐記念礼拝」を行います。イエス様がエルサレムに入ってから、十字架につけられるまでの一週間を思い起こし、キリストの復活を記念する「イースター」を迎える準備をします。
最初に、第一日目から第五日目まで、順番に聖書を朗読し、祈りを合わせる賛美をします。賛美歌は、讃美歌21の35番「主よ、あわれみたまえ」を繰り返して歌い、光と命の象徴である蝋燭の火を一本ずつ消していきます。
第五日目まで祈りと賛美を行ったあと、最後の晩餐を記念して一つのパンを割いて分け、(聖餐/愛餐)式を行います。その後、第六日目と第七日目の祈りをささげ、キリストの受けられた苦しみと十字架の死を思い起こします。
聖書朗読と賛美の間に、短い沈黙を挟むので、自分自身が抱えている、胸の中の思いを、神様に差し出し、あなたが悩み、苦しみ、迷っているとき、イエス様も共に痛み、共に悲しみ、共に起き上がろうとしていることを思い出しましょう。
前 奏
*前奏の間に、7本の蝋燭に火をつける。
第一日目(日曜日)エルサレム入城
マタイによる福音書21:1〜11
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*日本聖書協会の「ホームページ等への聖書の引用について」に基づき、聖書の引用を適切な範囲内で行うため、配信終了後に聖書箇所のみ記載し、本文をカットしています。該当する聖書箇所を「聖書本文検索」で「書名」と「章」まで入力し、「節」入力を省略すれば、章全体を参照できます。 |
沈 黙
1本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)
讃美歌
讃美歌21の35番「主よ、あわれみたまえ」(1番も2番も少し強く)
第二日目(月曜日)神殿から商人を追い出す
マタイによる福音書21:12〜17
沈 黙
2本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)
讃美歌
讃美歌21の35番「主よ、あわれみたまえ」(1番は少し強く、2番から徐々に遅く)
第三日目(火曜日)権威についての問答
マタイによる福音書21:23〜27
沈 黙
3本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)
讃美歌
讃美歌21の35番「主よ、あわれみたまえ」(1番も2番も強く低く、徐々に遅く)
第四日目(水曜日)香油を注がれる
マタイによる福音書26:6〜16
沈 黙
4本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)
讃美歌
讃美歌21の35番「主よ、あわれみたまえ」(1番は少し強く、2番は少し弱く遅く)
第五日目(木曜日)弟子の足を洗う/最後の晩餐
ヨハネによる福音書13:1〜7
マタイによる福音書26:17〜30

メッセージ
神の子イエス・キリストは、十字架につけられる前の夜、弟子たちと共に最後の食事をなさいました。その食事は、過越の食事と呼ばれるもので、かつて、エジプト人の奴隷にされていたイスラエル人が、神様に導かれて、エジプトを脱出したことを記念し、毎年行われる食事でした。
その日、イエス様は、これから自分を裏切ろうとしている者が、同じ食卓に着いていることを弟子たちに語りました。弟子たちは皆、不安がって「主よ、まさかわたしのことでは」と言いますが、イエス様は「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る」としか答えません。
けれども、その場にいる全員が、イエス様と同じ鉢にパンを浸して、調味料をつけて食べていたため、誰のことを言われたのか、よく分からないままでした。実際に、イエス様を裏切ろうとしていたユダ自身も、「先生、まさかわたしのことでは」と口にしますが、イエス様は「それはあなたの言ったことだ」と奇妙な言葉を返します。
同じように、イエス様から「それは、あなたが言っていることです」と言われる人物がマタイによる福音書26章63節と27章11節に出て来ます。それは、イエス様に向かって「お前は神の子、メシアなのか?」と問いただした大祭司や「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問をしたローマの総督ピラトでした。
彼らは皆、イエス様が神の子であること、救い主であることを認めようとせず、神を冒涜した罪で、イエス様を貶めるため「わたしは神の子、救い主だ」と言わせようとした人たちです。けれども、イエス様は彼らの問いに「それは、あなたが言っていることです」と噛み合わない言葉を返します。
イエス様の言葉どおり、ピラトや大祭司たちが「あなたは神の子、メシアです」「あなたがユダヤ人の王です」と言っていたとしたら、それはもう信仰告白です。以前、ペトロがイエス様に向かって「あなたはメシア、生ける神の子です」と告白したときと同じ言葉になるからです。
イエス様を尋問していた大祭司や、ローマの総督ピラトは、イエス様を信じようとしていなかったにもかかわらず、まるで、既に信仰を持っているかのように、信仰を告白したかのように、「それは、あなたが言っていることです」とイエス様は言いました。まさに今、自分を十字架につけようとしている人たちを、信徒の一人のように扱うんです。
イエス様の「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」という言葉に対し、「先生、まさかわたしのことでは」と言っていたユダも、自分が裏切り者だと認めようとしていなかったにもかかわらず、罪を告白しようとしていなかったにもかかわらず、まるで、既に自身の裏切りを認め、罪を告白したかのように、イエス様は扱います。
「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。」という強い言葉も「あなたなんて生まれなければよかったのに」という意味ではありません。自分を裏切ったあと、ユダ自身が生まれてきたことを後悔して、自ら首をつってしまうほど苦しむことを、知っていたゆえだと思います。
わたしはあなたが苦しむことも、あなたが罪を告白することも、あなたが後悔することも知っている。あなたの受ける痛みを知っている。そのあなたのためにも、わたしは十字架にかかって死に、3日目に復活し、天に昇って、神の国が完成する日の、食卓を用意しに行く……だから、わたしの記念として、このように行いなさい。
そのように、イエス様は最後の晩餐を、主の食卓を、最初の聖餐式を制定されました。このパンと杯は、これから自分を見捨てる弟子たちに、これから自分を裏切る弟子たちに、復活を信じられない弟子たちに、自分を思い起こして、新しく生きる力が与えられるよう定められたものです。
「わたしの父の国(神の国)で、あなたがたと共に新たに飲むその日が来る」……そう言って、自分を敵に売り渡す者、自分を三度「知らない」と言う者、復活しても自分だと気づかない者たちへ、パンを裂き、杯を回し、手渡していきました。このパンと杯を手渡されている者の一人に、あなたも入っているんです。
あなたのために、主は食卓を整え、ここへ招いてくださいました。あなたのために、主は命をささげられました。あなたのために、主は血を流され、罪の赦しを受けられるようになさいました。天の国で、自分と同じ食卓に着き、自分と同じ鉢から食べ、自分と同じ永遠の命を受けるよう、場所を整えてくださいました。
だから、拒まないで受け取ってください。どこかで、イエス様のことを信じ切れずにいる者も、信仰が揺らいでいる者も、信仰に自信がない者も、キリストに差し出されたパンを拒む必要はありません。このパンと杯を通して、信仰が新たにされるよう、恵みを受け取るよう促されているからです。味わい見よ、主の恵み深さを。アーメン。
聖 餐[1]
ただいまより、キリストが十字架につけられる前、弟子たちと取った、最後の食事を記念して、聖餐式を始めます。
讃美歌
最初に、讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。(ご着席いただいたままで大丈夫です)
主の食卓への招き
ようこそいらっしゃいました。今から神の民の祝宴が開かれます。神の子であるキリストは、十字架につけられる前の晩、これから自分を裏切って、見捨ててしまう弟子たちに、パンを手渡して言いました。「これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。」
同じように、ぶどう酒の入った杯を取って言いました。「これを取り、互いに回して飲みなさい」「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である」「わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。」
主は、辱める者、傷つける者、信じない者を憐れまれ、一人一人の罪が赦されるよう、ご自分の命を献げられ、神の国で共に食卓に着く日がやってくることを教えました。この方を信じ、その信仰を公に告白した方は、進んでこの食事にあずかりましょう。また、信仰を告白していない者、共に集った兄弟姉妹もキリストのとりなしと祝福を受けましょう。
感謝と聖別の祈り
世界の創造者、また統治者である神よ、あなたはご自分にかたどって私たちを造り、あなたを愛し、あなたに仕え、全被造物と平和のうちに生きるために、この世界に住まわせられました。私たちがあなたに逆らい、信頼と服従を拒んだ時にも、あなたは私たちをお見捨てにならず、ご自分のものと呼んでくださいました。あなたは私たちを、ご自分の道に立ち返らせるため、御子イエス・キリストを世に遣わしてくださいました。
主イエスは、罪人と共に食事をし、その生き方を新たにし、信じない者を信じる者に、滅ぶべき者が永遠の命にあずかるために、十字架にかかってくださいました。そして、死という絶対的な隔たりを超えて、ご自分を見捨てた者たちに現れ、「あなたがたに平和があるように」と宣言してくださいました。
私たちの神よ、どうか、今ここにあるパンと杯を受け入れ、御言葉と聖霊によって、聖なるものとしてください。そして、これによって、御子イエス・キリストの尊い体と血にあずからせてください。これにあずかる者たちが、皆キリストの体と一つになり、永遠の命を受け継ぐことができますように。アーメン。
陪 餐
ただいまより、パンとぶどう液を配ります。
(パンを裂いて、会衆に配る)
これは、あなたがたのために与えられた主イエス・キリストの体です。あなたのために主が命をささげられたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。食べなさない。あなたがキリストから受けて、あなたから分けられるように。
(ぶどう液を注いで、会衆に配る)
これは、あなたがたのために流された主イエス・キリストの血潮です。あなたのために主が血を流されたことを覚え、感謝をもってこれを受け、御子イエス・キリストとの交わりにあずかりましょう。飲みなさい。あなたがキリストから受けて、あなたから溢れ出るように。
陪餐後の感謝
共に、感謝の祈りをささげましょう。
愛と憐れみの主である全能の神よ、今日この場に、私たち一人一人をあなたが招いてくださったことを感謝致します。あなたは今、御子イエス・キリストの尊い体と血によって、私たちを養い、この場に連なる全ての者を結び合わせてくださいました。
あなたはこれによって、私たちに対する愛と恵みを示し、私たちがキリストの体の手足であること、神の国を受け継ぐ者であることを確かにしてくださいました。今、イエス・キリストを通して、自分の体を生きた聖なる供え物として献げます。どうか聖霊を注いで、私たちをこの世に遣わし、あなたが求めていることを行わせてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
讃美歌
ご着席のまま、讃美歌81番の2節、3節を歌いましょう。
第五日目(木曜日)ゲツセマネの祈り
マタイによる福音書26:31〜56
沈 黙
5本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)
讃美歌
讃美歌21の35番「主よ、あわれみたまえ」(1番は少し弱く遅く、2番はさらに弱く遅く)
第六日目(金曜日)十字架にかかる
マタイによる福音書26:57〜27:56
沈 黙
6本目の蝋燭を消して、短い沈黙(30秒)
讃美歌
讃美歌21の35番「主よ、あわれみたまえ」(1番は弱く遅く、2番は少し弱く遅く)
第七日目(土曜日)墓に葬られる
マタイによる福音書27:57〜66
沈 黙
全ての蝋燭を倒して、長い沈黙(60秒)
讃美歌
沈黙の間、溢れてきた思いを賛美に乗せて、共に祈りを合わせましょう。讃美歌21の35番「主よ、あわれみたまえ」(1番は少し強く、2番は強く)
主の祈り
共に、イエス様が教えられた主の祈りを祈りましょう。

後 奏
以上で、洗足木曜日の最後の晩餐記念礼拝を終わります。
報 告
今度の日曜日は、いよいよイースターです。子ども向けの教会学校イースター礼拝は9時15分から、一般向けのイースター礼拝は10時半から行っています。礼拝後に、昼食サービスのハレルヤランチも予定しています。
教会学校こども礼拝では、礼拝後に、子どもたちとエッグハント(卵探しゲーム)も予定しています。どなたでも参加できるので、初めての方も、久しぶりの方も、ぜひお待ちしています。それではまた、日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。
[1] 以下、「聖餐式」の式文は、日本基督教団信仰職制委員会 編『日本基督教団 式文(試用版Ⅰ)』日本キリスト教団出版局、2006、2010を参照し、大きく手を加えたものを載せています。