ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『どうやって支えろと?』 ペトロの手紙一5:1〜11

在宅聖研祈祷会 2020年4月22日

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MICHOFFによるPixabayからの画像

 

讃美歌

ただいまより、在宅聖研祈祷会を始めます。最初に、讃美歌(526)番「苦しみ悩みの」を歌いましょう。動画では、権利関係に配慮して歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方はぜひ、この賛美を味わいつつ、御言葉を受け取る準備をしましょう。

 

お祈り

ひと言お祈りをします。共に祈りを合わせましょう。

 

復活と希望の主である私たちの神様。今週も、あなたに備えられたそれぞれの場で、祈るときが与えられ、感謝いたします。未だ感染症の収束は見えてきませんが、一日一日をあなたが守ってくださいます。

 

この状況は、あなたの怒りがもたらしたものか、あなたの警告が下されたものか、私たちは日々不安を覚え、答えを探し求めます。

 

分かりやすい原因と解決策を望み、危機を免れたくなります。自分は答えを知っているという安心感を得たいのです。

 

しかし、あなたは愛と憐れみと平和の主です。滅ぶべき者に赦しを与え、裁くべき者に永遠の命を与えられる、理解不能なお方です。

 

どうか今、あなたの御心が把握できないと素直に認めさせてください。そして、理解不能なあなたの愛に信頼させてください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖書朗読

聖書の言葉を聞きましょう。ペトロの手紙一5:1〜11(新共同訳準拠)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

www.bible.or.jp

 

メッセージ

牧者は辛いよ……

様々なグループでリーダーの責任を負う人は、今非常に難しい時期を過ごしています。子どもたちを世話する教師たち、メンバーをまとめる部長や顧問、バイトやパートを統括する責任者、そして牧師や長老・執事をしている役員たち……自分のグループを世話しなければならないのに、集まれないし、触れられないし、訪問できない。

 

こんなとき、うちのリーダーは何してるんだ? ちゃんと、一人一人に配慮やお世話ができているのか? 不平不満が飛び交い、不信感を持たれ、神経をすり減らしながら、収束のときを待っている。あちこちに文書を送り、電話をかけ、情報を集めながら、どうしたらいいか探している。そんなとき、今日の言葉は刺さります。

 

「あなたがたにゆだねられている、神の羊の群れを牧しなさい」……聖書において羊の群れは、神から委ねられた仲間たちです。羊飼いであるリーダーが守り、支え、導く存在として、繰り返したとえ話に出てきます。わざわざ説明しなくても、教会に来ていた人なら分かるでしょう。そう、あなたの仲間を、ちゃんと世話するようにと言われている。

 

けれども、自然とため息が出てきます。神様、そんなこと分かっています。私にはお世話するべき共同体の仲間がいます。でも、この状況で、彼らをどうやって支えろと? 教会には集まれません。訪問にも行けません。外出自粛で、私たちは互いに顔を合わせることもできません。羊を世話する牧者のように、羊のもとへ出て行くことができないんです。

 

学校の教師も、サークルの部長も、バイトや会社のリーダーも、それぞれ痛みを抱えています。私が守るべき子どもたち、私が導くべき仲間たちを、どうやって支えたらいいんだろう? 自分の群れを牧するために、いったい何ができるんだろう? 自然と答えを探しますよね?

 

そんな答えですか?

ところが、この手紙には碌な答えがありません。「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです」……そんなことできるなら、とっくにお任せしています! でも神様、あなたは未だ感染症を収束させず、足りないものも満たしてくれないじゃないですか!

 

終わりの見えない困難に神様への信頼も失われる……キリスト教に対する迫害が厳しかった時代、いつ会堂から追い出されたり、職や財産を没収されるか分からなかった信者たちも、終わりの見えない困難に不平不満を感じたでしょう。世の中の状況はなかなか変わらず、長老に助けを求めても事態は好転してくれない。

 

ペトロの手紙に長老たちへの勧めがあるのも、困難な状況で彼らに対する批判や非難が集まっていたからだと思います。中には、自分の利得や利益のために、きちんと仲間を世話しなかった長老たちもいたでしょう。でも多くの長老は、信者と信者の間に挟まれて、「私こそ誰かに牧会してほしい!」と感じていたんじゃないでしょうか?

 

牧者を牧する大牧者

実はこれ、旧約の時代からずっとそうでした。有名な出エジプト記に出てくるイスラエルの民も、神から選ばれた指導者モーセにずっと不満を言い続けます。「何でこんなことしてくれたんだ!」「これだったら、何もしない方がマシだった!」「責任とってくれるのか!」

 

悩みながら民を導いてきたモーセ自身も神様に向かって叫びます。「神様、私に何をさせたいんです?」「いっそ私の命を取ってください!」……けれども、神様が取り上げたのはモーセの命ではなく、彼らの不安のタネでした。水がないところに水を沸かせ、パンがないところにマナを降らせ、肉がないところに鶉を落として満たされます。

 

それはいつも、必要なとき、必要な分だけでした。過剰に与えられることはなく、大量に蓄えて安心したい人たちは、やっぱり不満が出てきます。「これじゃ足りません」「これじゃ不安です」……しかし、神様は根気よく示し続けます。私はあなたの必要を満たし、あなたの命を保ち続ける。安心して生きなさい。

 

新型コロナの影響で、私たちもマスクやトイレットペーパー、果てはお米に至るまで、多くの買い占めに遭いました。必要なとき、必要な分が与えられる……その信頼を持つことができず、今も不安に踊らされます。仲間を世話するリーダーも、その影響をダイレクトに受けるでしょう。

 

なぜ用意できないの? なぜ配慮できないの? なぜ融通きかせてくれないの? 神様、どうか今すぐこの人たちを納得させる大量のものを生んでください! しかし、神様はその都度、私たちが抱え込もうとするものでなく、互いに分け合うものを与えます。

 

たった五つのパン、たった五つの魚……羊飼いが草を独り占めしないよう、羊たちをそれぞれの場へ導くように、私たちも「ここで大丈夫」という場所へ導かれます。

 

足りないもの、欠けているもので頭がいっぱいなあなたのことも、主は大牧者として既に手を伸ばされています。ここ2ヶ月「時間がない」「人手がない」「情報がない」と頭を抱えてきた私に、振り返ればいつも、必要な分、必要なだけの助けがもたらされたように……あなたにもその導きが、豊かに現れますように。

 

とりなし

共に主イエス・キリストが与えられた、とりなしの務めを果たしましょう。本日は、『信徒の友』の「日毎の糧」で紹介されている(熊本県菊池市の隈府教会)のために、礼拝の配信が見られない人たちのために、休園・休校している子どもたちのために、対応している先生や職員のために、音楽や演劇で働く人たちのために、祈りを合わせます。

 

神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、私たちがささげる祈りをお聞きください。

 

熊本県菊池市の隈府教会のために祈ります。主よ、高齢のため礼拝に出席できない人たちへ、もう一度訪問が可能になり、あなたとのつながりが豊かになるよう、隠退教師や信徒のみんなを支えてください。

 

礼拝の配信が見られない方々のために祈ります。主よ、教会に集えないだけでなく、礼拝の中継や配信を見られない人たちに、あなたの語りかけが豊かにあって、共につながる機会を与えてください。

 

休園・休校している子どもたちのために祈ります。主よ、幼稚園にも学校にも行けず、長時間、家で過ごしている子どもたちに、あなたの恵みが豊かにあって、新しい発見や楽しみを見つけさせてください。

 

対応している先生や職員のために祈ります。主よ、感染症の収束が見えず、悩みながら対応している一人一人に、あなたの慈しみが豊かにあって、新しい知恵と支えがもたらされますように。

 

音楽や演劇で働く人のために祈ります。主よ、ライブやコンサート、舞台が次々と中止になり、生活に困る人たちに、あなたの憐れみが豊かにあって、日用の糧が与えられますように。

 

今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

 

讃美歌

讃美歌(97)番「羊飼いの羊飼いよ」を歌いましょう。こちらも権利関係に配慮して動画内では歌いませんが、『讃美歌21』をお持ちの方はぜひ、この賛美の応答の思いに心を合わせましょう。

 

主の祈り

共に、主イエス・キリストが弟子たちに教えられた最も基本的な祈りを祈りましょう。

 

天にまします我らの父よ。

願わくは御名をあがめさせたまえ。御国を来たらせたまえ。

みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。

我らの日用の糧を今日も与えたまえ。

我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、 我らの罪をも赦したまえ。

我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。

国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。アーメン。

 


『どうやって支えろと?』ペトロの手紙一5:1〜11