ぼく牧師 〜聖書研究・礼拝メッセージ、ときどき雑談〜

*聖書の引用は特別記載がない限り、日本聖書協会『聖書 新共同訳』 1987,1988 から引用しています。

『不安げに出迎える』 サムエル記上16:4〜13

日曜礼拝2021年11月21日


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案 内

華陽教会では、感染症対策のため、礼拝の中で四度、立ち上がって讃美歌を歌う間、会堂の窓を開放し、換気の時間を作ります。どうぞ、教会員の方は、窓の開閉にご協力ください。共に今、教会にいる人も、配信を見ている人も、神の招きにあずかりましょう。

 

前 奏

(*奏楽者は牧師の案内のあと、前奏を弾き始めます。司式者は前奏の終わり頃に講壇へ立ち、会衆を招く準備をします。招詞の聖書箇所は読み上げる必要はありません。網かけ部分は司会が読むところ、四角部分は会衆が立つところです。(かっこ)は会衆の様子を見て省けるときは省きます。)

 

招 詞

「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。(テモテへの手紙一1:15)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、旧讃美歌508番「主よ、日に日に」を歌います。諸事情でマスクを外している方は歌うのをご遠慮いただき、心で賛美を合わせましょう。(お立ちください)

 

お祈り

(ご着席ください)共に祈りを合わせましょう。

 

◆私たちの王なる神様。今日もまた、あなたによって守られて、日曜日の礼拝に集まることができ、感謝致します。どうか今、初めて来た人、久々に来た人、自宅で、施設で、職場で、屋外で、あなたの言葉を受けようとしている人を祝福してください。

◆私たちの友なる神様。今日は、収穫感謝礼拝です。コロナ禍による様々な困難の中、食卓に届けられた恵みを感謝致します。どうか今、農家や漁師、生産業や加工業を営む一人一人に、あなたのお支えがありますように。

◆私たちの母なる神様。来週から、キリストの再臨を待ち望み、クリスマスの準備を行うアドヴェントに入ります。どうか今、全ての者に仕えてくださった、王なるあなたをお迎えし、受け入れる準備ができるよう、一人一人を導いてください。

◆私たちの父なる神様。今週、病院で検査を受けた方や治療を行っている方、自宅で療養している方に、あなたの慈しみがありますように。どうか今、あなたの御手が差し伸べられ、心と体の回復が導かれますように。

◆人と人との間におられる、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

聖 書

聖書の言葉を聞きましょう。サムエル記上16:4〜13(新共同訳より抜粋)

*当ブログ全体における聖書の引用を適切な範囲内で行うため、後ほど聖書箇所のみ記載し、本文をカットすることがあります。後からご覧になる方は、該当する聖書箇所を日本聖書協会の「聖書本文検索」か、手元に新共同訳聖書がある方はそちらからお読みください。

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交読文

詩編の言葉を読み交わしましょう。詩編89:20〜30(新共同訳交読詩編より抜粋)

『交読詩編』か『讃美歌21』の後ろの方をご覧ください。司会と会衆で交互に読んでいきますので、皆さんは一段下がったところと太字のところをお読みください。(ご着席のままで大丈夫です)

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、讃美歌21の14番「たたえよ、王なるわれらの神を」を歌います。(お立ちください)

 

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Christine SchmidtによるPixabayからの画像

メッセージ

今日は収穫感謝記念日です。神様から与えられた恵みに感謝し、野菜や果物を持ち寄って、みんなで分かち合いながら、賛美と祈りをささげます。ですが、神様からいただく恵みって、必ずしも、喜んで受け取れるとは限りません。収穫された作物の中には、皆さんが苦手なものもあるでしょう。味や形が変わったものもあるでしょう。

 

コロナ禍で感染リスクがある今、持ち寄ったものを手に触れて分かち合うこと自体、歓迎しにくい状況です。また、食べ物に限らず、与えられた恵みに、思っていたような反応ができないことも少なくありません。祈って、祈って、ようやく得られた成果や収穫が、いざもたらされると喜べない。待ち望んでいたはずの恵みに予想と違う感覚がやってくる。

 

赤ちゃんを待っていた家族……レギュラーになりたかった選手……仕事を求めていた社会人……自分がずっと待っていた、望んでいた恵みが、いざ目の前にやってくると、怖くなる、不安になる、プレッシャーが半端ない……「ちょっと待ってください……」「どう反応したらいいか、分からなくなっちゃいました……」

 

実は、私たちが願い、祈り、待ち望んでいる恵みは、その訪れと共に、たいてい不安や恐怖をもたらします。自分の病気に治療法が見つかり、一筋の光がさしたとき、同時に、手術や治療薬への不安も湧いてくる。支配的な人間関係を断ち、新しい友人ができたとき容易に、信頼できない気持ちも湧いてくる。

 

せっかく、神様がくれた恵みなのに、待ち望んでいたチャンスなのに、喜んだり、歓迎したり、感謝する気持ちが出てこない……笑顔で受け入れて進みたいのに、困惑や緊張で押しつぶされる。こんなんじゃ、二度と恵んでもらえない。もたされた恵みも取り上げられる。喜んで、歓迎して、感謝しなくちゃ、私は大変なことになる!

 

そのような感覚に陥る人も、きっと少なくはないでしょう。「出されたものは、ちゃんと食べなさい」「好き嫌いしたら、もう作ってもらえなくなる」なんて繰り返し聞いてきたように、神から与えられた恵みにも、拒絶や不安を見せたら、あらゆる祝福を失い、呪いに起き変わってしまうような、恐ろしいイメージが付いてきます。

 

しかし、だからこそ、神からもたらされた恵みを、与えられた良い知らせを、不安げに出迎えた先人たちを思い出したいと思うんです。ちょうど、私たちは来週から、キリストの誕生を祝う準備期間「アドヴェント」に入ります。この時期、幼稚園や教会学校では、イエス様が生まれる知らせを受け取った、マリアやヨセフ、羊飼い、エルサレムの人々がどんな反応をしたか聞くことになります。皆さんは覚えているでしょうか?

 

そう、毎年、語ってきたように、みんなが待ち望んでいた救い主イエス・キリストは、その誕生を知らされた全ての者に、まずは不安をもたらしました。マリアは心当たりのない妊娠に戸惑い、ヨセフは婚約者の異変に驚き、羊飼いは天使の登場に恐怖しました。エルサレムの人々は、新しい王の誕生の知らせを聞いて、皆、不安に陥ります。

 

イスラエル人であれば、誰もが待ち望んでいた救い主の誕生を、誰一人、喜んで受け入れることができません。むしろ、最初は怖がり、悩み、歓迎できませんでした。既に、聖書の話を聞いている私たちでも、たいした違いはなかったと思います。たとえば、今ここで天使が現れ、キリストの再臨を宣言されたとして、誰が喜べるでしょうか?

 

きっと、世の終わり、終末に再び来られるイエス様の登場を知らされても、みんな恐怖すると思います。だって、イエス様がついにやってくるということは、今ここにある全てが変わってしまうということです。自分の生活も、世の中の仕組みも、何もかもが、これからどうなっていくか分からない。

 

アドヴェントは、キリストの誕生を記念する準備期間であると共に、キリストの再臨を祈って待ち望む時期でもありますが、不安なしに、この方を迎える準備ができる人は、たぶん、いないと思います。神のもたらす平和な世界を願いながら、いざ、その時が来ると動揺する、思わず拒絶してしまう……そんな自分を神様は受け入れてくれるのか?

 

顔を上げられない私たちに、聖書は大事なことを伝えています。それは、神の恵みを、喜んで受け入れられなかった人、すぐには歓迎できなかった人、不安げに出迎えた人たちから、神様はその恵みを、取り上げられなかったことです。むしろ喜ぶまで、受け入れるまで、この方は語り続けます。「恐れることはない」「救いはあなたに訪れた」と。

 

イエス様が生まれたヨセフの家は、ダビデ王の遠い親戚でした。そのダビデ王は、エッサイという父親の末っ子として生まれます。しかし、この末っ子が神に選ばれ、新しい王として、油を注がれるときも、歓迎はされませんでした。むしろ、油を注ぎに来た預言者サムエルに対し、町の長老は不安げに出迎えます。

 

「おいでくださったのは、平和なことのためでしょうか」……新しい王を与えようとする神に、人々は警戒するんです。平和ではなく、戦争の知らせだったらどうしよう? 恵みを与えに来たんじゃなくて、徴兵するためだったらどうしよう? 今よりも酷い状況をもたらされたらどうしよう? 神から与えられたものを、素直に受け取れない人々です。

 

しかし、サムエルは言いました。「平和なことです。主にいけにえをささげに来ました」「いけにえの会食に一緒に来てください」……神の恵みを不安げに出迎えた人たちから、その恵みは取り上げられません。まず、恐れなくていいことが告げられます。新しい王は、すぐ戦闘を率いるような背の高い長子ではなく、末の一番小さな息子が選ばれます。

 

恐れることはない、あなたに平和をもたらすために、恵みを与えるためにやってきた……神の使いはそう告げながら、自分が歓迎されなかった町で、ダビデに油を注ぎました。その家の子孫として生まれたイエス様も、自分の誕生を恐れた人に、平和と恵みを与えていきます。「恐れることはない」「神の国は近づいた」「福音を、良い知らせを信じなさい」

 

イエス様の誕生を最初は拒絶し、不安になり、歓迎できなかった人たちも、やがては、喜べるように、受け入れられるように、神様は根気よく導きます。恵みを取り上げたり、呪いに換えたりすることなく、この方はあなたに付き合います。

 

もしも今日、神様の恵みに感謝できない自分がいたら、不安と恐怖と緊張に、喜びが押しつぶされていたら、無理に装う必要はありません。嘆いても、怖がっても、恵みは取り上げられません。神様は、あなたの恐怖と不安が、喜びと感謝に変わるまで、この後も、付き合ってくださいます。あなたが泣き止んで、ご自分の食卓に着くまで側にいます。

 

共に、与えられた恵みを分かち合いましょう。喜びどころか、痛みや苦しみまで一緒に味わい、賛美と感謝に変えてしまう、偉大な王をたたえましょう。「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します」(テモテへの手紙一1:15a)……アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、オンライン賛美歌18番「あの方が独り子を」(©️柳本和良)を歌います。(お立ちください)

 

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使徒信条

教会の信仰を告白しましょう。「使徒信条」讃美歌21の93-4Aです。

我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがへり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまへり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまはん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交はり、罪の赦し、身体のよみがへり、永遠の生命を信ず。アーメン。(*着席のジェスチャー)

 

紹 介

(ご着席ください)本日も初めて来た方、久しぶりに来た方と、礼拝にあずかれたことを感謝致します。配信に乗らないように、ご了承いただけた方のみ、礼拝後に紹介します。今日初めて配信を見ている方にも、神様の祝福がありますように。

 

とりなし

神様から委ねられた、とりなしの務めを果たしましょう。クリアファイルに挟まれた、とりなしの祈りをご覧ください。

 

司会:神様、あなたは祈りに応えて恵みを与えてくださいます。どうか今、わたしたちがささげる祈りをお聞きください。

司会:世界の国民と政府のために祈ります。

会衆:主よ、政治に携わる人々に、知恵と勇気と良心を与え、全ての場所に、自由と平和をもたらしてください。

司会:世界に広がる全ての教会のために祈ります。

会衆:主よ、教会を聖霊によって力づけ、その信仰を新たにし、私たちの一致と結びつきを強めてください。

司会:教会員のために祈ります。

会衆:主よ、私たち全てを、御言葉によって豊かに養い、あなたの愛と平和を伝える者として送り出してください。

司会:今日ここに出席できなかった人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や衰え、仕事や様々な事情のために、ここに見えない人たちを、あなたが癒し回復してください。

司会:身近な人のために祈ります。

会衆:主よ、私たちの家族や友人、仲間たちが、あなたの愛を知れますように、私自身を用いてください。

司会:幼稚園、教会学校、地域の子どもたちを覚えて祈ります。

会衆:主よ、子どもたちの健康と安全を守り、疲れを癒し、安らぎと成長をもたらしてください。

司会:苦しんでいる人のために祈ります。

会衆:主よ、病気や怪我、悩みや苦しみを抱える人たちに、あなたからの平安と、必要な助けを与えてください。

司会:今も生きておられ、とりなしてくださる方、主イエス・キリストのお名前によって祈ります。

一同:アーメン。

 

主の祈り

(お立ちください)共に、イエス様が教えられた『主の祈り』を祈りましょう。讃美歌21の93-5A。

天にまします我らの父よ。
願わくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず、悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

 

愛 餐

本日は、収穫感謝記念日として、神の祝福を分かち合う愛餐式を行います。配信を見ながら礼拝をささげている方も、お家にあるパンと水を用意して、一緒にこの食事にあずかれます。用意するパンと水は特別なものではなく、普段の食卓に出てくるもので大丈夫です。共に、神様が備えてくださった見えない食卓にあずかりましょう。

 

讃美歌

最初に、マスクをしたままで讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」1節を歌いましょう。

 

食卓への招き

かつて、私たちの主イエス・キリストは、パンを求めて集まってきた群衆に言われました。「わたしは命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。(ヨハネ 6:35、57より)」

 

また、主は水を求めてやって来たサマリアの女性に言われました。「わたしが与える水を飲む者は、決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。(ヨハネ 4:14)」

 

主は、少年から受け取ったわずかなパンを祝福し、空腹だった5千人以上の人に分けられ、全ての者が食べて満腹になりました。この食卓は、キリストが神の国のしるしとしてなされた、あの「5千人の給食」のように、主の祝福による神の国のしるしです。

 

信仰を告白した人があずかる聖餐式ではありませんので、神の祝福を分かち合いたい方は誰でも、パンと水を手に取って、共に食事を味わいましょう。

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげます。

 

恵みと祝福の源なる私たちの神様、あなたは私たちに「命のパン」「命の水」をお与えになります。足りないものを満たし、欠けている力を養います。あなたは私たちを死の恐れから解放するため、御子イエス・キリストを遣わされ、貧しい者、嫌われ者、負い目のある者たちと、共に食事にあずかりました。

 

様々なやましさや後ろめたさがある人も、悩みや葛藤がある人も、疑い迷いがある人も、あなたは隔たりなく近づかれ、同じテーブルにつかれます。あなたが与えるパンと水は、信じない者を信じる者に、悲しむ者を喜ぶ者に、争う者をとりなす者に変えられます。どうか今、あなたから受けた恵みと祝福を、私たちも互いに分け合う者とならせてください。あなたの愛と平和が豊かに現されますように。アーメン。

 

分かち合い

共に、パンと水を分け合いましょう。普段、聖餐を受けられない人も、このパンと水は、信仰を「告白している」「していない」にかかわらず、一緒にいただくことができます。どうぞ、用意しているパンと水を手に取って、神の祝福にあずかりましょう。

 

主は言われます。

「わたしの父が天からまことのパンをお与えになる。(ヨハネ6:32)」

 

私たちもいただいたパンを食べましょう。あなたの内側から、生きた力が溢れ出るように。(*パンをいただく)

 

主は言われます。

「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。(ヨハネ7:37)」

 

私たちもいただいた水を飲みましょう。あなたの内側から、生きた水が流れ出るように。(*水をいただく)

 

感謝の祈り

感謝の祈りをささげましょう。

 

愛と平和の源である私たちの神様、今ここで、あなたの祝福を分かち合う食事にあずかれたことを感謝致します。日々、あなたがもたらされる日用の糧も、心を養う御言葉の糧も、必要なとき、必要な仕方で備えられてきました。

 

足りない者には与える者が、失くした者には見つける者が、一人の者にはつながる者が与えられます。どうか今、私自身も、あなたからいただくつながり、発見、恵みの数々を、共に分け合う者として、送り出してください。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

讃美歌21の81番「主の食卓を囲み」2節、3節を歌いましょう。同居している方がいるところは、念のため、マスクをつけて歌われるか、心で賛美を合わせましょう。

 

献 金

(ご着席ください)感謝の献げ物として献金をします。クリアファイルに挟まれた献金封筒をお使いください。

 

献金の祈り(例)

全ての祝福の源である神様、今、私たちがささげるものを受け入れてください。あなたの平和が実現し、あなたの御名があがめられ、神の国の栄光があらわされますように。主イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。

 

讃美歌

(会堂の窓を開放しましょう)マスクをしたままで、献金の讃美歌512番「主よ、献げます」の3節を歌いましょう。

 

讃美歌

頌栄24番「たたえよ、主の民」を歌いましょう。

 

祝 福

共に、神様の祝福を受けましょう。

派 遣

あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1:8)

祝 福

平和の源である神があなたがた一同と共におられるように、アーメン。(ローマの信徒への手紙15:33)

 

報 告

本日も教会に集まって、配信を通して、日曜礼拝にご参加くださり感謝致します。先週の召天者記念礼拝は、教会に集まった23名、同時に視聴された16名、計39名が参加されました。後から動画や原稿を見て、祈りを合わせてくださった方も感謝致します。

 

礼拝後、残ってお話される方は混雑を避けるため、ロビーではなく礼拝堂で、十分な間隔をとってお話しください。牧師も入り口ではなく礼拝堂にいるので、お話のある方はこちらでお願いします。また日曜日まで、皆さん一人一人に神様の平和がありますように。